第2話 ところで鈴の言うゲーム、タイトルをAnother Worldという

 ところで鈴の言うゲーム、タイトルをAnother World(通称AW)という。

 最新のVRDであるVRD.Nerve(Virtual Reality Diver―仮想現実没入型デバイスの中でも最大のシェアを誇る登録商標。.Nerveは全く新しい技術による神経の通ったVR体験を謳っている)に対応する現時点では唯一のVRMMORPGなのだが、最近発売となったそれを綾と一緒にやりたいとそう言ってきたのがつい一昨日のこと。

 その時点で既に即金(計289,960円也)で2セットのVRDと2パッケージのAWを購入しており、届いたのが昨日、綾が麻美とのデートに出向いたその後のことだ。綾が帰ってきて一緒にプレイするという今の段階に至るまでお預けをくらっていた鈴なので、先程はあそこまで不機嫌になっていたということらしい。


 やはり申し訳ないことをしたと、きっちり準備を整えられた寝室を目の当たりにして綾は改めて思う。

 ベッド3つは並ばないだろう室内に鎮座するダブルベッド、そこに無造作に置かれたVRD.Nerveの本体であるスタイリッシュにメカニカルなヘルメット型ヘッドセットが2つ。ヘッドボードにはVRDに無線接続された小型のVR用PCが置かれ、円筒型のスティックデバイス(記録媒体と限定的な情報処理能力を有するメントスくらいの棒。PCのポートに刺して使う。これそのものがゲームデータの保存やいくつかの処理を担うことで、低容量PCでも容量喰らいなVR没入型デバイス対応VRゲームのプレイを可能とする。DL版より高価となるが、DLに必要な容量などというものを気にせずプレイできる)が突き刺さっている。本体表面に表示された『Inserted "Another World"(Ready)』という文字列を見るに、鈴の言っていた通りに準備は万端のようだ。


「鈴」

「んにー?にゃ」

「ありがと」


 素直な感謝と共に頭を撫でれば、鈴はにひにひ照れ笑う。

 しばらくそれを楽しんで、ようやくゲームを始めることに。


 ヘッドセットを装着し、ベッドに寝転がる。高いマットレスなだけあってそれでもさして違和感なく横になれる。それでもちょうどいいところを探して横を向けば鈴と目が合い、やけに嬉しそうなにっこにこ顔に綾まで笑みが浮かぶ。


「じゃあ、あっちでね」

「はーい!」


 びしっ、と敬礼のようにする鈴にしばらくの別れを告げ、綾はヘッドセットを起動する―――


 ■


『VRの世界へようこそ』

『脳波パターンを計測しています―――』

『計測が完了しました』

『新規使用者として登録します』

『”.Abyss”アカウントと同期しています―――』

『おかえりなさいませ”ユア”さま』

『”.Home”アプリを起動しています―――』


 いくつかのアナウンスを暗転の中で聞き、そして綾はまるで目を覚ますかのような感覚とともに目を開く。

 身体を起こせばそこは見慣れた寝室、ダブルベッドの真ん中に綾―――ユアはいる。


 専門のゲームショップで計測した身体データをもとに構成された『ユア』というアバターは綾と瓜二つで、最近VRで友人と会う時にわざわざ新調したワインレッドのナイトドレスを纏っている。


 ふと手を持ち上げ、空を掴む。

 自分の手の内に触れる指、握りしめた力に応じた圧力。

 現実さながらのその違和感のない感触に、綾は「おおー」と感嘆の声を上げる。一世代前のVRD.Masterであってもさして違和感を覚えたことはなかったが、.NerveではよりVRを自然に体感できているのが分かった。


 しばらく適当に身体を動かして感覚に慣らし、それから綾は呟く。


「『コマンド:フォルダ検索』―『”Another World”』」


 綾の言葉に応え、眼前に『Another World』というタイトルのウィンドウが表示される。そのウィンドウ以外にもいくつか候補があるらしいが、様々なファイルやフォルダの並んだそこにお目当てのAWというアイコンのファイルがあった。とりあえず別の『VRゲーム類』という名前の通りなフォルダにショートカットを放り込んで、それからアイコンに触れてAWを起動する。


『ショートカットオブジェクトを作成しますか?』

『設置位置を決めてください』

『オブジェクトはいつでも移動させることができます』


 声に脳内で返答すれば、眼前に出現するスノードームのようなオブジェクト。透明なドームの中には、切り取られた世界のミニチュアが浮かんでいる。


 それを手に取り、とりあえずヘッドボードに設置する。なんとなく位置を調節してそれとなく満足したところでオブジェクトをつつけば、『”Another World”のショートカットオブジェクトを設置しました』というアナウンス。


『”Another World”を起動しています―――』


 続くアナウンスとともに、暗転。

 しばらくの沈黙。

 ふいに視界が白に染まる。

 強制的に立たされた足元には硬質な感触。見回せば、どうやらそこは真っ白な部屋の中らしかった。模様の一つもなく遠近感がひどく狂わされるが、ユアの見立てでは体育館くらいの広さはある。


 さてここは、と疑問符を浮かべるよりも早く、声が響く。


『はろぉ―――ぅわぁーるどぅお―――!!!!』


 どこからともなく、ではなくそこかしこから響くような幼い声にユアは周囲を見回し、


『こっこでーしたー!』

「わ」


 足元からしゅばー!と飛び出してきたその少女をとっさに抱きとめる。


 暖かく、驚く程に軽い感触。見下ろせばそこには青色の少女がいた。

 見た目年齢は13歳ほど、淡い粒子を纏うようなメタリックブルーの長い髪と、幾何学的な模様が透けて見えるどこか無機質なアクアマリンの瞳。髪と同じような色のラインが入ったぴちぴちの白いボディスーツに同じような色彩のジャケットと水色のスカートを身に着けている。


