第3話・北の御殿というところ 《弐》


「手加減してやりゃあ調子に乗りやがって……上杉みてえな古臭え斜陽の貧乏大名が! 今日という今日は生かしちゃおかねえ! 白石の城も落とされたくせにどの面下げてうちより強いだなんて抜かしてやがる! ああ!?」


 そう言って激昂していたのは、北の御殿在籍の鶴寮生の一人である。

 内記も彼らのことはそれなりによく知っているから余計に気が重い。


「ほれ、あそこ……ちっこい生徒の胸ぐら掴み上げてる奴がいるでしょう? あいつはうちの寮で一番年長の総次郎。仙台藩から出仕しなすってる伊達家のご嫡男さまだよ。お父上の政宗殿がとにかく自慢しておられるんで、注意しなすった方がいいぜ。なにせご子息の煙草だサボりだを注意すると逆にご実家から壮絶にお叱りがくるからよぉ」

 新しい寮監督は「は、はあ……」と、息を吐くついでに頼りなげな声を返した。

「俺たち主務は学寮生の護衛が勤め……だがね、寮監督殿までは護衛できねえから、そのつもりで準備でも心積もりでもしておいてくれや。うちの寮へ寄越されるくらいだ、武芸の心得くらいはあるんだろ? なにせ前の寮監督殿は総次郎に殴られて鼻の骨折られて以来姿をくらましちまったもんでね」

 寮監督は不意に背後から槍で突かれたような表情で主務を見つめたまま固まってしまった。

 しかし主務は涼しい顔で一度頷いただけである。そんな彼に内記も続いたものだからますます新任の寮監督の強張りは強まった。

「総次郎殿は優秀なんだけれど、どうも我々には反抗的なところがあるからなあ。何か思うところがあるのだろうとは思うんだけれどねえ……」

「それよりも……大丈夫でしょうか。千徳さま、総次郎さまに派手に顔を殴られたんです」


 新任の寮監督が恐る恐る取っ組み合いの片割れに目を向けた。


「ばっかみたい。白石の城なんて城主の留守を狙って伊達家が簒奪したんじゃん。うちの甘糟がいたらどうにも出来ないからでしょ? そんなの戦の勝利のうちに数えて得意げに自慢する神経を疑うよ。恥ずかしい」

「なんだと!?」

「うちは総次郎のお父上の本陣をめちゃくちゃにしたことだってあるもん。その時持って帰ってきた伊達の陣幕がまだ江戸の屋敷に取ってあるから、何なら持ってきて見せてあげようか? どの面も何も、うちには伊達家に勝ったっていう証拠がちゃあんとありますけどおー」


「――そんで、総次郎とやりあってるのが、つい一月前に出仕した千徳喜平次だな」

 主務が少年の顔を指して言った。彼は右目の周辺が赤くなって腫れているように見える。 

「たかだか十歳のがきんちょだが、とにかく口が達者で博覧強記なところがあるからナメて掛かって口でやりこめようとは思わねえこった。即効で返り討ちに合うぜ。おまけにあいつの実家は超がつくほど面倒くせえ大名だから下手なことはなさらん方が御身のためだ」

「めんどくせえ……大名?」

「そうです。千徳殿の大叔父にあたる人というのがあの謙信公だそうですよ。今の上杉家のご当主の一人息子なんです、彼は」

 内記がそう説明するや寮監督は震える手で胸元から分厚い塊を取り出した。

「あ、あのう……実は上役殿から、こ……こんなものをいただいたのですが……」

それは鈴彦も内記も言葉を失うほどの分厚い文である。とても文には見えない厚さのそれを受け取った主務は表紙の文字を一瞥すると

「あーあ、大丈夫ですよ。全く……なんで新しい寮監督が来る話をあの御仁が知ってんだ……地獄耳め」

 と呟き、乱暴に文の包を破った。

「千徳がここへ来た時に俺にもおんなじものを寄越しやがったぜ。これが噂の《直江状》だろ? 頭がイカれてんだ」

 主務が書状をめくると、蛇腹折りのそれが彼の掌からこぼれ落ちた。足元にまで届いてまだ余りある長い長い書状にはびっしりと細かな文字が書かれ、さながら経典のようである。

「千徳殿の育て親の直江山城守という男がとにかく口やかましい御仁でねえ……あんた知ってますかい? ほら、関ヶ原の戦の前に大御所さまにケンカ売りやがったっていう上杉家の執政殿ですよ」

「ああ……名前だけは耳にしたことが……」

「千徳喜平次の養育を任されてるらしくって、とにかくあれやこれやと注文が多いんだ。授業の内容にまで口を挟んできやがる。こんなものは気にせんことです。いちいち気にしておったら寮監督なんて務まりゃしねえぜ。第一、長すぎて読んでられっか!」

 主務は長い長い書状を勢いよくぐしゃぐしゃに丸めると新任の寮監督にそれを差し出した。引きつった笑みを浮かべてそれを受け取るものの、彼もそれをどうしたものか考え倦ねている。


「三十万石の貧乏大名がナマイキ言いやがって! 上杉なんて大御所様に喧嘩売ってド貧乏に成り下がった死にぞこないのくせに!!!」


 そう叫ぶや、いよいよ総次郎は煙管を握った拳で千徳の頭を殴り始めた。一方の千徳も体格ではとても勝ち目など無いだろうに負けてはいない。小さな身体をよじり、総次郎を盛んに足で蹴飛ばしている。

「……ねえ、勝丸? 確かこの寮ってもうひとり生徒がいなかったっけ?」

 内記の問いに鈴彦が無言で部屋の奥を指した。外廊下の手前に小さく蹲る派手な柄の塊がある。

 そばにいる数名の生徒は同じ北の御殿に在籍する別の寮生だろう。大柄な生徒が蹲る塊に声をかけている。大方騒ぎを聞き付けて外廊下づたいに顔を出したらしかった。

 小刻みに震えている派手な柄の塊はどうやら嗚咽を漏らしているようである。

 主務がそれをあごで指して言った。

「ほんで、あいつが最後の生徒ですな――蒲生忠郷。大御所・徳川家康公のお孫さまだ。あいつだけはほんっとにくれぐれも注意してくだせえよ。何かあったら俺らの首が飛ぶぐれえじゃ済まねえ」

 新任の寮監督は強く頷いた。

 不意に塊が顔を上げる。彼は長い髪を振り乱して振り返ると


「――覚えておいで、外様ふぜいが! 絶対に改易にしてやるわよ、あんたたちの実家なんて!!!」

 

 と、金切り声で叫んだ。

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