第16話 皇城イターナルでの戦い2 暗部頭カルマン
法則を持たせない生活。
それが彼の日常。
日中に必要な睡眠を取り、夜間に主な勤めを果たす。
では次の日も同じく日中に睡眠を取るのかというと、そういう訳ではない。
夕方に仮眠を取り、日暮れには起床した。
ではその次の日はいつ睡眠を取ったのかと問うと、答えは「取っていない」となる。
彼曰く、三日間までなら睡眠を取らなくても支障は出ないのだそうだ。
ラーズ帝国暗部隊暗部頭カルマン。
それが彼の役職であり名前である。
シュバルツが解任されてから約十年もの間、レオハルトは暗部頭に誰も就任させなかった。
皇族や貴族から警備の質に支障が出ると再三言われたが、それでも断固誰も就任させなかったのである。
そう…レオハルトは待っていたのだ。
信に足る人物が現れるのを。
己が目指す道を歩むためには、疑う必要の無い人物が最低でも二人は必要。
それは騎士団団長と暗部隊暗部頭。
この二人において少しでも妥協があれば、自分は皇帝という名の木偶人形としてしか生きられなくなると考えて。
長い歴史を持つラーズ帝国ではあるが、だからこそ皇族も貴族も一枚岩ではない。
様々な派閥に多様な勢力。
そこから生まれる無駄な…本当に無駄なしがらみ。
そのしがらみの相手をまともにしていたら、人生という名の時間が完全に無駄になる。
どれだけ上手くそれ等を振り解いても、自由になった時には帝位を次の者へという話になり、結局はふりだしに戻るのだ。
レオハルトはその無駄なしがらみを利用して、先代皇帝の国外追放を成功させた。
しがらみには良くも悪くも力がある。強大な力が。
だからこそレオハルトはまず、己の両腕となる者を用意する必要があったのである。
それは無駄を断つ剣に、無用な手出しから身を守る盾。
そしてそれは表と裏、それぞれに必要となる。
表で剣と盾を輝かせるのは近衛騎士団団長クラーク。
公私の場において常にレオハルトと共にあり、その存在意義は完全に制御された暴力。
それは一見すると矛盾した表現である。
しかし完全に制御された力程度では駄目なのだ。
それでは大人し過ぎる。
暴れ出したら何を仕出かすか分からない。
その危険性を孕んでいる必要があった。
それこそが最高の抑止力になるのだから。
そして裏から刃で無駄なしがらみを断ち、影から忍び寄る手より皇帝を守る盾。
それが暗部隊暗部頭カルマンである。
クラークとカルマン、そしてターレスの三人は墓守の街ブルーマウンテンの出身である。
先代皇帝の時代、ブルーマウンテンの街周辺にワイルドボアが大量に出現したことがあった。
滞在していた冒険者達は複数の大型魔獣の討伐へ向かっており、対策の取れない街周辺では被害が拡大しているとフェアメーゲンに報告が届く。
国営兆域への参拝になど一度も行ったことのない先代皇帝アヴァール・ディ・ラーズは、明らかに面倒くさそうな顔をしてこの件を皇太子レオハルトに一任した。
しかし大切な後継ぎにもしもの事があってはならぬと考え、信頼の置ける護衛を供に付けることにしたのである。
そしてその指名を受けたのは当時の騎士団団長…ではなく、暗部頭のシュバルツであった。
ブルーマウンテンの街より東へ徒歩で半日の平原。問題とされたその場所で、レオハルトとシュバルツは驚くべきものを目にした。
それはワイルドボアを相手に暴れ回る四人の少年達。
前衛の二人はとても少年とは思えぬ剣さばきでワイルドボアを斬り裂いていた。
一人は獣の様に飛び回りながら。
もう一人は荒削りながらも豪快に剣を振るっていた。
中衛の一人は槍を構えて時折素晴らしい一閃を放つのだが、基本的には全体に指示を飛ばしていた。
そして後衛の一人は弓での援護に徹していた。
しかし時にはヘッドショットを繰り出して危ない状況を覆す凄腕であり、絶妙なバランスを駆使して四人は暴れ回っていた。
「こ、これは…。」
