第五話「夜明けに立つ」

「そっか、出会っちゃったか」


 何があったのか語ろうともしないダンの代わりに、私が広場での事件の顛末を話すと、ヤックさんは小さく溜息を吐きながらそんなことを言う。


 もう既に店の閉店時間は過ぎており、カフェコーナーにいるのは私とヤックさん、それにマスターだけだ。


「出会っちゃったかって……知ってたんですか、その……」


「ああ、シャーカが先月雇ったって話は聞いてたからね」


「シャーカ?」


「ここの領主」


 短く答えて、ヤックさんはコーヒーをすする。


「犬を飼うような感じなんだろう。シャーカからすりゃ享楽だ」


「どうして知ってたのに、ダンに教えなかったんですか……?」


 私の言葉に怒気が込められていることに気づいたのか、ヤックさんは答える前にすまない、と短くこぼす。


「話すつもりではいたよ。ただ、彼女……いや、彼が前にダンの話してたレオナ・ヤンマーニだとは最初信じられなかったよ。男だって聞いてたからね」


 そのままヤックさんは、レオナがダンの元カレにあたる人物だということを説明してくれた。アイドル細胞移植計画に関わる前、ダンとレオナは男同士で交際をする程の仲だった。ダンもレオナも、身寄りがなくて、当時の雇い主に売り飛ばされてアイドル細胞移植計画の実験体になったらしいのだ。


 結局、グラスボーイを持ち出して逃げ出したのはダンだけで、レオナがその後どうなったのか、ダンは知らないままずっと捜し続けていた……というのがヤックさんの話だった。


「しかし話には聞いていたし捜せばいるんだろうけど、女になってまでアイドル側についてる奴がいるとはね。アイドル細胞があるなら、ダンみたいに男のまま使えば良いのにな」


「……え?」


 ふと漏らしたヤックさんの言葉に、私は思わずそんな声を漏らす。


「そもそも性転換自体、かなり厳正な審査が必要だし、身も心もアイドル側に捧げてるってことなんだろうな。どんだけうまい汁吸えるって言われても俺はごめんだな」


 やれやれ、と言った感じでそう言いながらヤックさんは手元のコーヒーを飲み干していく。


 そんなヤックさんの様子を、私はポカンとしたまま見つめていた。


 てっきりダンの身体のことは、ここにいる人達は皆知っているようなものだと思っていたけど、今の口ぶりからするとヤックさんはどうも知らないらしかった。


 あの時、ダンが私に話してくれたのは「見られた以上は仕方なく」ってことだったし、多分見られなければずっと話すつもりはなかったのかも知れない。だから多分、アイドルバスターの人達にも身体のことまでは話していないのだろうか。


 広場での様子を思い返せば、ダンが必死に隠すのもわかる気がする。ダンはあくまで男として生きて、男としてアイドルと戦っている。そんな自分の身体がほとんど女に近い身体だなんて、果たして人に話せるだろうか。


 旧知の仲って感じのヤックさんにも、かわいい弟分のガーヤくんにも、きっとダンは話せない。話せるわけがない。


 あんなにダンを慕っているガーヤくんが、ダンの身体のことを知ったらなんて言うだろう。受け入れてくれるだろうと思いたいけど、本人じゃない私だって不安になるんだから、きっとダンの方が不安で、怖いと思う。


「カナデちゃん?」


「……いえ、何でも。ありがとうございます、話してくれて……。ダンったら、なんにも話してくれないから」


 ダン・シークレット。彼は、怖くて秘密を語れない。






 ドルォータには宿泊用の部屋がいくつかあって、その内の二部屋を私とダンが借りている。今までダンとは同室だったり野宿だったりで大体傍にいたけど、このオリョークに来て初めて別々の部屋で休息を取っていた。


