第27話 皇城イターナルでの戦い13 道と未知

 ヴィッツは押し寄せる傭兵達と打ち合いながら、バッシュの言葉に耳を傾けていた。


 もしも敵を殲滅するつもりで戦うのであれば、そんな横着はさすがにできない。


 しかし攻撃を受けて避け、相手を牽制してただ前線を維持する。

 それだけであれば耳に意識を傾けていても、少しの時間なら対応できる技量がヴィッツにはあった。


「一度?…一度、通った道だと?バッシュ、貴様…。ワシが五十年かけて漸く辿り着いた境地を、貴様はその歳で既に通ったとぬかすのか!」


 もはやエクセレトスの何処を探しても、余裕など無かった。


 そこに生まれた隙を突くかの様に、バッシュの言葉がエクセレトスの心を更に抉る。


「あなたが道に背を向けたという確かな証拠を一つ提示しよう。剣聖エクセレトスよ…。あなたにはもう、大太刀から発せられる声が聞こえていないのではないか?」


 エクセレトスは唖然とした。

 バッシュが口にしたのは、自分しか知り得ない感覚の中での出来事。

 それが何故、目の前の男の口から発せられたのか…。


 あり得ない角度からの質問に、ただ目を剥き出すしか無かった。


「それが進むべき道を間違えた証拠であり、同時にあなたが捨ててしまった答えだ。」

「…だ、黙れっ!」


 明らかにエクセレトスが狼狽えている。

 確かに今のエクセレトスには、大太刀の発する声が聞こえていない。


 五十年以上毎日向き合ってきた大太刀の声。

 それは聞こうと思って聞いていた訳ではない。

 どちらかというと、太刀を振る時に勝手に伝わってきていたもの。


 最初は煩わしくもあったが、次第に慣れてきた。

 そして気がつくと「その声の示す先に何があるのか?」と恋慕にも似た想いと共に、人生の全てを使って追いかけ続けた。


 太刀を振る時にその声が聞こえるのは、エクセレトスにとって何の不思議もない自然な現象だった。


 柱を木刀で叩いたら音が鳴る。

 それと同じ事であった。


 だがそんな当たり前も、黄秘薬おうひやくを飲んだ後は一切なくなった。


 太刀にも愛想を尽かされたか…。

 率直にそう思った。


 しかし…しかしそれでも構わない。

 それでも譲れぬものがあるのだと、己に言い聞かせて前を向いたのだ。


 しかし…ここまではあくまでも上辺の話。

 上辺の蓋を開ければ、そこには決して他人に知られてはならないものがある。


 決して目を向けてはならない己の本心が、恥ずかしい醜態を晒している。


ーー何故…声が聞こえなくなった?

  太刀よ、答えてくれ!

  今一度あの声を聞かせてくれ!


 それはエクセレトスしか知り得ないはずのもの。

 エクセレトスの意識と無意識が、共同で焦点を合わせない様にしている心の片隅。


 それを今、バッシュに指摘されてしまった。

 隠れ蓑が暴かれ、己の弱さに声をかけられてしまった。


 この男をこれ以上喋らせてはならない。

 これ以上、己の素顔を晒されてはならない。


「あなたはもう、自分自身を振るうことしかできない。道を外れた者に、世界との繋がりを掴む事はできない。」


「だ、黙れと言っている!聞いていれば、偉そうな事を言いよって…。何が世界との繋がりだ!

どれだけ高尚な言葉を連ねたとしても、結局のところ我々は肌という薄皮一枚によって世界と隔たれているではないか。

人はその内側を『自分』と言い、外側を『世界』と認識する。この隔たりがある以上、内側にあるものを練り上げていくしか道はないのだ!」


 エクセレトスの怒気が、大声と共にバッシュにぶつけられる。

 しかしそれを受けたバッシュはゆっくりと首を振り、そして言った。


「違うな、エクセレトス。我々は肌という薄皮一枚で、世界と隔たれているんじゃない。我々はこの薄皮一枚で…」


 その時、エクセレトスの重心が少しだけ落とされた。

 それはバッシュとの間合いを詰める為の助走。

 時間にしたらほんの一瞬。


 しかしそれはエクセレトスにとって「急げ!急げ!」と逸る気持ちを必死に抑え続ける、恐ろしく引き延ばされた一瞬だった。


 限りなく確信に近い予感が、エクセレトスの心をけたたましく急き立てる。

 認めたくは無いが、おそらくバッシュは己が辿り着けなかった道の先を口にしようとしている。


 だが求道の果てにある境地や答えというものは、決して他人の口から聞いてはならない。

 自分自身で感得しなければ、それは府に落ちない唯の知識となってしまう。


 そして先に得た知識としての答えは、己の感得を妨げる新たな障害にもなり得る。


ーーやめろ!それ以上、答えを口にするな!


