第8話 青山襲撃事件1 想起

 夜の帳が降り始めた。

 街の入り口からバトンを手渡す様なテンポで、奥へ奥へと無数の街灯に明かりが灯ってゆく。


 華美になり過ぎずに落ち着いていて、尚且つ薄暗いイメージにはならない様に。

 そんな配慮が込められた街での夜景は、宿泊する者達の心を癒す。


 墓地は只でさえ暗いイメージを与えがちな場所。

 それはそこを守り続ける者達に対する、でき得る限りの対処であった。


 街のメインストリートにおいては、帝都の様に落ち着いて荘厳な雰囲気を。

 裏通りでは様々な装飾や仕掛けが街灯に設置されており、単に歩くだけでも目を十分に楽しませてくれる。


 そのせいもあってか夕食後の時間帯になると、街中には昼間とあまり変わらない…とまではいかないが、多くの人達が夜の散歩を楽しんでいる。


 そしてラーズ帝国内における『住みたい街ランキング』の上位には、必ずブルーマウンテンの名前が入っていた。


「バッシュ達は今、どの辺りにいるのかねぇ?」


 度重なる夕食時のピーク。

 それをようやく終えた「一期一会」が売りの食堂。


 その客席で身体を休めているメルロスが、窓から見える街灯を眺めながら呟いた。


「出発してからもうすぐ、丸二日になりますね。途中で大きく時間をロスしていなければ、あと数時間で到着できると思いますよ。」


 同じ席に座っていたクラス・プラチナの冒険者ジェリーが、愛想よく答える。

 食堂の外には同じクラス・プラチナの冒険者ヤンが立っており、不審者への眼を光らせている。


 二人とも追跡部隊に参加しているボルグのチームメンバーである。

 気配察知に優れているヤンと、女性で気遣いのできるジェリー。

 この実力確かな二人を食堂の警備に当てた事から、ボルグという人物の人格が、見た目と綺麗に反比例していることが理解できる。


「皇帝さん、無事だといいんだけどねぇ。三年前にも命を狙われたってのに…。難儀なことだよ、ホントに。」


 ため息をつくメルロスの横には、お店の看板メニュー「一期一会の日替わり定食」ならぬ「一期一会の日替わりディナー」がテーブルに並べられている。

 しかしそれには一口も手を付けずに、黙ったまま俯くアリスがいた。


「アリスちゃん、しっかり食べないといつまでも元気が出ないぞ!」


 その様子を気にかけたジェリーが、アリスの肩をポンと叩いた。

 アリスは俯いていた顔を上げて小さく「うん」と呟くが、やはり食事には手をつけようとしない。


「カールの事が心配なんだろ?大丈夫だって!あのバッシュが後を追いかけてるんだからさ。そしてターレスの強さだって、あの日ここの窓から一緒に見たじゃないか。きっと無事に連れて帰って来てくれるはずだよ。」


 メルロスが口にしたのは「励まし」というよりも「願い」に近い。

 本人はあくまでもアリスに向けて言ったのであろうが、まるで自分に言い聞かせている様にも思われた。


 だがそれを聞いたアリスの表情は、より一層険しくなる。


「それでも結局追いつけなかったら、どれだけ凄い人達がいても関係ないでしょ?追いつけたとしても、それまでカールが無事かどうかも分からないし…。それにあんなに優しい皇帝さんまで命を狙われているなんて、何もかもが酷すぎるよ。」


 食堂内に重い空気が漂う。

 二日前にアリスが襲われてから事態が急転を重ねたが、その割には現在の情報が全く入って来ない。

 不安は募るばかりであった。


 そんな息苦しい空気の中、気になる表現を二度も耳にしたジェリーが不思議そうな顔で二人に尋ねた。


「あの〜…。さっきからお二人が皇帝さんって言っているのは、レオハルト皇帝陛下のことですか?」


 何を言ってるの?

 それ以外誰の事を指すのよ?