「ダン……」


 ダンのいる部屋をノックしても、ダンは返事をしてくれなかった。あのダンがこんなにふさぎ込んでしまうなんて考えても見なかったから、未だに信じられない。


「ねえ、ダン」


 普段ならうるせえ、くらいの悪態を返して来るのに今のダンは無言のままだった。もしかしたら部屋の中にはいないのかも知れないとも思ったけど、耳を澄ますと少しだけ物音が聞こえてくる。


 試しにドアノブを回して見ると、鍵はかかっていないのかすんなりと回った。流石に嫌がって何か反応するかと思ったけど、それでもダンは無言のままだった。


「……入ってもいい?」


 ダンは、その言葉にすら答えなかった。無言の拒絶か、それとも別に構わないのか。


 そのまま私がドアを開けると、部屋の中にはベッドに座り込んでうなだれるダンの姿があった。入って来た私にチラリとだけ視線を向けた後、ダンはすぐに床を見つめ始めてしまった。


「……大丈夫?」


 口にして、なんて陳腐な言葉を吐き出したんだろうと後悔する。大丈夫じゃないことくらい、見ればわかることなのに。


「……そう見えるか?」


「……ごめん、見えない」


「そうか」


 短く答えて、ダンはそのまま黙り込む。しばしの沈黙の後、私はそっとダンの隣に座った。


 ダンは、それに対して何も言わない。拒否されるかと思ったけど、ダンはチラリと私を見るだけだった。


「……身体のこと、ヤックさん達には話してなかったんだね」


「話したのか」


「話してないよ。レオナって人のこと、聞いてただけだから」


「そうか」


 さっきと同じ「そうか」だったけど、今度は少しだけ安心したような声音だ。やっぱり、ダンはヤックさん達に身体のことを話していない、話せないんだ。


「俺は、おかしいか」


「おかしいよ。人のことムナゲとかいうし、毎回名前が変わるし」


「そうじゃねえ」


「そうだよ。だからそれ以外は、別におかしくないよ」


 そこで不意に、ダンは顔を上げてポカンと口を開けたまま唖然とする。


「ダンはさ、アイドルじゃないし、男なんでしょ? だったら、なんにも変なことないと思うよ」


「……俺の身体は、レオナと変わらない。レオナは身体を受け入れたんだ」


「ダンはそれが、正解だと思うの?」


「思わない。思いたくない……俺は、俺は……」


 その言葉の先に、きっとダンは「男」って言いたかったのかも知れない。だけどそれが言えないのは、今は迷っているからなのだろうか。


 愛した男が、同じように改造されて、受け入れて、アイドルとして生きていた。彼はそれでも構わない、それでもダンを愛していると、そう言っていた。


 ダンはそれを受け入れられない。自分の身体を受け入れられないのと同じように、変わってしまったレオナを受け入れることが出来ないでいるんだと思う。


 どうして私は、ダンを独りじゃないだなんて思ってしまったんだろう。


 誰にも言えない身体を抱えて、ふとした瞬間に目を背けていたい現実に何度も突き刺されながら、巨大過ぎる敵と戦い続けている。


 ヤックさんにも、ガーヤくんにも、きっとマスターにも話していない。ダンだけが抱えて、誰にも共有出来ないでいる、今はどうにも出来ない悩み。


 もしかしたらダンは、レオナに会えれば独りじゃなくなると思っていたのかも知れない。同じ境遇で改造されたレオナなら、同じ悩みを共有出来ると思っていたのだろうか。


 そんなレオナがあんな風に受け入れていたら、ダンはどうすれば良いんだろう。


「ダン、私ね。自分の身体が、あんまり好きじゃない」


「……どういうことだ」


「だってこの身体には、アイドルのクリハラ家の血が流れていて、アイドル細胞があって、どうしようもなく、アイドルになる身体だから」


「何でお前はアイドルになりたくないんだ。その方が楽だろ」


 ダンの言う通りだった。私はあのまま、親の敷いたレールの上を歩けばそれで安泰だった。アイドルであることを受け入れてしまえば、今よりずっと楽に生活出来ていた。


「お父さんが、死んだの」


「親父が?」