 目の奥で荒れ狂う心の叫び。

 重心の引き金は準備を終えた。


 しかしそれも虚しく…耳にしてはならない言葉は声への変換を終えて、バッシュの口からエクセレトスの耳へと届いた。


「(我々はこの薄皮一枚で)世界と繋がっているんだ。」


 大太刀を両手で構えているからには、耳を塞ぐ事はできない。

 声は耳から侵入して言葉へと姿を戻すと、心の奥でそれを響かせた。


 それが『答え』であったのかどうかは、分からない。

 いやもうそれを知りようも無いのかもしれない。 


 何でもない言葉の様にも聞こえた。

 武器を持ったこともない学者が、偉そうな顔で口にする屁理屈の様にも聞こえた。


 しかしエクセレトスは確かに感じたのだ。

 道が…その言葉の先に広がりを見せたのを。


 極地とは終着点。

 それは道の終わり。


 此処で満足して良いのだと、己を納得させていた。


 だが、違った。

 それは頭で理解した訳ではない。


 己の中の『武』が…。

 全身を常に覆う程に錬磨された『武』そのものが、バッシュの指した道の先にある『真の武』の匂いを嗅ぎ取ってしまったのだ。


 それは本来なら喜ぶべき事。

 しかし現実には、己が長年積み上げてきた矜恃を台無しにされた感覚しかない。


 そこにあるのは、道の先を求める渇望と絶望のせめぎ合い。

 強烈な板挟み。


 それに耐えられなくなったエクセレトスは蒼白な表情と共に、大太刀を大きく振り上げてバッシュへと飛びかかった。


ーーおのれ…よくも…よくも!


 乱れ渦巻く胸中とは裏腹に、練り上げられた技と肉体は大太刀を雷へと昇華させる。


ーーペラペラとよく喋るその口と共に、一瞬で葬

  ってくれる!

  お前にワシを見下す程の力があるのなら、初

  見にてこの技を捌いてみろ!!


 雷が走りだした。

 その瞬間をヴィッツは横目で捉えた。


 しかし何故であろうか。

 先ほど命を脅かされた双月による横薙ぎが、ヴィッツの脳裏を過ぎった。


ーーまさかっ!


 雷が落ちるのと同時に、バッシュの持つタワーシールドが空間を歪ませる。


 それはまるで巨大なエネルギー同士のぶつかり合い。

 けたたましい金属音が鳴り、強烈な衝撃波が周囲へと飛び出した。


 そこからはまさに刹那の出来事。

 大太刀と大楯が膠着状態であるはずの瞬間。


 発生した衝撃波がエクセレトスの体に到着するよりも速く、二つ目の雷がバッシュに向けて走り始めていた。


ーー『如雷にょらい』はまさしく武の極地。

  到達点そのものよ。

  偉そうに道の先を語るのなら、今お前にそれ

  を見せてくれる!


  これこそが未踏の領域。

  その権化たるもの。


  刮目せよ!

  そして散れぃ!!


ニ如雷ににょらい!!」


◆◆◆


「それでそれで?カルマン様の素顔はどうだったの?」


「それがね、想像とは違くてさぁ〜。『透き通った笑顔の似合う美丈夫で間違いなし!』ってみんなで予想してたでしょ?でもね。なんと!…渋めのクール系美丈夫だったのよ〜!!」


