第14話 青山襲撃事件7 決着

 二十年…。

 それは人の子が生まれてから、大人と認められるまでに必要となる時間。


 王族しか乗れない最新式の馬車の仕組みが、行商人の馬車にも使われる様になる年月。


 剣の修行を始めた少年が、達人と尊ばれるまでに費やす日々の合計。


 時代の一つの節目とも言える二十年。

 その全てを使って表舞台からは勿論のこと、裏世界からも姿を消し復讐の準備に努めてきた。


 帝都を脱出する時に色秘薬をいくつか入手できたのは幸運だったが、皇族に手を出した事が国そのものの逆鱗に触れたのだろう。

 帝国の総力を挙げた猛追をまともに受ける事となった。


 凄腕揃いだった暗部は瞬く間に壊滅し、シュバルツ自身も重傷を受け、生死の境を彷徨った。

 何とか命を取り留め、傷を完全に癒すのに三年。

 その後の二年で動きを取り戻した。


 そこからは十年をかけた暗殺者達の育成へ。

 影法師シャドーマスターへと手を伸ばせる者も輩出し、戦力になる暗殺者は千を越えた。

 そして黄秘薬おうひやくの入手と色秘薬の研究に五年の歳月を費やして、今日に至る。


 そう…。

 今日という一日は、そういう一日なのだ。


 そこには疑うべくも無く、尋常では無い執念が込められている。

 それは決して軽いものでは無い。

 薄くなどあろうはずも無い。


 しかし…命を捨ててでもという狂気にまでは至らなかった。

 二十年も塗り重ねてきた恨みであるのに…。

 何故なのか?


