第32話 墓を守る街ブルーマウンテンにて

 それは大陸の西方、ラーズ帝国の庇護を受けるアムール山脈。


 その麓で、墓を守る者達が住む街『ブルーマウンテン』。

 陽の光が生と死を等しく照らす中、風がその身に温もりを纏い新たな季節の到来を詠っていた。


「そこをなんとか、お尻の…佇まいが綺麗なお姉さん。お茶だけでも一緒にどうかな?」


「お断りします。」


「ホ、ホントにお茶だけだから。さっきお尻を触ろうとした事は謝るから。」


「お・こ・と・わ・り・します!」


 そんな心地良い風の調べに歯ぎしりの音を足してしまう様な男が、女性の進路を塞ぐ為に街中では必要のない体捌きを駆使していた。


「ほ、ほら!この右手と俺の頭は別の存在なんだ。触ろうとした悪い奴はこの右手!…このっ!このっ!そして俺の頭はとても健全!」


「いい加減にして下さい!!」


 身体ではなく心にダメージの届く音が響き渡り、男は頬につけた赤い勲章と共に踵を返した。


「ふっ…キュートなレディーだ…。」


 銀色の髪をかきあげてナルシスト独特のポーズをとり、去り行く女性を見送る男。


 彼は一目でダークエルフと分かる見た目をしており、腰にはマチェットとダガーを携えていた。


「それで?今日の儀式は終わったんですか?ディープ。」


「うるせーよ、ヴィッツ。麗しい女性にはこちらから声をかける。これが紳士の嗜みってやつだ。」


 籠もった金属音を数々発する大きなリュック。

 それを背負いながら近寄ってきたのは、ホビット族の少年であった。


「それで、バッシュの旦那は何処に行ったんだ?しばらく滞在するって言うから、こうやって儀式に努めてる訳だが…。」


「儀式であることを認めたんですね。成長しましたね、ディープ。」


 不良少年の睨み合いの様に顔を近づけた二人が、ゴールのない持久戦を始めていた。


「ここにいたのか!二人とも随分と探したんだぞ。」


 不良少年になっていた二人が、そのままの目つきで声の主へと振り向いた。


 そこにはラーズ帝国近衛騎士団団長クラークと、兆域警備団のターレスが立っていた。


「うおっ!な、何だっ!」


 思わず身構えるクラークとターレス。


 するとヴィッツは一瞬で澄まし顔へ戻り、ディープはそれでもヴィッツの横顔相手に戦いを続けていた。


 それを見たターレスが、肩を竦めながら苦笑する。


「相変わらず仲が良いんだなぁ、二人とも。しかし虎が二匹ジャレていても、周りにはシャレに見えないから気をつけた方がいいぞ。」


 決してジャレている訳ではない。

 それは二人とも同じように思ったが、口には出さなかった。


◆◆◆


「ふぇ?ほふぇはひぃひぃふぁんふぉーふぁはふはふほは?」


「ちゃんと飲み込んでから…って、いつもいつもいつもぉおお!!」


 昼下がりの食堂には、昼時の混雑を警戒した街の住人達が押し寄せていた。


 クラーク達は窓際の席に座っていたが、堪忍袋の尾が切れたヴィッツがディープの頬を両手でつねって横に引っ張り始めた。


「ぶははは!いつも冷静だから忘れちまうが、ディープとのやり取りを見てると、やっぱりヴィッツはカールと同じくらいの少年なんだな。」


 ターレスが笑いながら言うと、ヴィッツは瞬時に行儀良く座り直した。


 横ではディープが痛いぞアピールをしていたが、ヴィッツは何事も無かったかの様にターレスに尋ねた。


