第27話 12月29日
更新です。
しばらくデート回です。
―――
12月29日
その日は綾にとって、いくつかの理由で特別な日だった。
特筆すべきはふたつ。
まずその日、綾の務める会社は正月休みに入る。
デート的な意味で忙しない日々を送る綾は日頃からこつこつ有給を消化しているため、そこに付随させて延長するという手は使えないものの、それでも期間は2週間程度とそこそこの長さを保証されている。非常事態の場合などにリモートワークを依頼される『待機日』という制度もあるにははあるものの、少なくともこれまでの経験上そんなことはほぼありえないことで、綾はその2週間をいつも通りに忙しなく過ごすつもりでいた。
そしてもうひとつ。
綾にとって特別の、そのほとんどがそうであるように。
それは、とある特定の恋人に関係することだった。
「お疲れ様です」
定時30分前。
張り切って仕事を終えてしまった綾は、わざわざ残っている理由も特になかったので、仕事仲間たちに挨拶をしてさっさと退勤登録を済ませた。
そんな綾に輝里が捨てられた子犬のような表情を向けるが、綾は視線を向け手を振りはするものの、コート掛けにかかったトレンチコートを手にその場を後にする。
「やっぱり女なのかな」
「っぽいよな?」
そんな綾を見ていた同僚の男性社員が隣の男性社員にこそこそ声をかければ、返ってくるのはやや気まずげな同意。ふたりの視線は依然としてしょんぼりしている輝里へと向けられている。これは完全にダメなやつだなあと、ふたりは輝里にやや気の早い同情すらしていた。
そのふたりに限らず、その場にいた同僚たちの多くは、輝里に対して哀れみの視線を向けている。酷く分かりやすかった輝里の好意は、しかし当の本人には届くことがなく残念な結果に終わってしまったのだろうと、多くのものが予想していた。
というのも、今日の綾は、普段のようにオフィスカジュアルではあるものの、バッグからジャケットでも取り出せばそのままお高いレストランにでも入れてしまいそうな程度にはめかしこんでいる。その時点でやや不穏なものを感じる面々だったが、更になにやらやけに上機嫌な綾の様子だったり、こうして急ぎ足に帰宅してしまったことなどを考慮すれば、自然とその向こうに恋人的存在の姿が幻視され、結果輝里が報われないことが決まってしまったのだと、そう思えたのだ。
自然と、その恋人が女性だろうと思われているのは、もはや綾だからとしか言いようがない。少なくともこの場の人間は、まだ見ぬ綾の恋人の姿を女性で想定していた。綾が男性と付き合うというのが、想像の限界を超えているらしい。
それともあるいは、それが男性であるというのなら輝里も諦めがつくのかもしれない。
とある女性社員は、携帯端末を握りおろおろする後輩の頬を弄びながら、そんなことを思ったという。
一方で、当の輝里はといえば、そんな同僚たちの考えが、根本的に間違っていることを知っていた。
確かに、綾には恋人がいる。そしてそれは女で、なぜか今日、そう今日に限ってやけにめかしこんでいるのも間違いない。きっと特別なデートなのだろう、そこまでは事実だ。
だが、1/6である。
綾のなにを知っている、とまだ自信を持って言えない輝里でも、綾が誰かを贔屓することはないだろうという確信めいた予想は立っている。
特別な日では、あれ。
けれど特別な相手では、ないのだ。
もちろん、比較対象の全てが特別という意味で。
つまりこんなものは、綾に恋をした以上当然のことで。
失恋などとは、程遠く。
だから、綾がさっさと行ってしまうのを黙って見守った訳で。
だから今日も、当然のように、昼食を一緒できた訳で。
分かっている。
なぜ綾が今日あんなにもめかしこんでいたのか。
分かっている。
なぜ綾が今日あんなにも上機嫌だったのか。
