■陰に暮らす者達

 ノースポートの反対側、シリンダーの端部の先は、未掘削区画としていまだくり抜かれていない岩石部分が残っている。ガスプラの長軸方向の長さはおよそ18キロメートルあるが、現在くり抜かれているシリンダー部はまだ12キロメートル。およそ3分の1は天然の小惑星のままだ。

 この未掘削部分とシリンダー部分の境に労働者たちが暮らすエリアがある。ここに暮らす労働者の多くは、シリンダー延長の準備のために掘削作業と整備作業に従事している鉱山労働者だ。

「シフトの時間が来たら、気密型のEXOスーツに着替えて坑道に潜っていく。坑内は真空の場所もあるからな」鉱山労働者として働くアディール・ナルセ・モハンディス氏は、貴重な休みの日に時間を割いて私の取材に応じてくれた。「12時間労働のシフトが3日間。採掘は重機の仕事だが、重機が動けるように坑内を整備するのは俺達の仕事だ」

 彼の仕事は、いわば何でも屋だ。現地設置型の大型重機の組み立てや、採掘した岩石の運搬路や坑道の整備、あるいは重機での作業が困難な場合は、彼がドリルでガスプラに穴を開けていく。もちろん安全な労働環境ではない。「中心軸に行くほど重力は軽くなるが、それが厄介なんだ。いつもと同じ感覚でジャンプして、そのままフワフワと飛んでいって重機の作動部に巻き込まれたやつもいるよ」そう語る彼も、1年前に重機との接触事故を起こしたために、左腕を義手化している。

 彼がガスプラへとやってきたのは3年前、諸事情による経済的なひっ迫を理由に鉱山労働者という道を選んだ。「とにかく金が必要だった。最低でも5年は国に帰れないし、危険で拘束時間も長いが、地球の鉱山で働くよりも賃金は高い。だからここに来た」意外に思うかもしれないが、彼の年収は地元のホワイトカラー層が貰う平均年収を超える。手にする賃金は彼にとってもちろん大金であり、単純労働者としては破格と言っていいが、ガスプラでの生活は必ずしも余裕のあるものではないらしい。「酒もギャンブルも義手のメンテナンス費用も、地元に比べて何もかもが高いんだ」

 彼の賃金を奪っていくのは、インフレしたガスプラの物価だ。国連+Sの統計によれば、昨年のガスプラの物価は先進諸国平均と比較して+25%を記録している。この物価高はガスプラに流入する観光客や労働者の多くが余裕のある中産階級以上であることに起因しており、彼らにとっては問題のないインフレ率だが、アディール氏のような低所得層にとっては問題だ。日々の生活費がかさむ上に、彼らには特有の問題がある。「はっきり言って鉱山の仕事は心底つまらない。けどここにはそれを忘れられるだけの娯楽が山ほどある。金を使わなきゃやってられないさ」

 浪費癖や貯金に対する意識の低さは、ガスプラへとやって来る単純労働者に多く見られる傾向だ。ガスプラの労働問題を研究する社会学者カーヤ・ノイベルト氏はその原因を以前の労働賃金との差にあると分析している。「地球で彼らが貰う賃金は、到底余裕のある生活ができるレベルではありません。そんな彼らが以前とは比べ物にならない大金を突然手に入れたらどうなるでしょう。消費に対する心理的ハードルが下がり浪費に走るのです」

 アディール氏の場合、仕事終わりは近くのパブに通いつめ、休みになるとカジノに入り浸るという。地球に残した債務と分割払いの義手化費用を差し引けば、給料日前の彼の口座にはクレジットが3ケタしか残らないそうだ。だが彼はそのことを気にしていない。「退屈を我慢して働けば大金が手に入る。企業に還元してるんだから、贅沢をして悪いとは思ってないね」

 確かに彼の言葉は、ある意味で間違っていない。働いていれば(そして消費に対する自制を覚えれば)生活が苦しくなることはなく、世界の注目を集める街でより充実した毎日が送れる。だが“もしも”働くことができなくなったら? ガスプラに来る単純労働者にとって、この“もしも”は致命的だ。