「そういえば、カール君はもう大丈夫なんですか?」


 それを聞くとターレスは真剣な顔で立ち上がり、そして深々と頭を下げた。


「それについてはもう頭を下げるしかない。…本当にありがとう。あの時赤秘薬を使ってくれなかったら、俺は今頃息子の墓を見回る事になってたよ。」


「順調に回復しているんですね?」


「ああ、お陰様でな。赤秘薬の効果と若さの持つ回復力に侍医が目を白黒させてて、カールと一緒に笑っちまった。」


「それはそれは。本当に良かったですね。」


「ああ!ありがとう!」


 ターレスが再び座ると、ようやくディープが咀嚼を終えて口を開いた。


「え?それじゃ騎士団団長じゃなくなるのか?」


「『え?』から言い直す必要がありましたか?」


 それはまるでパターン化された喜劇の様なやり取り。

 それに苦笑したクラークが、ゆっくりとフォークを置いた。


「とは言っても陛下をお守りする事に、何も変わりはないのだがな。これからは後任を選抜して、みっちりと鍛え上げる。そして新任の騎士団団長は俺の視線を常に感じながら、陛下の護衛に努める事になるだろう。」


 グフフと笑うクラークを見て、明らかに三人はドン引きした。


「だからこれからは俺の事を『クラーク団長』と呼ばないでくれ。これから俺は…」

「それでも『クラーク団長』だろ?」


 言葉を遮ったターレスを見て、何かに納得したクラーク。


「そ、そうだな。そこは変わらないのか。これから俺は『ラーズ帝国近衛騎士団団長』ではなく、『ラーズ帝国公認ジェネラル級傭兵団団長』となる。」


「おおー!」と白々しくディープが驚くが、ヴィッツは力強く頷いた。


「陛下の御英断、感服いたしました。しかしクラークさんはこれからが大変ですね。」


「ああ!国家公認で飛び級できるのは、一万未満に総数を限定されるジェネラル級傭兵団までだからな。ここからもう一つ階級を上げる為には、やはり実績を積まなければならない。」


「どうか、頑張って下さい!」


 ヴィッツが立ち上がり、深々と頭を下げた。


「任せてくれ、ヴィッツ。俺は必ず十万の兵と共に国境を越えて飛び回れる『ジェネラル級大傭兵団』の団長になる。団の名前はまだ無いがな。そして時が来た時には…ヴィッツ!ディープ!そしてバッシュと共に、その力を存分に振るう事を誓おう!」


 拳を胸に当てて、力強く宣誓するクラーク。


「しかしクラーク…。いくらまだ公表されて無いとはいえ、食堂の椅子に座りながらの宣誓は様にならないぞ。それに声が大きくて、思いっきり周囲に聞こえてるからな。」


 ターレスが呆れ顔で言うと、確かに周囲の目が大声を出したクラークへと向けられていた。


「しっかし、よくそれが通ったな。そもそも近衛騎士自体がもう皇帝の私兵のようなものだろ?それに加えてあからさまな私兵を皇帝が更に抱えるなんて、反対勢力は大丈夫だったのか?」


 ディープの質問を聞いたクラークがドヤ顔になった。


「そこがさすがはレオハルト陛下といったところだったよ。陛下の私兵では無く、ラーズ家の私兵という形にしたらしい。それでも確かに反対の声がいくつも上がった。しかしサーペント家が傭兵団を私兵にできて、何故ラーズ家が傭兵団を私兵にできないのだと陛下が言うと…ククク…。あいつらの何も言えなくなった顔を見せてやりたかったよ。」


