第5話 ユアが降り立ったのは、大きな噴水の前だった

 ユアが降り立ったのは、大きな噴水の前だった。

 中世風とでも言うか、漆喰の壁に三角屋根の建物が立ち並ぶ石畳の街、その広場に設置された四段重ねの大きな噴水の前。周囲を見回せば、頭上にPNプレイヤー・ネームを頂いていたりいなかったりする人々ががやがやと行き来している。


 露店のようなものが軒を連ねていたりと活気に満ちた喧騒に、ユアはやや辟易とした。

 あまり喧騒は好きではないのだ。


 しばらく周囲をきょろきょろ見まわしてから、ユアは「『メニュー』」とつぶやきメニュー画面を開く。眼前に現れたウィンドウを手馴れた様子で操作し、まず『.Abyss』のチャットツールを同期させる。大型VRゲームプラットホームである.Abyssで発売されるゲームではたいていそのチャットツールを使用することができるため、ゲームという枠を超えてフレンドと交流することもできるようになっているのだ。


 そのまま起動し、フレンド欄から鈴こと『リーン』を選択してチャットルームを開設する。

 そして呼び掛けてみるが、返信はない。

 どうやらまだアバターを作成しているらしい。


 ユアはしばらく悩み、それから『適当に外にいるね。連絡くれたら位置情報飛ばすから』とメッセージを残してウィンドウを最小化した。吹き出しマークのポップアップを手の甲に引っ付けて、今度はマップ機能を起動する。


 眼前に広がる羊皮紙(型のウィンドウ)。

 ゲームの雰囲気に合わせてマップの質感が変わるのはそう珍しいことでもない。

 流石に地図を手渡されたりはしないらしいと、宙に浮かぶその手書きっぽいフォントの地図を眺めるユア。現在のユアの所在地は、『始まりの大陸/始まりの街セントエラ/中央広場』となっている。なんとも分かりやすいその街には、東西南北四つの門がある。どうやら街中ではその外まで確認することができないらしいが、どの門も『平穏な草原』とやらに続いているらしい。


 しばし地図を眺め、それからユアは北を目指すことに決めた。

 こちらはミニマップ機能を起動して、視界の端に自分を中心とした半透明のマップを浮かべておく。後はLP・MPゲージを視界の端に固定したりメニューを開くなどのコマンドにショートカット動作を設定したりしつつ、せっかくなので北を目指して歩いていく。街中ではファストトラベル機能もあるらしいが、急いでいる訳でもなし、観光がてらという考えだった。


 といっても、始まりの街にしては、それとも始まりの街だからこそなのか、まっすぐ歩くだけでもかなりの広さがある。


 最初の『中央広場』はリスポーン地点にもなっている街の中心部であり、それを囲むように街は2層で構成されている。内円部はNPCの商店などがマップ上でも多数確認される『商業地区』、そして外円部は商店の少ない『居住地区』。その代わり居住地区には『売り家』というアイコンが多数見られる。どうやらハウジング的なシステムがあるらしい。


 いつかは目指してみてもいいかと思いつつ、しかしそもそも少し歩いた程度ではその居住エリアにもたどり着くことはできなかった。面白い発見があったでもなく、ユアは早々に観光を切り上げて大人しく北門までファストトラベルで飛んだ。


 光に包まれ、そして視界が開けたときには、眼前にそびえる巨大な門。

 一体なにを想定しているのか、見上げるほどに高い高い防壁にそぐうだけのそれは、少なくとも人ごときが利用して混み合うことはないだろう。高い防壁のわりにあけっぴろげで出入りし放題なのはどういうことなのかと思いつつ、ユアは門を通過する人々に紛れて外へと出た。


 石畳が途切れ、踏み固められた地面を踏みしめる。

 ミニマップの所在地名が『始まりの大陸/平穏な平原』に切り替わるのを確認し、ユアは大きく伸びをする。


 門を抜けてすぐのため、実際には街中とそう変わるでもないのだろう。

 しかしなんとなく空気が心地よい気がして、ユアは目いっぱい息を吸った。

 通りすぎるプレイヤーの数人が奇異な視線を向けるのも意に介することなく深呼吸をして、ユアはぽつりとつぶやく。


「うん。普通」


 どこかで噴き出す音がする。

 けれど気にせず、ユアは歩みを進めた。


 そもそもその普通というのが凄いのだと、ユアは思う。

 胸を満たす草原の匂いは、どこまでも自然で。神経の通った、とはまったく誇張でもないらしいと、ユアは改めて実感する。


 門の外は、一面の草原が広がっているという訳でもなかった。

 なだらかな起伏のあるそこは、花畑や草むらがあったり、モフモフした毛玉のモンスターが生息している分かりやすく平穏な草原なのだが、それを分かつように、まっすぐと、ひたすら北に延びる一本の道がある。そのはるか向こう、目を凝らしてなお霞むほどの先には森らしき緑があり、マップを確認すると『生命の森』なるエリアに続いているらしい。

