第12話 青山襲撃事件5 戦士の背中

 これは流石にもう無理だ。

 剣が…骨が…いや、先に心が折れちまう。


 助走が無かったものだったとはいえ、今日はレッドワイルドボアの突撃を全身で何回も受け止めたんだ。その反動が来てるんだよ。

 まだ太ももにうまく力が入らねぇんだ。


 戦える者はいるか?と聞かれて、俺は確かに手を挙げたよ。

 それは可能か不可能かの二択で言えば、可能だったからだ。


 決して…。

 そう決して、これから異常な数の暗殺者達と戦えると言いたかった訳じゃない。


 何なんだ?これは。

 何でいつも裏でコソコソしている暗殺者どもが、堂々と街中に溢れている?


 しかもよりによって、精鋭部隊をこっちに当てられた様だ。

 全員が両手に得物を構えてやがる。

 どう見ても上位暗殺者だろ、それ。


 右からも左からも上からも、一瞬で三連撃を放ってくるしな…おっと!


 そしてさっきからボルグの様子がおかしいな。どう見てもおかしい。


 レッドワイルドボアにとどめを刺した武技は、確か「旋葬せんそう」といったか。

 決まれば一撃必殺となる大技だが、使用者の体にも相当な負担がかかると聞いた事がある。


 表情には全く出していない。

 流石だよ。


 でもな…滴り落ちてる汗の量が尋常じゃないんだよ。

 それは体に異常があるって言ってるようなもんだろ?


 そんなところに現れたのが、目の前にいる最悪の二人組。駄目押しにも程があるだろう?

 漆黒じゃなくて墨色の布に身を包んでやがったからさ。

 暗殺者も色気づく時代なのかと思ったが…。

 悪かった。勘弁してくれ。


 マジで何なんだよ、マチェットのその威力は!

 盾で受けても吹き飛ばされそうだぞ!

 剣士か?お前は!


 おい…。おい、ボルグ!

 ふざけんな!押されてんじゃねぇよ。


 お前がやられちまったら、誰がそいつの相手をするんだよ。

 っていうか、そうなったら間も無く全滅だぞ俺たち。

 救援に来たのに全滅って…笑い話にもならねぇよ!


 また仲間が一人やられちまった。

 次はいよいよ俺かもな…。


 駄目だ…。

 もうどうにもならねぇ。


 ボルグ、恨むからな。

 こんな所で俺の人生にピリオド打ちやがって…


 いや、それは筋違いか。

 俺は自分の意思でこの街に駆けつけた。

 それで良いじゃねぇか。


 おお?墨色のナイスガイ!

 顔は見えねぇがな。


 ちょっとイラついてやがるな?

 悪りぃな…俺は昔から受けるのだけは得意なんだよ。

 簡単にはやられてやらねぇよ。


 …と思ったら二人がかりかよ。

 さすがにそれは無えだろ!


 ボルグ?あ!膝を突いてやがる。

 だから先にイラつく俺をやろうってんだな。


 …いいぜ!来なよ。

 冥土の土産にナイスガイを一人は連れてくけどな。


 ボルグ、お前は死ぬんじゃねぇぞ!

 最後におっさん冒険者の意地を見せてやるからな!

 しっかりと目に焼き付けとけよ!


 …へ?

 ……へ?

 な、何だ?


 後ろに回り込んでた暗殺者達が、一斉に前に吹き飛んでったぞ?

 いきなり走ったでかい衝撃にビクってなったじゃねぇか。


 しかし、十人くらい居たんじゃないか?空中に…。


 あ!また飛んでった…。

 次は八人くらいか?

 って、数えてる場合じゃねぇ!


 何だ?何が起きてやがる。

 いや…あんな感じで人が吹き飛ぶ様子を俺は今日見たばかりだぞ。

 あの吹き飛び方は…間違いねぇ!


 でもボルグがトドメを刺したろ?

 解体もしたよな?


 まさかゾンビとか幽霊とかになって恨みを晴らしに来たか?

 スーパーになったとか言うなよ?マジで…。


 ま、また人が吹き飛んでいきやがった…。

 もう間違いねぇ!ちくしょう!

 ホントに何なんだ、今日は!


 あり得ねぇけど、それしか考えられねぇよ。

 俺達の後ろに迫っているのはレッドワイルドボ…あぁ?