「するとサーペント家がヴィペール傭兵団を私兵とする時に、陛下がそれを通したのは…。」


 ヴィッツが驚いた表情で口を開くと、クラークが力強く頷いた。


「ああ!今回の為の布石だったのだろう。陛下は三年前にバッシュの申し出を保留にされたが、それを叶える為の準備は着実に進められていたのだ。」


 思わずヴィッツとディープが視線を合わせた。

 二人とも驚きを隠せない様子であったが、我に返ると互いに目つきが鋭くなり…そしてまた不良少年の様に睨み合いを始めた。


 しかし何かを思い出したヴィッツが、先に大人に戻った。

 するとディープは勝利宣言の代りとばかりに、満足そうな顔をクラークとターレスに向けた。


「グリスさん達、墨色暗殺者はどうなったんですか?」


 グリスと墨色暗殺者達はアロガンとの戦いを終えてレオハルトの無事を確認すると、その場で全員が自ら命を断とうとした。


 しかしそれをレオハルトが怒号をもって制止した。


 もし本当にシュバルツの求めた夢が、皇帝レオハルトに仕えて尽くす事であったのなら…。

 死して後を追うのでは無く、生きてシュバルツの夢をお前達が叶えろと一喝したのであった。


 勿論その道は茨の道。

 グリス達は三年前に近衛騎士や兆域警備団員達を、そして今回は近衛兵や暗部の者達を数えきれないほどその手にかけた。


 たとえレオハルトの命によって仕える事になったとしても、亡くなった者の遺族や仲間達が本心で納得するはずもない。


 そこでレオハルトは自らグリス達を連れて、遺族やその仲間達の下へ行った。

 そして複雑な事情を丁寧に説明し、大切な人を手にかけてしまった事を謝罪して共に頭を下げた。


 皇帝が兵や民に頭を下げる。

 それは決してあってはならない事。

 しかしレオハルトはそれを実行した。


 その光景のあまりもの異常さに、グリス達は涙ながらにやめてくれと懇願した。

 頭を下げられた兵や遺族の中には、気が動転して逆に地に平伏す者もいた。


 それにはさすがに皇族や貴族達も黙っていなかった。

 しかしサーペント家を失った反対勢力に力など無く、レオハルトは最後の一人に至るまで続けたのであった。


「今ではもうすっかり陛下に心酔して、カルマンの下で精進しているよ。師であるシュバルツの無念を晴らす思いと、自ら陛下をお守りしようとする心。あいつらはこれから陛下にとって、かけがえの無い存在になるだろうな。…あ!そういえば、グリスも今日はこの街に来る事になっているんだが、まだ会ってないか?」


「グリスさんがですか?…いいえ。もしこの街に来たのなら、私の隣にいる変人が気づいて教えてくれると思いますが…」


「ああ、来ているな。だがこっちに近づいて来ない。もしかしたら内緒話でもしたいんじゃないのか?」


 三人の動きがピタリと止まった。

 しかしヴィッツはすぐに再起動し、ディープの横顔を舐める様に睨み回した。


「さ、さすがだな。俺には何にも感じられんが…。」


「クラーク、マジで凹むからやめとけ。比較すると自分がとても未熟な存在に思えてくるぞ…。」


 クラークとターレスが弱々しく笑う。

 そこに軽快な足音と共に、追加の料理を持ったメルロスが近づいて来た。


「な〜に引きつった顔してるんだい、二人とも!ただでさえ怖いんだから、そんな顔されてたら営業妨害さ。さぁ笑って笑って!どんな時も笑っていれば、必ず良いことがあるよ!」


 料理を置き、鼻歌を歌いながら去っていくメルロス。


 大きく揺れる胸をディープは露骨に凝視するが、耳をヴィッツに引っ張られて大半を横目で見るしか無かった。


「な…なんだ?やたらと機嫌がいいな。」


 クラークが小躍りでもするかの様に歩くメルロスの背中を見て驚いていると、


「ボスが今日、私の師匠が生きている事を伝えたんです。」


ーーなるほど!


