第23話 皇城イターナルでの戦い9 至高の暗殺者

「貴様…、一体何者だ?」


 それは刺す様な殺気と共に発せられた言葉。

 首筋に傷を付けられたエクセレトスの目が、突然姿を現したダークエルフを凝視した。


「さぁ〜てね。一体何者なんでしょうかねぇ?」


 しかしそんな殺気を向けられた当人はというと、何食わぬ顔。

 ディープは肩をすくめながら、ゆっくりと周りを見渡した。


 その目に映るのは呆然としている皇帝と、身を挺してそれを守った一人の墨色暗殺者。


 近衛騎士と対峙する柄の悪い連中。

 そんな連中に守られる様に立っている、扇子を持った偉そうなおっさん。


 そしてそこから少し離れた所にバラけている墨色暗殺者達…。


ーー何だ?この状況は?


 そんな意味を含む視線が、ディープとヴィッツの間で交差した。


 ヴィッツは首をわずかに横に振り、さすがに分からないと伝える。

 しかし皇帝の足元で倒れ伏している墨色暗殺者の顔を見て、思わず声を漏らした。


「…シュバルツ?」


 その声を聞くのと同時にターレスの怒りと殺気が、ヴィッツの視線の先へと向けられた。

 しかし周囲の異様な状況に加えて、目に入って来たのは既に瀕死状態のシュバルツ。


 しかもそれは大太刀を持った敵らしき人物と、レオハルトとの間に割って入ったかの様にも見えるもの。


 見方によっては…あり得ない事ではあるが、まるでシュバルツがレオハルトを庇って斬られたという状況の様にも見えた。


「なっ!」


 解き放たれた怒りの足元に、突如当てられた思考の躓き。

 感情と思考の波長が乱れたターレスは、その場で呆然とするしか無かった。


ーーあいつがシュバルツだと?


 ターレスが混乱するのと並行して、ディープは難解なパズルに一つの確かなピースを加えた。

 そしてそのピースを元に思考が回転を早め、ありとあらゆる可能性を模索し始める。


 だがその時、虚になっていたシュバルツの目に一瞬力が戻った。


 そして絶命に達する傷を負った者には不可能であるはずの動きを見せ、手元にあったダガーをエクセレトスへ投擲した。


 それを造作も無く、大太刀にて払い落としたエクセレトス。

 しかし一瞬だけ…。

 そう、ほんの一瞬だけ予想外の投擲ダガーに、意識を奪われてしまった。


 その刹那とも言える意識の隙間。

 そこに滑り込むかの様にグリスは繊月へと入った。


 シュバルツとグリスは、自分達の繊月がエクセレトスにことごとく見破られている事を知っていた。

 だからこそ様々な工夫を凝らし、エクセレトスの裏をかく手段を徹底的に模索したのである。


 繊月の弱点は、そこに入る瞬間にある。

 分かりやすく言えば、それは気配を消す瞬間。


 たとえ目視されていなくても突然気配が消えるという変化に、この化け物は反応しているのだ。

 ならば気配を消す瞬間。

 意識が逸れている瞬間を狙って、繊月へ入る事ができれば…。


 その試みは今、ここで成功を収めた。

 そしてそこに良い意味での予想外も重なった。


 絶命を待つのみと思われたシュバルツの動きはエクセレトスのみならず、その場にいた全ての者の意識を引きつけていた。

 そこに生まれた全ての意識の隙間に、グリスの繊月は見事に滑り込んだのである。


 そう…その場にいたディープという一人の変人を除いて。


 エクセレトスから視線を逸らさずに、ディープは横目で繊月に入ったグリスの姿を追いかける。


 決してグリスへと視線を向けはしない。

 何故ならばその視線の動きだけで目の前にいる剣の怪物は、瞬く間にグリスの繊月を看破してしまうであろうから。


 では何故ディープは動かないのか?

 この時点でグリスが皇帝の味方となるのか敵なのか、ディープには判断できていない。


 しかし先ほどのダガー投擲と見事に重ねられた繊月への入り。

 そのクオリティの高さから事前の申し合わせと修錬の匂いを感じ取ったディープは、今からグリスが標的とする人物こそが暗殺者達の真の標的であると考えたのであった。


 繊月に入ったグリスは、ヴィペール傭兵団の背後へと回った。

 それは素早く動きながらも全く音を生じさせない、背後から忍び寄る蜘蛛の様に。


 そこから一気に距離を詰めたグリスの目の前にいたのはオブスクーロ。

 その意識は全くグリスを察知できていない。


ーーあのおっさんが?


