第3話
帰ろうかと立ち上がろうとした時、引き戸がガラガラと音をたてて開き、息を切らしたスーツ姿のリーマンが入って来た。
皆の視線がリーマンに向かう。
目があって、あ、久住だ、と直ぐに分かった。向こうも分かったのか、笑顔になった。
「ひさしぶり」
皆が一斉に立ち上がって、練習でもしたのかと思う程にぴったり息を合わせて、頭を下げて久住に謝罪した。
久住はあの時と変わらないヘラリとした笑顔を見せた。許してあげるのか。
「勝手に好きなだけ謝って。許す気はないから」
……14年の歳月は、久住をそのままにはしていなかったみたい……。
久住とは思えないようなピシャリとした言葉に、皆が固まる。
私は元々はっきり言うタイプだから、私からの暴言は覚悟してたんだろうけど、久住は優しいから許してくれるとでも思っていたのかも知れない。人を下に見るにも程がある。
「あぁ、でも、秋田さんを呼び出してくれてありがとう。ずっと会いたかったから助かった」
会いたかったと言われて、身体がぴきりと硬直する。
いや、私も久住には会いたかったって言うか、その後は知りたかったけど。こんなはっきりと会いたかったと言われるとは思ってもみなかったし。キャラが変わりすぎじゃないのか、久住。
「秋田さん、行こう」
手を差し出されて、私は立ち上がってフラフラと久住の前に立った。
あの時は私よりちょっと低かった久住の背は、軽く見上げるぐらいに伸びていた。成長期遅めなタイプだったのか。
「さよなら」
笑顔で久住は言うと、私の手を掴んで店を出た。
店を出てから、手を引かれたまま歩く事数十分。
「く、久住?」
「ん?」
「何処行くの?」
「駅前の飲み屋」
「はぁ?」
いや、あのままあそこでナカヨク同窓会なんかする気にはならなかったから出ては来たけども。
「間に合わずに秋田さん帰っちゃうかと思ったよ」
「仕事だったの?」
スーツだし。
「うん。急遽代打でアメリカ行ってた」
アメリカ。
優秀な同級生は、私が思っていた以上に逞しく成長していたようだ。
掴まれていた左手を、久住が持ち上げる。薬指を撫でられて、くすぐったくて反射的に逃げようとした私の手を、ぐっと掴まれた。
「秋田さん彼氏いる?」
「?! いない」
なんだ、この展開?!
「オレもね、彼女いない」
「そ、そうか」
私の答えに久住は目を細めて笑った。
「結婚しようか」
「普通この流れは付き合おうかじゃないの?!」
意味が分からん!
「あ、付き合ってくれるの?」
「?!」
えっ、ちょっと、誰これ? 久住の顔をした別人では?
……あ! 揶揄ってるのか!
「さすがに14年あればね、人は良くも悪くも変わるよね」
「……そうみたいね?」
えーと……冗談なのか、本気なのか読めない。普通に考えたら、冗談だろう。
「ずっと秋田さんには逃げられていたから、もう逃がさないからね」
「いやいやいやいや! キャラ違い過ぎるでしょ! それに久住は私の事別に好きじゃないでしょ?!」
「好きだよ?」
動揺する私とは対照的に、あっさりと言い放つ久住に、何て返していいのか分からなくて、口をパクパクさせてしまう。
「虐められて辛かった時、秋田さんだけ嫌がらせに参加してなかった。それから秋田さんの事を見るようになったんだ」
良い年齢だと言うのに、恥ずかしさと気まずさとで逃げ出したくてたまらない。なのに久住は私の手を強く握りしめて、離してくれそうにない。
「毎日辛かった。でも、学校に来ないと秋田さんに会えなかった。秋田さんを意識してる間は辛さが緩和した」
「私は、久住の事を見て見ぬ振りをしてたんだよ?」
「それについては許すって言ったよね」
「そう、だけど」
そんな単純な事じゃないだろうと思う。
「秋田さんの事を本当に好きなのかって、何度も自問した。嫌がらせに加わらないから好意を抱いてるんじゃないかってね。まぁ、実際そうだったんだろうと思う」
そこまで言って久住は立ち止まったけど、手は離してくれなかった。
「あの時、秋田さんがずっと記録してたって言った時、何で助けてくれなかったんだって気持ちと、助けてくれようとしてたんだって気持ちが相反してた」