 俺が…。いや、俺達が意を決して振り返ると、そこに迫って来ていたのはレッドワイルドボアじゃなく…。

 バトルハンマーを持って暴れまわる、白のフルプレートを纏った戦士だった。


◆◆◆


「あ、あいつ。レッドワイルドボアの討伐に行かずに、街に残った奴じゃないか?」


 全滅寸前だった冒険者達。

 全員が切れた息を必死に整える中、中年冒険者がボソリと言った。


 墨色の暗殺者二人と対峙していた彼は今、後方に全ての意識を向けていた。

 そんな重大なミスを暗殺者が見逃すはずは無い。


 無いはずなのだが、墨色の二人も同じ所に意識を向けてしまっていた。


 打ち上げられ、雨粒の様に落ちてくる暗殺者達。

 群がる影に邪魔されて、騒動の全容を見ることはできない。


 しかし垣間見えたのは太刀筋の如き一閃。

 それは驚くことにバトルハンマーでの一振りであった。


 再び多くの暗殺者達が宙を舞う。

 墨色の二人は一瞬目を合わせた。

 あれは何だ?鎧を着た悪魔か?と。


 そしてこれ以上戦力を失うのはさすがにマズい。

 数で押し込んでいる状況だが、数で皇帝の脱出を防いでいる状態でもあるのだから。


 それはこれ以上蓋を薄くしてしまうと、皇帝の逃亡を許す可能性が出てくるという事だ。


 墨色の一人が前へと走り出し勢い良く飛び上がると、もう一人は回り込みながら駆け出した。


 白の重戦士に落ちてくる墨色の影。

 上段からの一撃は無言で仕掛ける暗殺者のものとは違い、裂帛の気合いと共に放たれた。


 そこに音を消して横から忍び寄るもう一つの影。

 建物の間を吹き抜ける風の如き体捌きにて重心に反動を付け、低空からの横薙ぎを浮かせながら放つ。


 両者の位置、タイミング、技の威力。

 そこから生まれるのは必殺。


 フルプレート着用でも関係ない。

 鎧の隙間を狙う修練は、血反吐を吐くほど繰り返してきたのだから。


ーーさぁ、どちらを迎撃する?


 二人は神経を研ぎ澄ました。

 たとえ自分に向かって鉄の塊が飛んできても衝撃を殺しながら受けきれば、戦闘不能は回避できると見越して。


 すると白の重戦士はその場で身を回転させた。


「な?」


 暗殺者もその光景を見ていた冒険者達も驚愕した。

 目に映し出されたのは、フルプレートを着用しタワーシールドを持っているとはとても思えない身のこなし。


 軽鎧…いや皮鎧や武闘着を連想させる様な軽やかな身のこなしであった。


 そして振り向きざまに、上方の暗殺者に向けて横薙ぎが振るわれた。

 聞いたこともない風切り音が、死を連想させる。


 暗殺者は態勢を切り替え、マチェットとダガーを交差させた。


 タイミングは一瞬。

 お互いの武器が触れ合った瞬間。


 決して武器と武器を衝突させてはならない。

 マチェットとダガーはあくまでも添えるのだ。


 投げられた卵を割らずに受け止める様に。

 添えた武器を引きながら衝撃を抑えられれば…。


「え?」


 それは刹那の出来事。

 最新の注意を払っていたバトルハンマーの巨大な鎚が、まるで瞬間移動でもしたかの様に暗殺者の胸元に迫っていた。


 そこから導き出される答えは、先程垣間見えた太刀筋の如き一閃。

 あれは全力を乗せたものでは無かったということ。


「バ、バケモノか!」


 マチェットとダガーが粉砕された直後、少しも軌道のブレないバトルハンマーによって暗殺者の身体が上下に裂かれた。


 それを掻い潜るようにして、下方から放たれていた暗殺者のマチェットが重戦士に迫る。

 それは一人目を生贄にする暗殺者達の得意技。


 獣の噛みつきが上下一体であるように、一人目に対処した相手に二人目が不可避の斬撃を放つ暗殺者の連携技『牙月がげつ』。


 しかし、そのマチェットが重戦士に届く事は無かった。


 重戦士は横薙ぎの勢いを活かしてそのまま体を開いた。

 背後へと向かうバトルハンマーの高度を一気に下げると、そのままシーソーの様に反対の手のタワーシールドを逆手で持ち上げた。


 いきなり斜め上に上昇し、暗殺者の視界を塞ぐ様に移動してきたタワーシールド。

 その尻の部分でマチェットが弾かれた。


 そして、上昇した重量物は必ず落ちてくるのだ。そこに特別な力は必要ない。

 必要は無いのだが、更なる力を重量に加えられたタワーシールドが墨色暗殺者の頭上へと迫る。

 その目には巨大な壁が落ちてきた様に見えていただろう。


 轟音と共に決着が付いた。


 誰も動かない。

 いや、動けない。


 重装備の戦士が重量武器を持って華麗に動く。

 吹き荒れる暴力と共に。


 矛盾が調和しているかの様な信じられない光景に、全員の目が釘付けになっていた。


 そこで無数の飛来音と小さな破裂音が一帯に響き、夜の大通りに反響した。

 音がした方に目を向けると地面や壁、そして屋根などに色の付いた液体が付着しており、それが松明二本分くらいの明かりを発していた。


「ジャジャーン!一つ銅貨二十枚で販売中〜!洞窟のお供に。夜が怖いあなたに。そしていたずら好きなあなたにも!ヴィッツ特製割れて光る粘着玉。セット販売なら十個で何と!銅貨百八十枚だーーー!」