 それは復讐を果たした後の未来に、目を向けてしまったから。

 手の届かなかった未来に、今一度手を伸ばしたいと欲が出てしまった。


 欲とは恨みや執念の歩みをも鈍らせてしまう強力な色秘薬なのだろう。


 もしも…。

 もしもそれ等を捨て去り、命をも惜しまぬ所にまでその執念が至っていたら…。


 そこから振り抜かれる刃は、バッシュにも軽々と届いていた可能性がある。

 心…そして覚悟というものはそれ程までに、人の発揮する能力の限界に変化を及ぼす。


 確かな執念を宿しながらも、欺瞞に身を包んだ影法師。

 シュバルツはバッシュへと一瞬で間合いを詰めながら、マチェットとダガーを引き抜いた。


 動く度に身体中に走る激痛。

 それは能力を引き上げる代償としての副作用。


 指を一本動かすだけで、骨を折られた時の様な痛みが走る。


 それに耐えるのは復讐への執念。

 そして己の擬態を見透かされた事への怒りか。


 改良型黒秘薬は全身に走る激痛を代償に、瞬間的にだけ十倍の能力発現を可能にするものである。

 命を代償にする必要はない。

 しかし動く時に発生する激痛は、まともな戦闘を可能にするものでは無かった。


 そこでシュバルツは一芝居打つことを思いつく。

 黒秘薬を飲み干したと思いこませ、クラークの方から仕掛けて来るように仕組めば何とかなるのではないかと。


 まことしやかに飲み干す様子を見せて、本物の容器を足元へと投げる。

 口からは蒸気を浮かせ、理解不能な存在を演出する。


 レオハルトの命に軽々と手が届く脅威。

 その様に認識されれば、近衛騎士団団長であるクラークは脅威の排除を最優先させ、後の先狙いではなく必ず自ら攻撃を仕掛けてくるはず。


 それを瞬間的に跳ね上げた能力で捌き続ければ、勝機は必ず訪れる。

 そうシュバルツは考えたのであった。


 本音を言うと、改良薬無しで復讐を果たせられるのであればそれで良かった。

「増援部隊が帰ってこないのは仕方がない」

とさらりと言ったが、心の底では腹わたが煮えくり返っていたのである。


 一撃一撃が死の音を纏うクラークの攻撃。

 その全てを捌いた後に意を決して攻撃に転じたが、クラークは左腕一本の犠牲でそれを耐えてみせた。


 制御しきれていないとはいえ、十倍に跳ね上げた能力で仕掛けた必殺の攻撃を。


 バケモノめ…。

 シュバルツは表情には出さずに、心の中で冷や汗をかいた。


 体を駆け巡るのは激痛。

 それは命を差し出さない事への代償。

 体を動かす度に、心が意識を手放そうとする。


 それに耐えての二度目の攻撃。

 クラークは右腕の自由を失った。


 だかしかし…。

 またしても立ち上がった。

 次は口にハルバートを構えて。


 そう…。

 クラークとはそういうバケモノなのだ。


 しかしシュバルツはそこでようやく安堵した。

 ここまでくればもう逆転はない。


 あと一回だけこの痛みに耐えれば、レオハルトの首に手が届くと。


 そして歯を食いしばり、心の中で大きな悲鳴を上げながら放った決着の一撃。

 これで終わり。

 復讐の二十年がようやく報われる。


 そう思えた時。

 それを邪魔したのが…


 剥き出すように開かれたシュバルツの目。

 そこに映るのはタワーシールドを持って悠然と佇む、戦士バッシュ。


「一瞬で刈り取ってくれる!」


 シュバルツは全身を襲う激痛から無理やり目を逸らした。

 先程まではあれだけ耐え難かった激痛である。

 しかしその激痛さえも凌駕する怒りが、シュバルツの全身に満ちていた。


 バッシュの目の前まで迫ったシュバルツは、その勢いを殺さずに逆手に持ったダガーで斬りかかる…と見せかけて、それを全力で投擲した。


 跳ね上がった筋力によって投擲されたダガーは、目視を許さぬ速度でバッシュの顔面に迫る。


 それを何故か直前で躱せるバッシュ。

 しかしその刹那を使って、瞬きよりも早くシュバルツはバッシュの背後に回り込んだ。


 それは暗殺者が得意とする連携技「牙月がげつ」の応用。

 必殺と思える一撃を囮に相手の死角へと回り込み、真の必殺を叩き込む暗殺者の秘技。


 狼は自分よりも強大な敵を倒す時、まず数匹が敵に噛み付いてバランスを崩す。

 そこを間髪入れずに残りの数匹が呼吸器系へと噛み付き、窒息という名の必殺を狙う。


 その姿に習って付けられた秘技の名は「狼月ロウゲツ」。


「グアァァァァァアーーー!!」


 獣の様な声を発したシュバルツは、全身の能力を最大に跳ね上げた。


 同時に襲ってくる耐え難い激痛。

 それを溢れる怒りで塗り潰しながら、マチェットを突きの形で押し出した。


 狙うのは間接がある鎧の可動域。

 今の筋力であれば鎧ごと貫けるとは思うが、わざわざリスクを冒す必要はない。


 腰か?

 脇か?

 膝裏か?


 何処でも良い。

 突き刺しさえすれば、そこから斬り裂く事ができるだろう。


 左脇。

 そこにシュバルツは狙いを定めた。


 顔面に迫ったダガーを右に躱した事によって、僅かにバッシュの左脇が開いていたのである。


 加速を増したマチェットが、バッシュの左脇へと滑る様に突き進む。

 三日月を描く一閃が鎧の隙間へと到達し、そのまま…そのまま…


「なっ!」


 シュバルツは信じられないものを目にしていた。

 己が突き出したマチェットは、確かに前へと進んでいる。

 そして確かに左脇を捉えているのであるが、そこから中に入って行かないのだ。


 いや、それは正確な表現ではない。

 マチェットは中に入って行かないのではなく、届いていないのだ。

 確かに前へと進んでいるのにも関わらず…。


 それは対象となるバッシュの体が、前方へと移動している事を意味していた。


ーーあの体勢から前方への回避にでたのか!


 バッシュの左脇に全ての意識を集中していたシュバルツの視界は、恐ろしく狭まっていた。


 故に全体の動きが見えていなかった。

 故に足元へと地を這う形で滑り込んできたタワーシールドを、回避する事ができなかった。


 バッシュはダガーを躱し、視界からシュバルツが消えたのと同時に背後へと回られた気配を察知した。

 そして勢い良く前へ転がるのと同時に、浮いた脚と地面の隙間にタワーシールドを滑り込ませたのである。


「ぐわぁっ!」


 突如、踏み込んでいたシュバルツの左脛に激痛が走り、続いて右のふくらはぎにも走った。

 視界が横へと回転し、シュバルツの体はマチェットと共に地面へと転がった。


 何が起きたのか…。

 シュバルツはまだ理解できていない。


 しかし横転する視界に入って来たのは、横滑りするタワーシールド。

 まさかあれで脚を払われたのか?と原因を考えるが、両脚から発せられた激痛がシュバルツを現実へと引き戻した。


ーーまずい!