「……あれは、自分の為だから」
「そう言ってたね。でも、あれが決定打になって、藤井はいなくなった。あの後はいくらか扱いが緩和されただけで基本的に何も変わらなかった」
大きく息を吐く久住の横顔を、見ていた。
「秋田さんが一人になったのを見て、嬉しく思ったりもした。助けてくれなかったんだからと、ざまぁみろまでは思ったかな、どうだったかな。後は今なら付き合ってって言ったら罪悪感から付き合ってくれるんじゃないかって思ったりもした。勝手だし最低だろ? でも、あの時のオレはそんな事ばっかり考えてた。今思い出すとあまりのさもしさに自分が情けなくなる」
久住の当時の心情は、生々しくて、でも逆に気持ちが楽になっていった。
許すと言われるより、よっぽど良かった。
「忘れようと思って、大学は必死に過ごした。友人と呼べるものも出来た。まぁ、心から信用は出来ないんだけど」
友人だと思っていた同級生が、自分から離れていくのを見ていたんだから、当然だと思う。
「変わらないのは、秋田さんがどう思っていたかに関わらず、秋田さんが記録して、あの時行動してくれたって事なんだよ。それに気付いて、改めて秋田さんに会いたいと思ったけど、秋田さんは家を出てて、こっちにも殆ど戻ってないって知った。ようやく、秋田さんへの気持ちは間違いなく初恋だったって、分かったけど、手遅れだった。
だから諦めて、何人かの人と付き合ったりもして、結婚までいきそうになったけど、違和感が拭えなかった」
久住はイケメンという訳ではないけど、その柔らかい雰囲気に、今のようなピシッとスーツを着こなす姿からして、モテそうだとは思う。
違和感?
「裏切られるのが怖いって事ではなくて?」
「それもあるんだと思う。もう10年以上経ってるのに、情けないって思うけど。違うって、どうしても思ってしまう」
「……記憶も、心も、最初は白いキャンバスなんだって」
キャンバス? と久住が聞き返してきたので、頷いて返す。
「その白い部分に、最初についた色は、取れないよね。重ねたとしても取れない」
私の言葉に久住が困った顔をする。
「それだと、ずっとこのままだ」
「そうだね。でも、薄める事は出来るんじゃないかなって、思ってる」
「それなら、秋田さんに薄めてもらいたい」
「私は当事者だよ?」
「当事者だから、秋田さんだから、意味があるんだよ」
その関係は、健全ではない気がする。
私はきっと、久住に引け目を感じ続けるだろう。
「気に入らなかったら直ぐに別れていいから、オレと付き合って欲しい」
「前よりガサツになってるから、普通の女らしさとか求められても困るよ?」
「いいよ、女らしさが欲しくて秋田さんと付き合いたい訳じゃないから」
「そんな事言って、女なんだからとか言うんだよ」
「拗らせてるなぁ」
「あの時からずっと、拗らせてるよ。本当は親のアメリカ出張に合わせて、全部の記録を出す所に出して高飛びする筈だったのに」
高飛びって、と言って久住は笑う。
「それがあんな事になって、でも良いや、アメリカ行くしって思ってたのに、出張はなくなるし、ぼっちになるし。いや、ぼっちは快適だったけど」
言わなくても良い事を言ってるな、とは思う。
でも、私は本当に久住の事を思ってた訳じゃない。
「秋田さんは自分を責め過ぎだよ」
「だって……!」
「良いんだよ、本当に。あれがあったから、僕は助けられた。あれがなかったら、もし秋田さんが普通に声を上げていたら、藤井はオレの前から消えなかった。こうして秋田さんと話す事もなかった。だから、良いんだ、本当に」
そう言って私を見る久住の顔は、あの日、お礼を言われた時と同じだった。
違うのは涙がこぼれてなかった事ぐらい。
「久住はお人好し過ぎる」
「そうでもないよ。この年だからね。それなりに汚れた大人になった」
だから、と言って久住は笑った。
「秋田さんの罪悪感に付け入ってでも、付き合う気満々だから」
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