この翼に願いを乗せた
「まーたこんなとこでサボって」
凛とした声がして、僕はその場に寝転んで後ろへと視線を向ける。逆さまになった景色に、重量から解き放たれたように仁王立ちする幼馴染が見えた。
磨いたように綺麗な瞳に肩のあたりで切り揃えられた艶やかな黒髪。校則通りにきちんと着こなされた制服は、澄んだ美貌と相まって固い印象を抱かせる。
「屋上でサボりなんて、拗らせすぎでしょ」
「お前だってサボりだろ」
「お前って言うな。それに私は先生に言われてきたの、あんたを探してこいって」
「それはご苦労様」
僕は「よっこらせ」と身体を起こす。屋上から見えるグラウンドでは、この曇天の寒空にも関わらず騒ぎながらボールを追いかける生徒たちが見えた。
「しかも紙飛行機って。あんた小学生か」
幼馴染は僕の手元にある折り曲げられたプリントを見てそう言った。隣りにしゃがみ込み、僕の手からプリントを取り上げる。
「うっわ、これこの前のテストのじゃん。しかも四二点って」
「うっせえな。いいだろ別に。卒業には問題ないんだし」
「そういうことじゃなくてさ。もっと昔は勉強できたじゃん」
「勉強なんかしても意味ないだろ。お前と違って進学するわけでもないんだからさ」
「またお前って言う」
幼馴染が僕の肩を小突く。僕は彼女の手からプリントを取り返し、それで紙飛行機を折る。
「あーあ、そんな突き放されると悲しいなー」
黙々とプリントを折り曲げている僕の隣りで幼馴染が言う。もちろんこの程度でいちいち悲しくなるような柔いメンタルの持ち主でないことは、僕がよく知っている。何と言っても――
「あ、今さ、自分のこと振った相手によく平気な顔で話しかけるよなー、とか思ったでしょ」
「思ってねえよ」
僕は心のなかを読まれた焦りを隠しながら嘯く。
つい二カ月くらい前、僕は幼馴染に告白をされた。だが見ての通り、僕は彼女の気持ちに応えることはなかった。応えることはできなかった。
ちなみに、今こうして何事もなかったかのように会話しているのは、幼馴染の希望だ。高校を卒業するまでの半年弱、今までみたいにただの友達として話してほしいと、彼女は僕に振られたあとでそう申し出た。
もちろん理由をつけてその申し出を断ることもできた。だけど僕はそうしなかった。他に好きな人がいると、黴臭い嘘で彼女の告白を撥ね退けたくせに、僕はその申し出を断ることができなかったのだ。
そうやって彼女を突き放し切れないあたり、煮え切らない僕という人間がよく表れているような気がして、僕は僕がほんの少し嫌になる。
「早く戻れよ、優等生。一応授業中だろ」
「サボり常習犯に言われたくないね」
「そのサボり常習犯なんかに構うなって言ってんの」
僕が突き放すような鋭い声音で言うと、幼馴染は黙った。
冷たい風が僕らの隙間を通り抜けていく。紙飛行機を飛ばすにはちょうどいい風だ。寒さに肩を強張らせながら、僕はそんなことを考えた。
◇
将来――。
一八歳になったばかりの僕にとって、その言葉は大した実感もないくせに、妙に不愉快な手触りでもって響いてくる。
たぶん同年代の奴らなら、将来なんて知らねえよとか嘯いてみたり、あるいは何にでもなれる自分の可能性とか言うやつを想像して毎日を楽しく、不確かな未来に向かって生きるのだろう。
もちろん楽しいことばかりではなく、苦しさや不安も伴うだろう。
だけどそんな生き方を、僕は少し羨ましくも思う。
僕の家はこの半端に寂れた田舎の商店街で八百屋をやっている。
商店街の八百屋の息子。それだけ聞くと令和とは思えない、何とも古風な響きだ。
とは言え、僕は家業が嫌いなわけじゃない。曾祖父の代から続いているらしい店は近所の人たちに愛されていたし、父親が仕入れてくる野菜や果物はどれも美味しいと評判だ。
時代柄、特別賑わったり繁盛したりすることはないけれど、地域から愛される実家の店を、僕は少なからず誇らしく思っている。
だから高校卒業後、足を悪くした父親に代わって店を切り盛りしていくことに何か不満があるわけではない。僕自身に何か大層な夢や目標、将来の展望があるわけではなかった。それに父や母がどんな思いで店を続けてきたかを僕はよく知っている。何より僕自身、店が続いていくことを望んでいる。
