第1章・上杉家の若さま、学寮で事件に遭遇すること

第5話・茶会にて 《壱》

 

 とあるよく晴れた皐月の午後、江戸城の西の丸の庭には茶席がひとつ設けられていた。


 学寮に出仕している大名家子息らの中でも、特に"問題あり”と見なされる生徒らの保護者が集められる茶席——いわゆる《呼び出し》である。


 呼び出されていた客人は、


 蒲生忠郷の実母(会津藩主生母)

 伊達総次郎の実父(仙台藩主)

 上杉千徳喜平次の育て親(米沢藩・執政)


 ――の三名。


 いずれも学寮の北の御殿、鶴の寮に出仕する生徒の保護者である。

 招かれた鶴寮の保護者達は、城内の西の丸にある庭園の脇に設けられた大きな緋色の傘の下にいた。

 それを少し離れた場所から暇そうに眺めているのが鶴寮の主務、保科勝丸である。

 主務というのは生徒の護衛役を務める学寮の役人だ。

 生徒とも顔を合わせる事が出来る"お目見え以上”の役人としては下っ端だが、彼らも学寮においては一括りに「教師」と呼ばれる一人である。

 勝丸が自らの受け持つ生徒の保護者達を遠巻きに眺める限り、少なくとも彼らの息子たちが一同に介して仲良しこよしうまくいくとは思えない。

 子供は親を真似て育つという。

 集められた保護者たちの騒ぎには、なるほど――既視感しかない。


「若君の寮へ新しい寮監督殿が来るらしいという噂を耳に致しましたが……如何しましたか、利勝殿。てっきり今日の茶会はその顔見せで、直にご挨拶が叶うものと思っていた」

「申し訳ございませぬ、山城守殿。彼は少々人格に難ありと判断され、急遽お役目を解任され申した。只今別の人物を選定中にて、もうしばしお待ちを……」


 茶会の主が深く頭を下げる。客人たちはそれぞれため息を付いて顔を見合わせた。


「そもそも大名家の跡取りを人質に取り上げて、三人もまとめて一つの部屋に押し込めるというのは甚だ疑問。大切に大切にお育て申し上げた当家唯一の跡取りです。兄弟もおらぬゆえ、他所の家の御曹司らとの生活は当初から某も主も心配で仕方なかった。その上更に鶴寮にはそうした生活の面倒をみるという寮監督までおらぬという!!」 


 学寮長――土井利勝は小さく頭を下げた。


「ご心配には及びません。次の寮監督が定まるまでの間、鶴寮の寮監督は某が勤めております。護衛役を兼ねた副寮監も配置しておりますゆえ、中納言殿もどうぞお心安らかに。腕の立つ男です」


 学寮長がひらりと掌を翻した刹那、血走った目をギロリと向けて声を荒げたのは上杉千徳喜平次の保護者である。

 彼は名を直江兼続といい、かつては陪臣の身でありながら個人で米沢に三十万石という大名並の禄をもらっていたという上杉家の執政である。

 彼は学寮に出仕させている主人の一人息子を案ずるあまり、今日の茶会にも陪臣の身で自分が参加するというのだから末恐ろしい。

 さすが今日の天下人にケンカを売る人間はやることが常人の理解を越えている。


「心配には及ばぬなどとはよくも申せたものだ! 当家にたった一人しかいない大事なお世継ぎの男児が、ここへ来て早々に顔の急所をぶん殴られたことをお忘れか! 可哀想な当家の跡取りは顔に青タン拵えて完治に十日もかかったと聞く。それもこれも寮監督がおらぬ管理不行き届きのせい……一体いつまで斯様な日々が続くというのです。これで大人しくなどしていられるはずがないではございませぬか!」 


 ぱあん、と兼続が持っていた扇子で膝を打つ音が辺りに響いた。陪臣の身の上で学寮長と老中とを任される彼を呼び捨てにするのは天下広しと言えど彼しかいない。


「相も変わらずゴチャゴチャとやかましい」


 鋭い隻眼で兼継を睨みつけたのは仙台藩主・伊達政宗だ。 

 出来のいい自慢の嫡男が他家の子息らと十把一絡げに扱われるのが気に食わないと見えて一年以上も学寮への出仕を渋っていた鶴寮生徒保護者の一人である。


「一体いつまでそんな昔の話をしておるのだ。それにそのケンカはうちの倅とて怪我をした。そもそもあれはお主の家の小倅がよからぬことを申したことに端を発していたと倅から聞いたぞ。それこそが全ての原因ではないのか」

「よからぬこと?」


 兼続は政宗を睨みつけて尋ねた。


「よからぬことというのは何です? 具体的に何をどう当家の若君が申し上げたというのか、きちんとお教えいただきたい。貴方がそこまで問題だと仰るからには、当然学寮側でも二人の会話というのは然るべき検分をされておるのでしょうな」


 そう一息に喋り終えて利勝を睨みつける兼続に、政宗は呆れたように深い溜め息を付いた。おまけに彼が呼吸も済ませぬうちに再び言葉を続けたものだから、ますますいらいらと掌で膝を打つ。


「そもそも先に手を上げたのはそちらのご子息と当家は伺っております。総次郎殿は短気ですぐに自分にキレると、若君は今でもそのように某への文に不安を書き連ねており、文は証拠として当方の手元に全て残してある。あわよくば上杉領を掠め奪わんとするような男の息子などと一緒に寝起きをさせられて若君がどれほど心休まらぬ日々を過ごしておるか……その上更に斯様な仕打ちを受けてなお、よもやあの喧嘩騒ぎが当家の若君に非の原因があると仰るなら、若君の養育を任されておる身として到底見過ごせるものではございませぬ」


(長い……話がくそ長えんだ、こいつは!)

 勝丸は思わず胸が悪くなって唾を喉の奥へ送った。


「……ええい、ごちゃごちゃと喧しい! 偽善者面して、お前達とて似たようなことをしておったではないか! 最上領を掠め奪わんと兵を出したのはどこのどいつだ! ええ!?」


 政宗の非難にも上杉家の執政は涼しい顔だ。じっと彼を睨みつけるその様はとても陪臣のものとは思えないが、彼はとにかく上背があるのでただそこに在るというだけで人を見下すように見えてしまうのかもしれない。


「うちの倅は斯様な場所で学ぶことなど何もないわい! これ以上同寮の親がこんな調子で年柄年中グダグダと喧しいことを抜かすようであれば、即刻連れて帰る!」

「そうですな。当家としてもそれが最も望ましい」

「親に似て頭もよく武芸にも優れた素晴らしい息子だ。貧乏大名の小倅なんぞと顔を突き合わせていたらますます鬱々として暗くなるわい」

「お言葉ですが、およそそうした子供の問題というものは親に原因の一端があるのです」

「なんだと!?」


 眉をひそめた政宗を一瞥し、兼続は涼しい顔で扇を開いた。


「ど、どうかお二人ともお心を鎮めてくだされ。お二人のご子息は学寮で万全の態勢の下にお預かりしておりますゆえ……」


 学寮長が慌てて二人に言った。

 しかし兼続は黙らない。それに政宗まで続いてしまうのだから、いよいよ茶会の空気は意図せぬ熱を帯びている。 

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