 それはほんの一瞬であった。

 ほんの一瞬、思考の鎖に捕らわれてしまった。


 その一瞬が命取りとなるのが、達人同士の戦いである。


 シュバルツは全身から冷や汗が出るのを感じた。

 地に転がっている者に横薙ぎを振るう者などいない。


 どう考えても打ち落としが迫って来ているはず。

 それは最も被弾を許してはならないバトルハンマーの一撃。


 生存本能がけたたましい警鐘を鳴らす。

 身に走る激痛など恐れている場合ではない。


 歯を食いしばり、シュバルツは再び能力十倍を解き放った。


 途端に時間の流れが緩くなった感覚へと入る。

 慌てて見上げると思った通り、バトルハンマーによる打ち落としがシュバルツに向けて放たれていた。


 ここで決めようとしているのであろう。

 バッシュの体が少し開いて大振りになっている。


 しかし十分にシュバルツを捉えられる角度と速さを備えた打ち落としであった。


 シュバルツは直ちに回避を試みた。

 だが動かそうとした両脚には激痛が走るだけで、全く力が入らない。

 どうやら両脚とも骨が折れている様であった。


 しかし、そうしている間にもバトルハンマーはシュバルツの命へと迫る。


 両脚が駄目なら両腕しか無い。

 では右と左のどちらへ?


 「グ!…グガァァァアア!!」


 シュバルツは全力で体を横に転がした。

 その直後、目の前をバトルハンマーが通過し、大きな振動と共に大地を穿つ。


 暗殺者は幼い頃から相手の死角へ入り込む訓練を繰り返す。

 文字通り血反吐を吐くほど。


 それは上位暗殺者ともなれば意識せずとも行える様になる動きであり、影法師たるシュバルツならば尚更のことだ。


 シュバルツは体に染み付いた修練の通りに、バッシュの死角となる場所へと身を転がした。

 そうそれは…タワーシールドの前。


 それは数少ない選択肢の中でも、最も選んではならない「悪手」であった。


 ヴィッツは絶句した。

 やはりバッシュは恐ろしい戦士であると。


 必殺の一撃となるものを、誘導やフェイクとして放てる者が世界に何人いるだろうか?


 しかもそこに僅かではあったが、敢えて加えられていた大きな動き。

 受ける側からしたら、決めようとして力んだものの様に見えたはず。


 その結果、シュバルツは若干大振りのバトルハンマーを躱して、タワーシールドの前へと誘導されてしまった。


 では自分であればそれを回避できただろうか?


 いや…。

 バッシュの戦い方を知らなければ、自分でもタワーシールドの前に逃げただろうとヴィッツは考える。


 バッシュの振るうバトルハンマーの圧力と恐ろしさは尋常では無い。

 それに命を脅かされた直後、死角があるのにも関わらず、わざわざバッシュの視界に収まる場所への回避などできるはずが無いのだ。


 死角への回避を成功させたシュバルツは一瞬安堵した。

 しかしそれと同時に、バッシュの足周辺の地面が窪んだ。


 空気が爆ぜる。

 その直撃を顔面に受けたシュバルツは、顎から後方へと打ち上げられた。


 回転を加えられたダガーの様に吹き飛ぶシュバルツ。

 そのまま一度目と同じ壁に激突し…そしてゆっくりと顔から地面に落ちた。


 訪れたのは束の間の静寂。

 シュバルツはピクリとも動かない。


 バッシュは前に向けていたタワーシールドを戻した。


 そしてシュバルツへ近づこうとしたその時、墨色暗殺者の一人がバッシュへ向かって走り出した。

 もう一人はヴィッツへと襲いかかった。


 ヴィッツの横にいたターレスは動かない。

 いや、もう動けなかった。


 ヴィッツと墨色暗殺者が激しく打ち合う。

 そして五回程の金属音が響いた時、ヴィッツの持つ槍が残像を纏い、墨色暗殺者の体に三つの穴を開けた。


 そしてそこに吹き飛ばされて来たのは、もう一人の墨色暗殺者。

 バッシュを見ると、再びタワーシールドが前に構えられていた。

 

 これで決着。

 まだ百人ほどの上位暗殺者が残ってはいるが、誰もがそう思った。


 しかしレオハルトは眉をひそめ、墨色暗殺者達の行動を疑問に思う。

 あれは主人の仇を討とうと動いたのだろうか?

