第3話 街へ
窓の外にはヒツジや、牛たちが草を食む姿見え、次第に牧草地は小さな町へと変わり、一時間もすると煉瓦色の家々が続く界隈に入った。ロンドンの中心に入ると石造りの大きな建物が見え、あたかも谷底を進んでいるような錯覚に陥った。草原の景色になれてしまったせいだ。
「懐かしいでしょう? 半年ぶりですものね」
リリーおばさまが、私の方を振り返って訊ねた。
「はい、なんだか知らない土地に来たような気がするし、月日が止まっていたような気さえします。毎日気持ちが張り詰めていたせいかもしれません」
「そうよね、大変だったもの。突然ご両親二人ともが亡くなるなんて……こんな残酷なことがあるかしら。ああ、ごめんなさいね。思い出させてしまったわ」
「いいえ、私生きていたころの二人をいつも思い出そうとしています。忘れたくないですから」
「ほんとうにお気の毒。私だったらふさぎ込んで、何もできなくなってしまうでしょうね。、メアリーは強いわ」
シャーロットが隣から言った。
「強くなんかないのよ。毎日何かをして、気を紛らわせてないとどうにかなってしまいそう」
「貴方は利発で、魅力的よ。いつかきっといいことがあるわ」
リリーおばさまが同情を込めて言った。
「お母様、それは私に対する当てつけ。魅力的だなんて! 私はどうなのよ? ほめてもらったことがないわ」
「貴方だって十分素敵ですよ」
「本当にそう思っているのかしら?」
「まあまあ、拗ねないで。らそろそろ着きますよ。久しぶりにあなたにもドレスを買ってあげるわ」
馬車は、大きな煉瓦色のデパートの前で止まった。
「ここで買い物をすれば、子供の服から生活に必要なものまで大抵のものはそろうわ。便利なところがあるものね、さすが大都会」
確かに、物も人も溢れかえっていて、何でもそろう。
「まずは、あなたたちのドレスを見繕って、帰りにメアリーのご両親のお墓へ寄って帰りましょう。いいわね、レディー達」
「わかったわ」シャーロットが答えた。
シャーロットと私は、色とりどりのドレスを試着し、感想を言い合った。買い物の時間はあっという間に過ぎてゆき、サロンでお茶を頂いた。サクサクに焼いたスコーンにクリームが溶け合い、口の中でとろけそうだった。紅茶を飲もうとしたその時、
「あっ! 嫌ねえ、紅茶に虫が入っているわ」
リリーおばさまが、眉をしかめて小さな叫び声を上げた。
「嫌だわ、取り換えてもらいましょう。ね、おばさま」
「もちろんそうするわ。ねえ、ウェイターさんこれを見てちょうだい! あなた気が付かなかった? 私のカップに虫が入っていたのよ」
ウェイターは驚いたような表情をした。
「私が運んできたときは、決して虫など入っていませんでしたので……取り換えさせていただきます」
彼は、本当に困惑しているように見えた。いつ虫が入ったのだろうか? そんなものが飛んでいたのだろうか? 知るすべもなかったし、何だか妙に嫌な気分になった。
出発する前に、順番にトイレに行き、その間は、お菓子を食べお茶を飲んで過ごした。
「シャーロット遅いわね。まだ戻ってこないわ。何度か来たことがあるところだから、迷子になるはずないのに……」
「心配ですね。見てきましょうか?」
執事のダニエルが、言った。
「まあ、もう少し待ってましょう」
再び三人でジェームズの誕生会について話し込んでいた。暫く話していると、シャーロットが戻ってきた。
「遅かったじゃない。心配したのよ」
「迷ってしまったみたい。同じところをぐるぐる回ってたようだわ」
「そう、でもまあよかったわ。そろそろ行きましょう」
私たちは、再び馬車に乗り、町はずれの寂しい墓地へ向かった。日が傾きかけた墓地は薄明りの中で寂しげで、死者たちの声が聞こえてくるようだった。しみじみと小さな墓を見下ろすと、果てしない孤独感が寒さと共に押し寄せてきた。
馬車に再び揺られて街を後にし、来た道を引き返した。馬車は突然ガシャンという鈍い音と、馬のいななきと共に止まった。御者が馬車を降りて、車輪を確認した。
「道のくぼみに車輪がとられて動けなくなっちまったようです。ちょっと工夫して、馬にもうひと頑張りさせますよ」
御者は、くぼみに砂を入れて平らにしたり、石をかったりしていた。途中、雨が降ったのか道の途中に水たまりが出来ているところがあったのだ。ひとしきり作業を終えると、再び馬に鞭を打った。馬のいななきと共に車輪ががたりと動き、再び進み始めた。
そのころには、日はどっぷりと暮れ、ランタンをともしながら馬車はゆっくりと進んでいった。
一日の疲れと、馬車の揺れに身を任せていると、私はいつの間にかうとうとと眠っていたようだ。
「着きましたよ! 予定より時間がかかっちまいましたが……」
やっと目を開けて降りようとした時、スカートのすそを踏んで前のめりに転んでしまった。腕を地面に打ち付け、泥だらけになっただけではなく、血がにじんでしまった。
「大丈夫ですか、お嬢さん。気を付けてくださいよ!」
ジェームズの誕生日プレゼントは買えたが、何だか今日は大変な一日だった。
ドアを開けてジェームズが皆を迎えてくれた。
「兄さんはずっと今日はお屋敷にいたの?」
シャーロットが訊いた。
「ああ、友人のスコットが来ていたんだ」
「ふーん、スコットが、複雑な気持ちでしょうねえ。だって、スコットもベティのことが好きだったんじゃないの?」
「おい、やめろ!」
話を遮るように大声を出した。私は、聞いてはいけないことを耳にしたようで居心地が悪くなった。リリーおばさまも、シャーロットを睨むようにしてじっと見つめていた。執事のダニエルだけが聞かなかったふりをして、荷物を持って静かに部屋を進んでいった。
サンセット館殺人事件 東雲まいか @anzu-ice
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