「うん。なのにね、お母さんも家の女の人達も、全然泣かなかった……。私だけだったんだ、お父さんが死んだ時、泣いたのって」


 父は、クリハラ家で召使のように扱われていた。それはきっとどこの家でもあるようなことで、うちの家が大きいからこそ目立っただけなのかも知れない。


 私は厳しくアイドルに育てようとするお母さんよりも、よく部屋の掃除に来て、柔和に微笑みながら何でもない話をしてくれるお父さんの方が好きだった。


 だけど父は、過労と心労の果てに自殺した。女性とアイドルだらけのクリハラ家で、ヒエラルキー最下層の人間として生きることに耐えられなかったんだと思う。


「なのにさ、誰も悲しまないんだよ。男なら次がいる、寿命が短いから消耗品だなんて本気で言うんだ、皆」


 ダンは、私が父の話をしている間黙って聞いてくれていた。黙り込むわけでもなく、静かに相槌をしながら。


「だから、家出したのか」


「うん。ごめんね、私ダンが心配で来たのに、自分の話しちゃって」


 そこまで言って、私は自分がとんでもないことをしてしまったことに気づく。


 ダンには、両親がいない。私だってお父さんを亡くしてはいるけど、アイドル大戦に巻き込まれて死んだらしいダンの両親のことを考えれば、葬式が出来てしっかりとお別れが出来ただけ私の方が遥かにマシだった。


「……ごめん」


「何で二回謝る」


「だって私、ダンにお父さんの話なんかして……」


 そう言った私の隣で、ダンは短く溜息を吐いて見せる。それは決して、呆れとか失望とか、そう言った類のものには見えなかった。


「お前にとっての親は、その親父だけだったんだろ」


「……うん」


「俺も変わらん。俺が生まれた時にはもう親父はいなかった。アイドルじゃなかった母さんは、あのクソみてぇな戦争の中たった一人で俺を育ててくれた……。俺にとっても、親は一人だけだった」


 ダンは明確には言わなかったけど、何となく言わんとすることはわかる。ダンは私を、わかろうとしてくれている。少しだけ似た境遇の自分に重ねて、ダンが私をわかってくれようとしていた。


「悪い、話区切っちまったな……それで?」


 ダンに促されて、私は話がそれてしまっていたことに気がつく。慌てて何を言おうとしていたのか思い出してから、私はもう一度口を開いた。


「……だからね、ちょっとくらいならダンの気持ち、わかるかも知れない。同じだなんて簡単には言えないけど、私も自分の身体が、血が受け入れられない、受け入れたくない」


 望まない身体は、呪いと同じだ。


 先天的であれ後天的であれ、それは解くことの難しい重過ぎる呪い。いつだって自分を蝕んで、少しずつ何かを壊していく。


 アイドルという呪い、そういう意味では私もダンも同じなのかも知れない。解けない呪いに必死に抗って、それでも解くことなんて出来なくて。


 受け入れることが出来ればきっと楽なのに、受け入れられない自分がいる。受け入れた瞬間、それを認めた瞬間、自分が自分でなくなるようにさえ思える。


 私はアイドルにはなりたくない。もう二度と、家に戻るつもりもない。


「……変わんねえよ。お前も、きつかったろ」


 思いがけないダンの優しい言葉に、少しだけ目頭が熱くなる。ダンを心配して来たハズなのに、いつの間にか心配されているのは私の方だった。


「ダンの方が、きっと辛いよ。ずっと独りで抱え込んで、独りで戦ってきたんでしょ」


 私の言葉に、ダンは呆気にとられたように口を開けたまま黙ってしまう。


「今日まで頑張ってきたんだし、少しくらい休んでも良いと思うよ。ずっと気を張るのも疲れちゃうから、しばらく休んじゃって良いんじゃない?」


 これは、驕りかも知れない。ダンが秘密を話してくれたからって、思い上がっているのかも知れない。


 だけど、私はダンの理解者でありたいと思った。ヤックさんにも、ガーヤくんにも、マスターにも言えない秘密。今までずっと誰にも打ち明けられないでいたダンが、渋々とは言え話してくれた秘密。少しでもダンの悩みを聞いてあげられるなら、支えになってあげられるなら、私が傍にいる意味はきっとある。


