第8話 善人の子

 はぁ、ちょっと覚えてないですね。


 親父にお世話になったって、2年くらい前に? 1週間くらいうちに泊めてもらって、飯もご馳走になった。日本語も教えてもらって、とても助かったと。


 僕にも会ったことがあるって? ふーん、そうですか。


 すいませんね。いや、結構いるんですよ。そういう人。親父、うちに他人泊めるの好きだったから。結構外国の人とか多かったしね。


 ん? ああ、親父は事故死ですって。しこたま酔って、ビルの階段ですっころんでコロリですよ。あっけないですよね。


 あの親父が死んで誰が困るわけでなし、別に新聞に訃報を出したりしちゃいませんけどね。どこから聞いてくるのかなぁ。親父に世話になったって人が、何人か来ましたね。


 そういう人には、僕の話を聞いてもらって、帰ってもらってるんですけどね。


 まぁ、何もないですけど、座ってください。こんな缶コーヒーしか出せなくって、すみませんね。せっかくお土産いただいたのに。お持たせですが、よかったら召し上がってください。


 食器も何も、全部箱に詰めちゃいましたからね。お茶も淹れられないんですよ。


 ああそう、明日ここを引き払うんです。もう住んでいられませんからね。




 それじゃさっそく話しますが……その前にあなた、怒ってるでしょう。


 息子の僕が、親父が死んだことを悲しんでないもんだから。


 でも実際、悲しめと言われてもねぇ。僕は全身が軽くなったような気分ですよ。


 あなたにとっちゃ恩人でしょうが、僕にとってはねぇ。


 まぁ、聞いてやってくださいよ。


 そうだなぁ。この部屋に、親父が訪ねてきたとこから話しましょうかね。


 元々仕事が続かなくって、あちこちブラブラしてたような親父だったんですけどね。お袋が亡くなって以来、山に籠るとか言いだして、どっか行っちゃってたんですよ。


 困るよねぇ。その頃、僕なんかまだ学生でしたから。親が両方死んだようなもんですよ。まぁ、いなくてもいいような親父でしたけどね。


 それでも何とか大学出て、就職して、このアパートに引っ越してきた時ですね。親父がここに来たのは。


 最後に会ってから、5年くらい経ってたかなぁ。


 何しに来たんだって言ったら、行くとこがないから泊めてくれって言う。自分の家とかないのかって聞いたら、家を追い出されたっていうんですよ。


 バカみたいな話なんだけど、山奥にあった他人の建物に、勝手に住んでたんですって。山籠もりって、そういうことかよと。


 まぁ、それで5年もバレなかったのはすごいかもしれないけど、バレたらね。そりゃ追い出されますよ。


 それが「追い出されたんだ」なんて被害者ヅラして、おまけに僕の部屋に陣取っちまって、そんでもって待てど暮らせど出て行かない。


 このアパート、一人暮らしにしちゃ広いでしょ? ここね、当時付き合ってた彼女と、一緒に住むつもりで借りたんです。そしたら彼女より先に、親父が転がり込んできちゃった。


 最初は住むところ見つけて、すぐに出ていくからなんて言ってたんですけどね。だんだんこの家の主みたいな顔になってきて。


 おまけにほとんど一文無しですよ。まったく、お袋の保険金は何に使ったんだか。


 そんで、俺に金を無心してあちこちブラブラしちゃあ、「友達だー」とか言って知らない人を連れてくる。老若男女、国籍問わずですよ。


 結構ね、あなたみたいな人、多かったですよ。外国から来たばっかりで、言葉も習慣もよくわからなくて、不安そうな人。そういう若い人を見ると、面倒見たくなっちゃうんですって。


 そんでここに連れてくる。僕に無断で泊めて、僕の金で飯を食わしてる。


 ぎょっとしますよ。家に帰ってきたら、全然知らない人がいて、部屋の奥から歯なんか磨きながら出てくるんだから。お前誰だよ、ってなるでしょう。


 ああ、あなたがそんな、すまなさそうな顔をする必要はないんですよ。親父が勝手にやってたんだから。ここ、親父の家だと思ってたんでしょう? あの様子じゃ、誰だってそう思いますよ。


 そういうのも、あなたみたいな、ちゃんとした人ばかりだったらまだいいんですけどね。ほとんど見境なしに連れてくるもんだから、中にはよくない人もいて、僕の服やら本やらカメラやら、私物がどんどんなくなるんですよ。


