第26話 皇城イターナルでの戦い12 シュバルツの計画

 強者同士の戦闘における、決着の瞬間。

 それは戦いの最中で、最も集中力が高まる時である。


 獲物を捕らえる瞬間は猛獣ですらも周囲への警戒を解く。

 そして目の前のターゲットにだけ集中するのだ。


 それは最も神経が研ぎ澄まされる瞬間と言えるが、見方を変えれば最も視界が狭くなる瞬間とも言える。


 強者二人がそんな最中にあっても、無視できなかった存在感。

 それはまるで周囲の空気をも巻き込みながら、重戦士の体を中心に渦巻いている様であった。


 重戦士はヴィッツ達から視線を外すと、少しだけ周囲を見渡した。

 そして皇帝に抱きかかえられているシュバルツと目が合い、そこで少し視線を止めた。


 シュバルツの視界は既に色を失っていた。

 しかし見覚えのあるタワーシールドの輪郭を目にすると、言いようの無い達成感と安堵感がシュバルツの心を満たしていった。


ーーやっと来たか…。

  全てが予定通りとは行かなかったが、これで

  もう陛下は大丈夫だ。


  双方と武器を交えたワシには分かる。

  陛下の無事が確保できたのであれば、もはや

  思い残す事はない。


  …いや、そういえばあの少年は無事だっただ

  ろうか?

  分の悪い賭けではあったが、赤秘薬は間に合

  っただろうか…。


  エクセレトスを騙し通す為とは言え、本当に

  気の毒なことをした。

  しかしこのタイミングでバッシュが来たので

  あれば、使ってくれただろう。

  ワシにはもう無事を祈る事しかできない…。


 バッシュの姿を確認し、カールの無事を願うシュバルツの目から一粒の涙が流れ落ちた。


 そしてゆっくりと目を閉じると、何かが抜け出してしまったかの様に全身の筋肉が一瞬で緩んだ。


「シュ…シュバルツ?おい!シュバルツ!!」


 レオハルトの悲鳴にも似た声が大広間に響く。


 グリスは対峙するルヴィドを睨みつけながら涙を流し、オブスクーロは忌々しいとばかりに鼻を鳴らした。


 その様子を見て、何かを確信したバッシュの足が前に進んだ。

 深い理由は分からずとも今の墨色暗殺者達は敵ではない。

 そう判断したかのように、構える事なく真っ直ぐ進んだ。


 墨色暗殺者達は誰も動かない。

 いや…動かないのはその脚か。


 上半身は道を譲ろうと身を反らしたが、下半身が言うことを聞かずにバランスを崩したのだろう。

 数人が無様に尻餅をついた。


 バッシュの事はシュバルツから事前に聞かされていた。

 その情報が己の心の中で過剰に肥大してしまったのか。

 もしくは想像を超えた強者の放つ存在感に、圧倒されてしまったのか。


 割れた墨色暗殺者達の間を、大楯を持った重戦士は悠然と進んだ。


ーー何故…何故バッシュがここにいる!


