第13話 お迎え

 うちのばあさんは元気な人で、寝込んだりすることはめったになかった。


 ところが、ある年の秋に風邪をこじらせてからというもの、めっきり体が弱ってしまった。亡くなる半年ほど前にはもう、一日のほとんどをベッドの上で過ごすようになっていた。


 うちのじいさんとばあさんは、近所ではおしどり夫婦で有名なふたりだった。ばあさんが寝たきりのようになってしまってからというもの、じいさんは趣味の図書館めぐりもすっかりやめてしまって、一緒に部屋にこもるようになった。


 その頃のじいさんはまだ元気で力もあり、ばあさんの介護の多くを請け負っていた。大変そうだったが、不思議と幸せそうでもあった。


 ばあさんの調子がいいとき、じいさんは愛用の安楽椅子に、ばあさんはベッドの床の背中部分を起こして、ふたりで一日中テレビを見ては何やら話したり、笑ったりしていた。それは、僕のような寂しがりやでモテない男にとっては、羨ましくて歯軋りをしたくなるような光景だった。


 その頃僕が家にいると、じいさんは時々自室の襖を開けて、こちらに声をかけてきたものだ。


「おい圭佑、ちょっとビデオ借りてきてくれんか。今テレビが面白いのやっとらんから」


 ビデオというのはDVDのことだが、何度言ってもじいさんばあさんはあの円盤のことを「ビデオ」と呼ぶので、僕は訂正を諦めていた。


 僕は家にいるときは大抵暇をしているので、そんなときはすぐ、歩いて5分ほどのところにあるレンタルショップに向かったものだ。そして、ハズレのなさそうな名作映画だとか、ばあさんの好きな歌手のライブDVDだとか、単に僕が好きなバラエティ番組のDVDなんかを借りてくる。


 何を持って行っても、ふたりは文句を言わなかった。借りてきた「ビデオ」をすぐさまプレイヤーに入れて、のんびり画面を眺めながら、時々顔を見合わせて二言三言交わしては、くすくす笑ったりするのだ。


「じいさん、楽しいかよ?」


「おう、ビデオ面白かったよ」


「じゃなくて、ばあさんと一日中テレビ見てるのがだよ」


「そりゃお前、いいもんだよ」


 僕が「リア充め」とぼやくと、じいさんは大いに笑った。




 ばあさんが亡くなる1週間ほど前には、どうもばあさんが昔飼っていた猫がお迎えにきていたようだという。


「おばあちゃんがね、モモコがいるっていうのよ」


 母が不思議そうな顔をして、僕にそう言った。モモコというのが、その猫の名前だそうだ。わりと大きめの、毛足の長い三毛猫だという。


「おばあちゃんって、年のわりにはしっかりしてるし、元々頭のいい人でしょう。だけど最近、『今モモコがいるのよ。モコモコのモモコちゃーん』なんて言い出すから、いよいよボケてきたか……なんて思ってたの。でもね、私がおばあちゃんのとこに洗濯物持っていったりするでしょ? そうするとたまに、足になにかあったかくて柔らかいものが触るのよ。それがちょうど猫みたいな感じなの。もちろん、足元を見ても何にもいないのよ。いやぁねぇ。おばあちゃんの猫、ほんとにいるのかしら、なんて思ってみたりして」


「気のせいじゃない? ばあさんが猫がいる猫がいるって言うから、母さんもそんな気になるんでしょ」


 僕はそう言ったが、母は「そうかもねぇ」などとうなずきながら、どうにも腑に落ちないといった表情をしていた。


 ある朝じいさんが起きると、ばあさんはベッドの上で事切れていた。仰向けになって胸の上に両手を載せ、まるで楽しい夢を見ているような顔をしていた。


 じいさんは男泣きに泣いた。両親も姉も僕も泣いたが、じいさんの比ではなかった。


 葬式の日は雨が降っていたが、出棺の時になってパタリと止んだ。ばあさんは、後光が差しているような真っ白な曇り空の中を、天に昇っていった。




 ばあさんが亡くなって、じいさんはよほどがっくりきたらしい。


 多少腰が痛い以外は、これといって健康面に問題のない人だったが、ばあさんの葬儀から3ヵ月もしないうちにぽっくり逝ってしまった。


 妻に先立たれてしまったじいさんは、もうテレビも見なくなった。日がな一日、古いアルバムを眺めたり、ぼんやりと窓の外を眺めたりして過ごしていた。もちろん話し声や笑い声などもたてず、じいさんの部屋は時間が止まったみたいに静かだった。


 ところがある日、僕がじいさんの部屋の前を通りかかると、テレビの賑やかな音がするのに気が付いた。


 思わず足を止めたとき、待っていたかのように襖が開いた。


「おい圭佑、ちょっとビデオ借りてきてくれんか。今テレビが面白いのやっとらんから」


 じいさんの笑顔をひさしぶりに見た、と思った。


 僕はレンタルショップに走ると、特にばあさんの好きそうなDVDを何枚か借りてきた。じいさんは嬉しそうにそれらを受け取った。


「じいさん、楽しいかよ?」


 尋ねると、じいさんはにやっと笑って、


「そりゃお前、いいもんだよ」


 と答えた。




 それから1週間ほど経った朝のこと、母が起こしに行くと、じいさんは安楽椅子に座ったまま亡くなっていた。


 じいさんは両手を静かに胸の上に載せ、死に顔はまるで楽しい夢を見ているようだった。

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