卒業してすぐに家業を継ぐことだって僕自身の選択だ。後悔はない。
だけど後悔がないことと、絶対に手に入ることのない「もしも」を想像してしまうことは矛盾しない。
あの日、彼女の告白に、首を縦に振ることができたなら。
彼女の手を取って、未来へと進むことができたのなら。
そんなことばかりを考えてしまう僕は、やっぱりどうしたって煮え切らない。
幼馴染の
推薦で入学が決まっている大学に通うために上京するのだ。
弁護士になるという、正義感が強くて真面目な彼女らしい夢を叶えるために、東京へ向かう。
だから僕は彼女からの告白を断った。
遠距離恋愛が辛いとか、そういうことじゃない。
弁護士になるであろう彼女に、気後れしているわけでもない。
夢に向かって進もうと決意した彼女の足枷になるのが嫌だった。もし感情のままに告白を受ければ、東京という大きな場所で必死にもがこうとする彼女をこの町に縛り付けることになってしまいそうで怖かった。
だから僕は彼女を振った。
それがきっと最善の選択だ。
僕は田舎で八百屋をやり、彼女は東京で弁護士になるための勉強をする。
やがて彼女は晴れて弁護士になり、僕は相変わらず野菜と果物に囲まれて生きる。連絡を取り合うことはもうない。彼女は彼女に見合うだけの男と恋に落ち、僕は年を取った父と母の世話をしながら、馴染みのお客さんに笑顔を振りまく。
年末かお盆になると帰省してくる彼女と、お酒の席を囲んだりしながら、昔はよく遊んだよね、なんて意味のない話をする。それからきっと結婚することになったと報告を受けるのだろう。僕は、見せてもらったツーショットの写真を眺めて、彼女に「おめでとう。いい人そうだな」なんて言う。
それが最善。
寂れた商店街の八百屋なんかに、彼女を縛り付けておく未来なんてまっぴらだ。
◇
「よし」
俺は完成した紙飛行機の両翼を緩やかに曲げて、最後にかたちを整えると小さく言った。立ち上がってみれば、しぶとくもまだ教室に戻っていなかった幼馴染が膝を抱えて座っていた。
「なんだよ、まだ戻ってなかったの」
「だって連れて帰ってこいって言われてるから」
「どんだけ優等生なんだよ」
「馬鹿にすんな。紙飛行機作って嬉しそうにしてるガキンチョのくせに」
「うっせえな。紙飛行機はロマンなんだよ。お前には一生分かんないよ」
幼馴染が小突いてくるのを、今度は器用に躱して。僕は柵へと歩み寄る。
屋上には相変わらず冷たい風が吹いている。吐く息は白く、指先は真っ赤になって悴んでいる。
「いいか? ただの一枚の紙。しかもこれは四二点なんて半端な点数の無価値の紙だ。だけどこうやって折りたたみ、綺麗な流線形を獲得すれば、無価値な紙はたちまちこの大空に羽ばたく翼になる。そうだな、アウローラ号と名付けよう」
「何その変な名前」
「いいんだよ、気にすんな。ロマンが詰まった名前だ」
「全っ然分かんない」
「だろうな。まあ期待はしてない」
僕はやっぱりわざと突き放すように言って、それから吹く風に目を閉じる。微妙な風向きや風の強さを感じ取りながら目を開き、親指と人差し指で持った紙飛行機をそっと放る。
真っ直ぐに。紙飛行機が風に乗っていく。僕は渾身のドヤ顔で、後ろの幼馴染を振り返る。
「ほら、見たか。すご――――」
「すごい! よく飛ぶね!」
いつの間にか立ち上がっていた幼馴染が柵から身を乗り出して、飛んでいく紙飛行機を指差す。
紙飛行機が向かう先――背の低い家屋と畑の向こう側には雲の切れ間が見えていた。差し込む淡い光と空の青は、冷たい季節に似つかわしくないほど温かく見えた。
「飛べー!」
さっきまで馬鹿にしていたくせに、無邪気にはしゃぐ幼馴染を尻目に、僕は祈る。
たかだか四二点のテスト用紙が何を決めるわけでもない。紙飛行機がどこまで飛ぼうと、どこで落ちようと、そんなものに意味はない。
未来はそんなものでは測り知れないから未来なのだ。
だけど、それでも、僕は祈る。
落ちるな。飛んでいけ。
この町に留まることを決めた僕の代わりに。
夢に向かって東京で羽ばたくと決めた彼女のように。
このままずっと。青い空の下までずっと。
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