 不思議だった。ダンは下品で滅茶苦茶で、私のことムナゲ呼ばわりするから頭に来てるハズだったのに、今はこんなにも心配で、力になりたい。


 私が逃げるためだけじゃない、独りぼっちのダンのためにも、私はダンの傍にいたいと、そう思った。


「俺は……休んで……良いのか」


「良いよ」


「今日は、戦わなくて良いのか」


「勿論」


「強くなくて良いか、男らしくなくても……良いか。それでもお前は、俺を男だと言ってくれるか」


「男は、強いから男なんじゃないと思うよ」


 私がそう言った瞬間、急にダンの目から涙が溢れ出す。震えた声が嗚咽を漏らし、たまらなくなったのかダンはその場でわんわん泣き始めた。


 もうずっとずっと我慢してきたんだと思う。昔の時代、男は女よりも強いものとされていたらしいけど、今はそうじゃない。むしろ男の方が弱いんだから、無理して気を張らなくたって誰もダンを女だなんて思わない。


 それでもダンは、自分の中にある「男らしさ」を貫いていないとダメだったんだと思う。そうしないと、身体の呪いに飲み込まれてしまいそうだったんだと思う。


 ずっと無理して立っていた足が、やっと膝を曲げた。


 休んで良い、無理しなくて良い。たまには、こうして泣いたって良い。


「辛かったよね、ダン」


 締め切った部屋の中に、ダンの泣き声だけが響き渡る。泣いて泣いて泣き疲れたら、また休めば良い。


 そしてまた、立てば良いよ。


「お前は、母さんに……似ているな」


 涙声でそう呟いたダンの肩に、私は何も答えないまま両手を回した。


















 ダンがカナデの膝で泣きじゃくった日から、一晩が明けた。結局その日ダンは部屋から出ては来なかったものの、思い切り泣いたせいか前よりも遥かに気分は良くなっていた。


 あまり気は進まないが、精神的に助けられたのも確かだったし次に顔を合わせたら流石にお礼くらいは言おう、などと考えながら昼まで眠りこけていたダンは、昼過ぎにやっと部屋を出てグラスボーイの様子を見にドックへと向かった。


「おうダン、もう大丈夫なのか?」


「まあな」


 ダンが歩み寄ると、ヤックは作業の手を止めて振り返る。


「カナデはどこだ」


「カナデちゃん? カナデちゃんならガーヤと買い出しに行ってるぞ」


 どうやらダンが閉じこもっている間に、ガーヤ達と馴染んだらしい。カナデのことだから、買い出しに行くと聞いて自分から手伝うと名乗り出たのかも知れない。


「そうか。いつ戻る?」


「どーだろ。そろそろ戻るんじゃないかな」


 腕時計を見ながらそう言った後、ヤックはすぐに作業へ戻って行く。


「珍しいな、女嫌いのお前が」


「……まあ、しばらく一緒に旅してたんでな。俺は情が移ることもある男、ダン・チョットヤサシイ」


「……少しは捻れ」


 ヤックからのこの指摘は累計五回目くらいになるのだが、ダンに改善する様子は見られない。






 ドックから部屋に戻り、特に何をするでもなくダンが適当に過ごしている内に段々と日は落ち始める。買い出しに行ったにしてはあまりにも遅い。ガーヤが一緒にいるなら道に迷っているということはないだろうし、もしかすると何かしらのトラブルに巻き込まれている可能性がある。流石にダンも訝しげに思いながら待っていると、不意に部屋のドアが勢い良く開かれる。


