第10話:恋人、だった人


「私、ついて行くわ」


 記代子きよこの言葉が教室内に響く。

 この世界のわたるは展開について行けていない様子。平行世界の渡は無表情。


「へぇ、簡単に言ってくれるのね? でもどうせ、また途中で逃げ出すのよ。

 私、知ってるもの。今さら期待なんてしないわ」


 時恵ときえは目も合わせず、記代子の決意をそう切り捨てようとする。


「違うっ!

 ……、私は、時恵にとんでもない事をしてしまったと、心からそう思っているわ。

 だから、私は最後までついて行く、そう決めたの」


 時恵に向き直り、改めてそう口にする記代子。

 その目は真剣で、後悔と覚悟が窺える。唇をぎゅっと結び、時恵の返事を待っている。


「……、そう。いいわ、連れてってあげる」


 時恵は少しだけ考え、そう言った。

 渡はその答えを受け、小さく息を吐く。


「良かったよ、本当に……。

 さて、俺の用事は終わった。早々に元の世界へ戻る事にしよう。

 2人共、頼んだぞ」


 言いたい事だけ言って、平行世界の渡はくるりと背を向けた。時恵にも記代子にも、そしてこの世界の渡にも未練のないようなその背中。


「ありがとうっ! あなたが来てくれなかったら、私……!!」


「いいんだ、これは俺の自己満足なんだからな」


 記代子の言葉にも振り向かず、平行世界の渡は教室を去って行った。



「いやいやいや、どうなってんだよ!? あいつは何なんだよ……、俺は、うっ!!?」


 この世界の渡が頭を抱えてうずくまる。記代子に記憶を書き換えられた事による過負荷、そして自分と全く同じ姿形をした人間の登場。

 今の今まで取り乱さなかった事の方が不思議なくらいだ。


「記代、渡の記憶を書き換えて。いくら私の恋人でなくなったとはいえ、この場に放置したくないの。

 朝目が覚めて、気付いたらこの時間だった。そういう風に書き換えれば、とりあえずは落ち着くから」


「でも……、分かった」


 時恵の出した指示を受けて、渡の額に手を伸ばす記代子。時恵が迷いなくそう指示する様子を見て、確かにこのやり取りを何度も経験しているのだろうと、記代子はそうは感じた。


 記憶がなくても、時恵が言うように全くの別人であっても、記代子という人間は何度も同じ過ちを犯して来たのだ。

 そのたびに時恵は、全てを諦めたようなあの表情を浮かべたのだろう。

 その全てが今の自分の行いではないにせよ、この罪悪感からは逃げられない。


 とりあえず、取り乱しているこの渡を楽にしてやらなくては。

 記代子は渡の額に触れ、時恵の言う通りに渡の記憶を書き換える。その作業は一瞬のうちに終わり、荒い息を吐いていた渡が落ち着きを取り戻す。


「……、あれ? 俺はいつの間に学校に来たんだ?」


 渡の間伸びた声を聞き、再び肩を震わせる時恵。その背中を撫でる記代子。ごめんなさい、ごめんなさいと口にする。


「あ、時恵さん。と、記代子さんかな?

 今何時? 今日何やってたか、何にも覚えてねぇわ」


 そう、すでに時間は夕方。全ての授業は終わり、生徒は下校するか部活に励むかの時間帯。

 何も覚えていないと話す渡に、眼鏡を直すフリをして泣き笑いのような表情を隠しながら時恵が返事をする。


「もう放課後だよ? 渡君、ずっと寝てて先生怒ってたよ」


「マジで!? 寝てたのか、俺」


 渡はやっちまったなぁと頭を掻く。クラスメートが言うのだからそうなのだろうと、その言葉を少しの疑いもなく受け入れる。

 しかしここは2年A組の教室。渡の教室はC組なのだが、その違和感に渡は気付かない。2度も行われた記憶の書き換えによる記憶の齟齬、そして脳に負担が生じている為か、渡の身体は上手くバランスが取れずふらついている。

 その姿を見て、記代子はいたたまれなくなっていた。


「さて、もう帰らないと。私と記代はもうちょっとだけ残るの。

 渡……、君は、電車に乗るんでしょう? 時間大丈夫?」


 渡はスマホを取り出し、時間と電車の時刻表を確認する。


「駅まで早足で歩けば次の電車に間に合いそうだよ。じゃ、また明日!」


 また明日。時恵にとっては一番残酷な別れの言葉。渡が教室を出てすぐに、時恵は膝から崩れ落ちた。


「時恵っ!?」


 記代子が時恵の身体を支えようとするが、その手を時恵は振り払った。


「何度経験しようと慣れないのよっ!

 ……、その話はいいわ、今はこれからどうするかよ」


 立ち上がり、時恵はゆっくりと深呼吸する。吸って、吐いて、そして教室の後ろへと振り返る。


「全部見てたと思うけど、しょう君はどうする? 私達について来る?」


 時恵の突然の独り言に驚きを見せる記代子。しかし、それは独り言ではなかった。

 誰もいなかったはずの机、その席には男子生徒が座っている。まるで最初からそこにいたような佇まい。


「僕がここにいると知ってるって事は、どうやら時間を巻き戻すって話は本当のようだね。ちょっと受け入れにくいけど」


 そう言って立ち上がり、省は身体を解すように身体を捻る。


「ずっと同じ体勢でいたからキツかったよ。動いたらダメなんだよね」


 記代子からすれば、省が突然現れたようにしか見えない。しかし、時恵と省の話を聞く限り、省はずっとあの席に座っていたらしい。


「えっ!? どういう事なの、最初からいたの!!?」


「ええ、省君は最初からそこにいたの。私達が認識出来なかっただけで」


 省の超能力は自分の存在を相手の意識から省き、いないモノとして認識させてしまう超能力。


「もしかして僕も時恵さんの仲間になった事があるのかな?」


「いいえ、あなたは1度も私達の誘いを受けた事はないわ」


「そっか、僕らしいね。さらに真実味が増したよ。

 まぁ、見えない状態を維持するには身動きが出来ないからね、仲間になったとしても使えない能力だよね」


 省が自ら語ったように、省の超能力は使い勝手が悪い。そして、時恵達の仲間になった事がないので有用性が試せていない。いずれはその力を頼りにする事があるかも知れないと、時恵は省の存在を軽視してはいない。


「じゃあ私達は行くわ。記代子に本当について来る覚悟があるのか試さないとダメだから」


「分かった。僕のこの記憶は消えてしまうんだろうけど、明日が来る事を祈っているよ。

 頑張って、時恵さん」


 そう声を掛けられた時恵の顔を、記代子はまともに見る事が出来ないでいた。


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