　魁（かい）偉（い）なる銀（ぎん）翼（よく）は絢（けん）爛（らん）たる星空へと飛（ひ）翔（しよう）した。

　二〇世紀の最後となる暗（あん）澹（たん）たる夜がはじまっていた。

　わたしは黙（もく）坐（ざ）していた。孤（こ）独（どく）なる最高経営責任者＝CEOの遺族の懇（こん）願（がん）により処（しよ）刑（けい）場（じよう）へとむかって駘（たい）蕩（とう）たる父親の操縦するボーイング777に搭（とう）乗（じよう）させられていた。兇（きよう）悪（あく）犯（はん）たるわたしは緊（きん）縛（ばく）された。極（ごく）秘（ひ）裏（り）の死（し）刑（けい）囚（しゆう）の運（うん）搬（ぱん）に顰（ひん）蹙（しゆく）した搭（とう）乗（じよう）者（しや）たちのために驍（ぎよう）毅（き）なる器具と猿（さる）轡（ぐつわ）によってわたしの自由は剥（はく）奪（だつ）された。わたしは喫（きつ）驚（きよう）した。憤（ふん）然（ぜん）たる雰（ふん）囲（い）気（き）でわたしを環（かん）視（し）している搭（とう）乗（じよう）者（しや）たちの顔（がん）貌（ぼう）が混（こん）沌（とん）たる石器時代の血族に酷（こく）似（じ）していることを翻（ほん）然（ぜん）とさとった。邃（すい）古（こ）の世界から輪（りん）廻（ね）したようであった。悲（ひ）愴（そう）なる石器時代での記（き）憶（おく）を髣（ほう）髴（ふつ）としたわたしは窈（よう）窕（ちよう）たる外（がい）套（とう）の女性たちだけは脈（みやく）絡（らく）のないことを懐（かい）疑（ぎ）した。悲劇が勃（ぼつ）発（ぱつ）した。澎（ほう）湃（はい）として武装蜂（ほう）起（き）したテロリストたちが窈（よう）窕（ちよう）たる外（がい）套（とう）の女性に煽（せん）動（どう）されて旅（りよ）客（かく）機（き）を占（せん）拠（きよ）した。狭（きよう）隘（あい）なる操縦席を占（せん）領（りよう）したらしいテロリストたちは魁（かい）偉（い）なるボーイング777を白（はく）堊（あ）の大統領官（かん）邸（てい）へとむかって驀（ばく）進（しん）させた。『沈（ちん）黙（もく）の青年』が独白した。混（こん）沌（とん）たる石器時代の『沈（ちん）黙（もく）の子』であったらしい青年は瀟（しよう）洒（しや）なる極（ごく）彩（さい）色（しき）のルービックキューブを玩（がん）弄（ろう）しながら物語った。いわく世界はまた終わるんだねと。人類の歴史はいつもここで終わるんだねと。

　暗（あん）澹（たん）たる独白に搭（とう）乗（じよう）者（しや）らは沈（ちん）黙（もく）した。

　鬱（うつ）悒（ゆう）たる搭（とう）乗（じよう）者（しや）たちは喫（きつ）驚（きよう）した。澎（ほう）湃（はい）たる悲劇の勃（ぼつ）発（ぱつ）によって喧（けん）囂（ごう）としていた搭（とう）乗（じよう）者（しや）たちは奇（き）妙（みよう）なる沈（ちん）黙（もく）の青年の独白に驚（きよう）愕（がく）して議論をかわした。いわくわたしたちはいちどこの独白を聞いていないかと。わたしたちは旅（りよ）客（かく）機（き）とともに官（かん）邸（てい）へと突（とつ）撃（げき）しなかったかと。わたしたちは悲劇的なる世界の終（しゆう）焉（えん）を目（もく）撃（げき）しなかったかと。騒（そう）擾（じよう）が巻きおこった。猖（しよう）獗（けつ）する悲劇による終（しゆう）焉（えん）を髣（ほう）髴（ふつ）としたらしい搭（とう）乗（じよう）者（しや）たちは悲（ひ）愴（そう）なる顔（がん）貌（ぼう）のまま激論をたたかわせはじめた。いわく巨（きよ）億（おく）の人類の歴史は回帰しているのではないかと。暗（あん）澹（たん）たる世界の破（は）滅（めつ）が永（えい）劫（ごう）に繰（く）りかえされるのではないかと。巨（きよ）億（おく）の全人類はなぜ悲劇の歴史を豹（ひよう）変（へん）させられなかったのだと。真実が浮（うき）彫（ぼり）になった。浩（こう）瀚（かん）の書（しよ）籍（せき）を耽（たん）読（どく）していた朴（ぼく）訥（とつ）なる青年が騒（そう）然（ぜん）たる搭（とう）乗（じよう）者（しや）たちを藪（やぶ）睨（にら）みのまま顧眄して物語った。いわく物語というものはどこを鏤刻しても結末は豹（ひよう）変（へん）しませんと。結末を鏤刻しないかぎりは物語は豹（ひよう）変（へん）しないのですと。静（せい）寂（じやく）が瀰（び）漫（まん）した。獰（どう）猛（もう）なるテロリストたちと対（たい）峙（じ）しながら憂（ゆう）鬱（うつ）なる顔（がん）貌（ぼう）の搭（とう）乗（じよう）者（しや）たちは厭（えん）世（せい）的（てき）に問いかけた。いわく悲劇的なる人類の歴史を豹（ひよう）変（へん）させられるものはいないのかと。巨（きよ）億（おく）の全人類のために犠（ぎ）牲（せい）になれるものはいないのかと。