先に驚きの声をあげたのはシュバルツであった。
影法師の目から見てもこの四人の少年達は紛れも無く原石であり、そしてすでに理想のチームであるように見えた。
すると百人の近衛騎士を引き連れていたレオハルトの姿にワイルドボアが気づいた。
一匹…また一匹と逃げ出すと、それが全体に伝染して最終的には全てのワイルドボアが東へと逃げてしまった。
平原に転がっていたワイルドボアは合計で十五匹。
逃げて行ったのが二十匹程度だったので、もうすぐ半分に手が届くといったところだったのだろう。
「もう!何なんだよ、突然大勢で押しかけて。ワイルドボア達が全部逃げちゃったじゃないか!」
前衛で獣の様に飛び回りながら剣を振るっていた少年が、不服そうな顔をして先頭にいたレオハルトに突っかかってきた。
数人の近衛騎士が前に出ようとするが、レオハルトは手でそれを制した。
「バカ!やめろクラーク。どう見ても後ろにいるのは近衛騎士だ。という事は、この人は皇族ってことだぞ。」
「で、でもさ…このまま全部討伐できそうだったんだぜ?問題が解決して喜ぶ街の人達の顔を、お前は見たくないのかよ、カルマン!」
弓を片手に持った少年が肩を引っ張るが、クラークと呼ばれた少年は納得がいかないという顔をする。
「ターレス!お前だって納得いかないだろ?」
突然声をかけられたもう一人の前衛は、ターレスという名前らしい。
しかし彼は首を横に振り、肩を竦めて下唇を突き出しただけであった。
その時、クラークという少年の後頭部に棒状の物が勢いよく落ちて来た。
「いっ!…いってぇ〜〜〜!」
後頭部を両手で抱え、クラーク少年はしゃがみ込んだ。
落ちて来たのは槍の柄の部分であり、それを握っていたのは冷静な瞳がとにかく印象的な少年。
しかし他の三人よりも明らかに年上に見える少年であった。
「私の仲間が大変失礼致しました、レオハルト皇太子殿下。私の名前はエムロードと申します。こちらの者達は手前から順にクラーク、カルマン、ターレスという名で、ブルーマウンテンの街から出たことの無い田舎者で御座います。どうか非礼をお許し下さい。」
レオハルトとシュバルツは一瞬だけ視線を交差させ、そして困惑した。
何故名乗ってもいないのにレオハルトが皇太子であると分かったのか…。
帝都外でレオハルトを顔のみで判断できる人物は、まだそう多くないはずである。
しかし街が帝都へ被害の報告を提出していたことや、先程の近衛騎士達の反応。
更にはレオハルトの年齢、伝え聞く容姿などから、推測する事が完全に不可能とは言えない。
そして何よりも…。
この中で最も戦士としての資質を秘めていると見えたクラークという少年が、落ちてくる槍の柄に全く反応できていなかったのだ。
目の前にいる四人はいずれも類い稀な才能を秘めている。
それは間違いない。
しかしエムロードと名乗った少年はその中でも更に異質な、そして既に完成された宝石の様に、人の心を強烈に惹きつける輝きを放っていた。
「気にしなくていい。それよりも…いつもこの様に、お前達だけで魔獣の討伐をしているのか?」
細かい事を一言で終わらせたレオハルトは、とにかく少年達の事を知ることに徹した。
「そうですね。基本的には四人での模擬戦がほとんどですが、たまに街周辺を彷徨いている魔獣等で実戦経験を積むようにしております。」
それを聞いたシュバルツは、もう黙ってられぬと言わんばかりにレオハルトに視線で許可を請う。
それに気づいたレオハルトが僅かに頷くと、すぐさま口を開いた。
「しかし、陣形や戦術などはどの様にして学んだのだ?それにお主と弓を扱う少年…カルマンと言ったか?二人は気配を隠して立ち回っていたが、一体誰に習ったのだ?」
そう…。正にこの部分なのだ。
武器の扱いについては誰かに教わらなくても、ある意味において既に体が知っていると言う事ができる。
体には形がある。
形があるからには動きに必ず限りが生じる。
