南北朝時代

【鮑照】梅花に託つ

 詩藻の卓抜なるはしゃ氏、がん氏の両家。誰しもが口をそろえて囁いている。わたしがそれを口惜しく思う、と言えば、ほう様はお滑らせになる筆を止めることもなく、ただ、ふ、と笑われるのみなのである。

 ご本人が何も仰らないのであれば、そこにわたしが何を訴えたところで意味はない。だがそれでも、こうは感じてしまう。とかく世は決して平等ではない。でなくば、なぜ両家の詩ばかりがもてはやされ、鮑様の詩は顧みられることが少ないのだろうか?

 近親者のひいき目を差し引いても、その出来は決して両家に劣るものでもあるまい。ならば、評価の違いは交際の広さによるのではないか。そう、思わざるを得ないのだ。

 謝氏と、顔氏。ともに一世を風靡する一門の生まれである。家ぐるみでの付き合いも広く、中には国内にて大々的に声を届かせるだけの発言力を持った者もいる。そのような者が自らの親族が生み出した詩を称揚するのだ。

 作品の価値は、作品の出来そのもののほかに、もう一つ大きな基準が存在している。どれだけ多くの人の元に届けられたか、だ。それが多くなればなるほど、言葉は届くべきものの元に届く。そして、響く。

 逆も言える。届かねば、響かないのだ。

 鮑様の詩が、届きさえすれば。

 だが、そう願うわたしの力など微々たるものでしかない。せめて近所のご婦人方に、その素晴らしさを滔々と語るくらいのものだ。そしてそれとて、怪訝な顔で聞き流されてしまうのがおちなのだけれど。

 すると鮑様は、わたしに詩をご提示になられた。初めて見る文字の並びである。ともなれば、新作。私は食い入るように眺めるのだった。



 中庭雜樹多

 偏為梅咨嗟

 問君何獨然

  中庭に雜樹、多かれど

  ひとえに梅に咨嗟しさを為す

  君に問わん、何ぞひとり然れるや


 念其霜中能作花

 露中能作實

  おもいたり、其の

  霜中に能く花をすを

  露中に能くを作すを


 搖蕩春風媚春日

 念爾零落逐寒風

 徒有霜華無霜質

  春風に搖蕩たゆたい春日にぶるも

  念いたり

  なんじの寒風にわれ零落れいらくせるを

  いたづらに霜華そうか有れど霜質そうしつ無きを



 いただいた内容を読み、つい、吹き出してしまう。

 大意は、以下のようなものだ。鮑様が褒め称える花は、ただ梅だけ。それに対し、数多の木々が不平を漏らしたという。なぜあなたは梅の花だけをそうも愛でるのか、と。すると鮑様はこう答える。お前たちは春のあたたかい日差しの中でのびのびと花開かせる。しかし梅の花は霜に身を凍えさせながらも立派な花を咲きほこらせる、お前たちであればあっさりと花を散らせてしまうであろうに、と。

 何のことはない、鮑様ご自身も、やはり心に一物は抱えていらっしゃったのだ。故に、厳しい環境でくじけず咲く梅に共感をなさっておられる。

 わたしは鮑様の肩に一枚の長袍ちょうぼうを掛ける。

 このお方がよりよき詩を世に送り出せるよう、支える。それがわたしにできる、鮑様の言葉を人々に届ける、最大のお手伝いなのだろう。



解説

https://kakuyomu.jp/works/1177354054893915600/episodes/1177354054893915980

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