第4話 少女に迫る影

ーもう嫌…何もかもが嫌…。


 食堂を飛び出した私は自分の感情を爆発させながらも、食堂にいた人達の悲しそうな顔を思い出して後悔していた。


ーごめんなさい、みんな。でも…でも私…。


 すれ違う人、露店横の箱、レンガ造りの壁。

ありとあらゆるものにぶつかってしまったけど、私の脚は止まらなかった。


 視界に入ってくるのは骨壷を抱えて歩む人達。

 身寄りのない骨壷をたくさん積み込んだ黒色の馬車。


 華やかに飾られたこの街の墓地は、公園の様に雰囲気が良いと多くの人が口にする。

 でも目にしたくないものを上から塗りつぶしている様に見える過剰な彩りが、私は嫌いだった。


 私がまだ幼い時、人はいずれみんな必ず死ぬのだとママは教えてくれた。

 私はそれを聞いてとても怖くなった。死にたくないって思った。


 でもそれは多分、もっと先の話。

 今はそれよりも、この街に大量に埋められている「人の死」が怖かった。


 もしも…死んだ人が墓の中から出てきて私たちを襲ってきたら?

 幽霊やゾンビはおとぎ話だってみんな言うけど何でそう言い切れるの?


 他の街にはお墓が一つも無いと冒険者の人に聞いた。

 それなら他の街に住めばいいのに、何でわざわざこの街に住み続ける必要があるの?


 ママは何回聞いても教えてくれない。

 みんなは大きくなったら分かるとしか言ってくれない。


 それなら私は分かりたくない。

 分かろうとも思わない。


 ママさえ良ければ直ぐにでもこの街を出て行きたい!

 わざわざこの街に住む理由なんてもう知りたくもない!


 ふと前を見ると、裏門近くの空き地にまで来ていた。カールとよく来る空き地だ。

 自然と足が向いちゃったのかな。息が上がって、手脚がとても怠い。


 全力で走ったんだもの。暫くは動けそうにないなぁ。


「ママ、怒ってるかなぁ…。心配してるかなぁ…。」


 大きな声を出していたけど、その目はとても悲しそうだった。

 さっきのママの表情を思い出すと、また涙が出てくる。


 空き地の奥に積み上げられている沢山の資材。

 その上に座って足をぶーらぶら。


 そんな事をして息を整えていると、私の視界に白いモヤの様なものが入ってきた。


「え?…これって霧?」


 目を擦って前を見ると、白い霧以外のものが見えなくなっていた。

 そして次に見えてきたのは一・二・三…、五つの影。

 こっちに向かってゆっくりと近づいて来る。


ーー怖い!


 五つの影を見た瞬間、そう思った。


 それは私がいつも怖がっている幽霊やゾンビの存在を感じたからじゃない。

 明らかに目の前から向けられている情のない視線を、全身で感じたからだと思う。


 逃げなきゃいけないのに…。私の両手と両脚は震えるだけで、全くいうことを利いてくれない。

 助けを呼ぼうと思った。でも口から出るのは歯と歯がぶつかり合う音ばかり。


 私、ここで死ぬの?ママにあんなに悲しい顔をさせた後なのに…。

 嫌…嫌だよ。あれが最後だなんて…。


 だけど少し近づいたところで、五つの影は立ち止まって動かなくなった。

 何かに驚いているのか明らかに様子がおかしい。


 そしてしばらくすると、霧の中から籠もった声が聞こえてきた。


「お、お前は何者なのだ…。」

「え?」


 意味が全く分からない。それを聞きたいのは私の方なのに。

 何で私が聞かれてるの?それとも違う誰かに話しかけてるの?


 そうやって混乱していると、

「お嬢様のピンチに駆けつけた、白馬の騎士ってところかな?…おっと!『白馬はどこだ?』なんて野暮なことは聞くなよ?」


 いつの間にか私の背後にいた男の人がそう答えて、私の両肩に手を置いた。

 綺麗な銀色の髪が風に揺れている。酒場でバッシュと同じテーブルに座っていた人だ。


 置かれた両手から伝わってきたのは優しさと強さ。

 この人だって知らない人なのに、何故かとても安心できる。


 気づくとあれだけ震えていた私の手足がいつもの感覚を取り戻していて、白い霧も薄くなってきていた。


◆◆◆


 五人の男達は全く動けずにいた。


 その原因となったのは紛れもなく少女の背後からいきなり…いや、滲み出る様にして現れたダークエルフ。

 その一部始終を見た全員が絶句し身を硬直させ、言い知れぬ恐ろしさを感じていた。


 何がここまで闇に生きる者達に恐怖を与えたのか?


 それは自分達が到着する前から少女の背後に居たであろうダークエルフが、自らの意思でその存在を明らかにするまで、五人全員が少女一人の存在しか認識できていなかったという事実であった。


 催眠術か?それとも幻覚の薬でも撒かれていたのか?