それはどんな武器を選んだとしても、同じ事が言える。
手の動きに足の運び。
腰の捻りに、手首の返し。
一つ一つの違いを数えていけば、途方も無い数の組み合わせに無限を感じるであろう。
しかしそれは決して無限では無い。
一見は無限に見えても、形がある限りそれは有限なのだ。
武器を持ち、体と会話しながら動きを確かめる。
それを何千何万と繰り返していく中で、最速を模索し、最適を培ってゆく。
先に歩んだ者に教えを請い、導いてもらう事。
それは確かに近道となるものである。
しかし近道を得た者が皆、頂まで登り詰められる訳ではない。
握った武器と己の体。
この間での会話を誰よりも多く繰り返した者のみが、達人という壁のその奥へと進む事ができるのである。
少年達が雨が降っても風の日にも武器を取り、ああでも無いこうでも無いと試行錯誤して今の技量を手にしたというのであれば、それはそれで納得ができる。
しかし陣形や戦術、そして気配隠しなどの特殊技能については話が別だ。
これ等は明らかに教えを請い、学ばなければ手にできるものではない。
もちろん例外はあるだろう。
しかし少年の段階で戦術などを駆使し、魔獣の討伐に当たるのはあまりにも不自然な点が多過ぎるのである。
「戦術については、私が父の書斎にあった書籍から得たものの応用です。気配の隠し方については、カルマンの父親が凄腕の狩人なので教えてもらいました。」
「な、何と…。」
シュバルツは歓喜と恐れの二つを同時に感じていた。
今、エムロードという少年が口にした事は一応筋が通っている。
通ってはいるのだが、それを通すためには類い稀な才能…世に出れば英雄として名を残すであろう者が持つ程の才能を秘めている必要があったからだ。
五年後か十年後か。
この少年は必ず傑物となってその才能を開花させるだろう。
今の時点で既に開花が始まっているのだから。
しかも情報や刺激の少ないこんな辺境の地において。
これは決して敵に回していい存在ではない。
そして確実に、帝国の配下として欲しい人材でもある。
シュバルツは再びレオハルトに視線を送った。
ここで逃すべきではないという意を込めて。
「今、父の書斎にあった書籍から戦術を得たと言ったが、父親の名前は何というのだ?」
何をするにしてもエムロードはまだ少年だ。
とは言っても、限りなく青年に近い少年と言えるのだが…。
ならばまず親を押さえるのが先決であろう。
「私の父の名は、ディロードと申します。」
記憶の何処かにある音の調子に、レオハルトは片眉を上げた。
そしてシュバルツも何かに反応をしている様だ。
「ディロード?何というか…耳に残っている響きだな。ディロード…ディロード…。ディ、ロード…。む!も、もしかして…。ケントニス・ディ・ロードか?」
驚頂いた様子のレオハルトの横では、シュバルツが「あ!」という顔をしていた。
この世界で貴族以上の階級を持つ者の名前には法則がある。
それは名前・血筋・家名である。
レオハルトの名を例に挙げれば、レオハルト・皇族・ラーズ家という意味となる。
ラーズ帝国において初代皇帝の血を受け継ぐのは、その名が指す様にラーズ家であるが、長い歴史の中ではいくつもの分家が生まれた。
その中で歴史も浅く人数も少数であったのがロード家であった。
ケントニス・ディ・ロード。
ロード家の鬼才と言われた男である。
皇族でありながら前線へと赴き、そこで振るわれた軍略は常勝無敗。
それは短い年月であったが、周辺国家にその名が知れ渡るには十分過ぎる程の実績を積み重ねたのが、ケントニスという人物であった。
ある時、ケントニスはその実績を評価され、皇都警備網強化の責任者に抜擢された。
仕方なく訪れた皇都において、当時の皇帝アヴァール・ディ・ラーズの悪政をケントニスはありありと目の当たりにする。
するとケントニスは周囲からの制止の声に一切耳を貸さずに、アヴァールに対して直接忠言を行ったのである。