 部屋中がメイド達のはしゃぐ声で満杯になった。

 興味津々で事の真相を知りたがる者には、さぞ楽しい空間である事だろう。


 しかし、そんな事はどうでもいいと思っている者。

 更には今まさに絶命の危機を迎えている者にとって、キンキンと耳を突つくその声は煩わしいもの以外の何ものでもない。


「将来はダンディなおじ様間違い無しね!…ああ!愛しのカルマン様。どうやったら貴方とお近づきになれるのですか?」


「私も会いたいなぁ。私はなんと言ってもこの前の御礼を一言言いたいのよ。」


「え?なになに?ミリア、あなたまさか…。カルマン様と何かあったの?」


 はしゃぎ飛び交っていた声が、一瞬で静まった。

 部屋の中にあった温かな雰囲気が、一斉に裏返って本性をチラつかせる。


 ミリアというメイドに向けられた視線はどれもが強く、それは一見興味の度合いを表している様に思える。


 しかし強い視線の中には、度を越して鋭い視線へと到達しているものが複数。

 それは決して同僚に向ける質の視線では無い。


 表情はあくまでも笑顔だ。

 しかしその絶やさぬ笑顔の隙間から飛び出しているのは、恋敵へと向けられる敵対の目。


 ここは剣も盾も持たずに、笑顔と言葉で殴り合う戦場。

 皇城西側不寝番メイドの待機室。


 完全武装した騎士達であっても、見て見ぬふりをする…。

 いや、近づこうとも思わない。


 そんな戦いの戦端が、今ここで静かに開かれた。


ーーいる!確実にこの部屋にいやがる…。


 先ほどしっかりと閉めたはずの扉が、今は少し開いている。

 閉まりの悪くなった扉は気づけば開いていることが多く、それを細かく気にする者は本来この部屋にいない。


 しかしそこに注意を払っていた一人のメイドは、扉のノブが回るのを横目で見ていた。

 そしてその後、人一人が辛うじて通れるだけの隙間を作るのも…。


 だがそこからの侵入者があった事は確認できていない。

 あくまでも目視という意味においては…。


 そして鍛え上げてきた気配察知も、その相手には意味をなさない。


 それでもディープは今、この部屋に潜んでいる。

 メンティーラにはその確信があった。


 しかしここから持久戦にはならないだろう。

 何故ならディープの頭の中では今、複数の想定がせめぎ合いをしているはずであるから。


 もしかしたら他の部屋に逃げ込んだのかもしれない。

 もしかしたらこの瞬間も走り続けていて、このままでは逃げ切られるかもしれない。

 もしかしたら開いている窓を見つけて、もう既に城外に出ているのかもしれない。

 もしかしたら…。

 もしかしたら…。


 想像を膨らませれば、想定の数は無数に広がる。

 メンティーラがいるという確証が無い以上、ディープはこの部屋で時間を長く割く訳にはいかない。


 メンティーラはそう考えた。

 そしてこれまで培ってきたもの全てを駆使して、文字通り命懸けの芝居へと身を投じるのであった。


「ちょっとミリア!勿体ぶらずに話しなさいよ。カルマン様と何があったの?」


 眼鏡をかけた気の強そうなメイドが詰め寄ると、ミリアと呼ばれたメイドは恋する乙女の表情を全開にして話し始めた。


「この前、お休みを頂いた日の事なんだけどね。いつもは実家で本でも読みながらゆっくり過ごすんだけど、その日は久しぶりに服でも買おうと思って商店街に向かったの。」


 そんな事はどうでもいい。

 そんな目がミリアにいくつも突き刺さるが、当人は気づかぬふりをしてそのまま語る。


「そこで最近人気が出てきている裏路地のお店にも行ってみようって思ってね。足を伸ばしたんだけど、運悪く定休日だったのよ!」


 そんな事はどうでもいいの再来。

 しかし何となく話の先に予想がついた者達の目には、僅かながらの「まさか!」が宿っていた。


 ラーズ帝国暗部隊は皇城イターナルのみならず、帝都フェアメーゲン全体にも警備の目を光らせている。


「帝都全体を一つの城と見て、警備網を敷くように。」


 レオハルト直々に下された命令を全うするべく、暗部隊員は帝都全体に散らばって目を光らせている。

 そしてカルマン自身が皇城を出て、帝都の問題に対応する事も珍しい事ではない。


 何にせよ、皇城勤めのメイドは内部の情報を多かれ少なかれ持っている。

 警備する側からすれば、そこを警戒するのは当たり前の事。


 それが功を奏してか、何人ものメイドが危ないところを暗部の者に助けられた経験を持っていた。


 だが…。

 だが、しかし…。

 暗部頭のカルマン本人から助けられた経験を持つメイドは一人もいない。


 その「まさか!」の視線が突き刺さる中、ミリアは演技がかった表情と共に言葉を紡いだ。


「仕方なく家に帰ろうと思ったら、いきなり背後から口を塞がれてね!何が何だか分からなかったけど、まさか最近出没しているっていう人攫い?って思ったの。

何だかんだ言っても、私も皇城勤めの一人でしょ?やっぱりその辺には無い気品ってのが、少しは出てたのかな?