 という顔を二人から向けられたジェリーが、心外なという表情でそれに反撃する。


「いやいやいや…。お、おかしいでしょ!普通、皇帝陛下の事を皇帝さんとか言わないし。」


 あ、なるほど!という顔をしたメルロスが、クスクスと笑いながら言った。


「ごめん、ごめん。そういえばジェリーさんは、ボルグのチームに最近加わったんだったね。実は皇帝さん…皇帝陛下は年に二回、必ず国営兆域のお参りに行かれてて、その帰りにうちの食堂に寄って下さるのさ。」


「へ?」


 信じられない事を聞いたという顔になるジェリー。

 それは年に二回のお参りをしているということに驚いたのではなく、この様な大衆食堂に皇帝が足を運ぶという信じられない事実に対する反応であった。


「最初はそりゃあ驚いたさぁ。でも身分が高い人特有の硬さや癖とかが全くないお方でね。一期一会の日替わり定食などという看板を目にしたら、その時に食べねば一生後悔する!とか言って、豪快に笑いながら入って来られたんだよ。」


「へ…へぇ…。」


「いつも近衛騎士団の団長と二人だけで、食事をされるんだけど…それは私達に対する気遣いなんだろうねぇ。その時ばかりはいつも大声で馬鹿騒ぎしている冒険者達が、飼い犬の様に大人しくなるから結構見ものなんだよ。」


「へ…へぇ…。」


「そこで皇帝陛下とお呼びしたら、食堂で堅っ苦しい事は言わなくて良いと言われてね。しかしお名前でお呼びするのもおこがましいから、試しに「皇帝さん?」って言ってみたら「それは良いな!」と豪快に笑われてさ。それ以降その様に呼ぶ様にしているんだよ。」


「な…なるほど。それでアリスちゃんも皇帝さんって言ってるんですね。」

 ようやくジェリーの表情に変化が戻った。


「そうそう、アリスなんか抱っこしてもらってはしゃいじゃってさ。でも大変だったんだよ。窓の外から、中を伺う近衛騎士達の目が笑ってなくてさ…。」


「えええ…。それはキツいですね。」


「そういえば三年前もそんな時だったんだよね。血相を変えた近衛騎士さんが一人、飛び込んで来たんだよ。謎の集団が現れて、争いになってるって言ってね。」


 それを聞いたジェリーは少し慌てたのか、口をパクパクさせる。


「そ、それ!その話、詳しく聞かせて貰えますか?ボルグさんやヤン達に、これまでどんな冒険をしてきたのか粗方聞いたんですけど…。その三年前の出来事については詳しく聞く機会が無くて、ずっとモヤモヤしてたんです。」


 するとメルロスが手元の紅茶をグイッと全部飲み切り、少し困った表情で口を開いた。


「私が直接見たのはほんの一部で、他は後から人伝てに聞いたものを繋げたものになるけど…。それでもいいかい?」


 ジェリーは素早く縦に首を振った。

 それを見たメルロスは軽く苦笑し、それからゆっくりと話し始めた。


◆◆◆


「失礼致します陛下!先程、怪しい集団が複数同時に現れ、現在は近衛騎士団、兆域警備団、共に交戦中であります!敵の数は五百から六百と予想されます。」


 鳴り始めた街の警鐘とほぼ同時に食堂のドアを勢いよく開けて入ってきたのは、一人の近衛騎士。


 その報告を聞き、アリスを持ち上げて上下に動かしていた腕の動きが止まった。


 陛下と呼ばれた男の歳は、四十代半ばといったところ。

 名はレオハルト・ディ・ラーズ。

 銀髪に銀色の髭が特徴的で、武の匂いを放つその身体はとても皇族とは思えるものではない。

 毎日何かしらの修練を行なっていることは確実であった。


 そしてテーブル向かいに座っている男こそが、ラーズ帝国近衛騎士団団長クラーク。

 五大国に名を轟かせている武人でもあり、歳は三十路過ぎといったところ。

 しかし今もなお、その技は成長を続けているという。


「クラーク、この度重なる事態をどう読み解く?」


「はい。流石にこのタイミングでの襲撃であれば…レッドワイルドボアにコカトリスの相次ぐ出現と、確実に関連性があるものと見るべきかと。信じ難い事ですが何かしらの方法で、魔獣を陽動として使ったと思われます。そしてここまで用意周到に事を運ぶ者達であれば、今街にある戦力も調査済みであると思われます。」


 レオハルトがゆっくりとアリスを床に降ろした。


 一瞬で張り詰めた空気の中、メルロスとアリスは未だに事態が飲み込めずにいた。


「ということは緊急討伐に向かった者達もすぐには戻れなくする為に、何かしらの罠にかかっている可能性が高いということか。危ないのは…間に合う可能性の高いコカトリスの方だな。目的は確実に余の首だろう。そしてクラークがいる事を分かって、ここに襲撃をかけるという事は…。」


