第4話・北の御殿というところ 《参》
「冗談じゃないわよ! どうしてあたしがこんな……伊達や上杉の家の人間とひとまとめにされなければならないの!? 屈辱にもほどがあるわ。お父様は上杉に会津を簒奪されて宇都宮へ左遷されたし、伊達政宗なんて氏郷おじいさまに毒まで盛って会津を横取りしようとしたじゃない! あたしぜえんぶ知ってるわよ! あんたらの悪事を!!」
「てめえはまたその話か! 一体どこの口がそんなデタラメを抜かしやがるんだ! ああ!?」
「あのさあ忠郷? 簒奪って……意味解って言ってる? ぜんぜん奪ってないんですけど。何度も言ったけど、うちだって会津に国替えなんてしたくなかったんだよ。忠郷のおじいさまが死んじゃったからうちが無理やり会津を押し付けられたんじゃん」
「お黙り貧乏大名が! とにかくあんたたちは蒲生の敵よ! 敵以外の何物でもない! 今後あたしに反抗的な口を聞いてみなさいよ、お母様に頼んで二度と領国になんか戻れなくしてやるんだから!! お母様がおじいさまに頼めばあんたたちの実家なんて即改易になるわよ!!」
凄まじい口論の応酬は延々と続いた。
「……ご覧の通り、大御所さまのお孫さまはああいう性格でね……ひでえもんさ。会津じゃあんなのが既に藩主の座に収まっとるっちゅうんだから悪夢以外の何物でもねえぜ。何かあるってえと二言目には《改易にしてやる》《腹を切らせる》の一点張り。大御所様の孫だから怖いものなんざねえんだろ」
呆れたような口調で主務は言葉を続けた。
傍らの寮監督の引きつった青い顔など見向きもせずに。
「おまけに……あいつの母親ってのがとんでもねえ毒親でよう。うちの最初の寮監督はこの忠郷の御母上のお怒りに触れてクビになったんだともっぱらの噂だぜ。なにせ大御所さまの娘で将軍さまの妹君だ……およそこの世でどうにも出来ねえことなんざありゃしねえ」
「しかしひどい光景だなあ……噂以上だ。ずっとひどい」
どこか楽しげな細川内記の言葉に、新任の寮監督は小さく首を振った。
「うちは二人目の寮監督殿が鼻を折られて行方知れずになって以来もうずうっとこんな調子で……勝丸殿お一人ではとても手が足らんのです。お部屋番も自分しかいないし……一度、後任の寮監督殿が着任前に様子を見にお出でになったこともあったんですが……うちの寮の様子をご覧になったらどういうわけか突然お身内にご不幸があったとかで……結局着任自体が白紙になりました」
震えながらそう呟く鈴彦。新任の寮監督も震えながら辺りを見渡している。
部屋は殊の外酷い有様である。
手付きの盆はひっくり返り、衣紋掛が倒され、派手な着物と山のように積み上げられた書物の一角が雪崩のごとく散乱している。
乱闘騒ぎのせいで散らかっていることは間違いないが、そもそもひどく荷物が多い。
「ああ、もう! 一体どうしてこんなことになるのよ。目眩がするわ! 頭が痛い!」
「ぎゃあぎゃあ喚きやがってうるせえんだよ! 減らず口はこのちびだけで充分だ」
「ちびは余計だって何遍言えばわかるのさ、総次郎のばか! もう史記も大學も見せてあげない!」
北の御殿・鶴寮の少年たちの叫び声は御殿の廊下にまで響き渡っていた。他の寮生達も思わず部屋から顔を出すほどである。
鶴寮の主務――勝丸は鈴彦に視線を落とし、顔を見合わせた。
彼の表情はますます暗い。どうせこの部屋を片付けるのは彼の仕事であろうから無理もなかった。
すると刹那、茫然自失の状態で立ち尽くしていた新任の鶴寮の寮監督が突然踵を返した。
次の瞬間、彼は勝丸が言葉を掛けるよりも早く、来た道とは逆の方へ一目散に走って行ってしまった。
それはほんの一瞬の出来事だった――らしい。
通算三人目の寮監督(未着任を入れれば四人目)はこうして北の御殿・鶴寮を遁走し、その後二度と御殿に姿を現すことはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます