第33話 フォルクローレ その2

 ブルーマウンテンの街では、東側の出入り口を『裏門』と呼ぶ。


 正門は南側に大きく構えてある。

 しかし西に帝都フェアメーゲンがあるという地理関係から、人の出入りが最も多いのは西門となっていた。


 その為、街に住む者達が自然と『裏門』と呼ぶ様になった東側の出入り口。


 街中央へと続く大通りが目の前に広がるが、真っ直ぐ進まずに路地へ入って少し歩くと空き地がある。

 そこにディープとヴィッツの姿があった。


 二週間ほど前に使用した、地下通路への入り口。

 それを隠すかの様に積み上げられていた資材は、一つも無くなっていた。


 街の住人に話を聞くと、皇城での騒ぎが起こる前の日の事を話し始めた。

 その日の朝早くに、空き地の所有権を持つという男が街に来たのだと言う。


 勿論それは役場で監査が行われたが、あり得ないほどの短時間で所有権が承認されたそうだ。


 そして男は街に連れて来ていた作業員達に命じて、空き地全体に幕を張った。

 中の様子は見えなくなったが、音は響かず埃も飛んで来ない。


 街の者達はそれを周囲への気遣いだと思い、感心したという。

 そこから作業員達は二日をかけて資材を全て撤去し、帰っていったとの話であった。


「おー!綺麗になっちゃってもう。これを命じた奴の性格は、神経質で心配性。これで間違い無いな。」


「そうですね。そして整地されたこの様子から判断すると…地下通路から街へと出るのは、完全に不可能な状態と見て間違いないでしょう。」


 目の前に広がるのは、実にさっぱりとした光景。

 しかしそれは…もし『地下通路を使っての皇城脱出』という手段を選んでいたら、たとえバッシュがいたとしても絶体絶命の危機を迎えていた事を意味していた。


「まあ…三十年間宰相の座で振るい続けた手腕は、決して伊達じゃなかったって事だな。」


「ええ。危険な相手でした。あり得ない話ですが…彼が皇帝側の人間だったら、ラーズ帝国はより強固な国になった事だと思います。」


「ブハハハ!ヴィッツらしいものの見方だな。」


 ディープがゲラゲラと笑っていると、ヴィッツが何かを思い出したかの様に両手をポンと鳴らした。


「そういえば…。ずっと聞くのを忘れていましたが、どうやってあのメンティーラを見つけ出したんですか?」


 すると少しだけばつが悪そうに、頬を指でかきながらディープが答えた。


「んん?ああ…。それに対する答えは、『匂い』だな。」


「匂い…ですか?」


「そうだ、匂いだ。いくら変装の達人だとしても、自分の体臭まで変えられる訳じゃ無いだろ?だから変装する時には、対象と同じ香水を使う訳だ。」


 ヴィッツが無言で頷く。


「しかし新品の着替えや香水など、準備している時間など無かったメンティーラは、メイドから衣装を奪ってその人物になりすました。そこがあいつの犯した間違いとなった訳だ。普通なら自分の体臭と香水の匂い、この二つしか持たないはずだからな。」