「はい。敵の首魁は相当の切れ者で、かなりの数の手練れも同時に引き連れているものと思われます。」


 レオハルトが静かに立ち上がった。

 一刻を争う緊急事態においても全く慌てる素振りを見せない様は、一国の主たる威厳を周囲に感じさせた。


「この街で一番強固な建物は、警備団の詰所であったな?」


「はい。通常の詰所とは規模が違うものです。住民達の避難所としても使えるように大きく強固で、防衛にも優れた造りとなっております。」


「しかし狙いがこの首となると、詰所に住民を集めるのは逆に危険だな。となると…」


 考えを巡らせるレオハルト。

 そして急を告げに来た近衛騎士へと向き直り、手をかざした。


「街にいる者達には外出禁止令を出せ!そしてギルドには狼煙を上げるように要請せよ。近衛兵百五十名は、警備団員と協力して敵を討て。住宅に侵入しようとする者がいたら、最優先に討つ様に伝えよ。そして三名はこの食堂内にて護衛に当たれ。残りは余と共に、詰所に向かうぞ!」


 大きな掛け声と共に、食堂周辺に待機していた近衛騎士達が一斉に動き出した。

 一切の淀みなく流れる様に兵が分担され、そこからは練度の高さを窺い知ることができた。


 レオハルト達が外に出て警備団詰所に向かおうとすると、既に侵入を許してしまっている様で、数名の暗殺者が屋根伝いに走っている様子が目に入った。


「敵は影の者達か…。すると首魁はシュバルツかもしれんな。」


 元ラーズ帝国暗部隊暗部頭シュバルツ。

 悪政を敷いた前皇帝にその腕と曲がりきった性格を買われ、共にありとあらゆる非道を積み重ねた男である。


 当時のラーズ帝国内に住む貴族や国民は、身分を問わずに全員が異常なほど夜が来るのを恐れていた。

 そして月明かりが消える新月の夜は、帝国内の何処かで必ず悪夢と同じ光景が創り出されていたのである。


 この悪夢の日々に突如終止符を打ったのが、当時皇太子であったレオハルトであった。


 前皇帝に従順を示して信頼を得ていたレオハルト。

 彼は十年近く時間をかけた裏での巧みな調略によって、前皇帝を国外追放へと追い込むことに成功する。


 その流れに押される様に、シュバルツも暗部頭の任を解かれることとなった。

 しかしこれに激怒したシュバルツは部下全員を引き連れて、正式に解任される日の前夜に皇族と宝物庫を襲撃したのである。


 結果的に大きな被害を与えはしたが、レオハルトの殺害には失敗。

 しかし五層に分かれている宝物庫を第二層まで突破し、多くの宝を入手した。


 だがそこからの近衛騎士団による追撃は凄まじく、シュバルツは首こそ取られなかったが重傷を負い、部下はたった一名を残して全て討ち取られたのであった。


「あれから二十年程か…。もうそんなにも時間が流れていたのだな。」


 近衛騎士達に守られながら、レオハルトは警備団の詰所に入った。

 中には留守を守る団員しか残っておらず、残念ながら戦力の補充とはならなかった。


「さて、持久戦といきたいところだが…。あまり焦らすと、住民達に矛先が向きかねんな。」


「はい。陛下の御性格を逆手に取る手段も、当然とってくると思われます。もし殲滅するだけであれば、私が前線に出るのが一番手っ取り早いのですが…。それではどうしても陛下の護衛に、大きな不安を残してしまいます。ましてや敵の首魁が話に聞くシュバルツであれば、私を突破もしくは誘導する為に、何かしらの卑劣な手段を用いてくるはずです。それが分からない以上、迂闊に動けないのが歯痒いところです。」