 思考が高速で答えを模索するが、その方向に正解はないと各々が薄々気づいていた。


 繊月(せんげつ)という技がある。

 僅かに漏れる月の光では薄く雲がかかるだけで本体が完全に隠れてしまう様に、物陰や環境音などを利用して己の気配と存在を消し去る秘技である。


 繊月の状態に入っている者を察知する事は、クラス・プラチナの冒険者をもってしても困難を極める。

 そしてそれ以下の者がこの技を破るためには、使用者の姿を視界で捉えるしか無い。


 この恐ろしい技を体得するべく、暗殺者達は幼い頃から人間性を捨て去った訓練を重ねる。

 そして長い年月を経た後、人の気配に敏感な魔獣を対象とした試練を乗り越えた者。その者だけが繊月体得の承認を得られるのであった。


 繊月を体得したものには導師(マスター)の称号が与えられる。


 もしも導師(マスター)のみで形成された暗殺者集団を作り出すことができたなら、小国の一つや二つなど数日で崩壊させることが可能であると言われている。


「ありえない…、あり得るわけがない…。」


 言葉を漏らしたのは五人の暗殺者の中で唯一、導師(マスター)の称号を持つ者。


 信じられないものを見た。もしくは信じたく無いという思いが、超人的な実力を持つ者の唇を震わせる。


「し…新月なのか?今のは。もしそうであれば、新月を扱える者が何故こんなところに…。」


 導師(マスター)の発した言葉に他の四人が己の耳を疑った。


 新月とは繊月のさらに奥…。生命が発する波を完全に断ち、この世の深淵を覗き見た者だけが習得可能とされている幻の技。


 光明無き月を視界に入れられたとしても、その存在は闇によって認識できない。

 まさにそれと同じ様に、たとえ視界で捉えられたとしても新月を習得した者はその存在を隠すことができるとされている。


 その者の歩みが紡ぐのは、絶望。

 その者の動きは、死神の所作。


 故にこの技を習得した者は抹殺者(ターミネーター)と称され、暗殺者が生涯を掛けて追い求める理想像とされている。


「み・・見間違いです、導師(マスター)。あんなニヤニヤした男があの幻の技・新月を体得しているわけがありません。繊月の習得さえ怪しいと思われますが、百歩譲っても繊月の応用を見間違えたものではないでしょうか。」


 導師(マスター)の横に居た上位暗殺者が目の前で起きた事実を必死に否定するが、内容には筋が通っていた。


 言い伝えによると新月を習得するためには、人間性の全てを対価として支払う必要があるという。

 そこから出来上がるのは壊れた人格。顔に宿す証は無の表情。


 しかし目の前の男には明らかに感情が宿っており、むしろ街中で見張っていた時には煩悩の塊にしか見えなかった。

 それ等は先程見せられたものが新月ではなかったと断ずるに、十分な裏付けであった。


「陣形を展開。対象は確保。男は消す。」


 我に返った導師(マスター)は素早く指示を飛ばす。

 あれは新月では無かったと己に言い聞かせて。一縷の望みにかけて。


 組まれた陣形は偃月(えんげつ)の陣。

 先頭に置いた大将を中心に、部下が両翼を描く様に後方に位置取る攻撃特化の陣である。


 暗殺者達の定石からすれば、これとは前後が逆の鶴翼の陣で包囲し確実に仕留めるべきである。


 しかし一度狼狽えた姿を晒してしまった以上、導師は己が一番後ろに下がるべきではないと判断した。


 動き出す導師の初動に見事に全体が動きを合わせる。

 個のみならず隊としての修練も熟しているのであろう。


 その一糸乱れぬ動きを見て、アリスは思わず

「きれい…」

と呟いてしまった。


 対象にある程度の所まで迫った導師(マスター)は、己の目を疑う。

 あの男の姿が無い。


 次の瞬間、後ろにあった部下の気配が二つ消えた。不測の事態に身を反転させる中、残り二つの気配も消える。


 完全に振り返った時、そこに立っていたのは爽やかな笑みを浮かべるダークエルフのみ。

 部下達は陣の形を保ったまま倒れ伏し、気を失わされていた。


「何故、殺さぬ…。」


 作戦の情報を持っているのは隊の長のみ。

 それは暗殺者達の中での常識であり、もし情報を吐かせようとするのであれば隊長以外を生かしておく意味はない。


「フ…、そんなの決まっているだろ?」


 そう答えると同時に、導師(マスター)の視界から肩を竦めたダークエルフの姿が色褪せていく。

 その姿が完全に消えた直後、首の付け根に意識を刈り取るのに十分な衝撃が走った。


「やはりそれは…新…月…。」


 そう言い残すと、導師(マスター)は人形が倒れる様にゆっくりと地に堕ちた。


 空き地が音を取り戻す。ここが街中であった事を、アリスは思い出した。


「いくらなんでも女の子の前で、汚い花を咲かせるわけにはいかないだろ?」


 お得意のポーズでディープは決め台詞を発した。本人はこれ以上ないほど完璧に決まったと、心の中で自画自賛していた。


 恋愛対象外の少女を前にして…。


◆◆◆


 バッシュ達がブルーマウンテンの街を訪れる一ヶ月ほど前、アリスと幼馴染のカールは二人で裏門近くの空き地に来ていた。


 表通りから少し入った所にある空き地には、常に資材が置かれている。

 それ以外は何も特徴もない只の空き地ではあるが、いつまで経っても置かれた資材を使った建築が始まる様子はない。


 この街の老婆に話を聞いても、空き地の様子は今と昔に変わりはないのだと言う。


「あたし達も小さい時には、はみ出した資材にぶら下がったり隠れんぼしたりとよく遊んだものさ。たまに今の子達が同じ様にして遊んでいるのを見ると、昔を思い出して嬉しくなるよねぇ。」


