第10話 青山襲撃事件3 影と住民

 住民達は震えていた。

 夕暮れ時、鳴り響く警鐘と共に突然押し寄せてきた黒い波。

 それは瞬く間に街を飲み込み、兆域警備団の詰所へと迫っていった。


 二階の窓から見えるのは、街の景色とその先にある空の色だけであるはず。

 それなのにいくつもの影が、そこを横切っていく。


 影は屋根の上を走り、壁をも走る。

 だが最も恐ろしいのは、その足音がほとんど聞こえてこない事であった。


 自分達は今、夢の中にいるのか。

 幻覚でも見せられているのか。


 あまりにも日常とかけ離れた光景を前に、部屋の隅で震えながら時が過ぎるのを待つしか無い。


 一つだけ幸運だったのは街中を駆け抜ける全ての影が、住宅の中には全く関心を向けなかった事。


 良くも悪くもこの街に来ている影の中に、未熟な存在はいないのであろう。

 彼等は熟達すればするほど、無駄な殺しはしないのだから。


 しかしそれはそのまま、この街に訪れている脅威の大きさをも物語っていた。

 要するにそれは、数だけではなく質も用意されているということである。


 夜の帳がついに下り始めた。

 黒い波はまた少し詰所へと迫っていく。


 だがその時、街の正門から大きな激突音が響き、それに続いて冒険者達の発する大声が聞こえてきた。


「俺に続けぇええ!とにかく警備団の詰所まで、一気に駆け抜けるぞ!」

「おおぉぉお!!」


 全ての神経を前方に向けていた影の集団に、明らかな動揺が走った。

 虚を突かれてしまった事は、正門で見張りをしていた者達の明らかなる失態であった。


 薄暗くなり視界が遠くまで届かなくなったところに、街での戦闘音も加わっていた。

 そこに東から近づいてきたのが、ボルグ達の乗った三台の馬車。


 中年冒険者が持っていた遠眼鏡で、東側に暗殺者の見張りが多数いることを確認したボルグ達。

 するとそこから、正門のある南側へと一旦迂回した。


 そしてボルグ達は南側の見張り達が、街中に気を取られている事を確認する。

 そこからはできるだけ音を消して街へと進み、近づいた所で一気に突撃を試みたのであった。


 封鎖された正門の目の前で、ボルグ達は馬を切り離した。

 そしてすぐに馬車から飛び降り、勢いの残る荷台を門にぶつけた。


 何とか正門に歪みを作ることができたボルグ達は、それを力でこじ開け、街中への突入に成功したのである。


 しかし冒険者達はこの時点で、街に皇帝が訪れている事をまだ知らない。

 だからこそ暗殺者達が街を襲撃する目的が、物なのか金なのか…人か情報か推し量る事ができないでいた。


 それでもボルグはあまりにも敵の数が多い事から、その目的は人であると推測した。

 目的が物・金・情報であるのなら、ここまで大掛かりな襲撃にする必要はない。


 そしてこの街にある国営兆域には、年に二回皇帝が参拝に訪れており、不規則なところはあるが前回の参拝からそれなりの月日が過ぎている。


 ボルグの頭の中では、一見不揃いに見えたピースが綺麗にはまっていた。


 この襲撃の目的は皇帝陛下の命。

 そう結論づけたボルグは街で一番頑丈な造りとなっている、警備団詰所に向かうべきであると判断したのであった。


 門から続く街一番の大通り。

 暗殺者達を撃破しながら冒険者達が進んでいくと、街の街灯が全て破壊されていた。


「チッ!不味いなこりゃ…。」


 ボルグはバトルアックスで敵を切り裂きながらも、不穏な表情を浮かべていた。


 気づけば日はほとんど沈んでおり、辺りは暗闇に支配されつつある。

 街灯が全て破壊されている事に加え、怯えきった住民達がわざわざ部屋の明かりをつけて目立とうなどとする筈もない。


 したがって住宅から漏れ出る光は全くない。


 そのせいもあってか、先程から敵の動きを見失う瞬間が増えてきていた。

 武器を持った敵の姿を、戦闘時に一瞬でも見失ってしまう。

 それは全身の細胞が、一斉に悲鳴をあげるほどの恐怖である。


 とにかく一刻も早く詰所へと行かなければ…。

 援軍に来たはずなのに、大した働きもできずに全滅しかねない。


「倒す事を目的とするな!とにかく詰所に着くまでは突破だ!突破のみに意識を集中しろ!」


 冒険者達の気合いの声が街に響き渡り、それは離れた所から冷たい視線を向けている者の耳にも届いた。


「ふん!思ったよりもレッドワイルドボアに、街側へと押し込まれたようだな。狼煙に気づいて戻ってきたのだろうが、ここまで早く戻って来られたのは逆に自分達の無能を曝け出している様なもの。取るに足らん!」