だから、こうして黙って綾を見送ることが、縋るような視線を向ける程度のことが、輝里にとって―――綾の恋人ですらない、そんな最低限の特別すら持っていない輝里にとって、できる最大限で。
―――けれど。
「っし!」
ぱちん、と。
輝里は自分の頬を叩き、そして勢いよく立ち上がる。
「ちょっと休憩いただくっすー!」
そう言うなり全速力で駆けて行った輝里を、止められる者はその場にはいなかった。
一方で。
そんなできごとが、思惑があったことなどつゆ知らず、ひとり能天気に上機嫌な綾は、ルンルン気分で会社を出ていた。
外は、静かに雪が降っている。
フロントの屋根の下、ほぅ、と吐く息は白く凍え、綾は袖を通していたトレンチコートを改めて羽織り直した。それから綾は歩道へ踏み出す。
さふさふさふさふ、雪を踏む。
底の厚いブーツでは感触があまり感じられず、綾はそれを少しだけ後悔した。
しばらく駅に向かって歩いていると、やがて綾は遠くに彼女を見つけ、途端に頬を緩ませる。
そしてすぐさま、駆け足でその場へと向かった。
ぼんやり広くと照らす街灯。
影を踏み、少女がひとり立っている。
黒と赤の遮熱式ウィンドブレイカーを身に纏い、大きなスポーツバッグを持ち手で背負うその姿は、彼女がスポーツ少女であることをひどく分かりやすく伝えていた。
道行く人々にきょろきょろとその大きく真ん丸な目を向けていた彼女は、急ぎ足にやってくる綾を見つけると、とたん嬉しそうに笑顔を浮かべ、待ちきれないとばかりに駆け出した。ふりふりと振れるポニーテールを置き去りにする程の勢いに、周囲の人々が惹かれるように視線を向ける。
「あや姉!」
「美月ちゃん」
呼ぶ声に応え広げた両手に、少女は人目もはばからず飛び込んだ。
その勢いを、地上にすら渡すものかと受け止めて。
それから綾は、少女と向き合って微笑んだ。
「お誕生日おめでとう、美月ちゃん」
「えへへ。ありがと」
はにかみ笑う少女は、恥じらいを上回る喜びを少しでも綾に伝えたくて、綾の身体を強く抱きしめる。綾の脇の下から腕を回し、綾の肩に手をかけ縋り付くような抱き方。
今日まさに誕生日を迎えた、綾の恋人。
熱く湿る吐息に触れながら、綾はそっと目を細める。
「お待たせ。ごめんね、遅くなっちゃって」
「ううん。むしろわたし早く来すぎちゃっただけだし。だからほら、着替える時間もなかったや」
照れ照れ笑う美月の言葉、綾の胸に去来するのは当然のように喜びだけ。
自分があまりのドキドキになぜか朝5時に起きて長々と今日のファッションを考えていたのに比べて、まるで容姿など気にした様子のない美月だが、ただそれぞれに形が違うだけで同じ想いでそこにいるのだと知っている。
だから綾は思いを伝えるように、美月の頬に手を添え、じぃとその瞳を見つめる。
「好きだよ、美月ちゃん」
ぱちくりと瞬かれた目がすすいとさまよい、それから
「わたしも、すき」
近づくなり、触れる。
重なる唇に見開かれる目、けれどそれはすぐにとろりと緩み、美月は柔らかな唇の感触に酔いしれる。口内に注がれるフローラルな香りに『大人は口臭まで大人なんだ……』と訳の分からないことまで考えていた美月だったが、それもほんの十数秒のこと。
ちゅ、とわずかに音を立てて離れる唇に、美月は「あ」と名残惜し気な声を上げる。
そんな美月を愛おしげに眺めながら、綾はちろりと自分の唇を舐めた。
「……しちゃった」
頬を真っ赤に染めながら、美月は陶然とこぼす。
信じられないとばかりにぱちくりと瞬き、それから嬉しそうに表情が華やぐ。
「ね、あや姉……んっ」
熱い吐息を零しながら顔を近づける美月、それに当然のように応え、またひとつ口づけを交わす。
顔を離し、くすぐったそうに笑った美月は、こんどは噛み締めるように呟く。
「しちゃった」
「しちゃったね」
「好きだよ、あや姉」
「うん。私も、好き」
悪戯めいて笑い合うふたり。
感極まったように、美月ははぁと息を吐く。