 予想外の標的にディープの思考が回転を増す。


 シュバルツの命の残り火を囮にしてまで狙ったのは、いつでも殺せそうな初老の男。


 何故そんな男に、そこまでする必要があったのか?


 そしてディープの目の前にいる剣士は、刃が首筋に触れる瞬間を察知してから回避を成功させるバケモノ。

 もし新月に入っていなければ、刃が首筋に触れる事も無かっただろう。


 これらの情報を合わせて見えてくる答えは、こんな厄介な相手が護衛を務めている時に命を狙うしかないほど、初老の男は用心深い人物であるという事であった。


 そして首魁であるシュバルツが街全体を巻き込んで襲撃したはずの皇帝を、今回は命がけで守ったという矛盾した事実。


 散在する情報の点と点を繋いでいくと、これまで誰も想像し得なかった仮説がディープの脳内に浮かび上がってきた。


ーー三年前の襲撃はシュバルツの真意では

  無かったのか?


 歴史に隠されようとしていた確かな真実にディープの思考が触れかけた時、オブスクーロの背後を取ったグリスが心臓を目掛けてマチェットを突き出した。


 それは紛れも無い剣技。

 暗殺者としての動きでは無かった。


 カルマンの命を奪いかけたエクセレトスの突きとは比ぶべくも無いが、型そのものは同じであった。


 真っ直ぐにマチェットが走る。

 シュバルツの無念と最後の願いを乗せて。


 しかしオブスクーロの身体を貫くはずのマチェットは突如軌道を変え、大理石の床を指す形で止まってしまった。


 その原因となったのは一本のショートソード。

 グリスの放った突きを下へと逸らし、一人の女傭兵が間に割って入っていた。


ーー何だと!


 グリスは信じられないものを見るように、女傭兵の顔を見た。

 そこにあった表情は大きな焦りであった。


 護衛対象の命を脅かされた事に対するものとしては当然の表情。

 しかし、そこに対する焦りではないことをグリスの直感はなんとなく感じ取る。


「チッ!厄介な時に…。」


 女傭兵が小声で心情を吐露した。

 それを聞いたグリスは「何のことだ?」と疑問に思うが、女傭兵の注意が自分にだけではなく、突然現れたダークエルフにも向けられていることを察知した。


 ディープはエクセレトスから視線を外し、背後から命を狙われた事に狼狽るオブスクーロへと目を向けていた。

 いや、正確にはその後ろにいる人物か。


 グリスの試みた暗殺を阻止しながらも、ディープの視線からは隠れる様に位置取っている女傭兵。

 そこから発せられる気配をその目で観ていた。


 グリスの繊月は完璧に入っていた。

 あれを看破できるのはディープと同じく新月を習得した者…。

 もしくはそれに準ずる影法師シャドーマスターの位にまで到達して、繊月の練度を高めた者でなければ不可能。


ーー何故、女傭兵があれに気づくことが

  できた?

  いや、あレは本当に女ヨウへいナノカ?


 ディープの頭の中が一瞬で黒に染まった。

 それは殺意一色の闇。

 自我すらも呑み込んでしまう程の漆黒であった。


 傭兵如きに見破られる質の繊月では無かった。

 という事は…あの女の見た目は傭兵でも、中身はそうではないという事。


 そういう人物にディープは心当たりがあった。

 それができる人物をディープは知っていた。


 ディープの足が女傭兵へ向かおうとする。

 しかしその時、背後からエクセレトスの横薙ぎか迫って来た。


 それをまるで事前に分かっていたかの様に、地に伏せる形で回避するディープ。


 傍目に二人の攻防を見ていたクラークは、己の体が思わず身震いするのを感じた。

 目視できない角度からのエクセレトスの横薙ぎ。

 それを完全に回避する事がいかに困難な事であるのかを、クラークは理解できるからである。


 空を切った大太刀は標的を見失うが、エクセレトスはそのまま背後頭上へと上昇させた。

 そしてその勢いを殺さぬように、体を回転させながら自らも跳び上がった。


 すると一回りしたところで大太刀は大上段へ到着し、上空にて美しく構えられたのである。


 また雷が落ちてくる。

 次は更なる力を加えて。


 そう周囲の者達が確信した時、地に伏しているはずのディープの姿がそこには無くなっていた。


 エクセレトスは目を見開いた。

ーーこんな事があり得るのか?

