第34話・おなごと仲良くなるのは難しい
「おうおう、お前なあ……もうちっとしっかりやれよ」
幾つかの御殿の寮が合同で行う剣術の稽古で、総次郎に声を掛けてきた生徒がいたよ。僕は全く知らない、他の御殿の生徒だった。
「……何か用か」
「お前、さっっっさぱり上手く行ってねえじゃねえかよ交流会! 話を聞いて驚いたぞわしはー」
大仰に落胆するその素振りがなんだか面白くて、僕は挨拶をしておこうと思ったよ。総次郎も鬱陶しそうにしていたしさ。
「お初にお目にかかります。僕はここの新入りです。総次郎と同じ寮!」
「おー、そうかそうか。わしは西の御殿におるから、新入りなんぞ知らんかった」
その生徒は池田左近と名乗ると、総次郎を指して言った。
「お前もこの唐変木に何か言ってやってくれ。こいつわしの妹を嫁にもらえる果報者じゃと言うのに、ちっとも仲良うせんといつまでもシカト決め込んで妹を泣かせよる」
「はあ? どこの誰が泣いてるって? シカト決め込んでるのはそっちの妹の方じゃねえか! この間だって、結局何も一言も言わなかったぞ!」
「阿呆。おなごがそう簡単に男とぺらぺら喋るかよ。うちの妹はそんな軽い女ちゃうわい。お前の方から仲良うしてやるんが筋やろが。向こうが喋らんからこっちも喋らんーーなんて、伊達ごとき奥州の田舎もんが池田の家と何を張り合おうっちゅうんじゃ」
総次郎の引きつった顔を見るに、どうやら左近の指摘は図星らしい。
「そうだよ、総次郎。そんなに話がしたいなら自分から話し掛ければいいのに」
「はああ? だから、俺は別に話がしたいわけじゃねえよ! ただ、こういう状況は体面上よくないってだけの話で……」
「たいめん?」
「ほうらな……見たかよ、こいつの本心! どうせそんなことじゃねえかと思っとった。どうせお前もうちの血縁だけが目的で、妹のことなんぞこれっぽっちも好いとらんのじゃろ。大御所様の孫を嫁に貰えればお家も安泰って……そういう魂胆なんじゃろ」
「好いとるも何も、そんなことはまだなんにもわからねえだろうが! 俺はある日「お前の嫁はこいつだ」と言われてこうなっただけで……何度も言うが、お前の妹とはまだ何の話もしてねえんだ!」
「じゃあ、お話すればいいのに」
僕がそう言うと、総次郎は「だから……」と呟いて固まってしまった。
うちは父上があんまり喋らない方だからこういうのは見慣れた光景だよ!
「喋らない人にはこっちが喋ったらいいんだよ、総次郎。喋らない人ってさ、別に相手のことが嫌いとかそんなんじゃなくて、色々と思うことはあるんだけどそれを口に出来ないんだ」
「なんじゃそれ?」
「言葉にする前に色んなことを考えちゃうらしいよ。例えば、これを言ったら相手はどう思うか――とかそういうことをさ。万事がそんな具合だから、喋ること自体が億劫に、面倒臭くなるんだって」
全ての人がそうとは限らないけどーー念の為、僕はちゃんとそう断りを入れた。
だって、これはうちの父上の場合についてだもの。他の無口は人はぜんぜんそんな風じゃないかもしれないし。
「うちの父上はめちゃくちゃ無口だって言われてるけど、家ではうんとお喋りするもん。総次郎もその子と仲良くなれば、きっと色々とお話してくれるよ」
「だーかーら! 仲良くなるにはまず喋らんと! せめて挨拶くらいは出来るようになれよお前!」
左近の言葉に総次郎は頭を抱えてうなだれてしまった。
こんな様子の総次郎は始めて見るよ。なんだかすっごくおかしい!
総次郎は学問も武芸もよく出来る方だし、字も上手くてとにかく割と何でも出来る万能な若さまですごいと思っていたからさ。
「まったく……ええか! 上覧試合ではがんばってお振にええところを見せろよ。お前の為に勝つくらいのことは言ってもええぞ」
「はあ? 今度は一体何の話だよ!?」
顔を上げた総次郎は青い顔をしている。
「じょうらんじあい?」
「おなごにええ格好するにはうってつけじゃろ。せいぜいがんばらんかい。噂じゃあお前らの相手、南の御殿の藤寮じゃねえかって話だ。勝てば一気に名を挙げる好機じゃろ」
「藤?」
僕と総次郎が顔を見合わせているのがわかって、左近が声を荒げた。
「北の御殿の連中は何も知らんな! 藤の寮はほれ、学寮最強ーーあの、鍋島元茂がおる寮やろが!」
「なべしま? なべしまもとしげ?」
市と同じ姓! それに確か市は《南の御殿に兄がいる》と言っていた。間違いないよ! 市の兄上だ!
