第24話 展望台

 その日は金曜日だった。


 夜の11時を過ぎた頃、そろそろ風呂に入ろうかという時に、友人の前野から電話があった。


 前野のことだから、どうせ大した内容じゃあるまい、と思いつつも電話に出ると、ドライブに付き合えと言う。修理に出した愛車の代わりに借りた代車がなかなかいい具合で、ちょっと遠くへ乗り回したいのだそうだ。


『今、お前のアパートの駐車場に停めてるから』


 そう言って高笑いすると、前野は電話を切った。




 代車はごくごく普通のコンパクトカーだった。よく街中で見かける車種だが、どうやら一世代前の型らしい。


「お前が褒めるから、どんないい車かと思ったよ」


「いやいや、こいつがなかなか悪かないんだよ! 運転しやすいし、中も結構広いし。売れてるだけはあるよな~」


 本気かどうかわからないような口調で前野が言う。要するにこいつも暇なのだ。


 ともかく、アパートの駐車場にいつまでも停めさせておくわけにはいかなかった。本来この駐車場は入居者専用のもので、今はたまたま空きが出ているだけなのだ。


「あ、そういう駐車場なの? ここって」


「そうだよ。だからさっさと出るぞ」


 俺は諦めて助手席に乗り込んだ。カーナビが車内をほんのり照らし出している。


「どこ行くんだ?」と尋ねると、「決めてない!」と元気な答えが返ってきた。


「そんなことだと思ったよ」


「空いてる道がいいからさ~。とりあえず山の方行こうぜ! 山!」


 前野はカーナビをちょんちょんと触ると、「よし!」と言ってギアをドライブに入れた。




 何度か前野の運転する車に乗ったことがあるが、彼はカーナビを地図代わりにしか使わない。こいつがカーナビにナビゲートしてもらっているところを、俺は未だに見たことがない。