  確かに視界の中心で捉えていた姿が、

  そこから色褪せる様に消えていくこと

  など…。


 困惑を心の片隅に一度置き、エクセレトスは周囲に意識を集中させた。


ーー右だ!


 エクセレトスの直感が、微かな違和感が近づいて来るのを察知した。


 それはシュバルツやグリスが繊月を使った時の状態と同じだが、格が違う。

 シュバルツ達の繊月が暗闇の中に同化する漆黒だとすれば、ディープのそれは暗闇の中の半透明。


 それが命を狙って来ると考えれば、危険度の違いは歴然である。

 これを察知できるのは全種族合わせても、世界でも数人いるかいないかであろう。


ーーしかし…運が悪かったな。


 世界でも数人いるかいないか。

 その内の一人と今ここで出会ってしまったのだ。

 エクセレトスがそう思うのも仕方がない。


 そして覚醒したシュバルツが一度だけ解き放った新月と比べれば、今のディープは数段劣る状態にあると言える。


 大太刀を握るエクセレトスの両手に力が入った。


 右から凄まじい速度で半透明の気配が迫って来る。

 それをエクセレトスは正確に捉え、稲妻の如き烈閃にて縦に斬り裂いた。


 空気が放つ悲鳴と共に、衝撃が周囲へと駆け巡った。


 周囲の者には何故エクセレトスがその位置を斬ったのかが分からない。


 だがエクセレトスには確信があった。

 確かにそこに脅威が迫っていたという確信が。

 だが…


ーーなにっ!?


 両手に返ってきたのは、その確信を見事に裏切る手応え。

 そう…それは一人で型を修練する時と同じもの。

 紛れもなく空を斬った時の手応えであった。


 直後、先ほど傷つけられた場所とは反対の首筋に、刃先が滑り込むイメージが脳裏をかすめた。


 エクセレトスは体を全力で横に振り、脅威を回避した。

 しかし無理な動きをしたせいか着地に失敗し、体は激しく床に叩きつけられた。


 シュバルツは全身から力が抜けていくのにも関わらず、未だに鮮明な視界が確保されている事に戸惑っていた。


 黒秘薬を飲み干した者は首を刎ねられるか、心臓を潰されない限り効果時間が終わるまで絶命には至らないという。

 その異様とも言える感覚の真っ只中にいた。


ーーせ…繊月を囮に使ったというのか!


 目の前で繰り出された技に、確実な死を間近に控えたシュバルツが驚愕していた。


 エクセレトスを翻弄しているダークエルフは新月の修得者だ。

 それは一度新月を体験したシュバルツだからこそ確信できる事実。


 しかし、その練度の深さと応用の広がりには驚嘆するしかない。

 一体どれだけの悲惨な経験を経て、新月の修得に至ったのか?

 ここまで使いこなすのに、どれだけ壮絶な心の苦しみに耐え抜いたのか?


 そしてダークエルフとは絶滅の危機を迎えたエルフ族が、長い寿命を犠牲にして卓越した能力を手にした特殊変質体である。


 それは要するに見た目は褐色のエルフであっても、長命ではなく見た目通りの年齢であるという事。


 あの若さで一体どれだけの傷を心に負ったのか?

 新月の門を開いた時の覚悟とは如何程のものだったのか?


 ピクリとも動かない体であるのに、目頭が熱くなるのを感じるシュバルツ。

 グリスがオブスクーロの暗殺に失敗したのが遠目に見えたが、最早結果はどうでも良かった。


 やれる事はやった。

 剣聖にも一矢報えた。

 本物の新月の修得者にも出会えた。

 こんな己にグリスもよく尽くしてくれた。

 そして何よりも…。


 一度は己が生涯の主人と心に決めた、皇帝レオハルトの腕の中で死ぬ事ができるという事実。


 そこから伝わってくる温もりが、シュバルツの心の中で結晶化していた怨みと後悔を急速に溶かしていたのであった。


 エクセレトスが起き上がる。

 小さく身を震わせながら。

 今まで一度も見せなかった憤怒の形相と共に。


「き…きさま…。今、手を抜いたな?いかにワシが全力で回避したとしても、あのタイミングであればもう少し深く斬り込むことができたはず…。そして明らかに頸動脈を狙ったこの傷。もしかしたらこれは命まで届き得たのではないか?…おのれ!このワシを愚弄するか、若造が!!」