 街の中心付近。

 異質な雰囲気を纏う五人の暗殺者を引き連れたシュバルツは、住宅の屋根の上からボルグ達を見下ろしていた。


 シュバルツが仰々しく右手を上げた。

 そのまま人差し指を立ててボルグ達に向けると、それに気づいた一部の暗殺者達が反転を開始した。


 その数は約百。

 全員が両手に武器を持っている。


 そして正門側へと走り出すと、突破を狙うボルグ達を数の力で圧殺しにかかった。


「うお!や、やべぇぞこりゃ。こっちに標的を変えやがった。しかもこいつら全員が上位暗殺者だ。そして何なんだこの数は!散って戦ったら一瞬でやられちまうぞ!」


 慌てふためく中年冒険者の言葉は、全員の心の声を代弁していた。


 冒険者にクラスがある様に、暗殺者達の中にも独自の階位が存在する。


 暗殺者としてはまだ経験の浅い下位暗殺者。

 試験を受けて実力を認められた中位暗殺者。

 そして経験と実績を十分に積んだ上位暗殺者がある。


 そこから更に技を磨き、その上で繊月を体得した者に導師マスターの称号が与えられるわけであるが、その上には更に二つの階位が存在する。


 導師マスターよりも一つ上に数えられる位。

 それは影法師シャドーマスター

 繊月に加え双月そうげつという、一呼吸で二呼吸分の動きができる技を習得した者に与えられる称号である。


 それは簡単にいえば二回攻撃が可能になるという、一見単純な技。

 しかしこの技を習得するだけでその暗殺者は、単純な戦闘力という意味において上級の戦士をも上回ると言われている。


 純粋な火力で戦士に遅れをとる暗殺者は、戦士が一呼吸で渾身の一振りを放つのに対し二回の攻撃を放つ事ができる。

 それは戦士からすれば既に二回攻撃なのだが、暗殺者にしてみればこれが一呼吸での攻撃。


 そして両手に武器を持つ上位暗殺者は、左右合わせた合計三回の攻撃を一呼吸の中で可能にする。

 威力はそこそこだとしても、それが三つも重なるとかなり厄介になる。


 その上位暗殺者の三回攻撃を一呼吸で二回放つことができるようになるのが、双月という技なのである。


 要するにそれは六回攻撃だ。

 戦士が渾身の一撃を振るう間に、影法師は六回の攻撃を放ってくる。


 この技を習得した者の前では最早「明るい場所は俺たち戦士の戦場だ!」などと言えたものではない。

 逆に「何だそれは!ふざけるな!」と言いたくなる。

 率直に言えば、反則である。


 それはまるで体を持たないはずの影が実体化し、共に攻撃を加えてくる様なもの。

 その様に見える事から、この技を修めた者は「影法師シャドーマスター」と呼ばれ、暗殺者達から主人と崇められる存在となるのであった。


 そして何を隠そう今この街にいるシュバルツこそが、このラーズ帝国内唯一の影法師シャドーマスターにあたる。


 シュバルツが影法師シャドーマスターの称号を得たのは十五歳の時であり、当時は百年に一人の逸材と讃えられていた。

 しかしそのシュバルツをもってしても、幻の絶技「新月」の修得に手は届かなかったのである。


 新月の技を体得した者に与えられる、暗殺者の最高位「殲滅者ターミネーター」。

 初代ラーズ帝国皇帝に仕えた暗部頭が、その頂に達していたと古文書に記録があるが、それ以降の確認は取れていない。


 要するに千年以上も世に現れていない、幻の技に幻の位なのである。


 若き頃のシュバルツはその幻の技と位に手を伸ばし、壮絶な修練に身を浸し続けた。

 しかし習得の糸口にさえたどり着く事ができなかった。


 絶望の中、シュバルツは天才である自分が手にできない技など、古人の妄想でしかなかったのだと結論を下した。

 そして事もあろうに、代々受け継がれてきた古文書を破り捨ててしまったのである。