「その人って剣術の腕が立つの? 強いの?」
「お前は最近ここへ来たなら知らんのも無理ないか。鍋島元茂はな、あの柳生師範の一番弟子じゃ。将軍さまみたく新陰流の剣術を習っとんのよ。免許皆伝間違いなしなんて言われとるらしいぞ。土台、わしらみたいなんが勝てる相手じゃない」
「ほえええ……なんだかすごい人なんだあ……お市殿の兄上って……」
「ほら、今も師範殿のそばにおる……」
「本当!?」
僕は彼が指差す方角へ咄嗟に走り出していたよ。
だって市の兄上を見てみたいもん! 学寮にいると知った時からぜひとも挨拶をしておかねばと思っていた。
師範に一礼して道場の入り口に向かう生徒が一人いる。
「元茂殿!」
僕が後ろから声をかけると、手拭いを持った彼が振り返った。
足を止めて僕をじっと見つめている。
やっぱりそうだよ! 僕は確信した。だってこの生徒は、顔がどこかお市殿に似ている。
「やっぱり! あなたが元茂殿ですか? 鍋島元茂殿」
「そうですが……」
やっぱりね! 僕は飛び跳ねて言った。
「ぼ、僕、上杉千徳といいます。この間、交流会の時にお市殿とお話したんだよ。お市殿って元茂殿の妹だよね」
「ああ……じゃあ、あなたがお市様の言っていた……」
元茂の言葉に僕はピンときた。
そうか。市はあの後、客間で元茂殿に会ったんだ。そこで何か僕の話をしたのかもしれない!
僕はますますうれしくなった。弾むような気持ちを押さえて元茂を見る。
「お市殿が学寮には兄上がいるって言っていたから、僕、どんな人か会ってみたかったんだよ。剣術が得意だって話もお市殿から聞いていたし!」
「……妹はまじめな性格なので、あまりからかうようなことはしないでください」
からかう?
僕は話の意味がよくわからなくて、元茂に聞き返した。
「からかうって?」
「妹は交流会には出ない。嫁には行かないのだから当然です。学寮にいるようなよその家の若さまと顔を合わせたり、話をしたりすることは好きじゃない。どういういきさつで彼女に会ったのかは知りませんが、迷惑なので今後は控えてくださると助かります」
迷惑、という言葉が僕の耳の中でいつまでも残っていた。
「だけど……僕、お市殿にまた会いたいって話をしたんだよ。お市殿とお喋り出来てすごく楽しかったし、すごくうれしかった。お市殿もそう思ってくれていると思ってたんだけど……」
元茂は顔をしかめて僕に言った。
「あなたは一体妹に何の用があって近付くというんです? あなたのことは妹から聞きましたよ。確かに彼女も楽しそうにあなたのことを話していたが、私は化け物など信用出来ない。化け物を飼っているあなたを見れば、その度に妹は呪われた己の身の上を不憫に思い、悲しみを深めるに違いない。彼女が可哀想だ」
「ええ〜? そうかなあ」
声は元茂の足元から聞こえて、僕も彼も視線を落とした。
「火車!」
ふわりと火車の長いしっぽが巻き付いて、元茂が慌てて足を振り払った。
「やっぱりお前にもおいらが見えるのかあ。嫌だなあ……」
「……当然だ。化け物は母を苦しめる敵」
元茂はきっと火車を見据えて言った。少しも驚いたり動じる様子はない。僕は忠郷や総次郎がはじめて火車を見た時の反応を思い出して、元茂に関心していたよ。彼は化け物を見慣れているようだった。
「火車は悪さなんてしないよ。昔、脇差でやっつけられてからは脇差しの持ち主の言うことを聞かなきゃならないんだ。今では僕の言うことをちゃんと聴くよ」
「そうだそうだ。こんなかわいいおいらの今の姿を見て悲しみを深めるなんて、そんなことがあるもんか」
火車はぴょんと僕の胸の高さまで飛び跳ねた。いつものように僕はそれを受け止める。
「こーんなもふもふでふさふさのかわいい化け物なんだぞ? 鬼のような顔したこいつの父親だって笑顔になるもんね」
火車が僕を指して胸を張った。
「そうだよ。うちの父上はともかく、お市殿は火車を撫でて楽しそうにしてた。それより、元茂殿のことを心配してたよ。だから僕も気になって、あなたに会いに行こうと思ってたんだ」
「……ご心配は不要。お市様が心配性なだけです」
「お市様? あいつってお前の妹じゃあないのかい?」
「妹だ。母親が違うのだから当然身分が違う。化け物にはわからぬ理屈だろうがな。とにかく、今後妹に近付くことはお控えください。このようなものを飼い慣らしている輩と妹を引き合わせるわけにはいかない」
そう冷たく言うと、元茂は手拭いをなびかせてあっという間に僕らから遠ざかってしまったよ。
彼の背中を見つめていたら、僕はなんだか追い駆けることも出来なかった。
僕と総次郎はお互いに肩を落としてとぼとぼ廊下を歩いていたよ。