 クラークほどの強者を倒す手段を持ってきている。

 それは到底考えられない事であったが、そこに不気味な雰囲気を加味するのがシュバルツという男の人物像であった。


「しかし練りに練られた計画ほど、不測の事態が起こるというもの。この流れに淀みが生じるのを、とにかくは待つとしようか。」


 現在は敵の思うがままに事が進んでおり、その凶刃がもうすぐ目の前まで迫ろうとしている。

 その様な張り詰めた状況の中で冷静に策の綻びを待とうという判断を、常人に下すことなどできることではない。


 ここまで周到な策を練り上げたシュバルツは確かに要注意人物である。

 だがその渦中で冷静に事の起こりを待ち構える皇帝は、間違いなく傑物の類であった。


 自分は仕える主人に恵まれた。

 その喜びを胸に隠し、クラークは的確な指示を部下達に出すのであった。


◆◆◆


「最後まで気を抜くんじゃねぇぞ!攻撃パターンこそ変わらねぇが、ここからは動きに緩急をつけて、タイミングを狂わせようとしてくるからな!」


 ブルーマウンテンの東にある平原で、ボルグの飛ばした指示が響き渡る。


 討伐隊が包囲する中央にはワイルドボアから派生し、災害級魔獣へと進化した特殊変質個体ユニークモンスター・レッドワイルドボアが瀕死の状態となって、最後の力を振り絞った起死回生の突撃を仕掛けようとしていた。


 ギルドから緊急討伐依頼が発令された当初、レッドワイルドボアは街から東へ馬車で二日の位置にいるとされていた。

 しかし討伐隊が移動を開始すると、馬車で半日進んだ所で突如遭遇する事となる。


 完全に不意を突かれた討伐隊は、一心不乱に街を目指すレッドワイルドボアの突進を受けて、瞬く間に半壊した。

 もはや任務続行は不可能かと思われたが、そこで見事に隊を立て直したのがクラス・プラチナの冒険者ボルグであった。


 半分以下になった討伐隊はレッドワイルドボアの前脚にダメージを与え続け、何とか包囲網を敷く事に成功した。

 しかし街まで徒歩で半日の距離まで押し込まれてしまい、全員に言い知れぬ緊張感が走っていた。


 瀕死の状態に追い込みはしたが、討伐隊の戦力もギリギリの状態。

 ここで一回でも突破を許したら、街までその突進を止める事は不可能という状況。


 もしそうなれば、緊急討伐依頼は失敗だ。

 街にいる警備団と協力すれば、討伐する事自体は可能ではある。

 だがそれまでに狂ったように突撃を繰り返すレッドワイルドボアによって、甚大な被害を受けてしまう事は明白であった。


 レッドワイルドボアは、何とか助走できるスペースを確保しようと暴れ回った。

 隙を見ては突進に入ろうとするが、助走のない突進は出鼻を挫いてしまえば本来の突破力を生み出すことはできない。


 ボルグの言ったように緩急をつけた動きで一瞬の隙を生み出そうともするが、それも先出しされた指示によって見事に封殺されていた。


「ここだ!一気に畳み掛けろ!!」


 包囲網を解いた討伐隊が、各々最大火力を繰り出してトドメに入る。

 そして討伐完了をもぎ取ったのは、ボルグが放ったバトルアックスの上位武技「旋葬せんそう」であった。


「おらぁ!これでくたばっとけぇええ!!」


 バトルアックスを振りかぶったまま馬車の屋根から高く飛び上がったボルグは、落下しながら勢い良くそれを振り下ろした。


 獲物から離れた空間を縦に旋回するバトルアックスは、ボルグを身体ごとその渦に巻き込む。


 景色が上下へと流れていく中、ボルグは身体を丸めて渦の中心を強く意識した。

 軸を得た遠心力は水を得た魚のように、円を描くバトルアックスの軌跡に圧力を加えていく。


 そして視界が空を三回捉えた時、ボルグは思いっきり脚を伸ばして身体を反らした。

 するとバトルアックスの先からボルグの伸びた足の先までが、弓の様にしなった形となって更なる加速を促す。


 レッドワイルドボアの瞳にはボルグではなく、幼い頃に命を奪われかけたミノタウロスの姿が映っていた。


 一瞬の逡巡。

 その隙を使ってボルグのチームメンバーであるヤンとクロードが、回避するスペースを見事に埋める。

 バトルアックスが暴走するのを必死に抑えるボルグの両手からは、ギリギリと音が溢れていた。


「ブゴゴォブゴォオオオーー!!」


 レッドワイルドボアは悲痛な雄叫びをあげるしか無かった。

 その瞳に映るミノタウルスの幻影は飛び込んできたボルグの姿にかき消され、背後から飛び出てきたバトルアックスが縦に振り抜かれた。


 数秒の沈黙の後、頭を半分に割られたレッドワイルドボアがゆっくりと倒れ込む。


 草原に討伐隊の大歓声が響き渡った。

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