 それにしては直線的で、お粗末すぎる動きであった。


 その時、レオハルトの脳裏に過去の思い出が蘇った。

 それはレオハルトがまだ皇太子であった時に、シュバルツと交わした会話の内容。


 戦場での経験がまだ無かったレオハルトに、シュバルツがどんな戦いであっても忘れてはならない心構えを教えてくれたことがあった。


「殿下。絶対に成功すると思われる作戦を遂行する時に、必ず準備しておくべき事は何だと思われますか?」


 暗部頭であった頃のシュバルツが問いかけると、皇太子レオハルトは漠然とし過ぎているからもっと具体的に言えと答えた。

 それを聞いたシュバルツは殿下らしい答えだと笑い、そしてその心構えを教えてくれたのである。


「いいですか、殿下。どれだけ有利な作戦であったとしても、もしもの時に逃げきる為の手段を準備しておく事。これだけは怠ってはなりません。絶対的自信の隅に、少しだけの臆病さを残しておく事。これだけは忘れてはならないのです。」


 それを聞いたレオハルトは、「いつも自信満々なシュバルツらしく無い言葉だな」と言って驚いた。


 するとシュバルツは「それもそうですな」と大きく笑い、立ち去って行ったのである。


 何故であろうか…。

 レオハルトはいつも嫌悪していたシュバルツの歪んだ笑みを、その時だけは心地良いものであったと記憶していた。


 そこまで思い返すと、レオハルトの目が倒れて動かないはずのシュバルツに向けられた。

 それと同時にバッシュとヴィッツが、急に動き出して接近して来る複数の気配を察知した。


「気を抜くな!まだ何かあるぞ!」


 レオハルトが大声で注意を呼びかけるのと同時に、八つの影が広場へと侵入しシュバルツを守る形で並んだ。


「なっ!」


 レオハルトは目を見開いた。

 目の前に現れたのは八人の暗殺者。

 しかしその全員が、墨色の布を纏っていたのだから。


「やれ!」


 間髪入れずに先頭にいた墨色暗殺者が、動き出そうとしていたバッシュに向けて手をかざした。

 それと同時に残っていた上位暗殺者全員が、バッシュへと襲いかかる。


「お…おい!全員でバッシュを前に行かせるぞ!援護に徹しろ!」


 ボルグの大声によって皇帝側の全員が、己の成すべき役割を認識した。


 墨色暗殺者八人を相手にできるのはバッシュしかいない。

 しかしそれを阻止する為の一手を、先に打たれてしまった。

 残り全員の命を捨てた…最悪の一手を。


 シュバルツの事を知らないボルグには、突然現れた墨色の八人がまだ皇帝の命を狙うのか、それともシュバルツを連れての脱出を試みるのか、判断がつかなかった。


 だからこそ、自分達にはとにかくバッシュを前に行かせるしか選択肢は無いと判断したのである。


 レオハルトの前に立ち、六節槍を構えるヴィッツ。

 彼には墨色の八人が現れた理由が分かっていたが、動けないでいた。


 いずれにせよ、レオハルトの側を離れるわけにはいかない。

 かといってこの八人が同時に仕掛けてきたら、さすがにヴィッツでも全てを迎撃することは不可能。


 致命傷は避けられても、その後レオハルトを守る事はできなくなってしまうであろう。


ーー六人だったら何とかなったのに…。


 ヴィッツは心の中で呟いた。

 いや…一人がシュバルツを抱えれば七人になる。

 皇帝に一人任せればいけるか?ともヴィッツは考えた。


 しかしそれは、一つも外すことが許されない危ない賭けに出るということ。

 そしていくら戦力になるとはいっても、それは皇帝。

 選んで良い選択肢では無いと切り捨てる。


 気を失ったシュバルツを先頭にいた一人が抱えるが、残りの七人は向きを変えようともしない。


 ヴィッツは動こうにも動けない今の状況に苛立ちを覚える。

 どう考えてもバッシュを待つしか選択肢が無いのだ。


 次々と打ち上げられ、落ちてくる上位暗殺者達。

 百人以上はいたはずだが、そんなに時間は稼げないだろう。

 しかしそれでは間に合わない…