 指を二本立ててニヤリと笑うディープ。

 それを見たヴィッツが苦笑いをしながら、


「ま、まさかとは思いますが…。片っ端から匂いを嗅いで、そこにもう一人分の体臭が加えられた『三つの匂い』を持つ人物を探し出した…と?」


 するとドヤ顔になったディープが、銀髪をかき上げながら言った。


「可憐な花に余計な匂いは、要らないのさ…。」


 その瞬間、首の裏筋が心底冷えるのをヴィッツは感じた。

 そして『この男がモテない理由が分かった』と、一つの確信を得るに至ったのである。


「…んで?そろそろ出てきてもいいんじゃないか、チャッピー?」


 いつの間にか決めポーズを解いていたディープ。

 待ちくたびれたといった様子で空き地の角を見つめると、そこにある影から一人の男が出てきた。


「…もう名前の原型さえ、無くなったのだな。」


 その姿は全身を墨色の布で覆うのでは無く、一般的庶民の服装。

 街中で目立たぬ様にといった格好であり、素顔も勿論外に晒されていた。


 そこから伺える歳は、三十路前後といったところか。

 生真面目な性格が顔によく現れており、風になびく赤髪がとても印象的であった。


「しかし、あのメンティーラを匂いで見つけるとは…な。」


「相変わらず素晴らしい繊月ですね、グリスさん。銀髪の変人…いや変態以外で、ここまで気配を隠せる人は初めてです。」


「おお〜?なっかなかの男前じゃないの!でもまぁレベル的には…クラーク以上オレ以下ってところかな。」


 ディープがまたしても自慢げに銀髪をかき上げた。

 それを見たグリスは苦笑いし、勝手にしてくれと肩を竦めた。


「それで?俺達と内緒話でもしたいのかい?」


 ディープが戯けた表情で尋ねると、グリスは無言で頷いた。


「約千年ぶりに誕生した殲滅者ターミネーター。あなたに伝えるべき事があって来た。そして、少年にもそれを聞いて欲しくて…な。」


「…ほ〜う?それはそれは穏やかな内容じゃ無さそうだな。んで?何を教えてくれるんだ?」


「シュバルツ様は若き頃、命がけで殲滅者ターミネーターへの道を志されていた。その願いは最後の最後で、命を代償としてその手に握られた訳だが…。」


 ディープとヴィッツはグリスの言葉を遮らずに、静かに頷いた。


「初代ラーズ帝国皇帝に仕えた暗部頭は、殲滅者ターミネーターとしての経験と知識を一冊の本に書き残した。それはいつしか古文書と呼ばれる様になり、歴代影法師シャドーマスター達の中で密かに受け継がれて来た。

一切の写本を禁じ、世界に一冊しかない古文書。それをシュバルツ様は所持されていたのだ。その古文書には新月の説明と、修得の方法が記載されていたという。」


「なるほど。何処かにそんな物があるとは聞いていたが、まさかシュバルツが持っていたとはな。…それで?今はそれをチャッピーが持っているってことか?」


 グリスは首を横に振った。


「いや、そうではない。自暴自棄になった若き頃のシュバルツ様は、その古文書を…破り捨ててしまったらしい。」


「はぁああ?」


 ヴィッツとディープが、二人揃って口をあんぐりと開けた。


 ヴィッツは『歴史的に貴重な書物に何てことを』という意味で。

 ディープは『オチがそこなのか』という意味で。


「ハハハハハ!」


 それを見たグリスが痛快に笑った。

 それはどんな形であれ一矢報いようとしていた事を物語る笑いであり、それでいて嫌味のない笑いでもあった。


 だがグリスが視線を戻すと『え?なに?そういう戦いをするの?やるならとことんやるよ?』という、思春期を謳歌する尖った少年の様な顔に二人がなっていた。


「い…いや、悪かった。ヤル気は無い。…全く無い。どうしても本題に入る前に、一泡吹かせたくてな。」


 それでも二人の顔がグリスに近づく。

 グリスはどうやら踏んではならない地雷を、見事に踏んでしまったようだ。


「シュ、シュバルツ様は白秘薬にて洗脳されてしまったが、人格そのものが全て変えられた訳では無かった。その証拠に古文書を破り捨ててしまった事を、ずっと悔いていらっしゃった。そこである日、記憶に残っている限りの内容を、私に口伝という形で教えて下さったのだ。」


 話にちゃんと続きがある。

 それを確認した二人は、ようやくグリスの至近距離から離れた。


「それで今日伝えに来たのは、殲滅者ターミネーターが扱うとされた『二つの技』についてだ。」


 それを聞くと、ディープの表情が一瞬で真面目なものになった。


「二つ…だと?」


「ああ。古文書には殲滅者ターミネーターが修得する技の欄に『新月』の記載があり、そしてその横にはもう一つの技の記載があったそうだ。」


「それは…」


 ディープが珍しく素の表情になった。

 そしてそれに気づかないほど、ヴィッツもグリスの話を食い入る様に聞いていた。


「残念だが、技の名前は字が掠れておりシュバルツ様にも読めなかったそうだ。…ま、まて!続きがある!続きがちゃんとあるから!…はい、ドォードォー。ドォォォ…、ドォォォ…。」


 グリスが必死な様子で、両手を前に突き出している。

 ディープは半分新月に入っており、ヴィッツは六節槍を一瞬で組み立てていた。


「た、確かに字は掠れて読めなかった。しかし掠れた部分の下には、技の説明が記されていたそうなのだ。そしてそこにはこう書かれていた。『意識の隙間に滑り込む闇は、回避や防御の手前にある認識をも置き去りにする』と。」


 三人の間を、しばらくの静寂が訪れた。


「んん〜?分からんぞ。何やら『新月』の事を言っている様にも聞こえるが、『認識を置き去りにする』という表現が全く一致しない。一体何の事を言っているんだ?」


「言葉の示す意味だけを拾っていくと、隠密系の『新月』とは違う技なのでしょう。そして暗殺者達は自分達の事を『闇』と表現する事がありますが、繰り出す攻撃を『闇』と言う事もあります。