「ほんっと、きんちょうしたぁ~」
「私も。ずっとどきどきしてる」
「えー?あや姉は慣れてるんでしょ」
「そんなことないよ。……初めてだから」
「……えへへ、そっか……」
綾の言葉に美月ははにかみ、また美月は顔を寄せる。
「好き」
ちゅ、と触れ合い、綾はくすくすと笑う。
「美月ちゃん、ぐいぐいくるね」
「だって、ご~、4年?も待ったんだよ。取り返さなきゃでしょ」
「それもそうかも」
今度は綾から口づけを交わす。
柔らかく細められた目が美月を見た。
「今日は楽しもうね」
「う、うん」
今日、という言葉に含められた意味合いに美月は頬を染め、そっと綾の腕から抜け出す。
それから綾の腕をぎゅうと胸に抱くようにして寄り添い、指を絡めた。
「いこ?」
「うん。そうだね。行こっか」
そうしてふたりは歩きだ……そうとして。
「せ、先輩!」
「?」
背後からの声に、綾は顔だけで振り向く。
そこには、息せき切らした輝里が立っていた。
「輝里ちゃん?」
「知り合い?」
「あ、うん。会社の同僚。ちょっと待ってね」
「はーい」
待つ、といっても腕は離さない。
美月はどうやら今を横顔を眺める時間にするつもりらしい、くすぐったくなる視線を感じながら綾は輝里へと問いかける。
「どうしたの、輝里ちゃん」
「えと、」
輝里の視線が一度美月に向かい、そしてきゅっと唇が引き結ばれる。
それから輝里は綾へとまっすぐに視線を向け、困ったようににへら、と笑った。
「いやぁ、リアルでご挨拶ってしてなかったっすから。よいお年を、っす」
「そういえばそうだったね。よいお年を」
「じゃ、それだけっす!おつっすー!」
びし、と敬礼して見せる輝里に微笑み返せば、輝里は要は済んだとばかりにさっさと去っていく。
その後ろ姿を見送り、それから綾は美月へと視線を戻した。
「お待たせ。行こっか」
「うん。えへへ」
「どうしたの?」
歩き出してすぐ、美月は楽しげに笑う。
綾がはてなと訊き返せば、美月は自分の耳の後ろに触れながらにんまりと笑った。
「あや姉、耳の後ろにほくろあるんだね」
「あれ、見つかっちゃった」
「これはほくろマスターも遠くないね!」
「ふふ、そうかもね」
ふんす、と謎に意気込む美月に綾は笑う。
いつかは全身の黒子の数を網羅されることになるのかと、やや気持ち悪いわくわくに胸躍らせた。
冷ややかな空気を置き去りにするように、ふたりは温もりを交わしながら歩く。
■
《登場人物》
『
・デート時と非デート時の空気感の違いがひどい。愛想はいいけど、愛想いいだけっていう感じ。美月と輝里、どちらが上でどちらが下とかでなく、美月とデートしてるから輝里に向ける分の好きは残ってないよっていう。遭遇したくねえ……。
『
・現役JK18歳。冗談きついぜ。現在の恋人連中でいえば古参の一角。鈴の次に長い……はず。言っとくけどここまではプラトニックなお付き合いでしたから!そこんとこよろしくな!バスケ部所属ポニテガール。部活上がりの姿で直行しました。朝から一杯準備しておめかしをするのも、容姿なんて気にしないくらいに急いで会いに来るのも、形は違えど好きゆえに。とはいえやっぱり、大人と子供の違いは感じられるよね。それもひっくるめて好きだと、多分綾はこれまでの付き合いの中で嫌というほど教えているんでしょう。それを今更恥じるとか、綾と付き合っててやる訳ないよなあと2回くらい書き直しました。
『
・ああまったく、いっとう冷え込んできやがったっすね。さてここからどうするのか、それが多分、綾という人間と付き合っていく中で重要になるところ。頑張るのだ輝里さん……あるいは頑張るの止めた方が幸せなのではとも思うけど、残念ながらこれ姫ゲーなのよね。
『ゆかいな仲間たち(会社)』
・どこに通報するんでしょうね
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