第07話:知らない記憶と偽りの記憶


「そう、今回もダメだったのね」


「うん、少し早めに戻ろうか。次から何回かはお休み回でもいいんじゃない?

 時恵ときえも疲れてるしな。家でだらだら過ごすか、どっか出掛けるか……」


 わたるの話相手は時恵らしい。ずいぶんと親しそうに話している。

 時恵の安心し切った表情を眺めつつ、記代子きよこはゆっくりと渡の背に近付いて行く。

 2人が付き合っているという話は聞いた事がないなと思いながら、まぁ記憶を読めば分かる事だと記代子は右手を伸ばす。


 記代子の右手が渡の額に触れ、頭の中に渡の記憶が流れ込んで来る。


 まず最初に視えたのはテレビで流れるニュース。

 世界中のミサイルの発射準備が進められているという報道。

 そして逃げ惑う人々。

 その流れに逆らって歩いているのであろう、記代子よりも高い渡の視界。


 その他、運転中と思われる記憶や自分を含む複数でテーマパークらしき場所で笑い合っている記憶など、かなりの情報量が記代子の脳内へ入って来る。


(渡君と時恵さん、それに夢子ちゃんの隣には透。私の表情は……、笑顔?)


 全く身に覚えのない渡の記憶の中の自分。それらに違和感を覚えつつも、人波に逆らって歩いている記憶の隣に、自分の姿を映して上書きする。時恵に見られている以上、さっさと済ませた方がいいだろうと記代子は判断した。

 そして渡へと記憶を返す。この間コンマ2秒。

 直後、叫び声が聞こえる。


「記代!? 何って事! 何て事をしてくれたの!!? わっわぁわっ、私達のっ、さっ、300回が、またっ! またまたぁまた無くなっちゃったじゃない!!」


 怒鳴っているのは時恵。記代子は時恵に記代と愛称で呼ばれるほどの親しみを感じてはいない。

 しかし時恵は記代子に対する憎悪・嫌悪・その他のマイナスな感情全てと言って差し支えないほどの悪印象と共に、ほんの僅かに残っている親しみを持っている。

 そして時恵は知っている。記代子の超能力と、その厄介な性質を十分に理解しているのだ。


(何で今回に限って渡なのよ……!!?)


 憎悪に表情を歪ませる時恵には見向きもせず、渡は記代子へと声を掛ける。


「記代子、どうした? 早めに帰ろうか。明日は休みでいいだろ? 記代子も頑張ってるしな」


 記代子の超能力。記憶の上書き。本来あった記憶を元にした、ほんの少しだけの捏造。記代子の超能力を用いる事で出来るのはその程度だ。

 しかし人間の脳の仕組みなのか、書き換わってしまった記憶の整合性を持たせる為に、さらに遡って自らの記憶を自己改変してしまう事を時恵は知っている。今の記代子以上に理解している。


 何故ならば、記代子もかつては仲間だったのだから。

 人の記憶を遡って全てを事実から乖離した別物に変質させてしまう特性は、仲間内でも危険であると認識されていた。本人の記憶に整合性を持たせる事は、イコール第三者が客観的に見て正常である事とはならない。

 本人を騙せても、周りの親しい人物には本人に何かあった事はすぐに分かるのだ。


 記代子が渡の記憶を書き換えた結果、時恵は最後の仲間、そして恋人をも失ってしまったのである。

 時恵は頭を掻き毟り、そして大声で記代子に対して罵倒を繰り返している。

 いくら人気のなくなった放課後とはいえ、誰かに見つかるのは厄介だ、そう記代子は判断し、教室へと入り時恵へと右手を伸ばす。


 意外にも時恵は抵抗せず、キッと記代子を泣き濡れた瞳で睨みつけるのみ。


(出来るものならやってみなさいよ)

(私の記憶、全て書き換えて忘れさせて……)


 記代子が心を読める超能力者、心音ここねならば相反するその時恵の心の声が聞こえた事だろう。

 自分を記代と呼んだ事に疑問を持ち、渡から読み取った以上の記憶を探ろうと記代子はその手を伸ばす。

 記代子の右手が時恵の額に触れ、記憶を読み込み……。


「ぐっ!? ああああああ、っげぼぼぼぼぼおぉぉぉ」


 記代子の鼻からツーッと鼻血が垂れたかと思うと、その場にしゃがみ込み胃の物を全て戻さんとばかりにげぇげぇと吐瀉としゃした。

 偽りの記憶を頼りに、渡は心配そうにしゃがみ込んでいる記代子の背中を優しく撫でている。


 はぁ、はぁ、とようやく落ち着いた様子の記代子が、床に座り込んだまま時恵を見上げる。

 その表情は恐怖、そして身震いするほどの孤独。


 知らずに自らの肩を抱く記代子。

 時恵の方はすでに落ち着きを取り戻した様子で、無表情で記代子を眺めている。いや、見下している。

 渡は記憶がごちゃごちゃになっており、混乱しながらも何とかしようとそわそわとしている。渡が未だ辛そうな表情の記代子の背中を撫で続けるのは、元来の優しい性格から来るものだろう。


「時恵さん、一体何があったの……?」


「何で私の記憶を書き換えなかったの?」


 ほぼ同時に口を開く2人。先に答えたのは記代子の方であった。


「記憶が津波みたいに襲って来て、私の脳が受け止め切れなくなって書き換えるどころじゃなかった、のだと思う。

 あなたは、一体どれだけの時間を過ごして来たの……?」


 記代子の脳内が時恵の膨大な記憶と孤独感で溢れ返り、脳・精神共に急激な負荷が掛かった事による鼻出血、嘔吐を伴った拒絶反応を示した。

 恐らく時恵も何らかの超能力者、それも時間に関係するものであると、記代子は当たりを付ける。渡の記憶を読んだ際にも感じた違和感。2人は、記代子では想像が出来ない何かを経験しているのではないかと、そう思い当たる。


「もう嫌なの、何度も何度も繰り返して、仲間だと思ってた人達は離れて行った……。

 渡さえいればいい、そう思って何とかやって来たのに……。

 もう世界が終わったっていいわ……」


 ふふふっ、と笑う時恵を見上げ、記代子は微かにのみ読み取れた時恵の記憶を読む。


 時恵の超能力は時間を巻き戻す事……、そんな事が本当に出来るのかどうかは別として、実際に時恵はすでに数千、いやもしかしたら数万回に上る今日1日を繰り返しているらしい記憶の上澄みを垣間見る事が出来た。


 これが孤独感の原因か。言葉で説明されたとて、簡単には理解出来なかったであろう時恵の戦い。

 なまじ時恵の記憶を覗いてしまったが為に、記代子は信じざるを得ない。そして、世界の危機とやらも。


 記代子はどうすれば世界の危機を回避出来るのか、時恵へと掛ける言葉を探しながら考えていた。

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