おそらくここでの闇とは攻撃系…暗殺者の持つ武器から考えると斬撃系の技を示すものだと推測できます。

いや、臨機応変を求められる暗殺を起点とすれば、武器など選ばない技なのかもしれません。それが『認識を置き去りにする』ものであると…。

もしこれが取得可能な技なのでしたら、それは本当に恐ろしい……って何ですか、その顔は!しかも二人揃って!」


 いつの間にか祈りの状態に入っていたヴィッツ。

 その呟きを聞いていたディープとグリスは『うわぁ…何なの?何でそんなに色々な事が分かるの?引くわぁ〜。』という顔になっていた。


「ちょっ!そんなに距離を取らなくても!…ってまぁ良いですけどね。結局のところ影の道と無縁な私には、関係の無い技なのでしょうから。」


 それを聞いたグリスが引けた腰を元に戻すと、首を横に振った。


「いや…それがそうでも無い様なのだ。」


「え?」


 ヴィッツが意味不明だという顔をした。


「シュバルツ様が言うには、技の名前は掠れて読めなかったが、それが三文字で書かれていた事は分かったそうだ。知ってるかもしれないが、古来から闇の技は必ず二文字で表す。闇に生きる者が信奉する『月』の字を含めてな。しかし、それが三文字で記されていたという事は…」


「その技は必ずしも闇の技という訳では無い…と。となると話がまた変わってきますね。影の道だけに限定される技で無いのだとしたら、古文書に記されていた技の名前は、無理矢理『闇の技としての表現をとったもの』なのかもしれません。ということは…同じ性質を持つ技が違う名前で、剣術や槍術にも存在する可能性があるという……って、おい!」


