第3話 ベランダの子

 僕たちの新しい家に何かがいるらしい、ということに、最初に気付いたのは従姉だった。


「ねぇ、どこの子が来てるの?」


 引っ越し祝いを持って家に入ってくるなり、彼女はそう言った。


「どこの子って? 何のこと?」


 お茶を運びながら、母さんが聞き返した。


「そこの通りまで来たら、ベランダに男の子がいるのが見えたんだけど。あんな小さい子、うちの親戚にいたかなーと思って」


「なぁにそれ。誰も来てないわよ。お隣さんと見間違えたんじゃない?」


 うちの近所は、似たような建売住宅がいくつも並んでいる。内見に来たときに、父さんが「酔っぱらって帰ってきたら、よその家に入っちゃいそうだな」と冗談を言ったのを覚えている。


 従姉も、半ば納得がいかないような顔をしながら、その時は「そうかもね」と言って、この話は終りになった。


 ところがその後、家に来た人が次々に、従姉と同じようなことを言いだした。


「お前ん家、弟いたっけ?」


「俊くんにしちゃ、小さいと思ったのよね」


 目撃証言が多くなってきたので、さすがに「単なる見間違え」とも言えなくなってきた。


 その男の子は小学生低学年くらいで、黄色い帽子をかぶり、ランドセルを背負っているらしい。そして2階のベランダに、通りの方に背を向けてしゃがんでいるらしい。


 らしい、らしいというのは、僕を含めて、まだ家族の誰もその子を見たことがないからだ。


「ホントにそんな子いるのかしら? 気味が悪い」


「新築なのに、オバケなんて出るのかなぁ」


 僕たち一家はよく、そんな話をするようになった。が、何しろ誰も見ていないので、リアリティがいまひとつない。


 防犯カメラつけようかとか、お祓いしようかなんて口では言ってみても、結局具体的な話にはならないまま、日々が過ぎていった。




 引っ越しから1年ほど経った、春休みのことだった。


 僕が家のリビングでごろごろしていると、電話が鳴った。部活に行っていた姉さんだった。


『あっ、俊、いたの!? ちょっと、2階のベランダ見てっ! 今家の前なんだけど、ランドセル背負った男の子がベランダにいるの!』


「マジで!?」


 電話はコードレスなので、僕は姉さんと話しながら2階へ向かった。


『廊下からベランダに出るとこの、ちょうど真ん前くらい!』


 階段を上がると、右手にベランダに出られるガラス戸が見える。まずは手すりの影から恐る恐る顔を出し、ベランダを伺った。


 ガラス戸の向こうには、手すりと物干し台の他、何も見えなかった。


「誰もいないんだけど」


『嘘! いるよ! 絶対見えるところ! ねぇ、ちょっと出てみてよ!』


「……わかった」


 正直、怖かった。だけどせっかくの機会が、何もわからないままに終わるのも嫌だった。ここから見えないところに隠れているのかもしれない。幽霊やなんかではなく、ちゃんと実体を持った子供かもしれない。もしそうなら、どれだけほっとするか。


 ほんの数メートルだが、勇気がくじけないように走った。ガラス戸に飛びつき、一気に開けた。


 やっぱり、何もいない。ほっと息を吐いた。


 その途端、家の表と受話器の向こうから姉さんの絶叫が聞こえて、耳がキーンとなった。追いかけるようにガチャガチャバタバタと音がして、階段から姉さんが姿を現した。


「俊!? 大丈夫!?」


「大丈夫って?」


「今っ、あんたがベランダに出たら、男の子があんたに抱き付いたの! そんで、電話から子供の声がしたからっ」


 小さな男の子の声で、「くらいよぉぉ」と聞こえたという。




 それ以来、うちのベランダに男の子がいる、と言うお客さんはいなくなった。


 そこからいなくなった、ということが、僕にはなんだかたまらなく怖いのだけど。

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