 もちろん親父に言いましたよ。他人を連れ込むなって、もう、何度もね。


 そしたら親父がね、お前は恵まれてるんだから、そうでない人に優しくせにゃいかんと言うんです。


 呆れて開いた口がふさがりませんでしたよ。お前、何様なんだと。


 もしもこれがね、親父が自分の金でやってることなら構いませんよ。でも実際は、僕が家賃払ってる家に勝手に他人を入れて、僕が買った私物を勝手にあげちゃってるんだから。そんなのおかしいでしょ? タカリとか泥棒とかと一緒ですよ。


 でもとにかく親父が、これが人として正しいことなんだとか言って、まったく譲らない。話が通じないんですよ。


 そうこうしてるうちに、親父が出て行かないもんだから、同棲の話がどんどん先送りになって。半年くらいかなぁ、とうとう彼女にふられちゃいました。


 お互い、結婚も考えてたんですけどね。まぁ、ああいう親父がいる相手なんて、結婚しようって気も失せるでしょうよ。


 死にたいくらい落ち込んで、とぼとぼ家に帰ってきたら、親父が知らない人間集めて酒飲んで、大騒ぎしてる。


 ホームパーティーだそうですよ。アホかと。一戸建てとかならまだしも、アパートで何やってんだと。


 もちろん苦情は来ますよ。それ1回きりじゃないですからね、ホームパーティー。


 でも、管理会社から来た手紙を見せたくらいで変わる親父じゃない。お前も近所の連中も、器が小さいんだの一点張りですよ。


 おかげでもう、ご近所との関係は最悪です。僕が迷惑住人みたいに見られてね。だから引っ越すんですけど。


 いや、だから、あなたが謝ることじゃないですよ。


 僕はあなたを責めてるわけじゃないですから。


 ただ、僕にとって親父がどういうものだったかっていうことを、知ってほしいんです。




 そんなわけで、親父が転がり込んできてからというもの、僕は散々な日々を送っていたんです。


 もっとも彼女と別れたあたりで、僕も親父と争う気が失せました。こっちから積極的に関わってたら、ストレスで死ぬな、と思って。ははは。


 よそにトランクルームを借りて、僕の私物はそこに置くようにしました。本当はもう一部屋借りられればよかったんですが、そんなお金はないですから。


 ここをこっそり引っ越したら、親父が僕を探して、僕の会社に来るかもしれないでしょ? 就きたかった業種の仕事だし、今の会社、すごく居心地がいいんですよ。だから会社を辞めるのだけは、どうしても避けたくって。


 それで、なるべくここに帰らないようにしました。仕事を増やして、会社の近所の漫画喫茶とかで夜明かしして。


 それでも疲れはとれないし、お金もかかるから、週に一度くらいは帰ってくるわけです。そうすると、十中八九は誰か知らない人がうちにいて、酒盛りかなんかしてて、親父がエラそうな顔して「おう、おかえり」なんてね。


 ふざけんな、ここは俺の家だって、思わず2回くらいはキレたかな。不毛だからやめましたけど。


 そんな生活が、2年……2年半かな。


 警察から電話があって、親父が死んだと聞いた時には、深~い溜息が出たもんです。


 ああ、よかったなぁー、と思って。心からそう思いました。




 こんなとこかな。まぁ、僕にとっては迷惑以外の何物でもない親父だったということで。


 仕事は辞めずに済んだけど、彼女とも別れたし、この2年半であちこち体も壊しましたからね。親父がいなけりゃ、こんなことにならなかったでしょうけども。


 はぁ、まだ謝ってくれるんですか。僕のことを、あの優しい父親が死んでも何とも思わない、人でなしだと思っていたと。


 いいんですよ、ほんとに。いいんです。

 僕ね、何度か殺してやろうと思ってましたから。


 親父をじゃなくて、親父が連れてきたあなたみたいな居候を、親父の前で殺してやろうと、何度も考えました。


 お前が良かれと思ってやってきたことが、お前の息子と、赤の他人の人生を滅茶苦茶にしたんだぞって、親父に言ってやりたくてね。


 そこまでやったら、親父もわかってくれたかなって。


 でも本当によかった。あなたみたいな他人を殺さないでよかった。親父のために人を殺さなくてよかった。


 あんな奴のために人生を棒に振らずに済んで、ほっとしました。


 明日、親父の骨壺を持って、田舎の菩提寺に行く予定なんです。それで全部終わり。全部すっきりします。


 それにしても親父って、他人に善行を施したってんで、天国に行くんですかね? それとも女房や倅を苦しめた罪で、地獄に堕ちるんでしょうか。


 まぁ、もうどうでもいいか。親父のことなんか。


 長々と話しちゃって、どうもすみません。雨ですから、足元に気を付けて帰ってください。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る