最終話 刹那

 眠っていた僕は、目を覚ました。


 窓から、強い光が差し込んでいた。


 「兄さんは!? ホムラさんは…、うっ」


 身体中が、痺れるように痛かった。どうやら、あれから僕は、病院へ運ばれたみ

たいだ。病院特有の薬品の匂いがする。


 「体内の毒で免疫機能が弱まってるので、無理しないでください」


 僕の目覚めに気付いた看護師が、起き上がろうとする僕を慌てて止める。


 「その女性は…」


 彼女の言葉に割り込むように、街中のアナウンスが流れた。


 『昨夜、ウィザーズセントラル近郊の家宅にて殺人および殺人未遂で逮捕された

暁ホムラ容疑者は、昨年のクリスタル破壊事件の疑いもあることが、彼女の取り調

べにより判明しました』


 ホムラ、という名前を聞くだけで、彼女の綺麗な顔、白い裸を思い出す。そして、

僕を利用するために長い間、騙していたことも。


 さも炎魔法が使えるように振舞い、一切の疑念を抱かせなかった『炎使い』。


 「彼女、自首したいみたいで…」


 看護師の女性は、被害者の僕に情報を伝え、気まずそうに下を向いたまま、退室

した。


 「自首…」


 時刻は、十六時すぎ。あの夜からずっと眠っていたのか。


 点滴で解毒されている僕は、残りのわずかな毒を除去するために、もう一眠りし

て免疫力を回復させることにした。






 それから五時間後。


 僕は、退院した。


 ウィザーズセントラルで一番大きな病院に入院していたらしい。


 医者によるチェックの時に、担当医から半ば忠告のように言われた。


 「君をここまで運んでくれたのは、もちろん暁ホムラではなく、君がよく知って

いる友人だ。彼女は、心を乱しながらも、救急車を呼んで、到着するまでの間に自

分の魔法で応急処置を行った。臓器や心臓血管などを注意して、最低限の処置を

ね。君がまだ生きていられるのは紛れもなく彼女のおかげだ。ちゃんと、礼は言って

おいた方がいい」


 致死量の毒を、『対象物転移』で取り除いてくれた彼女。発見が少しでも遅れて

いたら、死んでいた事実。




 二十二時。


 僕は、女子寮へ足を運んだ。


 「ねえ、あの子って」


 「セカイさんの彼氏よね」


 「大会のタッグってだけじゃない?」


 「ええ、そ~かなぁ~」


 「男の子なのに、顔かわいいよね~」


 「犯人の女に騙された男の子でしょ?」


 「まだそうだと決まったわけじゃないけど、ありえそうね」


 女子たちは、一階の受付近くの食堂から、男子の来訪者を覗く。


 年ごろの女の子たちの興味の眼差しに緊張を隠せないまま、僕は彼女を待つ。


 「こんな時間に、なに?」


 ジャージ姿で現れた彼女は、僕の生存を確信しきっているのか、それとも周りの

視線を振り払うように毅然としているのか、或いはその両方なのか分からないが、

いつものように神経質な表情だった。


 シャンプーのいい匂いが鼻腔を掠める。


 目元が、少しだけ赤かった。


 「夜遅くにごめん。どうしても、今日じゃないとダメみたいで…」



 「はあ…?」


 僕は、彼女の両手を掴んだ。


 「はあ!? ちょっと!? なによいきなり!?」


 彼女は、もう一度入浴したように顔が紅潮した。


 「ええ!?」


 「なになに!?」


 周りの興味と期待が最高潮に達する。


 セカイさんはあたふたと、聴衆と僕を交互に見て、緊張を隠し切れない。


 「来て」


 それでも僕は、誰にも影響を受けないまま堂々と、伝えたいことを彼女に伝える

ために、場所を変えた。






 『短時間微加速』の連続発動で、聴衆を突き放し、昨日彼女を抱きしめた公園に

着いた。


 「昨日ぶりだね」


 「そうね…。で、あんたは私に何の用? 病み上がりなのに、魔法を連発しちゃ

って…」


 まだ、緊張の余韻で動揺する彼女は、単刀直入に尋ねる。


 僕は、彼女の手を放し、呼吸を整える。


 「ありがとう」


 そして僕は、礼を言った。


 「ええ、まあ。たまたま、見つけたから」


 「違う」


 「はあ?」


 「僕のことを気にかけてくれて、家まで来てくれたんだよね?」


 勘違いだったらものすごく恥ずかしい確認を、僕は平然と彼女にする。


 「そ、そんなわけ…! うん…」


 最後の掠れるような声の「うん」には、まったく嘘が感じられなかった。


 「君のおかげで、僕は、生きることが出来た。兄さんは、亡くなったけど…」


 「それは、ごめん」


 「なんでセカイさんが謝るんだよ?」


 僕は微かに笑う。


 「それに、よかったんだ。君のお父さんの無罪が証明されて、釈放されたこと。

まるで、自分のことのように嬉しかった」


 「あんた…」


 セカイさんの父、刹那トオルは、真犯人の供述により無罪が証明され、釈放され

た。


 涙ぐんだセカイさんは、その事実を思い出して喜んでいるから、だけではない。


 「でも、ホムラは、あんたのお兄さんは…」


 「ああ」


 タワーを破壊し、殺人も行った彼女は、おそらく死刑、よくても終身刑だ。二度

と、社会に復帰することはできない。


 「いいの?」


 セカイさんの言いたいことはすぐに分かった。


 「いいよ」


 だから僕は、即答した。


