第4話 死んでない
物心ついた時から、俺は度々「もう一人の自分」を見ていた。
リビングから見える廊下、幼稚園の園庭、家の前の道路、空き教室の窓際。とにかくあちこちで見た。
夜眠っている時に、隣で寝息を立てている母親の向こうに体育座りをして、こちらを見ている自分を見つけるのは、あまり気分のいいものではなかった。
が、怖いと思ったことは一度もなかった。「よくあること」だったからだ。
小学校三年生の時、初めて「ドッペルゲンガー」というものを知った。学校で友達に、もう一人の自分を見ると近く死んでしまうと言われたその日、俺は泣きながら一人で家に帰った。死ぬのが恐ろしかったからだ。
ところが家に帰って少し落ち着いてくると、「もう一人の自分」は、もっと小さい頃から何度も、それこそ散々見ているということに気付いた。
あれがドッペルゲンガーだとしたら、俺はもうとっくに死んでいるはずだ。そう考えると怖くなくなった。
たぶんあれは、ドッペルゲンガーではない、何か別のものなのだ。何なのかはわからないが。
「もう一人の自分」は、俺以外には見えないようだった。家族にも友達にも、それらしいことを言われたことはなかった。
俺の前だけに現れるあいつは、いったい何なんだろうか。何をしたいんだろうか。
そんなことを考えながら、俺は「もう一人の自分」と一緒に成長していった。
例によって死ぬこともなく、俺は二十歳の誕生日を迎えた。
その頃は実家を出て、地方のある大学に通っていた。一人暮らしのアパートにも、「もう一人の自分」は出現した。
まぁいいか、と思っていた。何をしたいのかはわからないが、今のところは無害なのだから。
この頃大学の友達に、男のくせにやたらと「霊感がある」と主張してくる奴がいた。敬遠している生徒もいたが、俺は嫌いではなかった。基本的には気さくで、テンションの高い妙な男だった。
そいつとある日、本校舎のエレベーターホールで立ち話をしていた。俺は掲示板のある壁を背にして、そいつが語る「教授棟の2階と3階の間にいる透明な女」の話に適当に相槌を打っていた。
「その女がさぁ! こう、こういう髪型なの。オバケなのにお洒落してんのよ」
「へー。黒髪だらーん、とかじゃないんだ」
「そうそう。でも俺こういうキノコみたいな髪型ってさ、あんま好きじゃねーのよ」
俺は「知らねーよ」と笑った。ちょうどその時だった。正面に立っていたそいつの顔が滑稽なほど歪んだのだ。
そいつは顔をだんだん左に向け、しまいには後ろを向いて止まった。後ろには左右に教室のある廊下が続いている。
「おい、どうした?」
そう声をかけるとそいつは正面に向き直った。その顔は血の気が引いて真っ白だった。彼は何度か口をぱくぱくさせてから、
「なぁ……お、お前大丈夫か?」
かすれた声でそう言った。
「は? こっちのセリフだよ。何があったんだよ」
「い、今さ、お前が立ってるすぐ横にさ、急にもう一人のお前が現れたんだよ。そんでお前の方をすんごい横目で見ながらさ、あっちの廊下の方に歩いていったんだ……」
そう言うなり、霊感男は裏返った声で「じゃ、じゃあな!」と叫んで、逃げるように立ち去った。
俺は廊下の向こうを覗き込んだ。ちらほらと人の姿があるが、その中に「俺」の姿はなかった。
「もう一人の自分」が俺に見えず、他人の目に見えたのは、これが初めてのことだった。
そしてこの日以降、俺は「もう一人の自分」を見たことがない。
代わりに家族や友達が、「あれ? 今あっちにいたよね?」と俺に尋ねてくるようになった。俺がいなかったはずの場所で、どう見ても俺としか思えない姿を見たという。
こうして「もう一人の自分」が俺に見えず、他人の目に見えるようになってから、もう何年も経つ。
たまに「ドッペルゲンガーじゃないか」と言われる。心配してくれる人もいるが、相変わらず俺は死んでいない。
そして「もう一人の自分」が一体何者なのかも、相変わらずよくわからない。
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