 重戦士の背後から陽気な声と共に現れたのは、ドヤ顔のホビット族。

 しかも少年であった。


 粘着玉をパチンコで弾き飛ばし、次々と光源を作り出していた。


「ボス、この辺りはこれで十分かと。一気に突破して先を急ぎますか?」


 少年が問いかけると、ボスと呼ばれた重戦士が首を横に振る。


「いや、ここに居る冒険者達を見捨てる事はできない。この辺りを軽く一掃してから行こう。ヴィッツは彼らの護衛についてくれ。」


「了解です、ボス!」


 話が終わるのと同時に、重戦士が上位暗殺者達に向かって走り出した。

 それはタワーシールドを前に構えてのシールドチャージ。


 本来それは、身の安全を確保しながら標的へと突撃する技。

 しかし重戦士が使ったものは、本来のそれとは全くの別ものであった。


 最初に迎え撃ったのは八人の暗殺者。

 一斉に毒塗りナイフを投げれるだけ投げるが、全てタワーシールドに弾かれてしまう。


 そして先頭にいた暗殺者の目の前までタワーシールドが迫った時、それは起こった。


 震脚によって踏み込まれた地面が、周囲に確かな振動を伝えて大きく窪む。

 その時、前に構えられたタワーシールドが一瞬ブレた様に見えた。


 直後、八人の暗殺者達は巨大な空気の塊をぶつけられたかの様に、宙に向けて勢い良く弾け散った。


 一斉に打ち上げられた暗殺者達。

 全員が人形の様に力なく宙を舞う。


 周囲にいた者たち全員が目を見開き、呆然とそれを眺めていた。


 重戦士は間髪入れずに右へと駆け出した。

 その速さはフルプレートを纏った戦士のものではなかった。

 そして同じ様にして、盾で七人の暗殺者達を壁へと弾き飛ばす。


 その直後、気を取り直した十人の暗殺者達が背後から飛びかかった。

 全員の注意が謎のタワーシールドに向けられる中、振り向きざまに放たれたのは太刀筋の如きバトルハンマー。


 五つの体が引き裂かれた後、流れる様に構えられたタワーシールドによって残りの五人も屋根へと弾き飛ばされた。


 それは僅かな時間での出来事であった。

 護衛を任されたホビット族の少年が冒険者達に近づいて振り返った時、そこに立っていたのは重戦士ただ一人。


 地に伏した暗殺者達は誰一人としてピクリとも動かず、一つのうめき声さえも聞こえてこない。

 聞こえてくるのは屋根に打ち上げられた五つの体がゆっくりとずり落ちる音と、その後地面へ落下する音のみ。


 重戦士は静かに呼吸を整えながら、冒険者達へと歩み寄った。


『無双』。

 その言葉が最も相応しい存在が、そこにあったのである。


「何なんだ?何なんだよ、今日はもう!いや、助かったよ?マジで。マジで助かった!しかし…何で盾を向けられた奴等が、あんなに吹き飛ぶんだ?何でバトルハンマーで人が裂けるんだ?ああ、もう!自分でも何が聞きたいのかよく分からねぇ!」


 バグる中年冒険者。

 それに対しホビット族の少年が言う。


「ボスは盾で殴るのが得意なんですよ。」

「…はぁ?!」


 益々バグる中年冒険者であったが、その横で膝を突いていたボルグは白の重戦士が近づいて来るのを見て立ち上がった。


 冒険者達の前でフルフェイスヘルムを取る重戦士。

 中から出てきた顔は意外にも整っており、嫌味のない静かな目をしている。


 とても暗殺者達を蹂躙した戦士とは思えない優しさを備え、少しの渋さが加味された表情がそこにはあった。


「まだやれるか?」


 そこから発せられた意外な言葉に、ボルグは少し驚いた。

 そしてその瞬間、目の前の重戦士は圧倒的武力だけではなく、広く深い人格を備えている人物である事を理解する。


 強者として上から相手のことを心配するのではない。

 馬鹿にもしない。

 あくまでも対等に接する。

 相手の意思を尊重する。


 これだけの強者だ。

 多かれ少なかれ、踏ん反り返った言葉が己に向けられるのではないか?

