第47話 牛女
「あ、気を付けて。そろそろだから」
助手席の玲が呟いた時、道路の真ん中に大きな岩が見えてきた。山道はその岩がある部分だけ、獲物を飲み込んだ蛇のように膨らんでいる。
「何だこれ」
「これ、何か曰く付きの岩なんだって。工事の時にどかそうとしたんだけど、そうすると人が死んだりしたんだって」
玲は歌うように言った。形の整った唇の端に、薄情そうな笑みが載っている。
「ねぇ晃、この辺りに頭が牛で体が人の化け物が出るって知ってる?」
「変なこと言うなよ。気持ち悪い」
彼女には言わないけれど、背中がゾワッとした。僕は怪談はあまり得意ではない。まして今は、怖い話などしていい時ではない。でも、玲はそんなことにはお構いなしのようだ。
僕の顔を見た玲は、「ふふふ」と鈴を転がすような声で笑った。
「噂があるの。この道で化け物に追いかけられて、事故った人がいるんだって」
「笑えないよ」
「ふふふ。ねぇ、絶対事故らないでね。あたしと、あと律子のために」
その名前に、僕は苦いものを噛み潰したような感覚を覚える。
律子は僕の元カノだ。よくもまぁ、彼女の名前を出せたものだ、と思った。玲は美人だが、神経を疑うようなところがある。知り合った頃はそこが物凄く魅力的に見えたが、今はそら恐ろしい。
だけど、そんなことを言っている場合ではない。
小雨が降ってきた。僕は前を向き、運転することに集中した。この山に入ってから、一台の車ともすれ違っていない。もしも事故を起こして僕と玲が死んでしまったら、発見されるまでにどれくらい時間がかかるだろう。
僕は慎重にスピードを落とし、大岩の真横を通過した。
「あっ」
通り過ぎた大岩の横に、女性が立っていた。ミニのワンピースにハイヒール。暖かい季節とはいえ、山中にいるべき格好ではない。
「晃、どうしたの?」
「岩のところに女の子がいた。事故かな」
「事故車なんて見てないけど?」
玲がにやりと笑った。
「まさか、頭が牛の女じゃないでしょうね?」
そう言いながら振り返る。次の瞬間、彼女は大声を上げた。
「晃! 車飛ばして!」
言われなくてもわかっていた。バックミラーにさっきの女が映っている。
髪を振り乱し、獣のように四つん這いで追いかけてくる。
女は牛の顔などしていなかった。それは律子の顔だった。
僕はアクセルを踏み込んだ。車は猛スピードで山道を駆けていく。ハンドルを握る手に汗が滲む。
「あはっ! 律子! 律子だ!」
後ろを向いたまま、玲が騒ぎ出した。なぜか楽しそうに手を叩いている。きっと顔には、満面の笑みが浮かんでいるに違いない。
彼女は僕の頬を軽く抓った。
「晃っ! 事故んないでよ! 警察が来るからさぁ!」
今、僕たちが乗っている車の後ろのトランクには、律子の死体が入っている。
玲の高笑いを乗せて、僕たちの車はカーブへと差し掛かった。
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