第25話:終わらない夢

 時恵ときえ記代子きよこはセーラー服に着替え、わたるの待つリビングへと向かった。

2人が制服姿なのは外を出歩く為だ。渡は私服姿だが、見た目が幼い記代子は制服の方が不信感を抱かれにくい。

 今の記代子は経験していないが、時恵は記代子が平日にウロウロしている小学生だと疑われて補導された事があるのを覚えている。


 時恵と記代子は渡を先頭に、渡の家へと向かう。渡の家には向こうの世界の記代子によって記憶を奪い去られた時恵がいる。今から、時恵の記憶を向こうの世界から来た時恵へと落とし込むのだ。


「なぁ、ちょっと考えたんだけど。出来るかどうかは別として、聞いてくれ」


 渡が家に着き、時恵の前ではしたくない話だから、という理由で時恵と記代子を居間へと通して座らせる。


「今からする事ってさ、パソコンで言うとコピー&ペーストだよな?」


「そうね、でも私の記憶全てをコピーする事は出来ないから、ここ数日の記憶だけになる。だから渡と付き合ってた事も、世界が終わるって事も、時間を巻き戻す事も記憶にはあるけど、家族の事とか勉強とか、その辺りの記憶がどうなるかはちょっと分からない」


 時恵は明言する事を避けたが、本心では無理だと思っている。そんなに都合良く数日分の記憶だけ移せる訳がない、と。

 数日分の記憶は今まで生きて来た経験を元に過ごした時恵だけの記憶。今までの人生の経験全てがなければ、説明が出来ないし成り立たない。

何も知らない、真っ新な状態の時恵に数日分のみの記憶を移したところで、脳がその記憶を元に整合性を持つように処理し切れるとは言い切れない。

 言い切れないが、思えないが、確証はないが、可能性はなくはない。そして何より、時恵を何とかしなければ、向こうの世界は終わってしまう。こちらの世界の巻き戻す事で2人を次のループへ連れて行く事が出来るかどうか分からない。

どちらにせよ賭けるのであれば、渡が連れて来た時恵を何とかして元の状態に戻した方がいい。残された淡い希望としては、記代子がどのようにして時恵の記憶を消したのか、という点だ。


 記憶をなくす、というのは、記憶と記憶の結び付きが断たれた、もしくは上手く結び付かなくなったという表現の方が正しい。どのようにして記代子が時恵を何も出来ない赤ん坊のような状態へしたのかは分からないが、脳内の記憶を全て消す事は出来ないはずだ。

 記憶喪失になった者は記憶を失ったのではなく、思い出し方を忘れたのだと、時恵は何かのテレビで見た事がある。

 記代子の超能力により、時恵は記憶の繋がりを断たれて思い出し方を忘れてしまったのだったとしたら、そこに数日分の自分の記憶を移せば、記憶の整合性を保つ為に元からある記憶と新しく移された記憶が繋がってくれるのではないか。

 そんな奇跡にも近い可能性。時恵はその可能性を信じている訳ではなく、やるだけやってみようかという確認作業程度の意気込みで渡の家へとやって来た。


 そんな時恵に対し、渡は新たな可能性を提示する。


「コピー&ペーストじゃなく、オンザフライでの書き込みなら記代子ちゃんへの負担は軽くなるんじゃないか?」


「「オンザフライ?」」


 渡の説明はこうだ。

 記代子の記憶の書き換え方法は、一度相手の記憶を自分の脳内に読み込んでから少し書き換えて、そして相手の脳へと記憶を戻す。記代子の脳内にコピーし、上書きしてから相手の脳へと返す。

今回は上書きする作業がないのでコピー&ペーストと言っていいだろう。

 オンザフライはCDやDVDの複製の仕方で、パソコンにディスクのイメージデータを作成する事なく直接書き込む方法だ。

つまり、時恵の記憶を記代子の脳内に取り込む事なく直接向こうの世界の時恵へと書き込んで行く方法は取れないか、というのが渡の提案だ。


「そんなの、やった事ないから分かんないよ……」


「超能力を手に入れてから、記代子ちゃんは何回人の記憶を書き換えた?」


「えっ!? っと、2回……、かな?」


 そのうちの1回はこの世界の渡なのだが、今はそんな話をしている場合ではない。自分の能力で失った人もいれば、取り戻せる人もいる、かも知れないのだ。

 要は使い方次第。使う人間次第なのだと思うしかない。


「たった2回じゃん。やった事ないに等しいでしょ!」


 2回しか使った事のない能力なのであれば、望む使い方も出来るかも知れない。試してみる価値はある。

 僅かな希望を前にして、渡の気分は逸る。しかし、あくまで可能性であって絶対に出来る、という訳ではないのだ。


「分かった、やってみる。やってみるけど……」


「出来るとは限らない。期待し過ぎちゃダメ。あくまで可能性。

 時恵の意識が戻らなかったとしても、私達のせいには絶対にしないで」


 逸る渡に対して不安で仕方ない記代子。落ち着くように諭す時恵。

 ただでさえ記代子は渡の家に来るのは初めて。そわそわして落ち着かない中での自分に対する期待を向けられるという状況で、逃げ腰になってしまうのは仕方がない。

 時恵がフォローした事により渡も落ち着きを取り戻し、2人へスマンと小さく謝罪した。


「今大事なのは、出来ると信じる事じゃない。出来るかどうか、確かめる事。ダメで元々だったとしても、ぶっつけ本番でやるのはダメ。失敗は成功の元とは言っても、何度も何度も成功するまでトライ出来る訳じゃない」