 そう身構えていた己をボルグは恥じ、周りの者も同じ様に思っていた。


「ああ、やれるさ!こんなところで休む為に戻って来たんじゃないしな。それに俺の推測だが、皇帝陛下の命が狙われてると思うんだ。」


「そうだな。俺達は皇帝の命をこの街で受けて、コカトリスの緊急討伐に行って戻ってきたんだ。するとこの有様だから、狙いは間違いなく皇帝の命だろう。」


「やっぱりそうか…。コカトリスの事はよく分からないが、まずは先を急いだ方がいい。とにかくはあんたが行ってくれれば…。悪い!俺の名はボルグだ。名前を教えてもらってもいいか?」


 ボルグが握手を求めながら言うと、それに応えながら戦士が名乗る。


「俺の名はバッシュだ。そしてこっちの男がヴィッツと言う。」

「ヴィッツです。宜しくお願いします。」


 冷静沈着な雰囲気を纏って手を差し出すヴィッツに、違和感を覚えるボルグ。

 陽気な声で自分の作品を宣伝していた少年だよな?そう思うが、心にしまって握手を交わす。


「では行こうか。騎士団団長は相当の強者と聞いているが、万が一があってはならないからな。」


 バッシュが詰所の方を向くと、冒険者達が一人また一人とフラつきながらも立ち上がる。


 戦力になるかと言えば、それはならない。

 一日で二回目の大きな戦闘ということもあって、全てを出し切ってしまったのだから。


 しかしそんな自分達に向かって、圧倒的な武力で助けてくれた戦士が先に行こうと言ってくれている。

 その背中の何と大きなことか。

 その言葉の何と熱いことか。


 バッシュと名乗った戦士さえ現場に行けば、自分達はいてもいなくても同じであろう。

 しかし…しかし共に行きたいのだ。

 この戦士と共に。


 少しの時間でも良い。

 一瞬でも良い。

 同じ戦場で戦いたいのだ。


 やがて全員が立ち上がると、戦士は何も言わずに進み始めた。

 今必要なのは言葉ではない。

 付いていきたいと思わせてくれる背中である。


 バッシュの後を追うように冒険者達も移動を開始したが、何かが気にかかるようで中年冒険者がブツブツと呟いている。


「ホビット族の少年を連れたフルプレートの戦士…。強さが尋常じゃない…。タワーシールドを持っていて、名前は…バ…バ?…バババ、バッシュだったのか?」


 あ!と全員が何かに気づいた。

 そしてもう一度、先頭を進む戦士の背中を見つめる。


 あの話が事実であったかどうか、それは今でも分からない。

 しかし目の前の戦士が何かの偉業を成し遂げたと聞いたら、それは素直に納得できる。


 もしかして自分達は今、歴史に名を残す戦士と共に歩んでいるのではないか?