 劣化に劣化を重ねていた古文書は、風の誘いを受けて世界へと散らばっていった。


 最後まで残っていたのは、シュバルツが渇望した殲滅者ターミネーターへの道しるべと、修める必要のある技「新月」の記述がある欄。


 ただし新月の文字の横には、擦れて読めない文字の跡があった。三文字程の単語であろうか。その下には、説明文の様なものが記されていた。


『意識の隙間に滑り込む闇は、回避や防御の手前にある認識をも置き去りにする。』


 それは一体何を意味し、何を伝えようとしていたのか。

 その記述は最早この世に存在していない。


 ただシュバルツの頭の中で、永遠に姿が消えるのを待つのみとなっていた。


◆◆◆


 周囲にはおびただしい数の死体が転がっている。


 斬れ味の全てを失ったシミターは、もはや刃物ではなく鈍器と呼ぶのが相応しい。

 それでも折れずに敵を吹き飛ばすのは、己を振るう主人よりも先に、戦場を離れることを許さぬ矜持からか。


 積み重なる仲間の死体には全く怯まない影の者達が、目の前の戦士が纏う気迫に明らかに狼狽えていた。


 防衛線の中央。

 何度も穴を開けられて後退を繰り返したが、そこだけは一度も突破を許していない。


 限界を超えた疲労に耐えきれずに、次々と膝を突いていく警備団と近衛騎士達。

 そんな中、浴びるほどの返り血を身に纏ったターレスと言う名の猛者が力強く立っていた。


 街灯は全て破壊されてしまっている。

 しかしせめて戦えるだけの明かりは確保しなければならない。


 十数人の兆域警備団によって、必死に掲げ続けられている松明。

 そこから放たれる松明独特の明かりが、ターレスの姿の陰影を強調していた。


 防衛線の中央に向けられる瞳に映ったのは、まるで一点の宗教画の様であったという。


『闇に抗う卓抜な戦士』


 そんな題名が心に浮かんでしまう程に。


「す…凄え!ターレスってあんなに強かったのか。」

「ターレスさん、頑張って…。」

「神様、どうか…どうかこの街を。」


 部屋の隅で震えていた住民達は、気がつくと窓から覗き見える警備団達の奮戦に目を奪われていた。


「お…お前の父ちゃん凄えんだな…。」


 ターレスの息子カールは街の警鐘を聞き、その時一緒に遊んでいた武器屋の息子と共に店内へと避難していた。


 武器屋の二階の窓からは兆域警備団の詰所を眺める事ができ、現在防衛線が張られている場所をかなり近い距離から見る事ができる。


「ま、また敵を倒した!すげぇ!明らかに一人だけ、実力が抜き出てやがる。」


 大きな店構えの武器屋には客として来ていた旅人達もそのまま避難しており、二階の窓から戦士達の奮戦を覗き見ては声を殺しながらも興奮していた。


「え?あれは君のお父さんなのか?す、凄い人だな、君のお父さんは。あれほどの戦士が何故こんな辺境の街に…。」


「おいおい!お前の父ちゃんがまた二人倒したぞ。…あ!大きな声で何か叫んだら、膝を突いていた人達が立ち上がって戦い始めた。か、カッコいいなぁ、お前の父ちゃん!」


 自分の父が兆域警備団であることは勿論知っていた。

 周りから「お前の父ちゃんは強えんだぞ」と何回も言われたことがある。


 しかし実際に戦っている姿を見たことは一度もなく、普段は極度の心配性。

 そして家ではおっちょこちょいな自分の父親が、強い人なのだという実感は全くなかった。


 さっきから目の前の広場で戦っている人は、父親に似ているが別の人なのだ。

 そう言われた方がどれだけ納得し易いことか。


 自分の父はとてつもなく強い。

 その事実を突きつけられた少年の胸には燃え盛る様な熱さが宿り、目からは止めどなく涙が溢れ出ていた。


ーー頑張れ父ちゃん!負けるな父ちゃん!


