第32話・若さまたち、蟹寮の生徒から情報を聞き出すこと
客間の廊下を出ると、忠郷が高笑いと共に現れた。
背後に従えているのは客間係だ。揃いの萌黄色の羽織を着ている。
「感謝してひざまずきなさいよ、あんたたち! ロザリオの珠を見つけたわ!」
「本当!? 僕らも見つけたんだよ、ほら!」
僕は大事に握り締めていたそれを忠郷に見せた。
「あら……客間にもあったの?」
忠郷も手に持っていた白い懐紙に包まれたそれを僕らにみせてくれたよ。
僕と火車が壺の中から見つけたのと同じ、薄紫色をした綺麗な珠だった。
「庭師が客間の庭先で拾って、客間係に届けていたんですって。ふたつあったわ」
「そ、それじゃあ……これで……フランシスコは成仏出来るでしょうか?」
僕らの手のひらの上のロザリオの珠を見つめながら、忠広が心配そうに言った。
「うーんと……そうだね……」
たぶん、と僕は呟いて火車を見る。忠郷も、総次郎も火車に目をやった。
「なんだいなんだい。おいらに聞いてもそんなことわかんないよ。本人に聞いてみなけりゃあ!」
そ、そうだよね……僕は火車に向かって小さく頷いた。
専門家もああ言っていることだし、今夜にでもまた彼にこの珠を見せて安心させてあげよう。これでちゃんと全部揃っているならいいけれど……
「と、とりあえずまた夜にでもフランシスコ殿に会ってみるよ。だから、このロザリオの珠は借りておくね」
忠広や南の御殿の生徒たちはみんな目に涙を浮かべていたよ。
だけど、蟹の寮の三人の生徒を見て僕は何だか違和感を覚えた。
彼らはロザリオの珠が見つかって大喜びしている梅の寮の三人とは少し反応が違う。何か考え事をしているように思えたんだ。
時折互いに顔を見合わせて無言のやり取りをしている蟹寮のみんなにはこれ以上まだ何か気がかりなことがあるのかもしれない。
僕らは見つけたロザリオをフランシスコに返すと約束をして、南の御殿で梅の寮の生徒と分かれたよ。
だけど、僕は気になっていた蟹の寮の三人ーー寺沢忠次郎と毛利勘八郎、鍋島孫平太が踵を返そうとするのを見計らって、声を掛けた。取り逃がさないように孫平太の腕を掴んでね!
「ねえ? 亡くなったフランシスコ殿はどんな人だったの? 三人もフランシスコ殿は自害なんてしないと思う? フランシスコ殿はキリシタンなんだもんね?」
三人はしばらく無言で考えていたけれど、不意に忠次郎が諦めたような表情で口を開いた。
「さあな……何を考えてるのかなんてわからん奴だったよ」
勘八郎も「そうだそうだ」と後に続いた。孫平太がいぶかしげに僕の顔をじっと見つめている。
「お前らは一体なんでこんな噂にいちいち首を突っ込んでくるんだ。一体何の魂胆だ? お前ら北の御殿の生徒にゃあ関係ねえことじゃろ」
「関係なくないよ。だって僕、ゆうべフランシスコ殿に会ったんだもん。フランシスコ殿は寂しそうで悲しげになくしたロザリオを持って客間に佇んでいたんだ。あんな姿を見たら、関係なんかなくたって何か力になってあげたいと思うよ、僕は」
忠広殿は正しいのだろうと思うよ。
フランシスコは禁教を信奉する罪人だーーと、彼を罵ることは簡単だ。
だけどそれは同時にこの、彼の力になりたいという自分自身の思いを無視することになる。
大事なものは、心だよ。
僕は父上や傅役、実家のみんなからそう教えられている。心は宝、宝とは心ーーそれがうちの《神様》、上杉謙信公の教えだからね。
「上杉の人間なら、例え見返りなんてなくたって自らの信じる道には背くべきではないのさ。それこそが僕らの信仰する神様の教えだもの」
「うえすぎ……?」
忠次郎が繰り返したので、忠郷は僕に掌を翻した。
「ああ……あんたたち南の御殿の生徒らは知らないわよね。こいつはあたしのおじいさまにケンカ売って米沢へ左遷された、斜陽まっしぐらの憐れな超ド貧乏ーー上杉家の跡取りの若さまよ」
「……その紹介にはずいぶん悪意を感じるんですけど」
「斜陽まっしぐらの超ド貧乏で、おまけにとんだちんちくりんだぜ」
