第6話 小夜、過去を悼む夜.2【 小夜啼鳥|Nattergalen】

静かな深夜。

二人で、毛布にくるまって体を温めあって、甘い紅茶を飲んだ。


あれは、何だったんだろう。

今も微かに続く、毛穴が開き、体自体、全体が、帯電、産毛まで立ち上がっていく。そんな、死を思わせるものに触れた時の悪寒。


その瞬間から、思い出す度に、ずっと、体自体が自分のものにならない感覚でチカラが入らない。


なにが起きたか、私も、彰も分からなかったけれど、もう、戻れないということだけがわかった。


あの瞬間にも、その前にも…。


感情は動かないのに、涙がこぼれた。

倫理的な道理で縛られた世界から切り離された。

守ってもらっていた世界から、もう、見えないところまで離れてしまった。


もう、二人っきりだ。

周囲は漆黒ではなく、無数の光の塵に満たされ目が眩むようだったけれど、地に足はついておらず、孤独さだけがつきまとっていた。

今も、心は空に漂っているけれども、肉体は一気に地球まで叩きつけられた。

毛布にくるまって体を寄せ合って甘い紅茶を飲んでいる二人は亡骸だ。


空の下で、漂っていた二人の情事を、虚ろな思いで逆再生していた。

そして、再度、再生。

壊れたムービーを再生するように、断片が破壊されている気がした…。


秋の日暮れの時間は一瞬で終わっていった。


私は、膝の上の彰の顔に手を当てていた。

彰は、痙攣するようにしながら、私の体を服の下から両腕で締め付けてきた。

求められているのは、言語を介さずに理解できた。

こんな細い腕に、そんな力がどうして残ってるんだろうと思いながらも、彰の腕に締め付けられて、呼吸をすることも難しくなる。

気が遠くなりながら、卒倒するように体を倒した。

草の匂いが体全体を包んでる。草の先端が首筋や背中に刺さる。

小さな虫が腕や足を這いずる感覚。

風の冷たさ。

いつそうなったのか、そうしたのか、そうされたのか、全く記憶にない。

快楽を全身に走らせながら、裸を晒している羞恥心は無く、空の無数の光の塵と、どちらの息遣いかわからない呼吸音だけが、聞こえていた。


空が紫色から、暗く遠くにひどい焼け野原があるかのような地平を宿し、はるか遠くから月が昇り始めた。


触れていない肌が凍るように冷たい。

しかし、その感覚もしばらく経てば、なくなっていった。

感覚に変調。

あ、狂う…。という、一瞬の認識から、転げるように違う世界に足を踏み外した。彰が私の融け始めた内臓に入ってきた瞬間の恐怖。


首筋から耳にかけて這う舌の感覚を痛みのように感じながら、それは、視覚でさえ追うことができた。感覚が拡張されていた…。

狂いはじめたと思ったそれは、恐ろしく高い崖から、突き落とされ落下している状態に近かった。

死ぬ…。あと、コンマ何秒かの後…。現実に叩きつけられて。

この高度からイってしまえば、おそらく、内臓さえも形を留めない…。


そんな、凄まじい恐怖の中、聴こえているのは、平穏な虫の声。

背中を鋭利な刃物か、柔らかい針のようなもので、嬲られているような草葉の感覚。ゴツゴツとした、石や、土の感覚。

見えている世界と、触れられている世界が、乖離しながら、渾然と私の中で撹拌されている。

下腹部を中心に、弄(まさぐ)られている乳房や、首筋、舌。


触れている部分全てが、拒否しながらも強烈な力で引き合う感覚。

一瞬にして溶けてしまったあとの、彰の塊が下腹部に突き立てられ続ける感覚。


どこに堕ちていくのかわからずに、一気に時間軸を無くし朽ち果てて、カタチないものに変わり果てた。

針のような、鋭利な刃物のような草木。

私達をすりつぶすための岩石。

喜び謳いながら亡骸を貪り始める虫たちと…。


スポットライトのような巨大な月。


体液をお互いに飛び散らせながら、

私は、私たちは、もう、人ではなくなったと感じた。

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