一人で裏路地に入るのはさすがに不味かったか、って一瞬で後悔したわけ。そして息ができずに気が遠くなってきた…その時よ!」


 メイド達の眼光が鋭さを増した。

 ハンカチを少し口に加えて、両手で引っ張っている者もいる。

 更には目が血走っている者もおり、迂闊にも笑顔を崩している者もいた。


 その様子が心地良いとばかりに、ミリアは周囲を見渡した。

 そしてあからさまに鼻を一つ鳴らすと、両手を広げて言葉を紡いだ。


「目の前を黒い影が一瞬で擦り抜けたと思ったら、男達の短い悲鳴が次々と聞こえてきたわけ!その直後、口を塞いでいた手が離されたんだけど、私は体に力が入らなくてその場に崩れ落ちちゃったの。

…でもね!でもね、でもね、でもね!その時、優しい温もりが私の体を包み込む様に受け止めてくれたのよ!!」


 きゃ〜っ!という叫び声と共に、自分の体を両腕で抱きしめるミリア。


 カルマンはその後、決してキスなどしていない。

 しかしミリアは自分を抱きかかえているであろう仮想のカルマンと見つめ合い、露骨な音を立てたキスを繰り返した。


 他の者達は眼鏡をかけたメイドを先頭に、魚鱗の陣にてそれを睨みつけている。


 そこから醸し出されている雰囲気は紛れもなく歴戦の戦士。

 …いや、闇の中から相手の急所を突く熟練の暗殺者か。


 ミリアが危ない!

 それはもう、いろんな意味で…。


 そんな危機迫った状況の中、魚鱗の陣に異変が生じた。


「エイミー?ちょっと大丈夫?顔色が真っ青になってるよ!」


 声がしたのは陣の後方。

 そこで少しフラついた様子のメイドが、額に冷や汗を浮かべて立っていた。


「だ…大丈夫よ。ちょっと気分が悪くなっただけ…。少し休めば治ると思うから。」


 それを聞いた眼鏡のメイドが、颯爽とエイミーへ歩み寄った。


「…これはいけませんね。熱はないようですが、随分と衰弱している状態の様です。原因はともかく、今はとにかく体を休めなさい。ベティ!エイミーを仮眠室に連れて行って。」


 眼鏡のメイドがベティと呼ばれた女性を見る。

 しかしベティは少し狼狽えた様子を見せながら、しどろもどろになって答えた。


「え?仮眠室…ですか?と、隣の部屋の方が良くないでしょうか?」


 おずおずとした様子で答えると、眼鏡をかけたメイドが鋭い眼光を放った。


「何を言っているのですか!隣は急な来客があった時の為の部屋ですので、常に万全の状態を保つ様にと言っているではないですか!それを我々メイドが使用し乱してしまうなど、言語道断!…もう!細かい事は後で言います。さっさとエイミーを仮眠室に連れて行きなさい!!」