　不（ふ）滅（めつ）の神へと黙（もく）祷（とう）するようにだれもが沈（ちん）黙（もく）していた。

　わたしは熟視した。鷹（おう）揚（よう）と隣（りん）席（せき）に黙（もく）坐（ざ）している沈（ちん）黙（もく）の青年に厳（げん）粛（しゆく）に緊（きん）縛（ばく）されているわたしは鞠（きつ）躬（きゆう）如（じよ）として眴（めくば）せした。沈（ちん）黙（もく）の青年は喫（きつ）驚（きよう）した。幽（ゆう）邃（すい）たる瞳（ひとみ）で見（み）詰（つ）めかえした沈（ちん）黙（もく）の青年は悲（ひ）愴（そう）なる暗示を端（たん）倪（げい）したようにわたしの桎（しつ）梏（こく）を解かんとした。搭（とう）乗（じよう）者（しや）たちは驚（きよう）愕（がく）した。獰（どう）猛（もう）なる死（し）刑（けい）囚（しゆう）たるわたしの解放に顰（ひん）蹙（しゆく）しながらも粛（しゆく）然（ぜん）たる顔（がん）貌（ぼう）に豹（ひよう）変（へん）した搭（とう）乗（じよう）者（しや）たちは密談をかわしはじめた。いわく獰（どう）猛（もう）なる殺人犯ならばテロリストに匹（ひつ）敵（てき）するかもしれないと。戦場で鍛（たん）錬（れん）された肉体ならば猛者（もさ）たちを凌（りよう）駕（が）できるはずだと。邪（じや）悪（あく）なる死（し）刑（けい）囚（しゆう）に全人類の運命をゆだねてよいのだろうかと。駁（ばく）論（ろん）がくわえられた。暗（あん）澹（たん）たる顔（がん）貌（ぼう）のまま傍（ぼう）観（かん）していた沈（ちん）黙（もく）の青年の母親が破（は）滅（めつ）へと驀（ばく）進（しん）せんとする搭（とう）乗（じよう）者（しや）たちに巍（ぎ）然（ぜん）と警（けい）鐘（しよう）を響（ひび）かせた。いわくあなたたちは人類を見（み）棄（す）てるのですかと。悪（あく）魔（ま）だけが世界を救えるとしてもあなたたちは神に祈（いの）りつづけるのですかと。激論は終（しゆう）焉（えん）をむかえた。憂（ゆう）鬱（うつ）なる雰（ふん）囲（い）気（き）を瀰（び）漫（まん）させていた搭（とう）乗（じよう）者（しや）たちは毫（ごう）釐（り）の希望を嘱（しよく）託（たく）するかのように死（し）刑（けい）囚（しゆう）たるわたしを環（かん）視（し）した。

　幽（ゆう）邃（すい）たる涙（なみだ）がみなの瞳（ひとみ）に明（めい）滅（めつ）していた。

　わたしは解放された。高（こう）邁（まい）なる沈（ちん）黙（もく）の青年とともに毅（き）然（ぜん）たる顔（がん）貌（ぼう）になった搭（とう）乗（じよう）者（しや）たちが桎（しつ）梏（こく）を解いてくれた。剽（ひよう）悍（かん）なるテロリストたちに目（もく）撃（げき）されないように厳（げん）粛（しゆく）なる雰（ふん）囲（い）気（き）のなかで隠（おん）密（みつ）裏（り）にわたしは自由にされた。わたしは物語った。憂（ゆう）鬱（うつ）に沈（ちん）黙（もく）している搭（とう）乗（じよう）者（しや）たちに蕭（しよう）然（ぜん）と懺（ざん）悔（げ）するように盟約を懇（こん）願（がん）した。凱（がい）歌（か）をあげられたとしてももわたしは斃（たお）れるかもしれないと。あなたたちが生（せい）還（かん）したときには全人類につたえてほしいと。わたしは真情を披（ひ）瀝（れき）した。すなわちわたしと盟約をむすんでくれたひとは髣（ほう）髴（ふつ）としてほしいと。肉体は滅（ほろ）びようともこの魂（たましい）はあなたに捧（ささ）げるつもりだと。わたしは蹶（けつ）起（き）した。悲（ひ）愴（そう）なる搭（とう）乗（じよう）者（しや）たちの嘱（しよく）望（ぼう）をうけながら澎（ほう）湃（はい）たる悲劇を阻（そ）止（し）するために生命を放（ほう）擲（てき）せんと決意した。