 濃厚な怒気を孕んだ声が、エクセレトスの口から発せられた。

 それは圧力だけで相手を咬み殺してしまいそうな怒気。


 数名の傭兵はその怒気に当てられただけで腰を抜かし、ターレスは自分に向けられたものではない事に心の底から安堵した。


 しかしその矛先となったディープの顔にあったのは、右も左もない無表情であった。

 それを見た瞬間にエクセレトスは見開いた目を細め、濃厚な怒気が徐々に霧散していった。


 ディープの無表情。それはおよそ人が作ることのできる表情では無かった。


 人形の顔にある無表情とは違い、ポーカーフェイスとも全く違う表情がそこにあった。


 一体何を経験すれば、その様な表情をすることができるのか?

 一体何を代償に、顔から表情を削り落としたのか?


 目の前にいるのは未知の存在。

 いや、想像を超えた存在か。


 その事実が怒気に浸されたエクセレトスの思考を、平静へと引き戻したのであった。


「オマえの相手は後ダ。先二済まセル用事がデキタから、ジャマヲすルナ…。」


 その口から発せられた言葉は、先ほどまでのふざけた口調では無かった。

 片言…というより、雑音が所々混じった様な継ぎ接ぎの口調。


 もし魔物が人の言葉を話したとしても、そこまで不自然なものにはならないだろうと思えるほどの異質なものであった。


 不気味な声をその場に残すと、ディープは忽然と姿を消した。

 そしていつの間にか大広間の中央付近に移動しており、その足は引きつった顔の女傭兵へと向かっていた。

 その途中で澄まし顔のヴィッツとすれ違う。


「それ以上入り込んで、戻れなくなっても知りませんからね。」


 呟く様に言ったヴィッツの言葉に、一度ディープの足が止まった。


 すると決して仲間に向けるものではない無機質な視線をヴィッツに向けて、口を開いた。


「そのトキにハ、アノオトコガどう二かするダロウ…。」


 あの男とは誰のことを指しているのか?

 エクセレトス達には見当がつかなかったが、ヴィッツはもちろん理解していた。


「…その時はまず、私が相手です。」


 少しの間、二人の視線が交差する。

 そして先に視線を外したのはディープであった。


「マダ…ゴネん早い…」


 そう言い残すとディープは視線を女傭兵に戻し、一気に駆け出した。


 エクセレトスは動かない。

 ディープの狙いが不明ではあったが、その視線からオブスクーロを狙っている訳でないという事が何となく分かった。


 自分を後回しにしてまで、至高の暗殺者が標的とする存在。

 そこに大きな興味が湧いたため、傍観していたのであった。


「テメエら、宰相を守れ!あいつを近づけるんじゃねぇぞ!」


 ディープの動きに反応するかの様に、女傭兵が男勝りな声を上げた。


 戸惑う表情を見せながらも、間に割って入るヴィペール傭兵団達。

 先程の攻防を見ていたからであろうか。

 数名の顔には明らかな怯えが張り付いている。


 しかしディープは一切表情を変えることなく、一瞬で傭兵団の背後へとすり抜けた。


「え?」


 驚きの声が口からこぼれ落ちるのと同時に、三つの首が血飛沫と共に宙に舞う。


 ディープの進行を防ぐために壁となった傭兵達。

 その両端に立っていた者達は、恐怖に縛られ動くことができなかった。


 過程は分からないが、中央にいた者達の首が刎ねられたことはそれぞれが理解した。

 しかしその過程が分からないからこそ、自分の命がまだ無事であるのかどうかが判断できなかったのである。


 その時、大剣を持ったルヴィドがオブスクーロの前に立った。

 そこで守りの構えをとるが、その表情は明らかに引きつっており大剣は微かに震えていた。


「お…オヤジはやらせねぇぞ!」


ーーおやじ?


 皇帝側の人間にわずかな動揺が走る。

 ルヴィドとオブスクーロの間には血縁があったのか?

