■メインベルトに浮かぶ楽園

 地球のブレバード国際宇宙港を出発しておよそ3ヶ月。周回軌道上でガスプラへと直行するフロンティア・スペースライン1081便に乗り継いで低温睡眠装置に入った私は、ようやく目覚めの時を迎えた。乗客はおよそ500人、そのほとんどはエコノミークラスの旅行客やビジネスマンで占められている。

 この到着前の目覚めは、ミドルクラスの航宙会社では一般的に提供されているサービスの1つだ。フロンティア・スペースラインのエコノミークラスでは出発後と到着前にそれぞれ約4時間ほどの自由時間が与えられる。(追加料金を支払えばさらに延長することも可能だ) 乗客はこの時間を宇宙からの眺めや船内サービスを堪能するために、あるいはビジネスの準備のために使うことが出来る。

 なぜ航宙のほとんどの時間を低温睡眠で過ごす必要があるのか、疑問に思った人もいるだろう。実はこれは、惑星間航路特有のものだ。他の輸送手段と同じように、航宙会社にとって1回あたりの輸送乗客数の最大化は利益率を改善する主要な方法ではあるが、乗客が増えれば船の生命維持システムには多大な負担がかかる。低温睡眠はこのジレンマを解消するための便利な手段だ。寝泊りするための船室がよりコンパクトな低温睡眠装置に代わることでより多くの乗客を乗せることが可能になり、一方で低温睡眠による代謝低下は生命維持システムへの負担を軽減できる。惑星間航路における乗船料金は、非低温睡眠状態の時間によって左右される割合が意外にも大きい。そのため、いわゆる豪華客船では高価な料金と引き換えに低温睡眠を一切なくして船内で様々なエンターテイメントを楽しめるようになっている一方で、シェアを拡大している格安航宙会社LCCは航宙時間の全てを低温睡眠状態にすることで低コストでの運行を実現している。宇宙旅行においては、時間もサービスの1つという訳だ。

 今回私はエコノミークラスであったため到着4時間前に起床したが、目的地であるガスプラの姿はこの時点ではっきりと見ることができた。拡散したレゴリスの靄に包まれた小惑星。少し細長い形をしていて、表面が酷くゴツゴツとしている岩石の塊。荒々しいだけのその姿からは、ここが太陽系の新たなビジネスセンターだとは想像も出来ない。だがそれも仕方ない――なぜなら、ガスプラの開発区画はそのほとんどが内部にあるからだ。

 宇宙港がある小惑星の端部に向けてゆっくりと進む船は、それから予定通り4時間ほどでガスプラの玄関口“ノースポート”へと着岸した。この星には2つの宇宙港が存在しているが、ここノースポートはガスプラを訪れる観光客や移住者のほとんどを扱っている。5年前に行われた大規模な拡張工事のおかげで、施設内はどこも大して混雑していない。船を降りてからは、入域審査のゲートと検疫で少し待たされたことを除けば比較的スムーズに移動することができた。到着から入域ロビーのゲートを通過するまでおよそ45分。惑星間の出入管理としては早い方だと言っていい。

「ようこそガスプラへ! 長旅お疲れ様でした」入域ロビーに出て早々、1人の女性がそう言って私を出迎えてくれた。彼女の名はサラ・ホーヴィット。7年前に旅行代理店の現地スタッフとしてガスプラに移住したが、現在はフリーランスの個人向け観光ガイド、そしてガスプラの観光案内アプリの制作者として生計を立てている。「最初は私なりに感じたガスプラの魅力をSNSで発信したのがきっかけでした。周りには独特の感性だと言われましたが、嬉しいことにそれが次第に注目を浴びるようになって。それなら私なりに観光案内をしてみようと思ったんです」彼女の目論見は大成功した。今では大手旅行会社のガイドとアプリもある中で、彼女の観光案内はガスプラを訪れる観光客の間で根強い人気を得ている。

 事業の成功を可能にしたのは彼女の感性と才能、そしてこの星の観光需要だ。ガスプラを管理している企業連合“GaDA”の発表によればこの星への来訪者数は年々増加しており、昨年は30万人を超えた。そのほとんどは地球から来ている。もちろん彼らの目当てはガスプラの“シリンダー”だ。

 ガスプラの内部にくり抜かれた直径7キロメートルの円筒空間。シリンダーと呼ばれるこの空間こそ、ガスプラが特別な注目を集める理由そのものだ。宇宙港からはシリンダー側面へとしていくエレベーターによって行くことができる。

「もしも体重計をお持ちなら、その体重という指標が何を意味しているのかよく分かると思います」エレベーターが動き始めるとサラ氏はそう言った。私はその言葉の意味を、エレベーターが降下していくにつれて理解することができた。身体に少しずつかかる下方向へのベクトル。中身をくり抜かれたガスプラはシリンダーが約2分で1回転する自転運動をしているため、シリンダー部の側面には1Gに相当する遠心力がかかっており、それがエレベーターで降下する私の身体にも作用しているのだ。20世紀より提唱されていた回転による疑似的な重力を利用したスペースコロニーを、ガスプラは内部をくり抜くことで実現させている。

 数分してエレベーターは目的地に着いた。扉が開くと、そこは劇場のような半円形の空間。ここは何なのかとサラ氏に聞くと、「ここはガスプラを象徴する最も有名な施設です」とだけ答えた。だが、施設の役割はすぐに分かった。エレベーターの全員が降りてから、アナウンスと共に部屋の天井と前面の壁がまるで幕が上がるかのように開き始めたのだ。少し暗めの部屋に外からの光が入り込む。眩しさで反射的に目を細め、少しずつ目を開いていくと、そこにはシリンダー内部の壮観な景色が広がっていた。

 直径7キロメートルの広大な円筒空間。地平線という概念はここにはなく、左右の地面は徐々に上方向へと曲線を描きながら変化していき、自らの頭上で一周している。空を見上げるとそこには地面があるのだ。しかも正面はシリンダーの端部として壁面になっている。

 こういった構造であるため、シリンダーの全容はどこにいてもこの目で直接眺めることができる。おそらく視覚的に最も印象的なエリアは、シリンダーを一周する“海”の存在だろう。有名な古典SF小説にちなんで「ラーマ」と呼ばれているこの水域は、実際には淡水で満たされているが、シリンダー内にある水路や川と繋がっている。周辺には自然再現区やビーチといった観光資源が整備されており、観光スポットとして非常に人気だ。

 シリンダーのほとんどのエリアは、市街地か、自然再現区か、内部を照らすための“サン・エリア”になっているが、全体で見れば自然再現区の方が多い。そのため多くの人はシリンダー内部の印象を“グリーン”だと感じるだろう。自然再現区はガスプラの人口増に合わせて市街化されることもあるが、一方で保護される自然再現区も整備されているため、今後もこの景色が変わることはない。小惑星でありながらそこに観光資源として活用できる自然環境があるというのは、ガスプラにとっては最も重要なポイントだからだ。

 私はサラ氏に質問した。あなたにとってガスプラの魅力とは何か? 「この景色とガスプラの発展性です。美しい自然と不思議な景色はいつ見ても飽きませんし、観光施設が次々と整備されている今は、ブランド品やエンターテイメントも充実しているので毎日が楽しいですよ」ガスプラに移住して7年が経つサラ氏だが、ここ数年は次々と新たな施設がオープンしているという。観光需要の増加は彼女自身もガイドの依頼とアプリダウンロード数の増加で実感しているそうだ。

 だがこうして彼女が実感しているような観光需要の増加はガスプラ経済のすべてではない。ガスプラに根付く産業は、その多くが今チャンスの時を迎えている。

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