 エクセレトスはバッシュから視線を外し、オブスクーロの顔を見た。

 しかしポカンとした表情には何も答えが無いと判断し、事切れたシュバルツの顔に視線を移して睨見つけた。


 半年前…。エクセレトスを伴ったオブスクーロ一行が、たまたま郊外にて怪しい宗教団体を見かけた事があった。


 露骨に怪しいその風貌が逆に不自然でもあったが、その一行を捕縛して取り調べを行った。


 何を聞いても表情も変えず一言も発さない者達に激怒したオブスクーロは、全員を拷問にかけた。

 それは上位の暗殺者ですら目を背けてしまう様な、恐ろしい拷問。


 しかし誰一人として口を割る者は無く、一人また一人と無表情のまま死んでいった。

 中には薄い笑みを浮かべたまま死んでいく者もいた。


 その異様な光景にはさすがの拷問官も、そしてオブスクーロもたじろいだ。


 しかし不気味な一行も残すところ最後の一人となった時、その者が突然口を開いて話し始めた。

 するとそこから思いがけない情報をオブスクーロは手にすることになる。


「皇城には初代皇帝によって造られ、そして隠された地下通路がある。それはブルーマウンテンの街にまで続いており、我々はそこでの給事奉公に勤める者達である。」


 地下通路での給事奉公。

 それは意味不明な言葉であったが、その前に発せられた聞き捨てならない単語に疑問など消し飛んだ。


 皇城にある地下通路。

 それはブルーマウンテンの街にまで続いているという。


 この頃のオブスクーロは、自分が黒幕だとバレる事の無い皇帝暗殺の段取りを模索していた。

 それには何が何でも、容疑者となる人物が外部から侵入したという形にしなければならない。


 しかし皇城の警備網は正に鉄壁。

 穴などどこにも無い。


 ワザと警備網を浅くすれば足が付き、すぐに後日の調査にて暴かれてしまう。


 そして皇帝暗殺の決定打となるエクセレトスを、クラークに見られながらも隠し通すのは不可能。

 たとえ若返っていたとしても、そこに秘められた武は到底隠し通せるものでは無いのだから。


 駒は揃っているのに、策が八方塞がり。

 焦れる日々を過ごしていた時に飛び込んで来たのが、誰にも知られていない地下通路の情報。


 それは飢えた獲物の前に、餌をぶら下げた様な状態。

 脇目も振らずにかぶりつくかの如く、オブスクーロはすぐさまその場所を聞き出そうとした。


 しかし時既におそし。

 最後の一人は言い終えると同時に、自ら舌を噛み切って事切れていた。


 それを見たオブスクーロは怒り狂い、拷問官に当たり散らした。

 だが暫くして気を取り戻すと、近くにいた部下に言付けを命じ、シュバルツに「総力を持って地下通路の捜索に取りかかれ!」と伝えさせた。


 シュバルツが暗部頭を解任されてから、既に二十数年が経っている。

 しかしオブスクーロは絶対にシュバルツと直接会おうとはしなかった。


 それは反逆者との接触がとても大きなリスクを伴うから、という事もある。


 そしてシュバルツを秘薬の効果で操っていたのは、紛れもなくオブスクーロ。

 白秘薬による重ねがけの効果は一見確かなものであったが、それが永続するものであるという部分については不安が残っていた。


 もしかしたらある日効果が切れて、いきなり命を狙われるかもしれない…。

 その不安を払拭する事ができなかった為、シュバルツに命令を下す時は必ず部下を挟んでいたのである。


 エクセレトスはオブスクーロの側で、怪しい一行との一部始終を見ていた。


 しかしどうにもきな臭い。

 何よりも謎の一行が最後の一人になった途端に、ペラペラと秘密を話し始めた事が不可解過ぎる。


 それはまるで、事前に全員で申し合わせていたかの様な流れである様にも思えた。


 しかし己への依頼はあくまでも皇帝の暗殺。

 その他は領分では無いと己に言い聞かせ、敢えて口を挟まずにいたのであった。


ーーシュバルツめ…。此奴は確か地下通路の捜索

  開始と同時に、他の街にも部下を派遣して情

  報収集を行わせていたな。

  必要以上にその範囲を広げているとの報告を

  受けたオブスクーロは、シュバルツは慎重な

  奴だから考えあっての事だろうとそれを流し

  ていたが…


 そこで何かに気づいたエクセレトスは「まさか!」と、声にならない声で呟いた。


ーーまさか此奴は、バッシュの居場所を探して

  いたのか!


 確かにまさかの話ではある。

 しかし偶然バッシュが街に居合わせたとしては、あまりにもタイミングが良すぎるのだ。


 エクセレトスはブルーマウンテン襲撃事件の一部始終を聞いていた。

 それはもちろん改良黒秘薬を使ったシュバルツが、大楯を持ったバッシュという名の重戦士にやられた事も。


 それを聞いたエクセレトスは、リハビリに専念するシュバルツに会いに行った。

 そこであの男には負けても仕方がないと、誰にも話した事のない昔話をしたのであった。


 何故わざわざシュバルツに会いに行き、その話をしてしまったのか?

 それはエクセレトス自身にも、よく分からなかった。


 ただそれはもしかすると…。

 強いて言うならば『同じ人物に敗北を喫したよしみ』というものであったのかもしれない。


ーーもしも…もしもあの時点で、重ねがけによる

  洗脳が解けていたとしたら…


 シュバルツが正気に戻っていたのだとしたら、己の人生を狂わせたオブスクーロに復讐しようと策を模索していたはず。


 病的なほど己に向けられる敵意に敏感なオブスクーロ。

 そんな彼が最も視界を狭くする時とはいつか?


 それは猛獣と同じく、獲物を捕らえようとする時。

 直近ではレオハルトの暗殺を実行に移す時である。


 オブスクーロは重要案件の確認を、絶対に人任せにしない。

 それがあったからこそ、長年足を掬われずにいたとも言える。


 その性分を知っていればレオハルトの暗殺を実行する時に、オブスクーロが何処にいるのかなど容易に想定がつく。


 必ずレオハルトの死体を確認する為に、皇城にて待機しているはずなのだ。

 その日は私兵も動員して、近くの部屋で待機しているはずというのも容易に予想がつく。


 ではそこを狙う時。

 その場で最も障害となるのは何か?