「ダン! カナデちゃんが!」


「どうした」


「アイドルに拐われた……!」


 ヤックのその言葉に、ダンは血相を変えた。






 カナデが拐われたのは、ガーヤと買い出しに行った帰りの出来事とのことだった。


 突如現れたアイドル達に問答無用で捕らえられ、カナデは何とかガーヤだけを逃がそうとしたらしい。その後ガーヤはアイドル達に追われ続けていたが、何とか撒いて命からがらドルォータまで戻ってきた、というのがガーヤの話だった。


「ごめん……俺、俺……逃げるしかできなかった……」


「逃げてこれただけでも大したことだよ。お前が逃げ切れなかったら、俺達はこのことを知らないままだったんだぞ」


 泣きじゃくるガーヤを慰めつつ、ヤックはそう言ってガーヤの肩を叩く。


「ネコの連中だったか?」


「制服じゃなかったし、違うと思う……。レオナがいたから、多分シャーカの部下じゃないかな……」


 レオナ、という言葉を聞いた途端ダンはピクリと眉を動かす。


「……どうする? 下手に動くわけにはいかないし……」


 アイドルバスターは組織ではあるものの、ダン以外はシンデレラに乗れないため、相手がシンデレラを出して来た場合は太刀打ちが出来ない。かと言って潜入しようにも身元がバレればドルォータの中を調べられてしまいかねない。そうなれば、ドルォータは終わりだ。


 かと言ってカナデを放っておくわけにもいかず、ヤックは頭を悩ませる。


 そんな様子を見つめながら、ダンはわなわなと震えていた。


「レオナが……カナデを……?」


 昨日の騒ぎが原因だろうか。ここの領主にカナデが直接狙われる理由はあまりない。あるとすれば、カナデの家……クリハラ家からの追手ということになる。シャーカとクリハラ家の関係なんてダンにはわからなかったが、クリハラ家がこの国のアイドル女王、リリン・クリハラの一族であろうことくらいはダンにも想像がついた。


「……ダン、カナデちゃんの名字の“クリハラ”って……」


 ヤックの言葉に、ダンは深く頷く。それである程度察したのか、ヤックはやっぱりな、と呟いてため息を吐いた。


「ダン、悪いが今回俺達は動けない。ガーヤはほとぼりが冷めるまで外には出ないでくれ」


「……うん」


 ヤックの判断は正しい。カナデ一人のためにここにいる全員を危険に巻き込むわけにはいかなかったし、感情的な面を考慮しなければカナデがクリハラ家に引き渡されてもアイドルバスターにはそれ程関係のある話ではなかった。


 アイドルバスターとしてアイドルに敵対する以上、いずれはクリハラ家と戦うことになるとは思うが、決して今はその時ではない。まともに戦力は整っていないし、シンデレラ同士の戦いとなるとどうしてもアイドル細胞を持つ人間の力を借りなければならない。アイドルバスター達はアイドルを打倒するつもりではいたが、現状それはかなり非現実的な話である。


「なるべくどうにか出来るように考えてはみるが、相当難しいだろうな……。すまん」


「……お前が謝ることじゃない。俺が迂闊だった」


 今になって、ダンはほぼ丸一日引きこもっていたことを悔やむ。ちゃんとダンがカナデの傍についていれば、ああしてむざむざと捕まることもなかっただろう。そう考えるとやりきれなかったし、ダンはまだ、昨日のお礼も言えていない。


「ダンさん……ごめん、俺……」


 目にいっぱいの涙を溜めながら呟くガーヤだったが、ダンは穏やかに笑みを作ってガーヤの頭に手を乗せる。


「ヤックが言っただろ。お前は逃げて、俺達に伝えてくれたんだ、それを誇れ。お前は強い男、ガーヤ・ストロング」


「ダンさぁん……!」


 強い男。


 その言葉の意味を少しだけ考えながら、ダンは泣きじゃくるガーヤを慰めた。










 その日は眠れないまま夜が更けていった。


 今すぐにでもカナデを助けに行きたい、そうは思っていたがダンは二の足を踏んでいた。カナデは女性で、クリハラ家の強力なアイドル細胞を持つ。殺されるようなことはまずないだろうし、アイドルバスターの女性スタッフが調べてみたところ、今日町の中に入った人間の中にクリハラ家らしき人物はいないらしい。