 この時もそうだったのだが、車は迷うことなく街を抜け、灯りの少ない道へと進んでいった。


「つーかよ、お前、俺が留守だったらどうしてたんだよ」


「なごちゃんの部屋に灯りが点いてんの、確認してから電話したから大丈夫」


「誰かと一緒かもしれないじゃん」


「なごちゃんに限ってそれはないな!」


 自信満々に言われてしまった。こいつは人を何だと思っていやがるのだろうか。


 前野の言う通り、代車の走りはなかなか快適だった。山へ差し掛かり、上り坂やカーブが増えてきたが、苦もなくスイスイと上っていく。


「どこまで行くんだ?」


「うーん、適当にUターンできるとこがあればなぁ」


 暗く、対向車も滅多に通らない山道が続く。点々と街灯や反射板があるだけの闇の中では、景色を鑑賞することもできない。


 俺も前野も、その変化のなさに少し飽きはじめていた。


「なんもないな」


「うん」


「前野、CD変えていいか?」


「やだー」


「変えるわ」


「やだーん」


 正直、BGMはどうでもよかった。何か喋っていないと眠ってしまうような気がした。


 行く手に、白く光るものが見えた。


「何だあれ」


 後続車はいない。前野が減速した。


 自動販売機だった。


 場違いに明るい照明に照らされて、最近発売されたペットボトル飲料が鎮座している。電源も来ているし、放置されているものではなさそうだ。


「この自販機、生きてるよなぁ」


 前野が車を路肩に寄せ、停車させた。


「俺なんか買ってくる」


「あ、俺も」


 2人して車を降りると、自動販売機のすぐ横に道があるのに気付いた。舗装道路ではないが、ヘッドライトの中に車の轍が見えた。


 道の脇に、木の看板が立っていた。携帯の画面で照らすと、「……展…台」という文字が見えた。


「何だこりゃ。展望台かな?」


「この先にあるってこと?」


 路肩に適当に停めた車を置いて、前野が轍の上を歩いていく。


「おいおいおい、どこ行くんだよ? 車は?」


「ちょっとだけだから! あ、ほら。もうそこがそうじゃん」


 そう言って、前野が前方を指さした。木々に囲まれた中に、公園で見かけるような東屋がぽつんとあった。丸いテーブルとイスもついている。


 東屋の周りは腰の高さくらいの手すりに囲まれていて、眼下に街の灯りを見ることができた。


「おおー、結構いい眺めじゃん」


 手すりに手をかけて、前野が楽しそうな声を上げた。


「いい眺めだけどさぁ。よくこんなとこに作ったな……誰か使うのか? こんな山奥の」

「もしかしたら、穴場かもよ? 人目を忍ぶカップルとかがさぁー」


 自販機で買ったお茶を飲みながら、前野は嬉しそうにニヤニヤしている。


「そうかねぇ」


 とぼやいた時、後ろで枝を踏むような、パキン、という音がした。


 振り返ると、人影らしきものが見えた。さっき車を停めた道路の方から、こちらへ向かって歩いてくる。


「おい!」


 前野に腕を引っ張られた。


「隠れようぜ!」


「何でだよ」


「カッポーがなんか、やらしいことをするかもしれん!」


「バカかお前」


 と言いつつも、引きずられて東屋にほど近い藪の中に入ってしまう。正直、俺もちょっとワクワクしていた。




 近づいてきたのは、やはり人間だった。


 前野が期待していた通り、一組の男女だった。


 だが、様子がおかしかった。俺たちはようやく目が慣れてきた暗闇の中で、精一杯目を凝らしてそちらを観察した。


 女を背負った男が、東屋の方へ近づいてきていた。


 女は白っぽい服を着ていて、動いたり、しゃべったりする様子はない。長い髪を、だらりと男の肩に垂らしている。男は黒っぽい服を着ているのか、服装や体格が影のように判然としなかった。


 すぐ隣で、前野が静かに唾を飲む音が聞こえた。男女の様子は、尋常なものには見えなかった。


 男は東屋の手前までやってきた。と、突然背中から払い落とすようにして、女を強引に地面に下ろした。さらにその身体を掴むと、いきなり東屋の方へ放り投げた。


 とっさのことに、身動きもできなかった。その間に男は、足早にその場を歩き去っていった。


 女の声は、まるで聞こえない。


「なぁ、なごちゃんさぁ……」


 隣で、前野のかすれた声がした。


「やばいよなぁ」


「様子、見に行くべ」


 仮に女性が生きているのだとしたら、山奥に放っておくわけにはいかない。もし死んでいたとしても、やっぱり放っておくのはまずかろう。


 ほとんど一斉に立ち上がると、俺たちは東屋に向かった。暗がりの中、確かに誰かがうずくまっているのが見える。


「あのう……」


 そっと声をかけた。返事はない。こそりとも動かない。


 すぐ後ろにいる、前野の息遣いだけが聞こえていた。


「あの、どうかされましたか?」


 少し大きな声を出した。白い服に包まれた肩が、少しだけ震えたような気がした。


「おい、どうするよ」


 後ろを振り返ると、前野も困ったような顔をしている。こいつもこんな事態は生まれて初めてだろう。


「まぁ、生きてたら車に乗せて、病院か警察にでも連れてくでしょ」


「……だよなぁ」


 俺は東屋に一歩、足を踏み入れた。


 ふと、生臭い空気が流れたような気がした。


 狭い東屋の中、うずくまっている女性までの距離は、ほんの1、2歩というところだった。


「あのー!」


 さっきよりももっと大きな声を上げた。その時、女性が顔を上げた。




 真っ白な顔が、やけによく見えた。


 鼻の低いのっぺりした顔。極端に丸く小さな眼が、瞬きもせずにこちらを見つめていた。


 全身に怖気が走った。


 女は大きく口を開いた。やけに赤い唇に縁どられて、魚のような小さく尖った歯が、口の中にびっしりと生えていた。


 その口から、金属板を釘でひっかくような声が、突然ほとばしった。


 東屋の周囲から、藪を揺らす音があちこちでし始めた。


 全身の力が抜けそうになる。


「なっ、なっ、なごちゃん!」


 腕を強く引っ張られた。前野だった。


 俺たちはそのまま10メートルほどを駆け抜け、飛び込むように車に乗り込んだ。


 前野はドアを閉めるが早いかエンジンをかけると、自販機に車をぶつけんばかりに後退し、対向車線に鼻先を突っ込んで強引にUターンをした。


 そしてそのまま、来た道をすっ飛ばした。


 夜の山の中から、何かが追いかけてくるような気がして仕方なかった。気が付くと2人とも、全身に冷や汗をかいていた。




 数十分後、俺たちは無事に街中に戻ってくることができた。


 営業中のファミレスを見つけて駆け込み、夜が明けるまでそこで過ごすことにした。人気のあるところにいたかったのだ。


「俺、なごちゃんが全然動かなくなって、どうしようかと思った……」


 ドリンクバーのホットココアを飲みながら、前野が言った。


「あの女が鳴いたら、周りの藪から音がしてさ……見たら、あんな風な髪の長い、白い服着た女が」


 何人も立っててさ。


 そう言い捨てると、前野はココアの残りをガブ飲みした。


 こいつが引っ張ってくれなかったら、どうなっていただろう。そう考えると、改めてぞっとすると共に、窮地から救ってくれた前野が何だかかっこよく見えた。


 だが同時に、「そもそも前野が俺をあそこに連れて行ったんじゃないか」ということも思い出した。なので、ポテトとドリンクバーは奴におごらせた。




 その後、あの山の展望台で何かがあったという話は聞かない。


 何にせよ俺も前野も、もう二度とあそこに立ち入ることはないだろう。

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