 老婆は過去を振り返り、思い出の中の姿が変わらずにまだある事を喜んでいた。


 では常に置かれている資材は何の為のものかと疑問に思いそうであるが、裏通りにある空き地の事に興味を持つ人が少ないのもまた事実であった。


「カール?ここは小さい頃からよく来てる空き地じゃない。ここに今更何があるって言うの?」


「いいからいいから!騙されたと思って付いて来いよ。これはこの街始まって以来の大発見になるはずだからさ!」


 この日、アリスは興奮を隠しきれないカールからの強引な誘いを断りきれずに、嫌々ながらも空き地まで来ていた。


「大発見なんてあるわけないわよ。もし何か発見があるとするなら、それは街の中じゃなくて兆域の方でしょ。」


 アリスは呆れた様子でカールに反論するが、それは誰もが同じく持つ考えであった。


 事実、兆域の中では夜な夜な忍び込む墓荒らしと、腕利きの警備団によるイタチごっこが続いていた。

 そして時には血で血を洗う様な凄絶な攻防にまでエスカレートする事もある。


 ラーズ帝国国営兆域。

 ここに眠っているのは歴代皇帝のみならず、過去を生きた皇族や貴族、大富豪に上級冒険者など、一般市民には決して手の届かない財を手にした者達も永い眠りを共にしている。


 この場所を多くの死者が眠る気味の悪い場所と見るか…。

 もしくは探せば大発見のある宝の山と見るのかは、それぞれの心の在り方によるだろう。


 ただ一攫千金の可能性は兆域の中に限定されるものであり、街の方に欲望の目を向ける者はほとんどいなかった。


「こっちだよ、こっち!」

 空き地の中に人が居ないか真剣に確認したカールは、隠れる様にして奥へと進んだ。


「ちょっとカール、待ってよ!」

 二人は奥に置かれている資材を左に見ながら、右奥へと進んでいった。


 積み重ねられた資材は一見無造作に置かれている様にも見える。

 しかしよくよく眺めてみると、何故かこの日は複雑な造りをしている小屋の様にアリスには見えた。


 とは言っても、古くなってとても使えそうにない角材や丸太が絡み合う様な形で置かれており、いつも子供達がジャングルジムの様にして遊んでいる有様であるが。


「ここだ!」

 カールが得意げな表情で歩みを止める。


 そこは高く積み上げられた資材の端。空き地の入り口から死角になる場所ではあるが、隠れんぼの時など何回もお世話になった場所なので発見など何もない。


「それで?これの何が大発見だと言うの?」

アリスは興味の無い顔でカールを見る。


「へん!そんな顔ができるのも今のうちだぜ!もし今から見る大発見に感動したら、俺のことトレジャーハンターカール様って呼んでも良いからな!」


「はいはい…何とでも呼んであげるから、さっさと見せてよ。」


 釣れない反応のアリスを見ても、カールの顔はニヤケている。

 それはまるでこれから見せるものによって、アリスが驚き慌てるであろうことを確信しているようであった。


「まずは、ここの角材を回して…ぬぬぬぬ…。」


 カールがブツブツ言いながら、横に飛び出ている角材の一つを握ると、それを思いっきり横に捻った。


「え?」

 不自然な角材の動きにアリスは驚きの声を出した。


 これだけ高く積み重なっている資材。その土台ともいえる部分にある角材がその場で回転するというのは、物理的にどう考えてもおかしい。


「そして反対に回して…もう一回反転させる…。」

 言葉を失っているアリスを横に、カールは右へ左へと角材を回転させた。


 何回かそれを繰り返すとカールは体勢を変え、握っていた角材を資材の中へと押し込もうとする。


「ぐぬぬぬぬ…。」


 すると角材は滑りの悪い鍵穴に入っていくかの様に、所々引っ掛かりを覚えながらゆっくりと入っていった。

 すると…


「えええ?!」


 目の前の資材が小さな摩擦音と共に次々と奥に入って行き、大人一人が中に入れるくらいの隙間が空いた。


「こ…これって…。」

 アリスが驚きのあまり硬直していると、


「アリス、早く!この入り口は三十くらい数えたら、勝手に閉まってしまうんだ。中からはすぐに開けられる造りだから、とりあえず早く中に入ろう。」


「で…でも…。」

 アリスが中に入るのをためらっていると、


「ほらほら、早く!」

 カールはアリスの手を掴み、強引に中に入って行った。

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