「カァァァァアアアーーー!」


 それは認識の外から聞こえて来た声。

 地に伏して立ち上がることもできないと思われたターレスの、最後の力を振り絞った雄叫びであった。


 完全に不意を突かれた墨色暗殺者達。

 その内の二人の首が宙を舞った。


 だがターレスはロングソードを振り抜いたまま気を失い、受け身を取ることもなく地面へと崩れ落ちた。


「父ちゃん!」


 窓にしがみつく様にしてそれを見ていたカールは、涙と鼻水で顔がグシャグシャになっていた。


 これ以上はもういい!もう動かないで!

 目立たないで!本当に殺されちゃう!

 死なないで帰ってきて!

 そう心の中で叫び続けていた。


 シュバルツを抱えた墨色の一人が脱出を始めた。


ーーこの危険人物を逃す訳にはいかない。

  しかしどうする?


 ヴィッツの前に立ち塞がるのは五人。

 さすがのバッシュといえども、間に合うわけがない。


ーー行く!


 ヴィッツは渦から出られない思考を切り捨て、前へと踏み出した。

 その動きと同時に、迎撃へと出る五人。

 その一人一人から一流の剣士が纏う剣気が発せられている。


 五人全員が両手にてマチェットを持ち、恐ろしい剣圧を持つ斬撃を放った。


 万事休すか。

 何故無理な戦いを仕掛けた?

 レオハルトがそう思った瞬間…


 一瞬で四人の胸に風穴が開いた。

 五人目は何かに反応しマチェットで弾く事に成功したが、次なる何かに風穴を開けられた。


 五人の体から一斉に血飛沫が巻き散る。

 赤く散り去るその光景を生み出す槍は「乱れ桜」と呼ばれる槍術の秘技であった。


 一瞬で深紅に散る五つの桜を生み出す技であるが、前人未到の六本目へと到達したヴィッツのそれは「夜桜」と命名された。


「チッ!」


 珍しくヴィッツが舌打ちを鳴らした。

 しかし、それも仕方がない。


 五連撃の乱れ桜で仕留められていれば、シュバルツを抱えた最後の一人にまで手が届いたのだから。


 だが五本目が受けられてしまい、六本目を出すしかなかった。

 夜桜を使ってしまっては、さすがに体の硬直を回避することはできない。

 ヴィッツの目に映るのは、遠ざかって行くシュバルツの姿。


「くそぉぉぉ!」


 ヴィッツは少年の様に悔しがった。

 少年であるのだから何も問題は無いのだが、その性格と卓越した技量から、ここまで悔しがるヴィッツの姿はなかなか見ることのできないものであった。


 その時、大きな激突音が広場を震わせた。

 ヴィッツの周囲に数人の暗殺者達が落ちてくる。


 それを最後に、場の空気が緩くなったのをヴィッツは感じた。


「もう少しだったな。」


 ヴィッツが振り返ると、そこにはバッシュが立っていた。

 広場に転がるのは無数の暗殺者達。

 そしてまだ戦いの終わりを実感できずに立ちつくす戦士達。


 もう少しだった。

 そう、自分にはできたのだ。

 可能だったのだ。


 バッシュの言葉が全てを物語っている。


 しかしバッシュはそれを責めない。

 それどころか心の底から良くやったと思ってくれている。


 それが堪らなく悔しい。

 自分はバッシュという戦士の後に付いて行くのではなく、横に立てる存在でありたいのだ。


 皇帝の命を守る。

 それが不可能かと思えた事態をひっくり返すことができたのだ。

 喜ぶべきだ。

 喜ぶべきだろう。


 しかしヴィッツは涙を流した。

 それは槍術の達人が流す悔し涙。


 その肩にバッシュは優しく手を置いた。

 頭を撫でたりはしない。

 ヴィッツは少年だが一人の戦士であるのだから。


 すると住宅の中から明かりが漏れだした。

 どうやら戦士達よりも先に、住民達の方が戦いの終わりを理解したらしい。


 夜が深まり、闇が一層濃くなっていく。

 そこに次々と希望の光が灯っていった。

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