男はその手を―――おろした

トネリコ

それは痛みを伴った

 

 

 

 



 

 目には目を 歯には歯を

 右の頬を殴られたら 左の頬を差し出しなさい

 やられたらやり返す 倍返しだ


 何かをやられたのならば


 選択肢が出てこよう


 同じ分をやり返す?

 それともあなたは我慢する?

 もしくは受けた倍を返す?


 あなたの前には選択肢が並ぶ


 男の前には一人の小柄な男が床に蹲っていた


 見上げる小さな顔は皺くちゃ

 目には怯えの色が滲み

 手は身を護る様に顔の前


 そしてどこか男と似た顔立ち

 

 男の父親は粗相をした

 

 食卓には異臭が立ち込める


 何度いっても分からない

 何度いっても直らない

 

 悪い子には”しつけ”が必要


 そうだろう?

 なぁ、そうだろう?


 男の足元で小さくなった父親は

 その背を微かに震わせた


 

 なぁ、かつて俺にもしつけをしたろう?

 何度も何度もしつけをしたろう?


 

 男は拳を振り上げる


 男の前には選択肢がある


 父親は怯えた顔で目を瞑った


 目には目を 歯には歯を

 因果応報

 自業自得


 だってやられたのにやり返さないだなんて

 俺だけがやられっぱなしだなんて

 辛いじゃないか

 苦しいじゃないか


 右の頬を殴られたなら 左の頬を差し出しなさい

 そんな風に生きれたら どれだけ幸せなことだろう

 だけど俺は神じゃない

 聖人君子でも善人でもない 

 

 痛みも血も涙も流す 

 綺麗じゃない汚い人間だ


 振り上げた拳が震え始める


 目の前が真っ赤になりそうな中


 俺をしつける父が過ぎる


 やられたらやり返す 倍返しだ

 痛かったんだ 痛みをわかれ

 怖かったんだ 恐怖をわかれ

 俺が受けた分の苦しみを 

 初めにしたものはそれ以上に受けろ


 そう思ったその時に


 カタリと小さく音がした


 振り向けば幼い息子の無垢な眼差し


 無垢の中に映る俺は?


 振り上げた拳が大きく震える


 部屋には異臭と静寂が立ち込める

 

 荒い呼吸は誰のもの?


 憎しみの連鎖は終わらない

 因果を断ち切る為ならば

 解きには痛みも必要だ

 時が解決するものか

 自分の意志でするしかない


 かつては恐ろしかった父が

 小さく小さく嗚咽を漏らす


 煮え滾る様な憎悪と

 震える様な憤怒が拳に宿る


 ああくそ


 ああくそっと男は盛大に顔を顰めた


 泣きそうな顔で顔を顰めた


 息子は今にも泣きそうな顔で父を見た


 男の父は小さな声で謝罪した


 目には目を 歯には歯を

 右の頬を殴られたら 左の頬を差し出しなさい

 やられたらやり返す 倍返しだ


 男の前には選択肢がある


 どの選択も痛みが伴う


 どれも痛い選択肢


 殴られる方は痛いのだ


 殴る方も痛いだって?


 そんなの知るかよ

 

 くそう くそうっ




 男は一つを選び取る


 痛い痛い選択肢



 

 その選択肢を掴む為に




 男はその手を父へ―――――おろした

 
















 

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男はその手を―――おろした トネリコ @toneriko33

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