「早く家族に会いたい」生分解リサイクル槽の整備スタッフとして働くビヒル氏は、地球に残した両親を思い出し、悲しい表情でそう呟いた。「ブローカーへの支払いと地球行のチケットを買うには、今の仕事をあと6年はやらないといけないんです。本当ならとっくに帰れていたのに……」ビヒル氏の運命が狂ったのは、今から2年前のことだった。

当時はガスプラの高級リゾートホテルでハウスキーパーとして働いており、契約期間は半分を過ぎた頃だったという。「連勤が続いて体調を崩したんです。幸い2日で熱は下がったのですが、ホテルに病院を受診するよう指示されました」宿泊業だから慎重なのだろうと、その時のビヒル氏は思ったそうだ。「私は微塵も心配していませんでした。すっかり体調も良くなったので、よくある風邪だったのだろうと。でも医者の診断は信じられないものでした。『半年以上の休養が必要』だと言ったんです! しかも『今後も過労で長期休養が必要になる可能性大』という文言も添えて!」ビヒル氏はあまりにも過剰な診断ではないかと疑ったが、医者は間違っていないと断言した。「私はこの診察結果を受け取るしかありませんでした。もちろんホテルにも提出しましたよ。診察を受ける前からそういう指示だったので」

 そしてそれが、ホテル側にとって材料となった。結果提出の2日後、ビヒル氏は人事マネージャーに呼び出され面談を受けることになった。言い渡されたのは、健康上の理由による退職の勧奨だったという。「診察の結果、私はハウスキーパーの仕事だけでなく、他の枠が空いている職種でも、規定された健康基準を満たさなくなったそうです。健康指数が設定された労働負担値を下回ったとマネージャーは言っていましたが、私はその指数や負担値について今までまともに教えられたことはありませんでした」

 ビヒル氏に与えられた選択肢は3つだった。1つ目は勧奨を受け入れて退職する。再就職先はブローカーが斡旋してくれるが、もちろんホテルとの契約は全て破棄されるし、給与水準も下がる。2つ目は勧奨を断って半年の休養を貰う。再診断を受けて医者のOKが出れば無事に職場復帰ができるが、健康指数が回復する保証はない。3つ目は大金を払って身体改造手術を受け、健康指数と無関係の身体になる。長時間の労働も苦にならなくなるが、手術もその後のメンテナンスも、負担は自費だ。

 選択の自由はあったが、実質的にビヒル氏が選べる選択肢は1つだけだった。「ホテルとの契約期間は4年で延長無しという条件付きでした。半年間休んでしまっては、ブローカーへの支払い額を確保できずに強制的に地球に帰ることになりますし、手術費用なんてもっと借金を背負わなければ到底払えません。せっかくガスプラ来たのに、借金を残したまま戻って何の意味があるんです? だから……」ビヒル氏はホテルとの契約を破棄し、手術を諦め、生分解リサイクル槽で働くことになった。給料は半分に下がり、ホテルが用意するはずだった帰り便のチケットも貰えないが、契約期限はないため稼ぎたいだけ働ける――もちろん汚泥にまみれるリサイクル槽の職場環境に耐えられればの話だが。

 社会学者のノイベルト氏は、ガスプラには契約破棄により地球への帰還が困難になった契約労働者が多くいると推測している。彼らはガスプラの社会システムの最下層で働かされるが、ガスプラに集まる富が届くことはない。「物理的に隔絶されたガスプラの情報は想像以上に地球にやってきません。都合の良いガスプラの情報に惑わされ、多くの労働者が企業主義の暴力に晒されています」

 一部の人権NGOは既にこの問題を精力的に取り上げ、国連+Sでは人権理事会と国際労働機関でそれぞれ調査部会が発足しているが、その規模は小さく、実態はほとんど明らかになっていないのが現状だ。そしてGaDAはこの問題について一貫して次にように話している。「我々はあらゆる選択と機会を制限してはいません。ただ、市場原理は平等に富と幸福を分配するものではないだけです」

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