 避けられこそすれ抱きとめられるとは思っていなかったらしい、青色の少女は驚いた様子で目をぱちくりし、それからにんまりと笑って顔を寄せた。


『はろはろー!』

「はろはろー?」


 少女の吐息はミントの香りだった。

 その爽やかな香りに鼻をひくつかせるユアが疑問符混じりに答えれば、少女は満足気に「むふー」と鼻から息を吐き、そしてするりとユアの腕から抜ける。当然のように宙を舞い、くるりくるりと軽やかにターン。それからしゅばっとポーズを決めた少女は、高らかに声を張り上げた。


『うぇるかむとぅーあなざーわーるど!初めましてしんしんきえー!』


 なんだこの子可愛い。

 ユアは思った。

 だからそのハイテンションな挨拶に、ユアはにこりと微笑んで手を差し出した。


「うん。はじめまして」

『おういえー!』


 ユアの差し出した手を両手で握り、ぶんぶん振って少女は笑う。

 そして手を止めると、しかし離すことなくこてんと首を傾げる。


『そんで、なんだっけ?』

「自己紹介とかじゃないかな」

『おおー!それだー!』


 無難なところをあげてみると、少女はキラキラ目を輝かせてひらりと身を翻す。

 そしてずばっと親指で自分を指さす。


『あいむすぺーど!あなわ管理者がいっちゅー!ぁ人呼んで『法則のすぺーど』とは!このわたしのことなのどぅわー!』

「おおー」


 綾がぱちぱちと手を叩けば、少女―――スペードは『どーもどーもー!』と愛想を振りまく。

 しばらく「いいぞいいぞー」とはやし立てられるままポージングなんかしていたスペードだったが、やがて満足したのかまたユアに顔を近づけた。


 くりくり光る瞳がユアを見つめる。

 遠く深いその瞳に、ユアははっと息を呑んだ。

 それを気にした様子もなく、興味津々といった様子でスペードは首を傾げる。


『んでんで、ゆーはどちらさまー?』

「あー、うん。私はユアっていうんだ。よろしくね」

『ゆーあーゆあー!ないすねーむ!』

「ありがと。スペードもかっこよくて素敵な名前だよ」

『さんくー!』


 ユアがニコリと笑えば、スペードも心底楽しそうに笑う。

 それからふとなにやら考え込むように顎に手を当て、かと思えばぽんっと手を打った。


『よし!じゃーゆあっちね!』

「おおっ。じゃあすぺっち?」

『のんのん!すっちんと呼びなー!』

「分かったよすっちん」


 唐突なスペードの提案に戸惑いすらなく乗ってみせるユア。身近に似たようなテンションの持ち主がいるので、こういった脈絡が本人の中にしかないタイプのコミュニケーションには慣れたものだ。


「ところですっちん。もしかして、すっちんが案内とかしてくれるのかな?」

『んー?おー!そーだったそーだった!』


 忘れてたー!とぺかーっと笑い、それからスペードはコホンと一つ咳払い。


『改めて、あなざーわーるどへよーこそ!げーむ始める前に、今からゆあっちがあなわでいーかんじにやってけるようにいろいろ設定してもらいまーす!』

「あなわ」

『公式せってー!わたしがゆーんだから間違いなし!』

「じゃあ私もそうやって呼ぼっと」

『じゃんじゃん広めてけー!』


 そう言ってはしゃぎつつ、スペードはぱんぱんと二つ手を叩く。

 それに応えるように、ユアの眼前に三つのウィンドウが出現する。


『もいっちょー!』


 更に続けて手を叩けば、ウィンドウの向こう、スペードの背後に鏡が出現する。

 端から端まで渡るような巨大な鏡。どうやらウィンドウは映らないらしく、ウィンドウの向こうの自分と目が合ってユアは一瞬ドキリとする。


 それが鏡だと分かってほっとするユアだったが、そのとき、鏡の向こうのスペードがなぜか自分の方を向いて楽しそうに手を振っているのに気が付く。


 とりあえず手を振り返してみると、鏡の向こうとこちら側のスペードは笑みを深めた。


『じゅんびおっけー!あとはてきとーにやっちゃっていーよ!説明とかいる―?』

「あー、じゃあお願いしよっかな」

『おっけー!じゃーまずはわたしの生まれたときからはなしちゃうぜー!』

「うん。ぜひ聞きたいな」

『ぼけをころすなー!』

「え?」

『……へ?』


 ■


《登場人物》

ひいらぎあや

・優先順位すっちん>ゲームらしい。これが一目ぼれってやつか……!まあ今は単にめっちゃお気に入りってくらいなんですけれど。終始にっこにこで、なんか、まあ楽しんでくれるならいいんですけどね?


柳瀬やなせすず

・時間持て余しまくってたのでいろいろ張り切った。とりあえず綾に褒められたので大勝利。


法則ほうそくスペードスペード

・AW管理者が一柱にして法則の名を関する少女。見た目年齢13歳くらい。管理者4人からランダムで案内人が決まるようになっているけれど、その中では外れ枠として認知されている。まあ一部ファンみたいなのはいるけれど、基本はあのテンションの前に会話で疲れてしまう模様。だから気を使うとかそんなんないけどね!だってすっちんだもの!

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