もちろん、これに対してアヴァールは激怒。
その場でケントニスの爵位を剥奪した。
しかしそれでも怒りの収まらなかったアヴァールは、ロード家そのものの取り潰しを全権力を駆使して強行したのである。
「はい。父のディロードは以前、ケントニスと名乗っていた時期がありました。」
「そ、そうか。確か名前も全て没収されたのであったな。しかしまたディロードとは…。思わせぶりな名前にしたものだな。」
レオハルトが言葉に詰まりながら言うと、
「ロード家の長老の方々から、責任を取ってディロードを名乗れと言われたそうです。そして爵位は無くともロードの名を絶やすなと。」
「それで息子はエムロードというわけか。」
「はい。経緯はともかく、私はこの名前が好きです。」
エムロードがニコリと笑うと、シュバルツが何かに気づいた。
「似た様な名前?となると…まさかカルマンの父は、特殊遊撃部隊にいた部隊長サルマンか?」
するとそれに反応したカルマンが答えた。
「はい。サルマンは俺の父親です。」
「な、なんと。この街に来ていたのか…。」
特殊部隊隊長サルマンは、シュバルツが自分の片腕に欲しいと思っていた人物である。
彼は暗殺者ではない。
しかし、その気配の隠し方は達人級。
少しだけのコツでも教えてやれば、すぐにでも繊月を習得できる様にも思える人物であった。
そして何よりもシュバルツを惹きつけたのは、サルマンの持つ卓越した弓の技術。
「百発百中など幼子が見る夢物語よ!」と笑っていたシュバルツは、ケントニスの片腕として戦うサルマンの姿を一度見て、その言葉を撤回したという。
そしてケントニスが爵位を剥奪されたその日に、サルマン自身はロード家でも無いのに特殊遊撃部隊隊長を辞任した。
更にはシュバルツからの必死の勧誘をも丁寧に断り、ケントニスと共に皇都を後にしたのであった。
「しかし、そうなると…。」
シュバルツは眉を潜めた。
この四人は全て手元に欲しい人材であるが、その中で最も欲しいのはエムロードだ。
原石の中にあっても尚、そこでも更に異彩を放つ原石があったのであれば、なにを捨ててでも直ぐに確保しなければならない。
しかし父親の辿った経緯を考えるに、エムロードを帝都に迎えるのはどう考えても不可能。
とはいってもこれだけの才能の持ち主。
他国に引き抜かれるのだけは、絶対に阻止しなければならない。
そこでシュバルツは妙案を思いついた。
価値ある物を手に入れるチャンスが訪れた時、その場で全てを得ようという執心こそが手痛い失敗を招くことがある。
かといって、全てを諦めるのは愚策だ。
物事には順序というものがある。
焦らず冷静に事を運べば、全てを手に入れる道は細くても必ず見えてくる…。
「殿下。少々お話ししたい事があるのですが。」
この時に自分の進言した案が、未来の自分を苦しめる事になる。
そんな事を知るはずもないシュバルツが、レオハルトに向けていつもの笑みを浮かべていた。
◆◆◆
懐かしい夢を見た。
あれは…そう、俺が陛下と初めてお会いした日の夢だ。
エムロードもいたな。兄弟のいない俺にとって、兄貴の様な存在だった。
いや、俺だけじゃ無くクラークとターレスにとっても同じ様な存在だっただろう。
それぞれに兄弟がいなくて人に何かを譲るという感覚が鈍かった俺達は、顔を合わせる度に喧嘩したな。
しっかし、あの頃からクラークは飛び抜けて強かったな。
ターレスは毎日泣きながら向かっていってたっけか。
だが、あいつも馬鹿だからなぁ。
ボコボコにされながらも、一度も負けを認めなかったな。
ラッキーパンチがクラークの顔面を初めて捉えた日。
ターレスはまだ勝ったわけでも無いのにはしゃぎ回り、転げ回って喜んだ。
そしてクラークは殴られたくせに、何故か笑っていやがったんだよな。
鼻血を出しながら…。
それが可笑しくて、俺は大笑いした。
俺だってクラークにボコボコにされてたのに、何故か妙に嬉しかったんだよな。