 少年は心の中で何度も叫んでいた。

 そして周りからいくら話しかけられようとも、父親から決して視線を逸らすことはなかった。


 しかし、人の体力には限界がある。

 屈強な戦士と雖も、世界の理を覆して動き続けることなどできない。


 ターレスの体力はとうの昔に限界を超えていた。

 相棒のシミターもまた然りである。


 上位暗殺者が放った二連撃を最後に受け止め、シミターはバラバラになりながら地面へと落ちていった。


 シミターの砕ける音が、心の折れる音を誘発しようとする。

 ターレスといえども、さすがに武器無しでは戦えない。


 声にならない絶叫が、周囲の住宅から漏れた。

 ターレスの目はまだ死んでいない。

 しかし戦う手段が…身を守る手段が残されていないのだ。


 その時、開かずの扉だった警備団詰所の入り口が勢いよく開かれた。

 その直後、中で待機していた近衛騎士達が一斉に飛び出して来た。


 その間にも暗殺者達の凶刃が、ターレスの喉元へと迫る。

 万事休すか。


 少年の瞳の中で、父親に三つの影が今まさに迫ろうとした時…


「失せろ小童ぁあ!」


 先頭を走っていた一人の騎士が、裂帛の気合いと共に隊列を飛び出した。

 そしてターレスに迫っていた三つの影を、一瞬で撃ち落とした。


 手に持っている得物は、大きめのハルバート。

 突いて良し、斬って良し、引っ掛けても良しの三拍子揃った武器である。


 しかしそれは容易に振り回せるものではない。

 力自慢の者に持たせたとしても、まずはハルバートに振り回されてしまうのが恒例のオチである。


 その形、その長さ、その重さから、気難しい性格を持つハルバート。

 それを目にも留まらぬ速さで正確に振り回すなど、一体どれだけの修練を必要とする事か。


 広場をたかるハエの様に飛び回っていた暗殺者達の動きが、ピタリと静止した。

 動いた者から斬られる。

 そう確信するには十分過ぎるほどの強者の匂いが、その騎士からは溢れ出ていた。


「大丈夫か?ターレス。」


「お、おせぇんだよ…クラーク。せめて俺の愛刀が折れる前に出て来いよ…。」


 立場の差を考えれば、あってはならない話し方。

 しかしそれに囚われない程の友情が、二人の間にはあった。


「フッ…。それは悪いことをしたな。詫びにこれが片付いたら、業物のシミターを譲るとしよう。だが今はこれで凌いでくれ。」


 そう言うとクラークは、腰に備えてあった一本のロングソードをターレスへ渡した。

 それは紛れも無く名匠に鍛えられたのであろう、業物のロングソードであった。


「まだ俺に戦えって言うのか?相変わらず鬼だな…お前は。」


 クラークは苦笑した。


「いや、今からは俺がこいつらを蹂躙するから、お前は陛下の護衛に回ってくれ。お前が陛下の側に居てくれるのなら、俺は気兼ね無く暴れることができる。」


 あ、なるほどなとターレスは思った。というより最初からそうすれば良かったんじゃないのかと、言いたくなった。


 しかしその言葉は口にせずに飲み込む。

 何故ならば、クラークが敵に向ける目の色を見てしまったから。


 そこにあったのは、自らの主君に刃を向ける者に対する怒りの色。

 だがその中には友の命を脅かされた憤りの色が、明らかに含まれていたのだ。

 そんな目の色を見せられてしまっては、黙って下がるしかない。


「業物のシミターだぞ!忘れないでくれよ。」


 それは「この最悪の戦いを共に生き抜くぞ」という、最上の激励を込めた友への返答であった。


「しかし影の者相手に小童とは、よく言ったなクラーク。もし相手が年上だったらどうするのだ?」


 退がろうとしたターレスの前には、一人の男が立っていた。

 それはレオハルト・ディ・ラーズ。

 ターレスがたった今、護衛を任されたラーズ帝国皇帝その人であった。


「あの程度の動きならば、私は十才の時に既に体得しておりました。なので実際の年齢が何才でも、私にとっては小童なのです。」


 敵味方全員が沈黙する。

 しばらくして、その苦しすぎる言い訳に耐えきれなくなったレオハルトが吹き出した。


「…く…くくく。くはははは!優れた武人は必ずしも、道理を通すのが得意という訳ではないのだな!…く、くはははは!」


 皇帝の笑い声が一帯に響き渡った。

 クラークは少し吹き出してしまった近衛騎士の部下を鬼の形相で睨みつけた。


「ん?ってことは…。俺はお前が十才だった時の実力しか持たない奴等に、命を奪われかかったってことか?おい、クラーク!訂正しろ!もしくは代われ!気が変わった。俺がもう一度暴れ回る!」


 絶体絶命の状況下で始まった茶番。

 何も状況は変わっていない。


 しかし思考や視界には妙な性質があり、一度全身の力を抜くことによって凝り固まっていた視点が解ける事がある。


 ふと…レオハルトの意識が南側への視界を広げた。

 コカトリス討伐部隊からの報告が途絶えている…。

 ここまで報告が来ないことに気づくのが遅れるのは、普段ならあり得ないことだった。


 稀代の皇帝レオハルトと雖も一人の人間であり、不測の事態が起これば精神も大きく揺れ動くのである。

 六百人もの暗殺者達から、街中で奇襲を受けたという事実。

 その事実はレオハルトの視界を確実に、普段よりも狭めていたのであった。


ーーいつだ?いつから来ていない?