 恐らくまだ、カナデはアイドル城にいる。


 ――――辛かったよね、ダン。


 ダンがそんな言葉を求めていたのは、レオナの口からではなかったか。


 思いもよらない相手からの受容と包容は、今もダンを動揺させていたし、それと同時に冷え切っていた身体を温めてくれるようだった。


「……マスター、ドルォータブレンド」


「何杯目か、覚えていらっしゃいますか?」


「……五杯目だ」


「十杯目でございます」


 そう言って薄く笑みながら、マスターは十杯目のドルォータブレンドを淹れる。ガーヤからの報告があってから、ダンはずっとこうしてカフェでマスターのコーヒーを飲みながら考え込んでいる。


 もう時刻は午前四時を過ぎており、寝ないでコーヒーを飲み続けるダンに、マスターも徹夜で付き合っている形になる。


 時々あくびこそするものの、マスターは疲労や眠気をほとんどダンには見せなかった。


「まだ、迷っておられますか」


 マスターの言葉に、ダンは小さく頷く。


「俺は、カナデを助けに行くべきか」


「……それはダン様がお決めになることですなぁ」


「……本当にカナデは、俺が助けに行けば助かるのか」


 カナデの気持ちを考えれば、このままクリハラ家に引き渡すわけにはいかないだろう。けれども、このまま放っておけばカナデは何事もなくクリハラ家で育てられ、アイドルとして安定した生活を送ることが出来る。ダンと共に行動するということは、危険と隣り合わせの旅を続けるということだ。ダンだっていつ死んでもおかしくないし、一緒に行動する以上はカナデだって同じだ。このままダンがアイドル潰しを続けていれば、必ずオーキャッツからの追跡は厳しくなる。シンデレラとの戦闘だって何度も起きるし、その時カナデを守りきれるのか……正直ダンにもわからなかった。


「今助けりゃ、今はそれで良い。だが俺には、この先もアイツを守ってやれる自信がねえ」


 マスターはただ、静かにダンの言葉を待つ。しばらくダンはマスターが何か言うのを待っていたようだったが、やがて前言を誤魔化すかのように語を継いだ。


「それにこの件、レオナが関わっている……俺は、レオナと戦わなければならなくなる」


 シンデレラ同士の戦いは生きるか死ぬか。アルールとの戦いはアルールの慈悲で生き延びれたようなものだ。ダンが死ぬか、レオナが死ぬか。カナデを助けるためには、ダンはレオナを殺す覚悟で戦わなければならない。


「……レオナ様とは、戦いたくないでしょうな」


「ああ……」


 あんな姿になっても、レオナはダンにとっては元恋人だ。愛も恋も心だとレオナが言った通り、ダンだってレオナを心の底から憎めるわけではない。しかしだからと言って、女性の姿になったレオナを受け入れることが出来る程、ダンのキャパシティは大きくない。


 ダンは男性として、男性のレオナを求めていた。当時こそダンはレオナも同じ気持ちでいるものだと思っていたが、今思えばそうではなかったのかも知れない。出会った時からレオナは中性的で、どこか女性的な部分が強かったように思う。もしかすると、ダンとレオナは最初からすれ違っていたのかも知れなかった。


「俺はアイツのことを何にもわかっちゃいなかった。あれだけ近くにいて、俺はアイツのことを知らなかったんだ」


 男性として男性をレオナに求めるダン。その一方で、レオナは女性としてダンに男性を求めていたのだろうか。本当にレオナが今も変わらずダンを愛していて、ダンを理解しているのであれば女性的になったり、ましてや子供を産めるようになるだなんてのは逆効果だとわかるハズだ。それでもレオナがアイドルとして、女性としてダンを愛そうとしているのは、やはり最初からレオナは女性としてダンを愛していたのだろう。


