第23話 さがしています

 祖母が亡くなった。


 先月85歳になり、まだまだ元気な様子だったのに、家の裏手の崖で足を滑らせ、全身を打って死んだ。


 祖父亡き後、祖母はひとりで、山間の村にある古くて大きな家を守って暮らしていた。メールもSNSもやらないので、季節ごとに葉書を送ってあげると喜んだ。


 今、祖母の部屋の手文庫の中から、きちんと送った順に束ねられたそれらの葉書を見つけて、私はぽろぽろ泣いた。


「泉ちゃん、おばあちゃん子だったもんねぇ」


 伯母がしみじみと呟いた。葉書の山の一番上には、祖母の誕生日に送ったカードが重ねられている。その下には、今年の4月に「今年から社会人になりました」と書いて送った葉書があるだろう。


「どうしておばあちゃん、あんな崖のとこにいたのかな」


「さぁ。何だってあんな、何にもないとこにねぇ。ばあちゃん、肝心なとこでドジなんだから」


 伯母の口調は軽かったが、悲しそうな顔をしていた。しかしすぐに立ち上がると、


「さぁ、お片付けしなくっちゃ。住所録があるはずなんだけど、どこかしらねぇ」


 そう言いながら箪笥の引き出しを開け始めた。私もその様子に気を取り直して、手文庫の中からひとまず葉書の山を取り出した。


 その下に、ふたつ折りにしたくしゃくしゃの紙が敷かれていた。1枚ではなく、何枚もある。そのすべてに濡れて乾いた跡があったり、どこかが破れていたりしている。


 1枚取り出して、そっと開いてみた。それはA4版ほどの大きさの紙で、まず小さな写真を引き伸ばしたような、不鮮明な画像が印刷されているのが目に入った。


 それは小学校高学年くらいの女の子に見えた。髪の毛をふたつに分けて縛り、オレンジ色の服を着ている。後ろには川が流れているようだ。


 その女の子に見覚えがあった。10年ほど前の私によく似ている。


 写真の下には、手書きの文字で黒々と「さがしています」とあった。他には何も書かれていない。尋ね人の名前や見つけた際の連絡先なども、何もなかった。


「ねぇ伯母さん」


「なーに?」


「これ、何の紙?」


 伯母に見せてみると、老眼鏡を上げたり下げたりしながら、いぶかしげな顔をした。


「何だろ……これ、もしかして泉ちゃんじゃない? 小さい頃の」


 やはり彼女にもそう見えるのか。さらに首を捻りながら続ける。


「それに、後ろは戸波川じゃないかしら。ここにほら、ちょっと橋が見えるでしょう。山の形も見覚えあるし」


 幼少期をこの辺りで過ごしただけあって、伯母は写真が撮られた場所の見当までつけてくれた。戸波川はこの家から近く、小さな頃は何度も遊びに行ったものだ。この写真も、その時撮ったものだろう。


「でもこれ、『さがしています』って……」


「何かしらねぇ」


 伯母も心当たりがないらしい。


「泉ちゃんって、行方不明になったことあったっけ?」


「ないと思うけどなぁ……」


 私も首をひねるより他にない。


 何枚もあった紙は、すべて同じ内容のものだった。川を背に立つ私の写真と「さがしています」の文字。決して上手い字ではない。むしろたどたどしい。


 その子供のような筆跡が、妙に私を不安にさせた。


 いったい誰が私を探していたのだろう?


 紙は下に行くほど変色し、古いものであることが伺われた。四隅に穴が開いており、どこかに貼られていたのではないかと思わせる。


 誰かがずっと私を探していた……嫌な気分だった。


「泉ちゃん、大丈夫? 気持ち悪い紙だわねぇ」


 伯母が心配そうに声をかけてきた。


「うん……」


「顔色悪くなってるわよ。ちょっと休んだら?」


 確かにそうかもしれない。この紙が溜められていた部屋にいることが、途端に気味悪く感じられた。


 私は伯母に断ると、一旦部屋を出た。縁側から庭へ出て、あてもなくぶらぶらしていると、いつの間にか家の裏手に立っていた。


 目の前に、湿った茶色の斜面が立ちふさがる。この上から落ちて祖母は死んだのだ。家の近くの脇道から裏山に入って、この崖の上に来たのは……わざわざそうしたのは、いったいなぜだったのか。


 もしかすると、何かを探していたのだろうか。何を?


 ふとひらめいて、私は脇道へ走った。片付けのためにわざと古いスニーカーを履いてきてよかった、と思った。息を切らして獣道を歩き、やがて祖母の家を見下ろす位置にたどり着いた。


 一本の杉の木に、何か白いものが貼ってあった。


 近づいて手にとると、やはりあの紙だった。四隅を錆びた画鋲で留められたそれには、やはり写真の下に「さがしています」と書かれていた。


 よく見ると杉の木の幹には、小さな穴がたくさん開いていた。画鋲を刺した跡のように見えた。


 祖母は何度も何度もここへ来て、そのたびにこの紙を剥がしていたのではないだろうか。


 そうしている時に、ふと足を滑らせたのではないだろうか。


 あんなに手紙をやりとりしていたのに、どうしてこの紙のことを、私には一言も言わなかったのだろう。


 誰が私のことを探しているのだろう。


 いくつもの考えが頭の中に閃いた。


 私は貼紙を引き剥がした。画鋲が湿った地面に転がった。


「何なの……」


 そう呟いて、杉の木を見上げた。それから視線を手元に戻す。


 全身が総毛だった。


 それまで何も書かれていなかったはずの写真の上に、黒々と、拙い平仮名が踊っていた。


「みつかりました」




 私の後ろで草を踏みしめる音がした。

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