 グリスの言葉を遮り、再び祈りへと入ったヴィッツ。

 ふと気づくと、またしても二人が遠くから恐ろしいものを見るような目で、ガタガタと震えながらヴィッツを見ていた。


「それで?伝える事とはそれだけですか?」


 ヴィッツが少し拗ねた様子で尋ねると、その様子を見たグリスがクスリと笑った。


「ああ。それだけだ。無念ではあるが、俺には手が届きそうに無くてな。修得の可能性がある『二人』に、これだけは伝えておこうと思ったのだ。」


 二人に…。

 その言葉が示すのは殲滅者ターミネーターであるディープだけに、可能性があると思っている訳では無いという事。


 類い稀な才能を秘めた、ホビット族の少年ヴィッツ。

 エクセレトス戦では、歳に合わぬ恐ろしい何かを繰り出そうともしていた。


 彼ならば…。

 彼ならば違う角度から、古文書の指す境地へと辿り着くのも可能だろう。

 そうグリスは考えたのであった。


「バッシュの旦那に伝える方が、手っ取り早いんじゃないのか?」


 ディープが率直な疑問を口にすると、グリスは首を横に振った。


「あの戦士に、あれ以上の力は必要ないだろう?まぁ『新月』を修得した者にも、必要無いとは思ったのだがな…。」


 なるほどなとディープは鼻から息を出し、一瞬だけヴィッツをチラ見した。


 すると用件は終わったとばかりに、グリスが右手を上げながら背を向けた。

 その背中にヴィッツが話しかける。


「辺境の村パサードの宿屋に、赤秘薬を届けたのはグリスさんですか?」


 その声が届くと、グリスの足がピタリと止まった。


 バッシュとヴィッツ、そしてディープの三人は数ヶ月前、辺境の村パサードに滞在していた。

 そこで北東にあるレーベ地域に向かうか、先に西のラーズ帝国へ向かうかを思案していたのであった。


 レーベ地域では魔族軍による快進撃が続いており、あと数年で地域全体を制覇されてしまうのではないかと噂されていた。


 しかし噂とは稀に核心に迫るものもあるが、大抵は当てにならないもの。

 その現状を確かめる為に、バッシュ達はレーベ地域に向かおうとしていたのである。


 だがそれと同時に、ブルーマウンテンに住むメルロスへの伝言も頼まれていた。


 内容が内容なだけに、一日でも早く伝えてあげたい。

 そしてタイミング的に今から向かえば、戦場を共にした近衛騎士達の命日に合わせる事もできる。


 どちらに先に行くか。

 二つの選択肢を思案していたある日、宿屋に差出人不明の荷物が届けられた。


 その荷物を開けてみると、中にはエルフの赤秘薬が一つ入っていた。

 そしてその横には、忍ばせるかの様に一枚の紙が挟まっていた。


 そこにはこう書かれていたのである。

『墓を守る街ブルーマウンテンに住む少年へ』


 それを見た三人は互いに目を合わせ、そして首を横に振った。

 誰もブルーマウンテンに住む少年に、知り合いなどいない。


 少女ならば…とも考えた。

 しかしそれでも赤秘薬という希少な品を、少年少女に贈るというのは不自然すぎた。


 宿屋の主人に間違いではないかと確認を取ったが、「ホビット族の少年を連れたバッシュという名の冒険者に」と言って渡されたのだと言う。


 その人物は三十路前後の男で、赤い髪が印象的だったとの事。


 それを聞いても三人には送り主が分からなかった。

 かと言って捨てるわけにもいかない。


 そこでヴィッツは黒い布を赤秘薬に巻き、他の色秘薬との区別がつく様に保管したのであった。


 ヴィッツに背後から話しかけられたグリスは、暫く足を止めていた。

 そして空を見上げると、ゆっくり口を開いた。


「全てはシュバルツ様の指示によるものだ。その結果としてお前達はブルーマウンテンへと足を向け、少年に赤秘薬を使ってくれた。それ以上の事は、俺には分からないな。」


 それはあまりにも素っ気ない言葉。

 数え切れないほど存在する『何故』に、何も答えていない返事。


 しかしグリスは赤秘薬を『使った』ではなく『使ってくれた』と言った。


 その部分にはグリスの…そしてシュバルツの本心が明らかに表現されていた。

 いくつもの何故に対する答えが含まれていた。


 おそらくシュバルツは作戦決行をバッシュの到着に合わせる為に、ありとあらゆる泥を被ったのだろう。


 口封じの為にカールを刺す時、その目は一体何を宿していたのか。


 背を向けていたグリスが、再び右手を上げた。

 そして路地に向かってゆっくりと歩いて行く。


 シュバルツとは本来どの様な人物であったのか。

 今となってはディープとヴィッツにそれを知る術はない。


 しかしグリスという男が師と仰ぎ、命がけで仕え、命を捨てて後を追おうとした天才影法師シュバルツ。


 それは決して残虐非道を好んだ人物ではない。

 証拠など何処にも無いが、去り行くグリスの背中を見て二人はそれを確信したのであった。


 ヴィッツが何気なく空を見上げると、雲の輪郭が一部だけ紅く染まっていた。


 西の空では既に夕日が隠れ始めており、一日の歩みがとても早い日であったとヴィッツは思う。


 気づくとディープが、空き地の入り口からヴィッツを見ていた。

『早く行こうぜ』と言わんばかりに、顔を路地へと向ける。


 そろそろバッシュも宿屋に帰って来るだろう。

 レーベ地域に向かう準備も進めておかなければならない。


 先に路地へと歩き出したディープの背中を、ヴィッツの小さな足が追いかけて行った。


◆◆◆


 吟遊詩人の唇が開いた過去への扉。

 その中で紡がれた物語は止まり木を見つけ、暫し羽を休めようと滑空を始めた。


 耳を済ましていたのは、物語と同化していた者達。

 その意識が近づいて来る旅の終わりを認識し始めた。


 本来視界にあるべき光景が、輪郭を合わせて鮮明さを取り戻す。

 すると人々は自分が今、酒場にいる事を思い出した。


 ここは語る者達が集う街『ヒストリア』。

 四年に一度、三日三晩に渡り『フォルクローレ』と称した祭りが盛大に行われる街。


 この時期ばかりは昼夜を問わずに、街中に人が溢れる。

 そこでは多種多様な種族が飲み物を片手に持ち、ありとあらゆる所で語り合うのである。


 ある意味異様とも言える光景は、歴史を俯瞰して見れば理想郷とも表現できる。

 それはまさに世界が目指すべき一つの形。


 平和とは統一ではなく調和であることを、祭りのあり方から伺い知る事ができた。


 フォルクローレの中心となるのは、街の酒場。

 ギルドに併設されている酒場の窓は、全て開けられている。


 その窓枠には子供達がびっしりと張り付いており、頭を擦り合わせながら中を覗いていた。


 吟遊詩人達は夜に酒場で語った後、次の日の昼間にもう一度だけ子供達の為に街の広場で同じ話を語る。


 しかしそれを待ち切れないのが、子供心というもの。

 キラキラとした目は懸命に舞台へと向けられており、吟遊詩人が語る一言一言を聞き漏らすまいと輝いていた。


「数日滞在した後、盾の戦士達はブルーマウンテンの街を後にした。多くの者達が見送る中、戦士達を乗せた馬車は東へと向かって行った。さて…この後、盾の戦士は何処に向かい何を成したのか。それを知るは、神々と歴史のみである。」