「は…はい。」


 それでも何か釈然としない動きでエイミーに近寄るベティ。

 それを見た眼鏡メイドのイラつきが高まる。


 ポツリと一人残されたミリアは興を削がれてしまい、残念そうに巻き付けた両腕を元に戻した。


「ミツケタゾ…メンティーラ!」


 突然聞こえた謎の声に、その場が騒然となった。


 部屋にはメイド達しかいなかったはず…。

 いなかったはずなのだが、そこには一人のダークエルフが銀色の髪を乱して立っていた。


 それは眼鏡をかけたメイドの背後。

 両手はその肩をしっかりと掴んでおり、口は耳元に近づけられていた。


 眼鏡をかけたメイドの顔から、一瞬で血の気が引いた。

 そして何かを言おうとするが、それよりも速くダガーで首を裂かれ、周囲に血飛沫を撒き散らした。


「きゃぁああああ!!」

「メ…メイド長!」


 メイド達の絶叫が部屋中にぶつかり、少し開いた扉の隙間から廊下へと飛び出す。


 首を斬られたメイドはヨロヨロと前へ進み、力無く振り返った。

 両手で首元を押さえているが、もはや絶命を避ける事はできないだろう。


「な…ぜ…?」


 変装は完璧だったはずである。

 メイド長としての振る舞いも完全にこなしていた。


 実際のところメイド長の様子がおかしいなどと、この部屋にいる誰にも疑われてはいない。


 眼鏡をかけたメイド長はオブスクーロが皇城に滞在する時、いつも自らその専属となって動いていた者であった。

 本来であれば全体の動きを把握する為に、あまり前線に出るべきではない立場にある。


 しかしレオハルト本人から

「オブスクーロが皇城にいる時には、滞在することになる皇城西側のメイド長が責任を持って勤めを果たせ」

との指示を受けていた為、常にオブスクーロと接していた。


 それ故にメンティーラは西メイド長の特長をよく知っており、西メイド室における会話の内容もこまめに盗み聞きしていた。


 推測では五十歳を超えている総主任を筆頭に、その下に置かれている四人のメイド長。

 東西南北の各所の責任者であるが、その中で一番若いのが西メイド長である。


 気の強そうな容姿をしているが、その性格はとても気さく。

 年齢は三十代半ばといったところか。


 同じ年頃の出世頭であるクラークとカルマンを、心の中で密かに天秤にかけている。


 公の場では振る舞いを正し、決して隙を見せない。

 しかしそこを離れれば人が変わったかの様に一変し、砕けた話し方になるという強烈なギャップを持っていた。


 そしてメイド控え室での振る舞いだけを見ると、他のメイド達との上下が分からなくなるほど場に溶け込み、恋話が始まろうものなら率先して加わる傾向がある。


 そんな性格のメイド長には部下達を心を開いており、控え室では一切敬語を使わない。

 その為、控え室ではキャピキャピと賑やかな空間を過ごすのが皇城西側メイドの特長であった。


「誰か!誰か来て!不審者です!!」


 慌てて廊下に飛び出たメイドが、大声で助けを呼ぶ。

 数人のメイドが自分もそれに続こうと押し寄せるが、肩がぶつかり合ってなかなか部屋から出られない。


 体調の悪いエイミーはその場に座り込んでいる。

 共に仮眠室へと向かうはずだったベティは腰が抜けてしまい、エイミーを抱きしめながら震えていた。


 メンティーラの視線がディープを離れ、座り込んでいる二人へと移った。

 正体を怪しまれるのはこの二人であったはず…という思いが、そこには込められていた。


 メンティーラは知っていた。

 エイミーは趣味の手芸に時間を忘れて没頭する傾向があり、常に睡眠不足でよく貧血を起こす事を。


 メンティーラは知っていた。

 この時間の仮眠室は誰も使っていないはずだが、ベティと仲の良いメイドが近衛兵と逢引の真っ最中であると。

 そしてそれをベティが知っている事を。


 変装とは見た目だけを似せれば良いというものではない。

 その中にある人格の再生と最低限の記憶。

 これが無ければ顔ごと変えられる着せ替え人形と、大きな違いは出ない。


 対象を生きたまま複製する為の情報収集。

 それこそが変装に魂を宿すのであり、その為に周囲の人物情報とその関係を入念に調べ上げるのがメンティーラなのであった。


 メンティーラの視線が再びディープへと戻った。

 そこにいるのは至高の暗殺者。

 約千年ぶりに誕生した、暗殺者の最高位である殲滅者ターミネーター


 そしてその誕生のきっかけを作ったのは、間違いなくメンティーラである。


 それは決して意図したものでは無かったが、その代償として己の命を何年も脅かされ、結局は刈り取られる事になってしまった。


ーーガイムよりも厄介な存在になるなんて、誰が

  予想できたっていうんだよ…。

  ホントにもう…ついてないねぇ…。


 メンティーラの体が床へと崩れ落ちた。


 何故、自分の正体がバレたのか。

 その理由は分からず終いであったが、因果応報に抗うのをやめて静かにその目を閉じた。

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