■宇宙時代の自由都市“ガスプラ”

「今世紀末までには、ガスプラは太陽系の新たなビジネスセンターになるでしょう」ガスプラを所有する企業連合“GaDA”にて実務を担う管理委員会の1人であるリー・ユーシェン氏は、ガスプラの将来をそう語った。「重要なのはどんなビジネス環境を提供出来るのかです。この点でガスプラは太陽系内で唯一ともいえる要素を多く持ち合わせており、それが発展に大いに役立っているのです」

 リー氏によれば、ガスプラが持つビジネス上の最大の魅力とは、ガスプラの地位にあるという。「ガスプラは多種多様な企業にとって聖地といえるでしょう。我々は国家という枠組みから外れ、企業自治による“自由都市”を手に入れました」それは一体どういうことだろうか?

 答えは国際宇宙法条約にある。宇宙の憲法とも呼ばれている国際宇宙法条約は、宇宙空間における領域制度や権利を定めている最も普遍的な国際宇宙法だ。同条約によれば、国家や主権を移譲された国際組織による排他的な支配が保障された領域を除く宇宙空間は、全て「公宙」という自由空間として扱われ、それは天体表面でも例外ではない。そしてガスプラは、同条約上ではこの公宙に当たる領域として扱われるのだ。

 月面や火星、あるいは外惑星系の衛星群といった人間が居住している天体はそのほとんどが国連+Sの信託統治制度下に置かれている(国家と同格の統治機構が支配しているので、領宙として扱われる)中で、30万人が暮らすガスプラが公宙という扱いなのは特殊だと言えるだろう。小惑星ガスプラはあくまで企業連合である“GaDA”が、公宙で認められている「宇宙建築物建設の自由」の権利の下で開発を行っている扱いなのだ。

 不思議なこの状態は、ガスプラ開発の歴史的経緯から生まれた。当初は単なる小惑星鉱業の対象として民間のみで開発されていたガスプラは、宇宙開発メジャーによる大規模採掘が開始された後もGaDAの前身企業連合による開発が続けられた。国連+Sによってシリンダー型コロニー化プロジェクトがスタートしてからも、外注という形で企業連合による管理が続けられ、現在の責任機構であるGaDAにその任務は引き継がれている。

 ガスプラをタックスヘイブンとして批判する先進諸国は、信託統治理事会の管理下に置くべきという主張を繰り返しているが、一方で信託統治制度が宇宙時代の植民地政策だという批判も多いため、実現には至っていない。そのため現在のガスプラに対する国連+Sや主権国家の関係は、国際宇宙法条約で定められた“自治化地域”(一定規模の居住者がいる場合、彼らの権利保護のために政治的な自治システムの整備を必要とする領域)として、信託統治理事会下部に設置されたガスプラ委員会を通じた監督に留まっている。よってガスプラにおける事実上の最高意思決定機関は企業連合である“Gaspra Development Alliance”――GaDAという訳だ。

「ガスプラは決して無法地帯ではありません。企業間協定によって違法性のある行為は禁止されていますし、独立した監査機関も存在します。企業利益は正当な手段で投資に充てられ、更なるイノベーションを実現しています。技術水準向上による人類社会への貢献は、国家による統制がなくとも高度な企業自治によって達成できるのです。社会的責任は充分に果たしていると言えるでしょう」GaDAへの批判に、リー氏はそう語る。

 実際、彼が語るように研究開発はガスプラを支える基幹産業の1つだ。巨大企業の研究開発部門や、投資ファンドの多くはガスプラに拠点を設けて、この星にやって来るハイテクノロジーベンチャーに多額の投資を行っている。彼らにとって魅力なのは、法人税や資産税、独占禁止法、新技術への予防的規制法令といった様々な制約や規制を回避できる点だ。「GaDAの目標は、国家による社会への再分配に代わって、企業への再分配による健全な資本主義社会を実現することです」

 その試みは、今のところ成功しているように見えなくもない。多額の支援と緩い規制の中で、ガスプラに拠点を置く研究開発機関は多くの新技術を生み出してきた。宇宙開発メジャーの一員である多国籍企業“オービットモビール”は一昨年に新たな宇宙用スマートポリマー素材の開発に成功して話題を集めたが、実はこれもガスプラにある同社の研究所から生まれたものだ。高性能なこのスマートポリマーの開発が成功した背景には、シリンダーを抜ければすぐそこが惑星間空間の宇宙というガスプラ特有の環境のおかげだとリー氏は説明してくれた。世界の関心と環境が整備され続ける限り、今後もガスプラには知識を持つ人材が集まり続けることだろう。

 だが実は観光と研究開発以外に、ガスプラにはもう1つ重要な産業が存在している。それは金融業だ。ある意味ではこれこそが地球圏に対する最も重要な対抗手段になるかもしれない。カギを握るのはガスプラの位置だと、リー氏は語る。「惑星間貿易が盛んになるにつれて、外惑星系の衛星群から産出される氷は非常に重要な資源と認識されるようになりました。特に多い利用法が推進剤である重水素の生産ですが、その他にも生命維持システム用や産業用水としても活用されています。地球から海水を打ち上げるには今でも破格のコストが掛かる一方で、外惑星系の氷資源は低コストで大量に供給できますから、太陽系経済の成長と比例してこれらの資源の需要は今後も伸びることでしょう。となれば、氷の商品価格という情報それ自体にも大きな価値が生まれる訳ですから、我々GaDAは早くからここガスプラに商品取引所を整備しました」

 ここでは外惑星系で産出される資源を中心に先物取引が行われている。外惑星系とガスプラの距離が、ここでの商品取引に意味を与えてくれているのだ。「情報伝達の上限は光速です。天体間ともなればタイムラグは十数分を超えますから、適切な位置関係であれば外惑星系の情報を地球よりもいち早くガスプラでキャッチすることができます。投資家にとっては極めて重要な要素ですよ」

 技術的問題による突発的な採掘計画の変更や海賊衛星による氷運搬船の強奪は、氷価格に大きな影響を与えるが、そういった事象に投資家が素早く反応することができる場所がガスプラだ。ガスプラ商品取引所の取引総額は年々と上昇し、上場企業も増加し続けている。今やガスプラの氷価格指標は世界の投資家にとって無視できるものではない。「ガスプラの先物取引市場が氷価格の主導権を握れば、太陽系経済におけるガスプラの地位は大きく変わるでしょう」GaDAもリー氏も、ガスプラに秘められた可能性に強い自信を持っている。客観的に見てもそれは間違っていないだろう。

 だがこうしたバラ色の成長は、全ての人にとって望ましい結果を生み出している訳ではない。「健全な資本主義社会」を目標としているGaDAだが、ガスプラの実態は健全とは違うようだ。

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