 いや…誰か?


 ルヴィドではない。

 ヴィペール傭兵団の数がもっと多かったとしても、墨色暗殺者達による奇襲から短期決戦に持ち込めば…。

 もしそれでも手が届かないのなら、最悪シュバルツかグリスが黒秘薬を飲めばその時点で決着がつく。


ーーやはり…。

  やはりワシを封じる為に、バッシュの動向

  を探っていたのか!


 エクセレトスが地下通路から同行する事になった以上、狙いは皇帝の命であるという形に徹しなければならない。

 決してシュバルツの洗脳が解けているという事を、その行程で悟られてはならない。


 それは一つの不穏な動きが即、作戦の失敗に繋がるという事。

 たとえ相手が少年であったとしても、躊躇無く口封じを行う『非道なるシュバルツ』を演じなければならないという事でもあった。


 だが首尾良くオブスクーロに近けたとしても、その時一番の障害となるエクセレトスをどう封じるか?

 それにはエクセレトスと同格か、もしくはそれ以上の人物を対峙させるしか無い。


ーー追跡者を警戒する様子を見せながら、それと

  は逆に何やら時間を稼いでいる様にも見えた

  のは…そういう事か!


 理想の形は、もしかしたら別のものであったのかもしれない。

 シュバルツはオブスクーロの命を獲ることなく死んだのだから。

 しかしその代わりに皇帝レオハルトの命は守り抜いた。


 そんなシュバルツがバッシュの到着を確認した途端、己の役目は終わったとばかりに事切れたということは…


ーー舐められたものだ!バッシュさえ到着すれば

  どうにかなるとでも思ったか!


 目を血走らせたエクセレトスの全身から、濃密な怒りの混ざった闘気が発せられた。


 それはまるで周囲の空間を歪めてしまうかの様な激情。

 周りの者達は思わず後退り、ターレスとカルマンは今一度ヴィッツを挟んで身構えた。


 しかし憤怒の圧を間近で受けたヴィッツはというと、何事も無かったかの様にレオハルトへと歩み寄った。

 そして膝を突くと、整然とした態度で問いかけた。


「レオハルト皇帝陛下。今回は事後契約ではなく、場所が場所なので事前に確認をさせて頂きます。陛下は今、お命を狙われている御様子。護衛の方々も満身創痍といった状態であると見受けられます。どうでしょう、ここは一つ。もう一度、用心棒を雇われませんか?」


 周囲の者達がキョトンとした表情になった。

 こんな時に何を言っているのだと言わんばかりに、訝しげな表情の者もいる。


 しかし声をかけられたレオハルトはというと…。

 流れ出ていた涙を袖で拭い、顔を上げると真っ直ぐな目でヴィッツを見た。


「そうか…。そういえば三年前は事後の契約という形を取ったのであったな。ここで余が死ねば、事の真相は闇に葬られるであろう。余は真実を知らねばならぬ。シュバルツを含め、余を守って死んでいった者達の為にも…オブスクーロの非道をこのまま通してはならぬ!」


 そこまで言うとレオハルトはシュバルツの遺体をゆっくりと床に寝かせ、そして力強く立ち上がった。


 そこには理解不能な真実に困惑し、長々と取り乱していた男は既にいなかった。


 目に力の戻ったその男は、紛れもなく皇帝。

 ラーズ帝国六十八代皇帝、レオハルト・ディ・ラーズがそこにいた。


「ヴィッツよ、今ここで契約を交わそう!そこにいる最高の用心棒を余に付けて、この命を護ってくれ!」


 それを聞くと、ヴィッツは了承の意を込めて深々と頭を下げた。

 するとバッシュは歩みを進めながら、大楯の中から悠然とバトルハンマーを取り出した。


 大楯とバトルハンマーが両手に持たれるその姿は、まさに威風堂々。

 もしくは圧巻の一言。


 まだバッシュは何の実力も見せてはいない。

 しかしそこにいる全員の本能が…そして直感が…圧倒的戦力の到着を悟り、その身に警告を発していた。


「茶番はお終いだ!!何なのだ、次から次へと…。もういい!ここにいる全員でレオハルトの首を取れ!」


 傭兵達に浸透した絶望感を払拭するかの様に、オブスクーロが怒号を放った。


「かかれ!!」


 オブスクーロの横にはルヴィドが一人残り、その他の全員が決死の覚悟でレオハルトへと雪崩れ込む。


ーーまずい!