 プレイヤーたちは、その道を行くものと道を逸れて草原に繰り出すもの、なぜか防壁に沿って歩くもの、頑張って壁を登ろうとするものなどに分かれるようだった。


 壁のぼりの趣味はなく、またあからさまに比較的レベルの高いエリアだろう森にひとりで向かうつもりもないので、ユアはとりあえず草原へと繰り出した。草原の各所では、若草色の毛玉を追いかけるプレイヤーや遠くから眺めて息を荒げるプレイヤーが散見される。どうやらあの可愛らしいモンスターを狩ってやろうというプレイヤーはごく少数らしく、武器を抜いているプレイヤーはほとんど見当たらない。


 ユアはなるべく人がいないところを目指しててくてくと進む。可愛らしいものは愛でるに限るというのは人類の共通認識であり、この草原の毛玉などユアの胸をきゅんきゅんと鳴らしてくるが、他のプレイヤーがちょっかいをかけている毛玉を愛でるのはなんとなく気まずい思いがあった。


 しばらく歩いたところで、ユアはある花畑で群れる毛玉たちを見つけた。

 なんとなくその様子に違和感を覚えて近づいていくと、毛玉たちは逃げるどころかみゅーみゅー鳴いて威嚇してくる。


 しかしそんな好戦的な様子に、ユアは違和感の正体を掴んで納得する。


 毛玉の群れの中には、一体の毛玉が血液の代わりにポリゴンを垂れ流して横たわっていた。

 その胴体(そもそもその区別もいまいちユアには分からないが)のところには、矢が1本ふかぶかと突き刺さっている。


 プレイヤーに狙われ、逃げてきたのだろうか。

 そんなことを思いつつ、ユアは姿勢を低くして毛玉たちに近づいていく。


 少しずつ、少しずつ。


 そしてついに、毛玉たちの中でもその先頭にいた一体がぴょぬっと飛び掛かった。

 がぶり、とユアの肩に毛玉がかみつく。

 ゲームゆえに軽減された鈍い痛みと痺れに、しかしユアはそっと笑む。

 プログラムされた行動だとしても、仲間を守るその気高い姿はなんとも愛らしい。


 肩をあぐあぐと噛む毛玉を、ユアはそっと撫でた。


 モフモフの毛皮の感触に癒されるが、当然目減りするLPが回復することはない。


 傷ついたのならば、癒せばいい。

 ただそれだけのことだと、ユアは詠う。


「『領域構築エリアメイク』―『安らぎの地ヒーリングスペース』」


 ユアの言葉に応え、MPゲージが半分以上削れ、魔法が発動する。

 ユアを中心に広がる、うっすらと穏やかな光を放つ半径3mの円形の領域。

 それは傷ついた毛玉にまで届き、その身を領域と同じ光が包む。


 領域魔法『安らぎの地ヒーリングスペース』。

 領域内にいる友好対象のLPを持続回復させデバフを軽減させる癒しの魔法。


 ユアのLP減少が止まる。VITに振っていないとはいえ毛玉の攻撃力も大したものではないらしい。かといって回復に傾くことはなかったが、毛玉が驚いて口を離してからは回復し始めた。


 ぽてりと落ちた毛玉を、ユアは受け止める。つぶらな瞳で見上げてくる毛玉を優しくなでた。


「ぷゅー?」


 傷ついた毛玉ごと回復していることが伝わっているのか、毛玉はぱちくりと目を瞬かせ不思議そうに鳴いてはいるものの、反抗的な態度を見せることなくなすがままに撫でられる。


 やがて、傷ついていた毛玉がモゾモゾと動き出した。

 矢は抜け落ち、流出するポリゴンも止まり、既にそこに傷はない。

 ぴよんっ、と起き上がり、毛玉はきらきら輝く瞳でユアを見上げる。


「ぷゅー」

「あはは。元気になったかな」

「ぷゅ!」


 ユアの言葉に嬉しそうに鳴いて、回復した毛玉はユアに飛びついてくる。

 まとめて抱き留めてやれば、周囲の毛玉たちも嬉しそうにぷゅぷゅ鳴いてユアに飛びついてゆく。


「わわっ」


 慌てて声を上げながらみるみる毛玉に群がられ埋もれるユア。


『称号【モンスターメイト】を取得しました』

「あはは、もう、くすぐったいって!」


 その耳に届くアナウンスが称号の獲得を告げる。

 その詳細を確認する余裕もなく、ユアは自らに群がる毛玉たちを目いっぱい愛でるのだった。


 ■


《登場人物》

ひいらぎあや

・可愛いもの好き<New!。といってもまあ可愛いのが嫌いな人類なんてなかなかいないですよね(偏見)。さっそく記念すべき初魔法ですが、どうやら感慨とかなにもなさそうです。まだまだこんなもんじゃないぜ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る