 「僕の力があれば、彼女を犯罪者になる前に戻してあげられる。数日前に戻れ

ば、兄さんだって復活する。…そして、レベル50になれば、クリスタルだって復活

することが出来る」


 「それなら…これからレベルを上げよう。私と。ダンジョンにだって着いていく。

これからは、ダンジョン攻略をメインに、魔物を狩り続けよ…」


 「でも!」


 僕は、叫ぶように声を上げて、彼女の言葉を遮った。


 「僕は、また君に辛い思いをさせるくらいなら、このままでいい。このままの世

界でいい!」


 これが、本題だ。


 僕は続ける。


 「もう一度やり直した世界で、もう一度、あの二人が同じように同じ手口でクリ

スタルを破壊したら、また君のお父さんは君と離れ離れになるし、君は叔父からも

う一度虐待を受けることになる」


 「でも、一度クリスタルを破壊して、ホムラは後悔してるんでしょ? それな

ら…」


 「百パーセント、再犯をしない可能性はない! それに、時間をやり直したら、

僕のステータスだって最弱に戻るかもしれないし、なにより君が、僕と過ごしたこ

とを忘れるのが、辛いから」


 僕は、泣きそうだったが、流れ出しそうになる涙をぐっとこらえる。


 「僕は、君のことが好きなんだ!」


 彼女は、衝撃を受けたように、固まっていた。


 「君は、僕のことを助けてくれたし、本心で仲良くしてくれた」


 僕は、一拍おいて、最後に伝えた。


 「これだけは伝えたかった。僕は、君のことが一番好きだ。だから、君に忘れら

れたくないし、君にあんな悲しい思いは二度としてほしくない。だから僕は、時間

を戻さない」


 すると、彼女の顔は次第に崩れていき、ボロボロと涙を流した。


 「なによ…」



 息苦しく、泣きながら、僕の綺麗事に心を乱す。


 最後だと思ったのに、そんな彼女を見た僕は言葉が止まらなかった。


「時魔導士は、時を支配する魔導士」


「えっ?」


「兄さんから聞いた、時魔導士の言い伝え。…ゆえに術者は、目の前の去り行かん

とする刹那を見逃すな」


 兄に教えられた、あの言葉。強敵の隙を見逃すまいと気を張り詰めた瞬間に思い出す、あの記憶。


 「だから僕は、目の前の去りゆかんとする刹那、…刹那セカイを絶対に見逃さな

い」


 数秒の沈黙で、堂々を装った態度は徐々に崩れ、僕の目線は下を向いた。


 「他の女に騙されたから、君のところへ来たんじゃない。それだけは、約束する」


 僕は、拒絶されるだろうか。


 年上の女に騙されて、利用されて、挙句の果てにはどんな形であれ身体を交えた。事実だけを見ればそうなってしまう男を、彼女は…。


 「間違ってる」


 どうにかして泣き止んだ彼女は、きっぱりと僕を咎めるように言った。


 「だよね、結局、自分の都合良く考えてたみたいだ…」


 「そうよ。だって…」


 一方的に自分の気持ちを伝えたから、次は彼女の言い分をちゃんと聞いてやろ

う。すべてを受け止めてやろう。僕は、覚悟した。


 「時魔導士の言い伝えの部分」


 彼女は、優等生らしく、指摘した。


 「『ゆえに術者は、目の前の去りゆかんとする刹那を見逃すな』の『刹那』っ

て、どう考えたって私じゃないでしょ!」


 「へ?」


 「『刹那セカイ』って固有名詞じゃなくて、あっという間って意味の『刹那』でし

ょ。あなたのお兄さんが教えたのなら尚更そうでしょうが」


 「いや、そういうことじゃ、なくて…」


 僕は呆気にとられながら答えた。


 「じゃあどういうことよ?」


 すかさず、僕に尋ねる。彼女は、先ほどの態度と一変して、どこか楽しんでいるよ

うだった。


 「きっ、君への口説き文句で…」


 「えー? 聞こえなーい」


 次は、楽しんでいることが、はっきり分かった。


 「な、なんだよ急に!?」


 次は、僕が泣き出しそうだった。


 そして、追い打ちをかけるように、彼女が僕を抱きしめた。


 「こういう冗談を言い合うのが、私たちでしょ? この関係も失いたくない。で

も、それ以上の関係にだって、なりたい」


 「セカイさん…」


 僕は抱きしめる彼女の腹に両手を回して、抱き返した。


 「これからも、仲間として、練習相手として、それから、彼女として、…よろしく

ね」


 「…うん」


 抱きしめながら、僕はそれでも、もしかしたら、と思い直す。


 時魔導士の言い伝え。『ゆえに術者は、目の前の去りゆかんとする刹那を見逃す

な』の『刹那』は、時魔導士と対をなす空間魔導士の一族『刹那』を指しているの

はないだろうか。それは、あながち当たっているのかもしれない、と。


 地元を旅立つときにおばちゃんから渡されたナイフ。かざせば、地元に転移して戻

ることのできるもの。


 お父さんが、友人づてでもらったというナイフは、きっと、空間魔導士からもら

ったもの。良くも悪くも、世界をコントロールできる魔導士たちの絆は、今の僕た

ちのように強固で暖かいものだったのかもしれない。


 というか、僕はそう信じてたい。


 空間魔導士、刹那セカイを、時魔導士として支えることで、それを証明したい。


 シャンプーのいい匂いが、再び僕の鼻腔を掠めた。

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