 クラークとターレスは互いに目を合わせて納得した。


「何処にいるのかは言えないんだよな?」


 ターレスが小声で尋ねると、ヴィッツは申し訳無さそうに頷いた。


「そうか…。でもまぁ、生きてるならそのうち何処かで会えるだろ!バッシュ達に加勢する動きに加わっていれば尚更…さ。」


「ええ。それは私が保障します。師匠も会いたがってましたし、時が来たら必ず共に戦う事になりますから。」


 それを聞いたクラークとターレスの目に歓喜が宿った。


「そうか!それなら今はそれでいい。今日はその言葉を聞けただけで十分だ。」


 心なしか二人の瞳が潤んでいる様に見える。

 ヴィッツは勿論、それに気づこうとしない。


 ディープは口に咀嚼できないほどの料理を詰め込み、メルロスに手を振って「水!水!」と無言で叫んでいた。


◆◆◆


 ラーズ帝国国営兆域。


 それはラーズ帝国に籍があったもの全てが埋葬されている、国営の霊園である。


 その定義を聞くだけで巨大で入り組んだ墓地を想像してしまうが、決してそこには所狭しと墓石が並んでいるわけでは無い。


 十分な幅を持たされた通路に、ゆったりとした休憩所。

 その横を人工の川が流れ、子供達が行きたいとせがむカラクリ遊具の豊富な公園までもが設置されている。


 そんな公園の一画。

 ブランコの横にあるベンチにバッシュは座っていた。


 鎧は纏っておらず、紺色のシャツに灰色のズボンを履いている。


 近くを通る若い女性や婦人達がチラチラと見ているが、バッシュは全くその視線を気に留めない。


 ベンチの角にはタワーシールドが立て掛けてあり、バトルハンマーはその内側に収められていた。


「そっか…。私のパパは…生きてるんだ。」


 ブランコを少しだけ揺らしたアリスが、ポツリと呟いた。


「ああ。今まで黙っていて悪かった。」


 バッシュが頭を下げると、アリスは勢いよく首を横に振る。


「ううん。ママにも言ってなかったみたいだし、何か言えない事情があったんでしょ?私だって少しはバッシュのこと知ってるもん。意地の悪いことする人じゃないってことくらいは、私にだって分かるよ。」


 少し強く地面を蹴ると、アリスはブランコを揺らし始めた。


「ママはずっと、パパは何処かで生きているって信じてたんだと思う。うん…きっとそう。そう考えると、私が何を言ってもこの街を出ようとしなかった事が分かってくるなぁ。もし生きているパパと会えるとしたら、この街で待っているしかないもんね。」


 アリスの目には涙が浮かんでいる。

 それはまるで今までメルロスに向けた自らの言動を、心から後悔しているかの様であった。


「まだこの街のことは好きになれないのか?」


 バッシュが問いかけると、アリスは申し訳無さそうに頷いた。


「…うん。またそれとこれとは別だもん。みんなね『数字の四』とか『黒鳥』とか縁起の悪いものは避けろって言うのに、この街のことは好きになれって言うんだよ?おかしいよね。

私は『数字の四』も『黒鳥』も全然平気。だってあからさまなこじ付けじゃない?黒鳥だって懐くと可愛いんだよ。

でも…でも、お墓はこじ付けじゃない。お墓には本当に死んじゃった人が入ってる。そのお墓が近くにあるだけで、何か悪い方向に引っ張っていかれそうで…。」


「なるほどな。」


 バッシュは俯いているアリスを見ると、立ち上がって周囲に見える墓地を眺めた。


「では、こう考えたらどうだろう。」


 バッシュが言うと、アリスはゆっくりとバッシュの背中を見た。


「ここに眠る人達がただ死んだ人達だと思うから、何か縁起の悪いものだと感じてしまうんだ。」


 するとアリスが少し首を傾けた。


「違うの?」


 バッシュは振り返り、アリスの目を見ながら言った。


「こんな話がある。」


 するとバッシュは辺境で立ち寄った村で聞いた、ある男の話を語り始めた。


 男は村長の息子だった。

 裕福とはとても言えないが寝食には全く困らない環境で育ち、やがて成人を迎えた。


 このままいけばいずれは父親の後を継ぎ、村長を務める事になる。

 男はその事自体に不満は無かったが、村長の務めの一つである墓地の管理清掃だけはどうしてもやりたくなかった。


 薄暗くジメジメとした田舎の墓地。

 男は小さい頃、父親が墓地の清掃に行くのについて行ったが、それ以降は決して墓地に近づこうとしなかった。


 何故か?