あの日からだったか、俺達が行動を共にする様になったのは。
悪ガキだったよ。
どうしようもないくらい。
でも仕方なかったんだ。
何かこう…有り余るエネルギーを発散させないと、どうにかなってしまいそうだったんだ。
そんなある日、エムロードがブルーマウンテンの街にやってきたんだ。
頭の良さそうな父親と共に。
そして出張ばかりでほとんど家に居なかった俺のオヤジも、その日からはずっと街にいる様になった。
それから暫く日が経った頃だったな。
相手は年上だしやめとけって俺は言ったんだけど、クラークがあの澄まし顔が気にくわねぇって言ってエムロードに喧嘩をふっかけたんだ。
今は随分と落ち着いちまったが、あの頃は狂犬そのものだったからな…。
しかし、驚いたよなぁ。
何せクラークがボコボコにされるのを、俺とターレスはその時初めて目にしたんだ。
相手が年上であっても、一度も負けたことのないクラークが…。
それから毎日、俺達はエムロードに喧嘩を売りに行った。
常に三対一の喧嘩。
当時はそれを卑怯だとは微塵も思わなかったな。
相手は年上だし、メチャクチャ強ぇし。
結局、一度も勝てなかったしな。
気がつけばいつの間にか喧嘩が組手稽古の様になっていて、そして順番を決めての模擬戦形式に変わっていたんだ。
武器の扱い方も、身の守り方も、その基本となることは全てエムロードに教えてもらった。
その頃からか…クラークがエムロードの言う事にだけは逆らわなくなったのは。
懐かしいな…。
弓の撃ち方を最初に教えてくれたのは、オヤジじゃなくてエムロードだったんだよな。
俺は枕元に立て掛けてあった弓を手に取った。
ミスリル製だが、全身を漆黒に塗られている強弓だ。
本来なら影の者が扱える様な代物じゃ無い。
あの日…。
俺がシュバルツに勧められた修行の地に出発する日の朝。
エムロードと約束を交わした弓だ。
「次に会った時、俺に一撃入れることができたらこれをお前にやる。だから強くなって帰ってこいよ、カルマン。」
今でもあの時のエムロードの顔を思い出す。
俺はその時、心の中で「行ってきます、兄貴」って言ったんだ。
本当は…本当は口に出して言いたかったんだけどな。
いや、あの時に言っておけば良かったんだ。
これについては後悔しかない。
俺はあんたから直に受け取りたかったよ、この弓を。
真っ赤に目を腫らしながらも気丈に振る舞い、あんたの子を身篭ったメルロスの手からこれを受け取るなんて…思ってもみなかったよ。
感情を抑える訓練はしてきたはずなのに、この弓の事を考えるとどうにも駄目だな。
蓋をしたはずの涙腺が緩んじまう。
皇城は今夜も静かだ。
懐かしい夢のせいで、少し深く眠ってしまったのだろう。
思った以上に夜が更けているのか、物音一つ聞こえてこない。
…ん?おかしいぞ?
この時間に静かなのは当たり前だ。
しかし…静かすぎないか?
…っ!!気配がない!
巡回しているはずの近衛兵の気配が全く感じ取れない。
そして居る位置を伝える為に、僅かに発しているはずの部下達の気配が完全に消えている。
それは気配を消さなければならない事態になったのか、既にこの世にいない存在となったのかのどちらかを意味しているものだ。
「何かあったのか?」
俺が小声で呟くと、そこに返ってくるはずの返答がなかった。
その代わりにといったタイミングで、窓から入ってきたのが二つの墨色の影。
部屋に入るなり、間髪入れずに無言で間合いを詰めてきた。
ここまで俺に気配を察知されずに近寄って来られたという事は、繊月の修得者ということ。
導師二人が侵入して来ているという事そのものが、事態の深刻さを表している。
二本のマチェットが同時に抜かれた。
そして俺からみたらハの字を描く形で、二人が同時に袈裟斬りを放ってきた。
剣圧を纏うマチェット。
それは暗殺者としての動きでは無い。
こいつら普通の導師では無いな?