 肩を借りて歩いていた者が、自力で歩き始めた。

 もう一度剣を握れるかどうが分からなかった手に、感覚が戻ってきた。


 それは枯れてしまった井戸から、再び水が溢れ出てくる様な感覚。


 冒険者達の心が今、もう一つの蓋を開けた。

 それは決して長く続く事はない。

 一度でも攻撃を受ければ目が覚めてしまい、元に戻るであろう仮の力。


 しかし戦える。

 一撃で終わろうとも前に進むことができる。


 身に纏うのは闘志。

 浮かべる表情は歓喜。


 全滅寸前を迎えた者達の目から、漲る戦意が溢れ出していた。


◆◆◆


 一瞬で四つの攻撃が繰り出される。

 その一つ一つが剣士の放つ斬撃と遜色無いのだから、たまったものではない。


 導師クラスの暗殺者でも、一呼吸での攻撃は三回が限度であったはず。

 しかし墨色の暗殺者は明らかに四撃目をそこに入れてきている。


 それは双月では無い。

 しかしただの導師というわけでも無い。


 どうやら墨色の布を纏った三人は、影法師への扉を少し開け始めている存在であるようだ。


 ターレスは驚いていた。

 それは四連撃を放ってくる墨色の暗殺者にではない。


 いや四蓮撃には驚いたが、今はそれよりも皇帝であるレオハルト自身の武力の高さにただ驚いていた。


 過去に練武大会で優勝を収めた話は聞いている。

 クラーク相手に毎日修練を積んでいる事も知っている。


 しかし墨色の暗殺者の強さは、暗殺者の枠を飛び抜けているのだ。


 そんな相手と皇族が互角に渡り合うのだから、この皇帝はやはり傑物である。

 ターレスはそれを改めて認識した。


 レオハルトが一人を引きつけておいてくれれば、この場は何とかなる。

 ターレスはそう考える。


 自分の体力は限界にきているが、それでも相手が二人であれば耐え凌げる。

 さすがに今の状態で三人は無理だが。


 しかし問題は残された最後の力をいつ使うべきか。

 墨色の二人を倒すために最後の力を使えば、その後は本当に動けなくなってしまうだろう。

 もしかしたら気を失ってしまうかもしれない。


 それはレオハルトがもしも追い込まれてしまった時に、何もできなくなるという事。

 さすがに危険すぎる博打だ。


 だからこそ情け無い話だが、ここは信じて待つしか無い。

 レオハルトが墨色の一人を打ち取ってくれる事を。


 もしくはクラークがシュバルツを倒して、こちらに加勢してくれる事を。


 ターレスは辛うじて相手の攻撃を受け流しながら、時が来るのをジッと耐えていた。


「クラーク。後はお前頼みだ。全てはお前にかかっているんだ…チクショウ!」


 そう呟く表情は何を表しているのか。


 まともに動けなくなってしまった己への怒りか。

 それとも強大な敵に、一人で立ち向かって行く友にすがることしかできない不甲斐なさか。


 ターレスの瞳に映る暗殺者の後方には、ボロボロになりながらも立ち上がりシュバルツに向かっていくクラークの姿が映っていた。


「ゴアァァァアーーーー!!」


 吹き飛ばされて後退りした直後、人のものとは思えない声と共に血まみれの物体が前に飛び出す。


 その動きは武術ではない。

 体術でも槍術でもない。

 ただ武器を持っただけの獣の動き。


 二足歩行を捨てた人の動きとは、こんなにも恐ろしいものになるのか。

 それを教えてくれる存在が、詰所前の広場で飛び回っていた。


 クラークの左腕はもう既に機能していない。

 垂れ下がる左腕はそのままに、ハルバートを握る右手を時折そのまま地に付けて、器用に地を這いながら飛び回っている。


 その体勢から無理やり繰り出されるのは恐ろしい斬撃。

 しかし練り上げられた技というよりは、ハルバートをただ力任せに振るっている様にも見える。


 しかし…しかし、速い。

 とてつもなく速い。


 一瞬で二撃…いや三撃が放たれているのではないか?

 一流の戦士が見てもその様に見える斬撃が、片手で持ったハルバートによって繰り出されていた。


 それを一本のダガーで軽々と捌くシュバルツ。それもまた異様。

 入れば確実に体ごと吹き飛ぶであろう斬撃を、全く重心を崩すことなく打ち落とし続けている。


 防戦一方のシュバルツであったが、一度自ら攻撃を仕掛けた。

 その攻撃はまさに幻影。


 目で追うことも気配で追うことも許されず、クラークの左腕は一度の攻撃で使用不可能にされてしまった。


 次に攻撃を仕掛けられたら終わり。

 そう判断したクラークはシュバルツに防戦一方を強いる事によって、攻撃を封じる作戦に出た。


 しかしそれはスタミナとの戦いが更に加わるという事。

 誰が見ても勝敗は明らか。


 人は無限に動き続ける事など出来ないのだ。

 最後の時は必ず訪れる。


 シュバルツは薄い笑みを浮かべながら、軽々とクラークの猛攻を捌き続けていた。


 この化け物を倒せる存在がこの世にいるのか?

 神以外には不可能なのではないか?


 窓からその場を見つめる住民達も、乱戦の中で空間を同じくする戦士達も、全ての者達がそう考えた。


 しかし、誰も気づいていなかった。

 いや、気づくことができなかった。


 黒秘薬を全部飲み干す様子を見せられて。

 その後の絶対的な力を見せつけられて。


 人の意識や認識は誘導されやすい。

 そしてそこにつけ込むのが暗殺者であることを忘れてはならない。


 クラークの攻撃がまたしても捌かれた。

 ハルバートという大型武器がダガーという小型武器によって。

 軽々と見える様に…。


 故に人々の目は「それ」に向かない。

 誰も気づかない。


 薄い笑みを浮かべているシュバルツの表情に変化は無い。

 確かに無いのだが、一粒の滴が額から頬を伝い顎へと進んでいた。


 誰にも気づかれない様に。

 襟を立てて顔を隠すかの様に。


 そして次なるクラークの斬撃を捌いた時、一粒の滴は顎から離れてゆっくりと大地に落ちた。

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