 ブルーマウンテンから南に歩いて一日の森。

 そこで目撃を確認されたコカトリスは街に向かって北上し、街から歩いて半日もかからない平原にて討伐隊と遭遇していた。


 戦況は変化がある度に、もしくは一定の時間が経過した時に、随時早馬で報告が届くようになっていた。

 時差は早馬のスピードを考えると、二時間といったところか。


 対象発見。

 包囲成功。

 討伐開始。

 戦闘経過。

 討伐予想…。


 その次に来た報告の記憶が、レオハルトの頭の中に無かった。


 最後に来た報告では順調にコカトリスの体力を削り終わり、まもなくトドメへと入るという事であった。


「そのあたりで何かあったか…。おそらくシュバルツが放った、奇襲部隊だろう。」


 通常の視野を取り戻したレオハルトの思考が、更に加速する。


「用意周到なシュバルツの事だ。奇襲を仕掛けてからは、誰一人としてそこから出られない様にしていたはず。それを伝えようとする伝令なら尚更のこと…。」


 そしてギルドから上がった狼煙に気づいて、急ぎ戻ってきたのは冒険者達のみ。


「コカトリス討伐隊は良くて半壊。最悪全滅といったところか…。」


 ギリリとレオハルトの口から歯ぎしりが溢れる。脳裏をよぎるのは部下達の笑い顔。

 そして修練や戦場で共に過ごした日々。


「しかしこの時点での目立った変化が、戻ってきた冒険者達だけとなると、その辺りにあちら側にも不測の事態が起きている様だな。」


 討伐隊が奇襲部隊を返り討ちにしたのか。

 それとも共倒れになってしまったのか。

 それを知るすべは今、手元に無い。


 しかしもし本当にコカトリス討伐部隊が全滅してしまい、奇襲を成功させた暗殺者達が戦力を残した状態で街へと合流してしまったら…。

 それはもう「詰み」である。


 流石にこれ以上の増援を許してしまっては、街の戦士達も戦意を失ってしまうだろう。


 クラークは最悪皇帝一人であれば、四日かけて帝都まで一人で守り通せると思っている。

 もちろんそれはクラークと雖も、命を代償として支払う事になるであろうが。


 しかしそれも敵部隊の合流があれば、不可能となる。

 現段階でもギリギリの選択肢であるのだ。

 これ以上の悪条件でそれは行えない。


「それにしても…。増援が来ないな、シュバルツよ。来なかったらどうするのだ?一見余の喉元まで刃が届いている様に見えるが、クラークという王の剣がある限り、その刃が余の喉を貫く事はないぞ。」


 ターレスに護衛されるレオハルトの視界では、後顧の憂いという鎖から解き放たれた獣が暴れ回っていた。

 そこから見える姿は、「王の剣」と形容するより「王の牙」と言った方が適切か。


 しかしそれだと何だか自分の口から牙が生えている姿を想像してしまうので、レオハルトはあくまでも王の剣だと自分に言い聞かせた。


 飛びかかったはずの上位暗殺者達が、反対方向へと吹き飛ばされていく。

 包囲しているはずの者達が、今にも逃げ出しそうな構えをとっている。


 そこで暴れるのは、帝国最強の騎士という表現では生温い存在。

 やはり獣か。


 いや、獣と表現するのさえ生温い。

 それはまさに魔獣の如き強さであった。


 帝国領内で一番恐ろしい魔獣は、コカトリスでもなくキマイラでもない。

 クラークという名前の魔獣だ。


 悪さをすると魔獣クラークが来て、食べられちゃうぞ。


 住民達がそう言って子供を嗜める姿が、ブルーマウンテンの街中では日常の光景となる。

 ただそれは、もう少し後になってからの話だ。


 ちなみにその魔獣を討伐したのは、ターレスという名の『闇に抗う卓抜した戦士』だったという。


 その話を聞いた魔獣は討伐されたはずであるのに、怒り狂った姿でブルーマウンテンへもう一度現れた…という話である。

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