No.17 青い花、青い瞳 〜暁の想い〜

深い深い森の奥に、

少女が大好きな兄さまと暮らしておりました。

森や野原を歩き、

花を摘んで薬を作るのが少女の仕事です。


心の声に耳を傾け、求める答えを手繰り寄せる薬。

素直な想いを、解き放つための薬。


きれいな泉の水に放たれたあまたの花びらは、

赤に白に黄色にオレンジ。

そして、いつもそばにあったのは紫色の花でした。


ある日少女は静かな午後の森で、

見たこともないような美しい花とであいます。

膝をついてそっと屈み、

それを丁寧に手折たおりました。


空のように青い、夢のように薄い花びらを持つ花。

手の中でその花が吐息のごとく震えたとき、

少女の心の奥に、輝く青がともされました。


持ち帰った部屋で、

愛おしそうに花を見つめたあと、

少女は細い指先でそっとそれを揉んで、

水に浸しました。


花はもう一度、ゆっくりと水の中で開き、

やがて淡く青い膜が、幾重にも揺らめいたのです。


その美しくはかなげな青を見て、少女は思いました。


ああ、もっと、もっと、この青を。

ああ、もっと、もっと、近くに。

この胸に、この奥に。


その日から少女は青い花を探して森を彷徨さまよい、

いく瓶もいく瓶も、青い薬を作り始めました。


やがて、花びらと同じように輝く青が生まれた朝、

少女はようやく安堵の吐息を洩らし、

それを二つの小さなグラスに注ぎ分けたのです。


少女が、揺れるその水面を見つめていると

静かにドアが開いて

少女の兄さまが入ってきました。

兄さまは辺りを見回すとそっと問いかけます。


おやおや、どこもかしこも青ばかりだね。


少女は黙って兄さまを見つめました。


どうしたのかな、

青がこんなに好きだったとは知らなかったよ。


それでも少女は黙って兄さまを見つめたままです。


どうしたの? 青でなくてはいけないの?


兄さまはそう言うと、

手を伸ばしてそばの籠の赤い花を手折たおりました。

長くて器用そうな指先で、

赤い花をゆっくりと押しつぶした兄さまは

少女の目の前の小さなグラスの一つに、

その花を落とし込んだのです。


あっと声をあげた少女が見つめる中、

赤い花はもう一度、ゆっくりと開いていきました。


揺らめく赤が青を緩やかに包み込み、

それはやがて少し怒ったような、

それでいてどこまでも静けさを保とうとする、

夜の帳が降りる一歩手前の深い紫になりました。


ごらん、紫はきれいな色だよ。ぼくらの色だ。


兄さまがうっすらと微笑んで少女に言いました。

困ったような顔して、

少女はようやく口を開きます。


そうね、きれいな色、兄さまの瞳のような。


兄さまの瞳は、始まる夜を想わせる深い深い紫で

少女の瞳は、淡く煙る暁の空のような紫でした。


次は私のために、紫の薬を作ってくれないかい?


兄さまが少女を見つめ、その微笑みを深めました。


いいえ。


小さな声でしたが、

でも少女は毅然として答えました。


いいえ、青を作らなくては。

青でなくてはいけないの。


わずかな沈黙が流れたあと、

静かな声が問いました。


では聞こう、その青は誰のものなんだい?


その言葉に少女は少し寂しそうな微笑みを浮かべ、

引き寄せたもう一つのグラスを見つめてつぶやきました。


わからないの。

わからないの、今は。

でも私は、それを探しに行かなければいけないの。

青い瞳を、見つけに行かなければいけないの。


顔を上げた少女は、

目の前の宵闇よいやみ迫る紫を見つめました。


大好きな大好きな兄さま。

兄さまはいつも私を守ってくれるけど、

私も誰かを守ってあげたいの。

私は……私は青い瞳を持つ人を、守ってあげたいの。


兄さまは、

柔らかに香る夜明けの紫を覗き込みました。


私には、その青がお前を守りたがっているように思えるのだが?


けれど少女は、きっぱりと首を振ったのです。


いいえ、私が。守ってあげるの、私が。


そんな少女を愛おしそうに見つめた兄さまが、

今日一番優しい声を響かせました。


そう思うならばそうすればいい。

それが、お前が生きていくということなのだから。


少女は、はっと顔を上げ、

朝露を含んだ空のような瞳を揺らしながら

兄さまの言葉に何度も頷きました。


でも約束しておくれ、

おまえはいつまでも、私の紫なのだよ。


少女は深い紫に染まったグラスを引き寄せると、

それを一気に飲み干しました。

紫が紫であり続けるからこそ、

青を求められるのだと少女は知ったのです。

青に囚われても青に染まらず、

けれどどこまでも青を愛するために。


輝く青を満たしたグラスは、

ガラス戸棚にそっとしまわれました。

それは、青を想う心が生まれたことを教えるもの。

そして今、遠く青もまた、

伸ばされた指先を感じて振り返ったのだと、

部屋を満たす無数の青がさざめきました。


明けていく東の空に、森の奥からひっそりと、

目覚めたばかりの青い花が

そのまなざしを向ければ、

はじらう紫を抱きしめて、

やがて空は青く輝きはじめました。


暁の瞳の中に、空色の夢がひろがっていく朝。

少女はこうしてまだ見ぬ世界に向け、

そっとその一歩を踏み出したのです。

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