第36話・蒲生忠郷という藩主
剣術の上覧試合が行われることが決まってから、授業の予定がいつもとは少し変更になったよ。
いつもより剣術の授業が増えたんだ! 僕らは中食を食べて再び道場へ戻った。
「うーん……稽古はずいぶんしてると思うんだけど、やっぱりまだまだ総次郎には勝てないよなあ」
稽古を終えた僕は竹刀を見つめて呟いた。何度か素振りを繰り返して首をひねる。
「当たり前だろ、くそちび。お前みたいなガキに負けるほど落ちぶれちゃいねえ」
僕は頬を膨らませて総次郎を睨み付けた。そりゃあね? 総次郎は僕より四つも年上なんだかさ? しかしそれにしたって、もうちょっと柔らかな言い方ってものがないんだろうか。
「もっとも? 世の中にはああいう奴もいるから、稽古をするだけまだましだろうぜ」
そう言って総次郎が指したのは道場の端っこだ。
そこには忠郷が一人で座ったまま扇子を広げている。客間へ母上が来たので呼ばれた彼だけど、先に学寮の上役たちと話をするからとすぐに部屋へ戻ってきた。
「忠郷って……本当にずうーっと武道の稽古をしないのかな?」
「お前がくる前からそうだぜ。授業はほとんど見学だ。身体が弱いからそういうことはさせるなって、お母上さまに言われてんだとさ」
「へえ……」
そういう話は何度か忠郷本人からも聞いたことがある。自分は身体が弱いんだって。
めまいがするとか、胸が苦しくなるわ――とかそういうことを。
だけどそういう事を言った途端、
「だから一人部屋にしろ!」
――と、勝丸に詰め寄るのがいつもの彼のパターンだったけど。
「でも、本当に具合が悪そうにしてるところは見たことないけどなあ。総次郎はある?」
「ねえよ。どうせ全部仮病だろ」
「まあ……忠郷はもうお殿さまなんだもんね。僕らとは違うのかもしれないよ」
総次郎は舌打ちをして言った。
「大御所さまのご一族なら何もかもが思うがままだ。まったくいいご身分だぜ。他の御殿にいる息子どもも、ぶっ殺してえぐらいにやりたい放題……どいつもこいつも、ふんぞり返って偉そうに」
すると、剣術の師範殿が忠郷に声を掛けている光景が飛び込んできた。二言、三言何かを話している。
「大体、この学寮は将来の藩主を育てるための場所なんだろ? それなら、もう藩主であるあいつがいる意味って何なんだ? こんなところで暇そうに授業も見学しやがって、一体会津藩主の仕事は誰がしてんだよ?」
それはそうだ。
僕はこの間の交流会の時に忠郷が皐姫に言っていた言葉を思い出して総次郎に言った。
「ねえ……会津の国は……大丈夫なのかなあ? もしもだよ? もしも忠郷が会津藩主の仕事をなーんにもやってなくて、国がとんでもないことになっちゃったら……」
すると、しばらく考えこんだように黙っていた総次郎が、
「これは親父に聞いた話だが」
と、前置きしてから話し出した。
「……蒲生家ってのはあいつのじいさまが急死したもんだから、それ以降家中の統制がてんで上手く行ってねえらしい。あいつの親父の時代もてんで酷かったらしいぜ。あいつは上杉に会津を簒奪されたなんて言ってやがったが、実情は家中がしっちゃっかめっちゃかで宇都宮に左遷されたんだろ。そうして家中がまとまらねえまんま会津にまた引き戻されて、何一つとして改善されねえうちにあいつの親父は死んじまったんだ」
「えええ……そうなの?」
会津は大きな領国だ。
北の要であるから、滅多な大名には任せられない――そういう理由で、うちは太閤殿下に会津の領主を任されたと聞いたもの。
会津がおかしくなったら、その余波が米沢や仙台にまで及ぶような……ことにだけはならないでもらいたい。
僕ら二人はけだるそうに立ち上がる忠郷を、ただただ不安な気持ちで見つめていた。
「それにしたって……俺達の試合相手は柳生師範の弟子がいる寮なんだぜ? あの様子だと勝丸は忠郷を試合に出させるつもりかもしれねえが、竹刀を握ったこともねえんじゃ戦力になりゃしねえ」
「だけど、忠郷が出なかったら僕の寮、一人不戦勝になっちゃうよ?」
僕らがため息をつきながら忠郷を見つめていたら、彼に駆け寄る人が現れた。
僕らのお部屋番の鈴彦!
現れた鈴彦から何やら小声で話を聞いた忠郷は、取り乱したようになにやら叫んで道場を出て行ってしまった。
「な、なんだろう? どうしたんだろうね」
僕と総次郎は顔を見合わせた。
「ねえ、鈴彦! 何かあったの?」
僕らが近寄ると、鈴彦は青い顔をしたまま言った。
「それが……た、忠郷さまのお母上さまが勝丸殿とひどくもめているんです」
「はあ?」
「なんでも……忠郷さまを、江戸のお屋敷へ連れて帰るとかで……むりやり御殿の中にまで押し入ってしまわれたんですよ」
僕と総次郎はもう一度顔を見合わせたよ。
これはとんでもないことが起きているかもしれない!
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