「人間というのは、同じ人間のようでいて無数の顔があるように思います、普段見ている顔と対極の顔は、さながら別人のようなこともあるでしょう。ダン様が見ていたレオナ様は、その一面に過ぎなかった、と」


「……だろうな」


 ダンとレオナはずっと一緒に、寄り添うように生きてきた。アイドル大戦の最中、家も家族も失った戦争孤児の二人は同じ屋敷で働く召使として出会った。互いの傷を舐め合うように寄り添って、ずっと一緒に生きていたというのに、ダンはレオナのことを理解出来ていなかった。それがひどく寂しいことのように思えて、ダンは深くため息を吐く。


「まるで無数の多面体のようですなぁ」


 そう言って小さく笑みをこぼしてから、マスターは言葉を続ける。


「ですが少なくともその一面は見て、知っているわけでしょう。何も知らなかった、理解していなかった……と言ってしまうのは簡単ですが寂しくはありませんか?」


「……そんなモンは屁理屈だ。どちらにせよ、俺は本当のアイツを知らなかった……いや、見なかったことにしていた……」


 幼いながらも、薄っすらとは勘付いていたハズだ。レオナがダンを求めて”女の顔”をしていたのを、確かに見ていたハズだった。きっとダンはその時、目をそらしていた。


「多少、失礼な物言いになるかも知れませんがよろしいですかな」


「……マスターなら構わねえよ」


 ダンがそう答えると、マスターは小さく息を吐いてから口を開く。


「申し訳ありませんが、ダン様は“助けに行かなくて良い理由”をお探しのように見えます」


「助けに行かなくて良い理由だァ……?」


 顔をしかめるダンだったが、マスターはコクリと頷く。


「ダン様は恐ろしいのでございましょう。今のレオナ様に会うことが」


「……ああ怖えよ! それが悪いか!」


「……そしてカナデ様を再び巻き込むことも、恐ろしいと」


 ここで、ダンは言い返さずにグッと拳を握りしめる。


「しかし私にはどうも……カナデ様がこのまま実家へ連れ戻されることを望んでいるようには思えませんなぁ」


「知るか! 関係ねえ! 生きてりゃそれで良いだろうが!」


 生きてさえいればそれで良い。


 呪われた身体と宿命に縛り付けられたままだとしても、死ぬよりはマシだ。どうしても死んで欲しくない、そう思うくらいにはダンの中でカナデの存在は大きくなっていた。


 そう考えれば、レオナとも戦わないですむ。そんな自分の情けない考えくらい、自覚出来ていた。


「では本日はお眠りになってはいかがでしょう? 何も悩む必要などないのでは?」


「……眠れりゃ、こんなとこにゃいねえさ」


「でしょうなぁ」


 カラッと笑って見せて、マスターはまだドルォータブレンドを飲み終わっていないダンの手元にもう一杯のコーヒーを置く。


「おい、まだ頼んでねえぞ」


「サービスでございます」


 マスターの意図がわからず、ダンは訝しげな顔を見せながらも首だけで小さく一礼する。


「ダン様は、自分勝手でいらっしゃいますな」


「それがどうかしたかよ」


「ですから、今まで通りもっと自分勝手でもよろしいのではないかな、と」


「どういう意味だ」


「ダン様が、本当に心から思うように行動するのが一番ではないでしょうか、ということでございます」


「俺が……心から、思うように……?」


 ダンが、心から思うこと。


 本音を言えば、ダンはカナデを助けたい。アイドルになんかさせたくないし、昨日のお礼くらいは言わせて欲しかった。


 それが出来ないのは、レオナに会うことへの恐怖だ。カナデが何だと格好の悪い言い訳をつけて、ダンはレオナから逃げようとしている。


「自分勝手な男、ダン・ジコチュー。それが、かつて私に名乗った最初の名前でございましたなぁ」