しかし…な。
俺は剣圧に臆することなく、前へと自然に歩きながら最小限の動きでそれらを躱した。
すれ違いざまに二人の腰に備えられていたダガーをそれぞれ抜き取り、そのまま突き刺して窓まで歩いた。
振り返ると、見開かれて信じられないといった感情を宿した目がこちらに向けられている。
おいおい、俺が今まで誰の剣を受けて来たと思ってるんだ?
確かに良い剣圧だったが、クラークやターレスのものと比べれば涼風もいいところだよ。
二人の膝が折れ、そのまま崩れ落ちた。
急所を刺したのだ。
もう起き上がる事は無いだろう。
だが、これで目的がハッキリとしたな。
俺を狙った時点で、目的は陛下の命だ。
それ以外に俺を狙う理由はない。
そして敵の首魁はシュバルツ。
この二人は話に聞いていた墨色暗殺者か…。
確かに剣技を使ってきたな。
しかし外ではクラークが目を光らせているのに、ここまでどうやって侵入して来たんだ?
そしてこの状況で近衛騎士が雪崩れ込んできていないという事は、何らかの方法で警備網をくぐり抜けて皇城へと侵入したのだろう。
今、俺の目の前には二択がある。
部下とすぐに連絡が取れない以上、一つしか選べない。
一、クラークと近衛騎士達に知らせに走るか。
二、何はともかく陛下の下に急ぐか。
選びたいのは一だな。
敵の人数にもよるが近衛騎士に介入してもらわなければ、状況の悪化は濃厚となるだろう。
しかし、伝えに行く時間があるとは思えない。
やはり選ぶべきは二だ。
しかし二だけを選べば、それは敵の思う壺だろう。
俺を真っ先に狙ったことで、城外へ情報が漏れる事を恐れているのが丸わかりだ。
だが、今の俺には手札がない。
くそっ!時間がない。どうする?
…ん?何かが東口の方から入ってきたな。
この獣じみた気配は…クラーク!
凄まじい速さで正門へと移動しているな。
相変わらず人を辞めてるなアイツは…。
これで俺の選択肢は決まった。
陛下の下へと直行だ。
それにしても、白々しいんだよ。
必要以上に気配を漏らしやがって。
それって侵入者への圧力というより、俺への圧力だろ?
言語化したら、「こっちは分かっているから陛下を守れ」ってところか?
「りょーかいですよ、騎士団団長殿。」
俺は繊月へと入り、廊下に出て陛下の寝室へと急いだ。
近道になる書斎と応接室を通過し、そして東階段を音も無く駆け下りた。
途中で何人かの侵入者と遭遇したが、一人や二人なら何も問題ない。
特殊な導師といえども、俺なら遠距離から瞬殺できる。
特殊という意味においては、俺も例外じゃないんだよ。
この先にあるのは三階中央大広間。
ここを通らないと、陛下の寝室へはたどり着けない構造になっている。
そこに近づいて行くと、扉の奥から小さな戦闘音が聞こえてきた。
陛下の寝室警護に当たっていた部下が、敵を食い止めているのだろうか…。
何にせよ、急がねばならない。
僅かに開いていた扉の隙間。
そこから中の様子を窺うと…。
最初に目に入ってきたのは、床に伏している八人の部下達。
立って交戦しているのは三人しかいない。
そしていずれも既に満身創痍の状態だ。
そんな部下達と対峙しているのは…やはり墨色の布を纏った暗殺者達か。
南側の中央階段から入って来たようだ。
その数はざっと見で約三十といったところか。
そしてこの部屋に居るのが全員という訳ではないだろう。
…まずい。想像以上にまずい状況だ。
あそこにいる全員が導師以上の実力を持つとなると、さすがに俺一人で防げるとは言い切れない。
クラークの気配は…まだ遠いな。
「魔獣さんの到着まで、何とかしないと…だな。」
俺は弓を引きながら一瞬だけ目を閉じ、エムロードにターレス、そしてさっき遠目に見たクラークの顔を思い浮かべた。
「こんな状況でも、あの時の四人が揃っていれば何とかしちまったんだろうな。」
目を開くと、無数の凶刃が部下に向かって襲いかかろうとしていた。
俺はワザと強く扉を蹴り、注意を引きつけながら受け継ぎし強弓を解き放った。
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