「そうだな、分かった」


 分かった、と言いつつも渡の表情は期待で満ちており、早く部屋へ行こうと急かすように立ち上がったのだった。


 渡の部屋で横になっているという時恵の様子を見る事になった。渡の部屋は階段を昇って2階の奥。といってもこの世界の渡の部屋であって、目の前にいる渡の部屋ではないのだが、こちらでもあちらでも、渡の部屋の配置は同じようだ。

 渡が2人を招き入れると、ベッドに仰向けになりじっと天井を見上げている時恵が目に入った。

 眼鏡は掛けていない。目は開かれているが、意思を感じられない瞳。奇しくも時恵が着ているのはセーラー服。それも全く同じデザイン。精巧に自分を模したマネキンのように見えて、時恵の背中に寒気が走った。

 自分も時恵をああいう風にしてしまったかも知れないと、記代子が肩を震わせる時恵。渡はそんな2人をさほど気にはせず、ゆっくりとベッドの端へ座る。


「呼び掛けても何の反応もしない。立たせたら立つし、手を引けば歩く。ここまで連れて来るのに問題はなかったけど、自分の意思で何かをするって事はないんだ」


 記代子が時恵の記憶をどうにかした結果、時恵は自律的な行動が出来なくなってしまった。どのように記憶を書き換えれば、そんな事になるというのか。

渡は時恵と記代子とのやり取りは見ていたが、記代子が時恵の額に触れた事以外は何も説明が出来ない。恐らく記憶が書き換えられたのだろうという事しか分からないからだ。


「とにかく、原因から確かめてみましょう。もしかしたら元に戻せる手掛かりくらいは分かるかも知れない」


 そう言って、時恵が記代子の右手を取って仰向けになっている時恵の額へ添わせる。


「いい? ゆっくり読み込むよう意識して。記憶を流し込まれるかも知れないから、その時はすぐに手を離すようにね」


 時恵へと頷き、記代子は右手から記憶を読み込むよう意識する。ゆっくりと、少しずつ吸い上げるようなイメージ。

 向こうの世界での時恵と記代子の間で交わされたであろう最後のやり取り。記代子は時恵の額へと触れて、どんな記憶を植え付けたのか。


「ひぃっ!!?」


 記代子は仰向けになっている時恵の額から手を離し、後ろへ尻もちを付いた。


(同じ人間だとは、とても思えない……。同じ私だと思いたくない……!!)


 記代子が見た時恵の記憶。向こうの世界の記代子によって植え付けられた記憶。

 目の前でビルの屋上から、時恵の恋人である渡が何度も何度も何度も何度も何度も飛び降りる記憶。

 渡が飛び降りた直後、時恵は屋上から地上を見下ろす。そして時恵も後に続いて飛び降りる。飛び降りたはずが気が付くとまたビルの屋上にいて、また目の前で渡が飛び降りて……。


(こんなの、正気でいられる訳ない……!!)


 記代子が見た時恵の記憶を一言で表現するならば、悪夢。永遠に終わらない悪夢だ。そんな記憶を植え付けられる事で、時恵は精神的に死んでしまったのではないだろうか。そう記代子は考えた。

 もうこんな記憶を見たくないという自己防衛が働き、何も思い出せない、何も出来ない身体になってしまったのではないか。

 詳しい事など分からない。しかし、植え付けられた記憶は判明し、今現在何も出来ないでいる時恵を見る以上、記代子はそれが真実であると断定した。


 記代子は時恵と渡を振り返って、説明を始める。ただし、こちらの世界の時恵と、向こうの世界の時恵との恋人である渡には、本当の事は伝えない方がいいと記代子は判断した。


「時恵は永遠に終わらない夢を見せられてるみたいな感じ。自分がビルの屋上から飛び降りて、地面にぶつかったと思えばまたビルの屋上にいて、それの繰り返し。

 植え付けられた記憶と現実との判別が付かなくて、精神的に拒絶反応を示して、それで何も出来ない身体になっちゃったんじゃないかな……」


 永遠に終わらない悲しみの記憶を植え付けられ、精神的な死を迎えてしまったのだろう。


「その記憶だけを書き換える事って出来ないのか? 終わらない悪夢を見せられ続けるとか、精神的な死とか俺には分からないけど、元の時恵に戻れないのであってもせめてその記憶だけでも消してやってほしい」


 渡の言葉を受けて記代子が再び時恵の額へと手を伸ばす。


「やってみる」


 一度は記代子の脳内に読み取った記憶だ。永遠に飛び続ける渡の背中、その背中が振り向いて笑顔を向け、そして時恵の方へと歩いて来る。そんな風に上書きをして、時恵の脳内へと記憶を戻す。これで、終わらない夢がやっと終わった形だ。

 だが、記憶を書き換えてしばらく待ってみても時恵の反応はない。


「ダメみたいね……」


 時恵が起き上がる事はなかった。記憶を書き換えた以上、永遠に続き悪夢のような記憶は上書き出来ているはずだが、一度負った精神的な傷はそれだけでは癒えないのだろう。

 それに加えて、記代子が時恵の記憶に関して説明を始める。


「この時恵の記憶は永遠に同じ場面を繰り返してて、それより前の記憶を読めなかったの。記憶がなくなった訳じゃなくて、そこまで遡れないくらいに記憶を繰り返してた。悪夢みたいな記憶を、ずっと……」


 だから、多少の記憶の書き換えではどうにもならないのでは、という記代子の判断だ。


「渡、どうする? この時恵自体の記憶を元に戻すのは現状では不可能。可能性があるとすれば、私の記憶を記代の超能力を使ってオンザフライ? でこの時恵へと流し込む事。

 失敗したらどうなるか分からないし、成功しても何をもって成功したと言うのかも分からない。

 それでもいいなら、私と記代は協力する。


 どうする?」


「そんなの決まってる! 時恵が目を覚ますなら何だっていい、頼む……」


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