「ダン・ジコチュー……そうだなァ……俺ァ、自分勝手だ」


 勝手な理由で戦い、放浪し、シンデレラで町ごと相手を破壊する。今までそうやって来たし、これからもそのつもりだ。


 他人のことなど関係ない。自分と、自分の周りさえ良ければそれで良い。それがダンの生き方で、考え方だった。


 グイとドルォータブレンドを飲み干して、ダンはマスターがサービスで出したコーヒのマグカップに手をかける。


 ダンは、勝手だった。勝手な理由でレオナを愛し、勝手な理由で拒絶する。そして勝手な理由で、カナデをまた、アイドルとの戦いの中に巻き込みたがっている。


「俺ァ、勝手だ。それも、元々考えンのは好きじゃねえ。脊髄反射で生きてンだ。今回も……脊髄反射だ」


「そうでしょうなぁ」


 コーヒーの香りは、ドルォータブレンドとは違う別の香りだった。何か人を奮い立たせるような、勇ましく感じるその香りを思い切り吸い込んで、ダンはコーヒーを口にする。


 自分勝手な男、ダン・ジコチュー。


「古来、戦は“男”の花道でした。そのコーヒーは私が男性のお客様のみにお淹れするものでございます」


「名前は」


「まだ」


 飲み干したコーヒーが胃に染み込む。程良い苦味と香ばしい香りが、胃の底からダンを掻き立てる。このコーヒーの、名は――――


「ダン・ブレンド……!」


「……そのように」


 コーヒーを二口目で一気に飲み干して、ダンはマグカップを勢い良くカウンターに置いた。


「悪い、金持ってねえ」


「では、ツケておきましょうか」


「悪いな」


 ニッと笑みを見せて、ダンは立ち上がる。すると、それと同時に店の奥からヤックとガーヤが駆けてくる。


「……おいおいお前ら、寝てねえのか?」


 見れば、ヤックもガーヤも目の下に大きな隈を作っている。その隈を痛快に歪めて、ヤックとガーヤはサムズアップして見せた。


「メンテと修理、終わったぜ」


「何……!?」


 グラスボーイの損傷具合を考えれば、アレは一朝一夕で終わるようなメンテナンスではない。ダン自身、一週間くらいここに滞在するつもりでいた程である。


「ダンさん! 行くんですよね! 俺ら間に合うようにずっとメンテしてたッス! もうグラスボーイは万全ですよ!」


「お前ら……!」


 マスターが、ヤックが、ガーヤが背中を押していた。ヤックは口では動けないなどと言っていたが、あの後真っ先に作業へ戻ったのだろう。着替えた様子さえ見られない。


「ありがとよ……どうなっても知らねえぞ」


 ダンのその言葉に、ヤックもガーヤも、マスターも笑みをこぼす。それをチラリと見た後、ダンは勇ましく店を出て行く。


「ご武運を」


 最後にそう告げたマスターに、振り向かないまま親指を突き上げて。






 外に出ると、既に日が出始めていた。朝焼けに装飾されながら、ダンは力強く指を鳴らす。


 すると、アイドルエンジンの駆動音を響かせながらドックから飛び出したグラスボーイがダンの傍へ飛来する。あれだけボロボロだったグラスボーイだったが、今は新品同然だ。


 もう、考えることが面倒で仕方がなかった。カナデがどうだ、レオナがどうだと悶々と思い悩んだところで何にもならない。それならもう、いっそのこと脊髄反射で良いと思えた。今までと何も変わらない、脊髄反射で動けば良い。


 今のレオナを直視したくない、向き合いたくない。それは自分の、アイドルとしての身体を拒絶するが故でもある。しかしそれでも、ダンの脊髄は、何よりもカナデを助けたがっていた。


 ――――もう、考えたくねえ、関係ねえ。俺は……


「行くぜグラスボーイ……夜明けの舞踏会だッ!」


 男が、再び立つ。




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