 男は怖かったのである。


 墓地が。

 死人が。

 幽霊が。


 成人してから男は村長としての仕事を次々と引き継いでいったが、墓地の清掃にだけは頑として行こうとしなかった。


 しかしある日、不思議な事が起きる。

 朝、いつもと同じ時間に起きると、家には知らない人達がいた。


 男は不審者だと思って慌てるが、どうも家全体の様子がおかしい。

 家の中は新築の匂いで包まれており、そこにいた知らない人達も他人には思えなかった。


 混乱した男は慌てて外に出る。

 するとそこに生まれ育った村は無かった。

 いや正確に言えば、生まれ育った村に似た光景がそこにあった。


 一つ一つを見ていくと、どの建物も新しい。

 村人達はどこか懐かしさを感じる人達で、使っている道具はどれもが旧式の器具であった。


 そこで男は気がついた。

 信じられない事だが、自分は過去に来たのだと。

 ここにいる人達は、村のご先祖達。

 よくよく見ればどの顔を見ても、知っているような顔ばかりであった。


 元の時代に戻る方法が分からない男は、仕方なく過去の村での生活を始める。

 そして男はそこで様々な経験を重ねた。


 天候不順からの不作。

 野盗や魔物による襲撃。

 疫病の蔓延。

 相次いだ不遇の事故など。


 村人の心を折るような出来事が続いたが全員がお互いを励まし合い、涙を流しても歯を食いしばって全てを乗り越えていった。


 気づくと男は立派な村の一員になっていた。

 共に苦難を乗り越えた男を村人達は信用し、全員が男を頼りにしていた。


 そんなある日の朝、男が目を覚ますとそこは随分と古くなった我が家であった。

 お勝手には自分を産んでくれた母親がおり、椅子には勤めの準備をしている父親がいた。


 慌てて外に出た男は、そこで自分が元の時代に戻って来た事に気づく。


 すると、男は声を出して大泣きした。

 それは喜びの涙であったのか、悲しみの涙であったのか。

 誰にも分からない。


 それからというもの、男の姿は毎日墓地で見る事ができた。

 雑草は全て抜かれ、どの墓石も綺麗に磨かれていた。


 男が墓石に向かって話している様子を時々村人達が見かけたが、それについて何かを言う者はいなかった。


 やがて男は父親から村長としての仕事を全て引き継ぎ、最後の日を迎えるまで村人達に心から頼りにされたのであった。


「その男は過去に行って、大切な事を学んだのだろう。」


 バッシュの口から語られた村の話を、アリスは身動き一つせずに聞いていた。


「大切なこと?」


「ああ、そうだ。村の墓に眠っている過去を必死に生き抜いた人達は、今の自分達の生活を築いてくれた人達なのだという事。

それは決して縁起の悪い存在なんかではない。幽霊なんかになって、自分達に危害を加える存在ではない。危害を加えるどころか、自分が誕生するのを既に守ってくれた存在なんだと。

自分という存在は、墓で眠っている人達に『過去を必死に生き抜く』という形で守られたのだ。それがあるからこそ今を生きていられるのだという事に、男は気づいたのだと俺は思う。」


 バッシュが言い終わるのと同時に、力強い風が二人の間を擦り抜けて行った。


 その風は温もりと共に優しく触れてきて、どこか懐かしいような…包み込まれるような…。

 祖父や祖母から伝わってくる包容力にも似た印象を受ける風であった。


 アリスは目を閉じていた。

 目の内側に置いてしまった、墓地に対する先入観や恐怖のフィルター。

 それを必死に外そうとしていたのかもしれない。


 ゆっくりと時が歩みを進める。

 バッシュは墓地を眺めながら、静かに佇んでいた。


 すると、アリスが目を開けた。

 大きく目を開けて今まで背を向けていたものを一つ一つ凝視するかの様に、ゆっくりと周囲を見渡した。


「少しは力になれたかな?」


 バッシュが聞くと、アリスは両手を胸に置いて頷いた。


「うん。その男の人の気持ち…何となく分かるから。」


「そうか。」


「私は…既に守られていたんだね。このお墓で眠る人達に。今を一緒に生きられなくても、守られていたんだね。」


「そうだな。ここには善人も悪人も眠っているが、その全てを合わせたものが過去だ。現在は過去に守られなければ誕生しない。それだけは事実だからな。」


 アリスが大きく息を吸い込む。

 まるで兆域全体を感じ取ろうとする様に。


「私、この街が好きになれる様に頑張ってみる。すぐには無理かもしれない。でも頑張る!この街を好きになって、そしてパパが帰ってきたら大っきな笑顔で『おかえりなさい!』って言ってあげるの。そして…、そしてママには『この街で私を生んでくれてありがとう。』って言うわ。」


 アリスの目が真っ直ぐとバッシュに向けられた。


 この子はもう大丈夫だ。

 そう確信したバッシュは優しく微笑むと、アリスの頭をゆっくりと撫でた。

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