第43話 蕾

 初めて桜井さんに会ったのは、僕が高校に入学した日だった。僕たちは同じクラスだったのだ。


 初めて彼女を見たとき、どきっとした。


 全身が緑色だったのだ。髪の毛も肌も、しゃべる時に見える口の中も緑。初夏の並木道のような、鮮やかな色合いだった。


 おかしなことに、彼女が緑色に見えているのは僕だけらしい。友達に「桜井さんって、緑っぽくない?」と、至って控えめに聞いてみたのだが、返事はこうだった。


「何? お前、桜井派?」


 緑っぽくないかと聞いたのに、どうしてそういう答えになったのか、僕にはよくわからない。それどころか「桜井が可愛いって言う奴、結構いるよな」と話し始めたところを見ると、緑色どころか可愛く見えるらしい。僕の目がおかしいのかとも思ったが、彼女以外の人間は普通の色に見える。


 桜井さんをチラチラ見るようになってしまったので、いつの間にか「水野は桜井に気がある」という噂が立ってしまった。しかも彼女は「まんざらでもない」という反応らしい。


 違うんだ、そういう意味で気になっているんじゃないんだ、と言っても、きっと誰も信じないだろうから誰にも言えず、ただ時間だけが過ぎていった。春が終わり、気温が高くなっていくほど、彼女はますます緑になっていくように見えた。


 7月頭の学園祭に向けて、クラス展示の作業を進めていた時のことだった。気が付くと夕方の教室に、桜井さんとふたりきりになっていた。今思えば、誰かが妙な気を利かせたのだと思う。


 かなり強くなってきた西日を浴びて、その日の彼女はひときわ鮮やかな緑色に見えた。内心気になって仕方なかったので、僕は思い切って言ってみた。


「あのさ、気を悪くしないで聞いてほしいんだけど……僕、桜井さんのことが緑色に見えるんだけど」


 怒られるかな、と思った。「緑色に見える」なんて、どう考えても褒め言葉とは受け止められない。ところが、桜井さんは笑った。それはもう嬉しそうに、にんまりと笑った。


「ほんと?」


 そして、僕に一歩近づいてきた。


「どれくらい緑に見える?」


 僕は教室に置いてあった、観葉植物の鉢植えを指さした。「あれよりもっと」


「うっふふふふ」


 彼女は身をくねらせてさらに笑った。「そっか、そうなんだー」


 一人で何か納得しているらしい。僕はそれを黙って見ていることしかできなかった。それ以外のことが思いつかなかったのだ。


「ねぇ、水野くん」


 ひとしきりくねくねすると、桜井さんは僕にぐっと体を寄せてきて、耳打ちをした。


「もうちょっと待ってね。そしたら、見せてあげるから」


 そして、「うふふふふふ」とくすぐったそうな声をあげながら、教室の外に走り出していった。




 1週間が過ぎた。


 ある朝僕が登校すると、席についていた桜井さんが「水野くん、おはよう」と言って立ち上がった。


 彼女の頭に大輪の花が咲いていた。バラとダリアを混ぜたような形の、真っ赤な花だった。


 彼女の顔は花の陰になっていたため少し暗く見えたが、あの時と同じくらい嬉しそうに笑っていた。


「桜井さん、つぼみは?」


 前日までまったく開花の気配がなかったので聞いてみると、「やだぁ」と言いながら、ふざけるように肩を押してきた。




 まったくわけがわからないのだけど、それ以来僕は、桜井さんが可愛くて仕方がなくなってしまったのだった。

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