第2話 赤ん坊

 レペセセは赤ん坊をファナフェと呼ぶことにした。

『明日散る花』という意味だ。

 そんな、いっそのろいとも取れそうな名を与えられた女児はしかし、驚くほどたくましかった。

 その身を包んでいた襤褸ぼろの端を椰子やしの実の汁にひたしてやると、高い音を立てていくらでもしゃぶった。

 ファナフェはレペセセの暮らしを一変させた。

 何をするにもファナフェ優先、ファナフェ中心で、唯一の住人という意味では島のあるじとさえ言って良かったはずのレペセセは、今やただの老僕ろうぼくだった。

 たとえ漁のためでも長くは海にもぐれなかった。年のせいばかりではない。ファナフェが泣いて呼ぶからだ。

 滅多に換えなかった寝床の干し草を日に一度は必ず敷き換えた。面倒でも仕方がない。ファナフェが粗相そそうをするからだ。

 何も塗らないよりは良いと、遠い昔をどうにか思い出して赤土と草の汁を混ぜた秘薬を練り上げた。ファナフェの日焼けと虫刺されを防ぐためだ。

 たくさんの糸をり、縄をい、背負い紐やら吊り寝床やらをこしらえた。何から何までファナフェのためだ。

 ファナフェが長く生きるとは、レペセセは思わなかった。

 島の暮らしは厳しい。どんなに気がけて世話をしても、明日の朝には冷たくなっているかもしれない。何しろここは、赤ん坊のための島ではなく罪人のための島、生を謳歌おうかするための島ではなく死を待つための島なのだから。

 それでも、眠るファナフェをかたわら夕凪ゆうなぎの浜辺で波の音を聞いている時など、レペセセはつい考えてしまった。

 美しくすこやかに成長したファナフェの弾けるような笑顔を。歩けないほど年老いた彼を助けて、すなどり、たがやし、この島で生き生きと暮らしている姿を。

 青くまばゆい海を背にしてこちらに手を振るファナフェ。褐色の肌を葉っぱの衣で包み、長く艶やかな黒髪には赤や黄色の花をして――。

 レペセセは首を振って幻を打ち消した。

 己の愚かさをわらった。

 許されない。

 幼子おさなごあやめて流罪るざいしょせられた男にそんな幸福は許されない。

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