そういう僕らの後方に忠郷がいる。柳生の師範に声を掛けられていた彼もさっぱり元気がないようで、まるで鶴寮はお通夜のような雰囲気だった。
「はああ……お市殿の兄上にあそこまで嫌われているとは思わなかった……どうしよう」
「兄貴にとっちゃ妹ってのは特別だからね。可愛くって、そりゃあ他所の男になんかやりたくないもんだ。お前の親父だって妹のことはめちゃくちゃ大事にしていたよ。妹が三郎景虎に嫁入りすると聞いた時は怒りのあまり憤死しそうな勢いだったもんね。まあ、姉上のことはもっと大事にしているみたいだけど」
三郎景虎ーー父と上杉の跡目を争った僕の叔父上。
父上は戦で叔父上に勝ったけど、僕は相手が柳生師範の一番弟子なのだから、剣術の試合ではとても勝てそうにない。
「……お前の親父は……」
不意に総次郎が何か言っているのがわかって、僕は振り向いて彼の顔を見た。
「……お前の親父はどうして喋らない。確かに、うちの親父もそう言ってたぞ。挨拶以上の言葉を交わしたことはないとか。喋るのが面倒臭いなんて、そんなことがあるもんか」
「うーん……多分、いくつも理由はあると思うけど……信用できない相手とは喋りたくないんだと思うよ」
僕は「これは聞いた話だけど」と前置きしてから言った。
「父上の父上はさ、殺されたんだよ。父上がまだ僕くらいの歳の頃にね。戦や病じゃないよ……ある日舟遊びに出掛けて死んじゃったの。殺されたんだって。そういう死に方をしたから……色々とひどいことを沢山言われたらしいよ」
「ひどいことって……」
「うちは総次郎の家とは違うからね。代々ずうっと関東管領やってたってわけじゃないもん。父上の父上は越後の小さな領主で、謙信公の親戚筋にあたる家来の一人だったの。だから当然似たような境遇の謙信公の家臣たちがいて、父親を亡くした父上に色々なことを言って責めたらしいよ。殺されるにはそれ相応の理由があるって……そういうことをさ」
「そうそ。まあ、要するに謀反を疑われたんだな。お前の親父は主人に裏切りを企てていて、だから軍師に殺されたんだろうってーーそういう風に思う輩が当時の越後に大勢いたんだよ。普通親が謀反なんて起こせば、大体家族や身内も連座を免れない。なのに、どうしてお前は死なんと生かされてるんだーーと、随分やいのやいの言われたのさあいつ。本当にあったかどうかも疑わしい、父親の謀反の罪でね」
父上の父上の亡骸を奪いに現世にやってきた火車はさすがこの辺の事情に詳しい。
「そう。それで人間が嫌いになったんだって」
だから喋らなくなったし、笑わなくなったのだと、僕は父を当時から知る家臣から話に聞いた。
直江山城守ーー父の傍に一番長くいるうちの家臣で、僕の育て親。
「そういう父上を可哀想に思って、謙信公が養子に引き取ったんだって聞いてるよ」
「そう言えば……あいつの親父も確か最近亡くなったんだ。姫路の藩主……今年の始めだったか……」
「そうなの?」
「ああ。それで長男が後を継いだはずだ。さっきのあいつはその弟。その妹が俺の許嫁……時折ああやっていらんことを言ってくる」
「そのお姫さまも、何か理由があるのかもしれないね」
僕らが生まれる少し前までは日の本中が戦をしていたんだ。
あちらこちらで大勢人が死んでいたし、殺し合いをしていた。そんなことはしょっちゅうだったんだよ。
それに、戦がなくたって人は病や怪我ですぐに死んでしまうんだから、こんなことは特段珍しいことではないかもしれない。
それでも、大切な人が亡くなるってことは辛いし、寂しい。
特別なことだよーー生きている僕らに何らかの影響を与えるほどには。
「それに! そのお姫さまに喋らない理由があったってなくたって、総次郎には喋る理由があるんだから、それについてはがんばらないといけないじゃない?」
「理由? わかってようなこと言いやがって、このクソガキが……」
「え? だって仲良くなりたいんでしょ?」
僕がそう言うと、総次郎が何故か激高して
「千徳のくせに生意気言いやがって!」
――なんて叫んで、また僕の頭をぶん殴った。
僕だって気配はするんだけど、とにかく総次郎は背丈があるから真上からの攻撃というのは避けにくい。
途端、僕らの後方で気だるそうに師範代補佐とお喋りしながら歩いていた勝丸がすっ飛んで来たよ。
「くおおおら! 喧嘩なんかしてねえでさっさと部屋へ戻らねえか、お前ら!」
「戻ります戻ります! 今ちょうどそう思ってたんだよ」
勝丸もすっかり調子が戻ったようで良かった。
やっぱり、うちの寮にはこの主務殿がいてくれなくちゃあね!
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