 椅子に座っていた吟遊詩人が、静かに立ち上がった。

 そして天を仰ぎ右手をゆっくりとハープに沿わせると、強く弾いて声を張る。


「天よ御照覧あれ!飾りはあれども、我に偽りの心無し。大地よ御証明あれ!因果無き紡ぎを我は呪う。ここに不実あるならば…その身を揺らし…その罪を知らしめたまえ!」


 酒場から音という音が消えた。

 聞こえて来るのは外で大騒ぎしている笑い声のみ。


 吟遊詩人達は語りを終えた後、それが決してゼロからの創作で無い事を天に誓う。


 そして次にその証明を、大地に願うのである。

 この後に大地が振動せず何も返答が無ければ『物語に不実無し』と、神々からの承認を得たとされる訳であった。


 しばらく間を取った後、吟遊詩人は優雅に一礼した。

 そしてゆっくりと周りを見渡すと、ハープを持って舞台を下りて行った。


 酒場の中は、未だに静まり返っていた。

 吟遊詩人が居なくなった後も、人々の視線は舞台の上に釘付けになっている。


 ローグは物語が始まってから、ぶどう酒を五杯ほど豪快に飲み干した。

 しかし追加を頼んだ辺りから手は止まり、二杯のぶどう酒がカウンター台に置かれたままになっていた。


 ララノアの横には四枚の皿が重ねられている。

 そして追加を頼もうとしていたのだろうか。

 左手にメニューを持ったままの状態で、動きが止まっていた。


 ローグとララノアだけでは無い。

 酒場全体を見渡すと、それぞれが何かの途中で動きを止めてしまっていた。


 飲んで食べて物語を楽しむ。

 それが揃ってこそのフォルクローレである。


 しかし開幕でいきなり紐解かれた未知の、そして大型の英雄譚。

 それはフォルクローレ経験者達の不意を打ち、度肝を抜いたのであった。


「…な…ななな…、何だったんだぁぁあ?今の話は!!」


 いち早く現実に戻ってきた男が、大声をあげた。

 すると酒場全体が一変に騒然とし始めた。


「う…うぉおおお!シュバルツ!な、なんて哀しい…シュバルツぅうう!!」


「求めるべきは、技の質?…な、何か…何か分かった気がするぞ!分かった気が…、気だけか?」


「お…俺、村に帰ったら墓参りに行く!墓参りになんて行った事も無いし、やり方も分からないが…。何となく…いや、とにかく頭だけでも下げてくる!」


「本当にディープと仲が良かったんだなぁ、ヴィッツ老は。」


「お、おい!クラークってまさか…。モルダバイト大戦で魔族軍の斬り込み隊長と互角に打ち合い、敵軍の度肝を抜いたって言われているクラークか?確かにジェネラル級大傭兵団の団長を目指すって…。やっぱり、あのクラークか!」