 ヴィッツはすぐさま六節槍を構えたが、内心では焦っていた。

 オブスクーロはこのタイミングを決して狙った訳ではない。

 しかし結果的に、仕掛けた総攻撃は皇帝側の隙を大きく突く形となった。


 バッシュの行く手にはエクセレトスがいる。

 素通りはまず不可能。


 そして腕利き揃いのヴィペール傭兵団は、まだ三十人以上残っている。


 それに対してこちらの戦力はターレスとカルマン。

 そしてヴィッツと数人の近衛騎士。


 数で負けても総戦力で負ける気はしなかったが、このタイミングだと数の差が問題となる。


 もしも回り込まれてしまったら、物理的に皇帝を守ることが困難になる。

 いや…生き残った近衛騎士を切り捨ててヴィッツ達三人で皇帝を囲めば、バッシュ到着までの時間は稼げるかもしれない。


 迫ってきた傭兵達が、二手に分かれた。

 やはり包囲して確実にレオハルトの命を取るつもりなのだろう。


ーーくっ!切り捨てるしかないのか…。


 ヴィッツが苦渋の決断を迫られたその時、


「いけ!」


 グリスの言葉と共に、大広間の中でバラけていた墨色暗殺者達が皇帝の背後へと回り込んだ。


 そして両手に武器を構え、守りを固める。

 数は十人。


 バッシュの放つ存在感に腰を抜かした者もいたが、秘められた戦闘力の高さは確認済みである。


 突然横に立ち頼もしく構えた墨色暗殺者の姿に、近衛騎士達は動揺した。

 しかしシュバルツがレオハルトを守り抜いた姿を思い出すと、瞬時に思考を切り替えて自らに気合を入れ直した。


「ははっ!馬鹿どもが!!」


 それを見たオブスクーロが、見下した目と共に笑い出した。


「お前達が今更レオハルトを守って何になるというのだ?如何なる理由があろうとも、ここで皇帝を守り抜いたとしても、お前達の行先は死刑台だ。そんな事も分からぬのか!」


 オブスクーロの罵声と笑い声が響く。

 しかし墨色暗殺者達は誰一人として目つき一つ変えなかった。


 それを見て笑うのを止めるオブスクーロ。

 その表情には戸惑いと困惑が色濃く表れていた。


「そんな事は始めから覚悟の上なんだよ…。」


 グリスがポツリと呟くと、オブスクーロの目線だけが向きを変えた。


「三年前に激しく頭を打たれた事によって洗脳が解けたシュバルツ様は、巻き込んでしまった我々のことを想って必ずお前の命を獲るとおっしゃっていた。しかし、我々には分かっていたのだ。シュバルツ様の真意はそれでは無いという事を…。」


 グリスの眼光が鋭さを増した。

 そこには今にもオブスクーロに飛びかかりそうな殺意が込められていた。


「シュバルツ様の胸に秘められていた真意とは、レオハルト皇帝陛下を御守りする事。その為に生きる人生を渇望して止まなかったのが、我々の師の本来の姿なのだ!それを貴様が…。」


 レオハルトは目を閉じ、グリスの口から明かされる真実を静かに聞いていた。


ーーやはりそうだったのか…。

  さぞ無念であっただろう、シュバルツ。

  もはやお前に何もしてやれはしないが、事の

  真実だけは解き明かすと約束しよう。


 それは心の中で行われた誓いの儀式。

 それに音を加えるかの如く、グリスの咆哮が周囲を揺らす。


「この後、死刑にされようが構わん!拷問にかけられようが、我々は笑いながら死ぬ事ができるだろう!師の願いは我々の願い。たとえこの後、四肢を捥がれて屍を晒される事になろうとも…レオハルト皇帝陛下の命は、必ず守り通す!そして…お前の命も当然逃しはしない!!」