 そう考えるが、その思考は一瞬で活動を止めた。


 何故ならディープの歩みはオブスクーロに向いておらず、未だグリスと対峙している女傭兵へと向かっていたのだから。


 ディープが女傭兵へと近づく。

 すると血相を変えた女傭兵は二本の指を口に咥え、高らかに指笛を鳴らした。


 その直後、大広間の中で散らばっていた傭兵達の中から十名程が一斉に動き出した。

 そしてディープと女傭兵の間に割って入り、それぞれが武器を構えた。


 その構えは今まで見せていた荒くれの者としてのものではなかった。

 マチェットとダガーを両手に持つ事を前提とした暗殺者のもの。


 手に持つ武器はそれぞれ別の物だが、構えは明らかにそれであった。


 ディープの無表情が、口端だけ吊り上がった。


「ケッテイだナ…。サガシタぞ……メンティーラァァアアア!!」


 ディープの眼光が鋭利な殺気となって、メンティーラと呼ばれた女傭兵に襲いかかる。


「ヒィィ!!…お、お前ら。奴を近づけるな!殺せ!殺せぇええ!」


 言い終わるのと同時にメンティーラは西側の大扉へと走り出した。

 護衛対象のオブスクーロをその場に残して。


 その醜態を隠すかの様に、暗殺者の構えをとった傭兵達がディープへと襲いかかった。


ーーやはりメンティーラがいたか。


 もはや傍観することしかできないシュバルツは、自分の推察が正しかった事を理解した。


 約二十年前、オブスクーロの部屋で自分に白秘薬を盛ったメイド。

 顔こそは全くの別人であったが、そのイヤらしい笑みの浮かべ方にシュバルツは心当たりがあった。


 変装と擬態の達人、影法師メンティーラ。

 暗殺者集団アラマートの首領であり、現在では唯一の女影法師であるとされる。


 厄介なのは勿論その卓越した変装技術。

 しかしそれ以上に厄介なのが、メンティーラの素顔を誰一人として見た事が無いという事であった。


 その為、一度身を隠されてしまうと追跡は困難を極める。


 しかしどれだけ巧みに変装できたとしても生物である以上、表情筋まで変える事はできない。


 メンティーラと何度か顔を合わせる機会のあったシュバルツであったが、もちろんその素顔を見た事は無かった。

 しかし周囲に不快をばら撒く粘着質な笑い顔は、初めて見た時に強烈に瞼に焼き付いたのである。


 アラマートそのものは優れた暗殺者集団であったが、各国の首脳陣からの評価は今や幻の暗殺者集団となった『レーグル』に一歩及ばないといったところであった。


 その評価に恐ろしいほどメンティーラは固執していたという話を、シュバルツは聞いた事があった。

 そしてその数年後に飛び込んで来たのは、レーグルが解散したという衝撃の事実。


 すると、あのディープと呼ばれた新月の使い手はレーグルの関係者なのか?

 レーグルの首領は凄腕のダークエルフと聞いていたが、確か名前はガイムという名前だったはず…。


 そこまでシュバルツの思考が進んだ時、ディープに襲いかかった傭兵達の首が三つ同時に斬り落とされた。


 ディープは左手にダガーを逆手に持ち、そこからは血が滴り落ちている。

 しかしそれに怯むとこなく、傭兵達は背後からディープに迫る。


 仲間達の命が奪われたのにも関わらず、その動きには微塵の動揺も無い。

 それは姿こそ傭兵であるが、中身は凄腕の暗殺者達である事を物語っていた。


 するとディープがおもむろにマチェットを引き抜いた。


 それを見たターレスの口からは「え?」という声が漏れ、 ヴィッツの口からは「まったく…」という呆れる様な小声が発せられた。


 ターレスがディープと一緒にいた時間は僅かなものであり、共にした戦闘も数回である。

 しかしどんな敵でどれだけ敵が多くても、ディープはダガーだけでそれを葬ってきた。


 その間、腰にずっと携えられていただけのディープのマチェット。

 これが抜かれるのをターレスが見るのは初めてであり、数年の付き合いがあるヴィッツでさえも二度目であった。


 背後からの攻撃をディープは何なく躱し続けた。

 その両手にはマチェットとダガーが握られているが、自然体にて垂下されている。


 激しさを増す傭兵達の攻撃。

 牙月がげつなどの連携技も放たれるが、それを軽々と躱すディープの姿が徐々に霞んでいった。


 表情を変えなかった傭兵達に、明らかな焦りが見え始める。

 そしてディープの姿が完全に見えなくなったその時、五つの首が上空に刎ね上り、それぞれの胴体が真っ二つに横に斬り裂かれた。


 それを遠目に見ていたエクセレトスは「素晴らしい…。」と、思わず感嘆の声を口から溢した。

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