「んもう!! 何なのさそのちんちくりんってのは!! 年上だからって偉そうにしないでよ。そりゃあ確かに僕はチビだけど!!」
僕が飛び跳ねて抗議すると、総次郎も僕を睨み付けた。
「うちはてめえの実家の領国の倍は石高があるんだ。偉いに決まってんじゃねえか」
「ちょっと……やめなさいよあんたたち。他所の御殿で見苦しい真似なんてしたら、御殿のぬしであるあたしの評判に関わるわ」
「もともと評判なんざろくでもねえのに、今更何の心配をしてんだてめえは」
忠郷の悲鳴が廊下中に響き渡って、いくつかの寮の部屋の戸が開いた。
まったく、どうして僕らってこうなるんだろう……蟹寮の三人も唖然としている。
「とにかく! 僕はフランシスコ殿にちゃんと成仏してほしいんだよ。大事なロザリオを見つけて彼の元に帰して、安心させてあげたいの。みんなだってそう思うでしょ?」
三人はもう一度銘々顔を見合わせた。そうしてしばらく三人共押し黙っていたけれど、不意に忠次郎が突然総次郎に駆け寄った。
「お前……耶蘇教のことに詳しいというのは本当か? そこのそいつが言ってたぞ」
忠次郎の視線を感じたのだろう。
すぐに忠郷が
「ちょっと!? 《そいつ》って……まさかそれはあたしのことじゃないでしょうね! あたしは北の御殿のぬしよ? そいつって何なのよ、そいつって!」
と叫んだ。
「別に詳しかねえよ。俺はキリシタンじゃねえんだから」
忠次郎は忠郷の激高は無視して総次郎の腕を掴み、小声で尋ねた。
「懺悔、というのを……知ってるか?」
「ざんげ?」
「フランシスコの奴が前に言ってたんだ。耶蘇教ってのは、信者になるとそれまでのどんな罪でも許されるんだと。だが、一度入信したらもう二度の入信は出来ん。また罪を犯した時は、パードレに懺悔をすりゃあ罪を許して貰えるんだ」
「あーあ……なるほどな。なんとなくだが……聞いたことがある。どんな罪人でも神様が許して救ってくれるんだろ?」
「そうなの? どんな罪でも許してもらえるの?」
「確かそういう話だったと思うぜ。眉唾ものだろ?」
忠次郎は孫平太を見た。そうして勘八のことも。二人は強く頷いて、それぞれに口を開いた。
「……儂らが噂を流したんじゃ。フランシスコが死んだのは……自害じゃ、って……わしらにひどい責め苦を受けたせいで自害した、って」
「ええ!? みんながあの噂を?」
勘八郎が頷く。
「どうしてそんな噂を? あんたたち、東や西の御殿の連中があんたたち南の御殿の生徒のことをなんと言っているか……噂を聞いたことないの? ひどい噂よ? それを……あんた達が流したっていうの!?」
「ひどい噂でいいんだ。僕ら同じ御殿の生徒たちに酷い仕打ちを受けていたと……滅多打ちにされて屋敷へ帰り……そうして世を儚んで自害したんだって……それでいいんです。それが狙いだったから」
今度は僕ら三人が顔を見合わせる番だった。
この話が本当であるなら、僕らはまんまとこの三人に騙されたということになる。僕らだけじゃない、南の御殿の他の生徒たちも。
一体どうして!?
何のために!?
「だって……かわいそうじゃ……フランシスコが」
そう呟いた勘八郎の姿を見て、僕も総次郎も忠郷も、蟹寮の三人が明確な意思を持って他の寮生たちを欺こうとしていたことを知った。
これはもっとちゃんと話を聞く必要があるよ!
同寮の三人は何か重要な情報を知っているに違いない。
僕らは蟹寮の三人にもっと詳しく話を聞かせて欲しいとお願いした。そろそろ朝ごはんや授業の支度も始まるから、僕らは再び消灯時間になったら話の続きを聞かせてもらう約束をしたよ。
今度は蟹の寮の三人が北の御殿へ来ることになった。
ああ、今日も夜が待ち遠しいーーけれど僕らは将来の藩主となるべく学寮にいる。
とりあえず勉強が本分の僕らは、どちらの寮の生徒も今日の授業が始まる前に慌てて自分たちの寮の部屋へ戻ったんだ。
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