 言い終わるのと同時に、グリスがルヴィドへと飛びかかった。

 それを口火に傭兵団もレオハルトの首を取るべく一斉に襲いかかった。


 展開されたのは、陣も策も何も無い大混乱の乱戦。

 しかしそこにあるのは、獲るか獲られるかの分かりやすい方程式。


 激突音と怒号の飛び交う中、二人の男を包む空間だけが音を消していた。


「久しいな…バッシュ。お前と剣を交えてから、七年が過ぎたといったところか。」


 先に口を開いたのはエクセレトスであった。

 しかしその視線は床に向けられ、バッシュを見てはいない。


「やはり…エクセレトスなのか。信じたくは無いが、目の前のあなたの姿が答えそのものなのだろう。」


 言葉を返す様にバッシュが口を開くと、エクセレトスの大太刀が微かに揺れた。


「多くを語り合う気はない。これがワシの選択した道であるのだからな。予定よりも随分と早く再会を果たすことになったが、この機会を見逃しては興も醒めるというものよ。」


 そう言うと、エクセレトスは大上段に大太刀を構えた。


 目の前の重戦士は、己の戦歴に唯一の黒星を付けた男なのだ。

 たとえ若返って全盛期以上の力を手にしたとはいっても、全力を尽くす以外の選択肢は無かった。


 ヴィペール傭兵団と戦いながら、チラチラとバッシュ達の様子をヴィッツは窺っていた。


 傭兵団は予想以上の手練れ揃いだ。

 自分がこの場を離れる訳にはいかない。


 バッシュの心配をする必要など無いとは思う。

 しかし相手はバッシュ以外に負けた事のない剣聖エクセレトス。

 そしてバッシュに負けた時の年齢は、五十代の半ば頃だったと聞いている。


 ターレスとヴィッツの命を奪おうとした技からは、荘厳な『威風』が感じられた。


 それは森羅万象と大太刀が一体化したかの様な。

 しかしそれなのに、何処か寂しげな感情が流れ出ている様な。


 それを手にするのは、技の追求に人生を費やした剣の狂人。

 それが今、若返った肉体と共に全てを解き放とうとしている。


 それは未知なる技。

 常道では辿り着けない狂道の極地。


 バッシュが負ける事など想像もできないが、脳裏にチラつく一抹の不安をヴィッツは振り払えなかった。


「ヴィッツ、心配は要らない。」


 それに気づいたバッシュが、おもむろに口を開いた。

 エクセレトスの視線がバッシュの足元へと移る。


「目の前にいるのは選ぶべき道の前にまで到達しながら、そこに背を向けた者。そんな人物に俺が負ける事はない。」


「なにっ?」


 バッシュの口から出た突然の勝利宣言に、エクセレトスの片眉が動いた。


 ヴィッツはそれを聞きながら数度傭兵と打ち合った後、ガラ空きとなったその首を一瞬で刎ね飛ばした。


「武の達人がその壁を乗り越えて未踏の極地へと歩みを進める時、求めるべきは技の練度や肉体の活性化ではない。」


 エクセレトスの眼光が鋭さを増した。

 それは当然の反応。


 今バッシュが口にしたのは、エクセレトスが選んだ道を全否定するものであったのだから。


「それはエクセレトス、あなたも何となく掴みかけていたはずだ。未踏の極地へ到達するのに、求めるべきなのは力でも技でもなく『質』であるという事を。」


「質…。」


 視線だけをバッシュに向けたヴィッツが、ボソリと呟いた。


「そう、『質』だ。己という枠組みからしか世界を見ることができない者には、いつまで経ってもそれが理解できない。たとえ技が理に達したとしても、その技の『質』は個の枠に収まる。それは一見、壁を超えた先にあるものを手にした様に思えるが…そうでは無い。」


 エクセレトスは動かない。

 だが奥歯はすり潰されるかの如く噛み合わされており、眉間はピクピクと震えていた。


「何故、世界と向き合う事を止めたのだエクセレトス。見なくても分かる。その構えから放たれる技は、錬磨を重ねた人生の集大成となる技ではない。」


「ふ…、ふははははは!」


 腹の底から何かを吐き出すかの様に、エクセレトスが笑い出した。


「何を言うかと思い、黙って聞いていれば…。まだこの技を見た事のないお前に、一体何が分かるというのだ!この技こそ武の極地。これこそが道の終着点。それ以外の何ものでもないわ!」


「違う。」

「っ!」


 間髪入れずに被されたバッシュの言葉が、エクセレトスの口を塞いだ。


「言うなればそれは…未踏への入り口。水脈を掘り当てる手前で、確かな手応えを感じる湿り気の強い土の様なもの。入り口に立った時の感動があまりにも大き過ぎて、それをあなたは極地だと勘違いしてしまったのだ。」


 エクセレトスの視線が、バッシュの視線と重なった。


「何故…。何故、お前にそんな事がわかる!」

「分かるさ。」


 バッシュが優しい口調で答えた。

 そして切り替わるかの様に、声に力が加らえられた。


「一度通った道だ。その時の喜び様は、手に取るように分かる。」

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