「あ!いつの間にか酒も食い物も無くなってやがる。マスター!酒、酒〜!!」


「こっちもだ!酒と食い物をくれ!」


 酒場の時間が一斉に動き始めると、参加者達が感想と感動を口にしだした。


 そして一つの席から酒の追加が頼まれると、瞬く間に全てのテーブル席から追加のオーダーが飛ぶ。


「おいおい…どーなっちまうんだ?今回のフォルクローレは…。いきなりどでかい話を冒頭に持ってきやがって。しかしこりゃ、今日のメインは間違いなくこれだな。」


 慌ただしく酒場の職員が走り回る中、腕組みをしたマスターが感無量といった感じでしみじみと言った。


 フォルクローレは三日三晩に渡って開催されるが、メインはやはり夜に行われる吟遊詩人達の語りである。


 三つの夜に分けられた語りの機会。

 そこに詩人達は目玉となる特別な話を、一つずつ選抜する。


 メインを飾るのは、ほとんどが盾の戦士の英雄譚。

 時には二つの新作が同じ夜に語られる事もあるが、最後かその前に目玉を持ってくるのが吟遊詩人達の定石となっていた。


 しかし、今語られた英雄譚は間違いなく今日のメインを飾るもの。

 大きな戦闘が三つもあった上に、未公開の情報が細部に至るまで語られていた。


 そして何よりも一冊に纏められている『バッシュ言語録』に載っていない言葉が、所々で聞く事ができたのだから。


「震脚…か。やっぱりバッシュの強さの秘密には、震脚が大きく関わっているみたいだな。」


 騒ぎ乱れる参加者を前にして、舞台に上がった二人目の吟遊詩人がたじろいでいる。

 そんな様子に全く気づいていないローグが、真剣な目で自分の掌を見つめていた。


「んん?何だ?珍しく何を思い詰めてるんだ?」


 それを見たマスターが片眉を上げて尋ねると、


「最近、スランプらしいのよね〜。壁に突き当たっているみたい。人間族の限界って壁にね。」


 今出されたばかりの肉料理を頬張りながら、ララノアが答えた。


「な〜るほどな。お前もそこまで成長したか。何でもかんでも、馬鹿力で乗り越えてきたお前がなぁ。」


「マスター…、人を力だけみたいに言うのはよしてくれよ。これでも一応は剛剣ごうけんを修めているんだからさ。」


 苦々しく口を開くローグの様子を見て、マスターがニヤリと笑った。


「まさに『そこ』だろうな。たった今語られたばかりだが、剣聖エクセレトスは剛剣ごうけん一本で進む道に限界を感じて、偽剣ぎけんを修めた。英雄バッシュの盾攻撃だって、部類に分けると相手の虚を突く偽剣ぎけんと同じ性質のものとも言える。そこに剛剣ごうけんで培った威力を加えたものがシールドバッシュと言えなくも無い訳だ。よくよく考えると、エクセレトスとバッシュのタイプはとても似てるのさ。だからこそ、エクセレトスはバッシュの存在が許せなかったのかもしれないな…。」


 ローグはマスターの分析を聞き、心底驚いた。

 やはりこの人は只者じゃないと改めて思うが、偽剣ぎけんという単語を聞いて目を泳がせる。


「だが…、俺はどうしても偽剣ぎけんってやつが性に合わなくてさ。何度か道場を訪ねもしたんだが、技の説明を受けるだけでイライラしちまって…。」


「だから、偽剣ぎけんを修めろと言ってるんじゃねぇよ。偽剣ぎけんを修めずとも、エクセレトスが嫉妬する形を完成させた英雄バッシュ。その姿にこそ、お前の求める答えがあるんじゃないのかって言ってるんだ。」


「え…、しかし俺は大剣使いだ。盾はおろか、大楯なんて絶対に…」


「盾を選んだのはバッシュだろ?お前は…、誰なんだ?」


「俺は…。」


 ローグが再び掌を見つめた。

 しかしそこにあるのは思い詰める様な目つきでは無い。


 八方塞がりの牢獄。

 そこに差し込んだ光を逃すまいとする決意が、ローグの目に宿っていた。


「マスター、ありがと。」


 ララノアがホッとした様子で言った。


「いや、俺も同じ様な壁に当たった事があるからな。ローグの気持ちはよく分かるんだよ。ま、そんな時に英雄バッシュの物語りを聞いて、俺は俺なりの答えを出した訳さ。今はその時に考えた事を、ローグに言っただけの事だ。」


「へぇ〜。マスターにもそんな時があったんだぁ…。ねぇねぇ!今度、時間がある時にマスターの話を聞かせてよ。耳にするのは嘘かホントか分からない話ばかりだから。」


「ん?おお!それは俺も聞きたいな。」


 ララノアがマスターにおねだりをしていると、その内容に反応したローグが流れに乗じた。


「ば…馬鹿野郎!オ…オレの話なんてどうでも良いんだよ。お前達はバッシュの話をよく聞いて、そこから学べばいんだ。…ん?ほらほら、見てみろ。やっと二人目の語りが始まるみたいだぞ。」


「チッ。やっぱりダメか。」

「ぶぅ〜。ぶぅぶぅ〜!」


 マスターに話を流された二人が、納得のいかない表情で舞台を見た。


 フォルクローレの夜は長い。

 吟遊詩人はローグとララノアも大好きでマニアックな人気を集めている『盗賊チャルラタン』の話を語っている。


 現金なもので、既に二人は物語りに入り込んでいた。

 そんな二人の背中を、腕を組んだマスターが優しく見つめていた。

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盾で殴る英雄の物語〜The Story of the Shield Bash Hero〜 久作万塵 @banjin

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