第1話 銀行にて
「いや~、よく死んだわ」
「いや、よく寝たみたいに言うな」
ふかふかのソファに並んで座っていた、ローブ姿の女の子が呆れたように小声で言った。
拠点にしていた街の一角にある、銀行のロビーでのことである。
レンガ積みや石造り建物の多い街の中で、なにやら石ともレンガともつかない不思議な素材で作られた、真四角の建物の中は妙な静けさに包まれていて、わずかに窓口でのやり取りと、魔法が発動する小さな音だけが周囲を漂っていた。
シロ達がドラゴンに全滅させられて一週間ほどが過ぎていた。
たまたま通りがかった冒険者に遺体を回収され、神のご加護を受けて教会で復活したのが一昨日の話である。組合に加入している冒険者が、死亡した別の冒険者を見つけた場合、報告は義務づけられているが遺体の回収は任意のため、一週間ほどで復活しているのは運がいいと言える。
随分と現場は荒れていたようで、壁や天井が崩落し、シロと仲間の併せて三人が一緒に復活できたわけではなかった。シロは最後だったのだ。戦士であるノギルと、シロの隣に座る、青いフードに身を包んだ女の子のエルザは、先に街に連れて帰られ復活を遂げていた。今日はノギルは所用とやらで、街で別行動をとっている。
「八番でお待ちのお客さま、お待たせいたしました」
白いブラウスに、他の行員とお揃いのベストにタイトスカート。冒険者や街の他の人たちとはまったく違う雰囲気の女性が、カウンターの向こうで立ち上がりシロ達を呼んだ。
シロとエルザは立ち上がり、呼んだ女性の所へ向かう。
両サイドを仕切りで区切られ、ちょっとした個室のようになったカウンター机には、椅子が二つ備え付けられていて、机上には薄いガラスの板と筆記道具が置いてある。
シロは背負っていたずだ袋を柔らかな床に降ろし、革鎧の上にマントを羽織った姿で椅子に腰をかけた。エルザが同じく隣に腰掛ける。
「お待たせしてすみませんでした。クロエがご用事をお伺いします」
女性はカウンターを挟んだ椅子に腰掛けながら、流れるように言った。
「ああ、どうも、復活保険のことで来たんですが……」
シロは足もとに置いたずだ袋の口を開いて漁りながら答えた。
「ご加入ですか?」
「いや、お金を受け取りに」
「ああ、ご請求ですか。ご準備しますからお待ちください」
クロエがにっこり微笑む。
「あんた冒険者のくせに保険なんか入ってんの?」
エルザがシロを肘で突きながら小声で訊ねた。
「お前んちと違ってうちは貧乏だからな。備えは大事なんだよ」
「まあ、うちは一人娘だしね。あんな家でもお金はあるからなぁ。別に死んでも困らない」
エルザがけろりとした顔で言う。
あらかじめ契約を結び、神の加護を受けた冒険者だけが、旅の途中で死んでしまった場合などに条件を満たせば、教会の奇跡によって生き返ることが出来る。
とはいえ、地獄の沙汰も金次第とはよく言ったもので、タダというわけにはいかない。
寄進は大事だ。
おまけに所持品や装備をダンジョンなりでぶちまけていた日には、再び旅に出る準備をするだけでも散財である。
「俺は困るんだよ。みんながお前みたいに懐が温かいわけじゃないんだ」
シロが呆れたように返す。
「よろしいですか?」
クロエが言った。手には先ほどから置かれていたガラスのような透明な板を持っている。
「ああ、すみません」
「いえ、それでは保険証書をお見せくださいませ」
クロエの言葉に、シロは待っていましたとばかりにずだ袋から一枚の羊皮紙を取り出して机に置いた。
「ありがとうございます。拝見しますね」
クロエは肩までの髪を耳に掛けながら証書を手に取ると、ガラスの上を指でなぞり始めた。
ああ、とシロとエルザは得心する。
三十年前、世界が異界とつながってから、交流を持った魔族がもたらした技術だろう。二人からは見えない角度だが、ガラスにはなにやらいろいろと映し出されているようだ。
「証書の番号でご確認が出来ました。念のためにお名前と生年月日をお願いします」
「シロ・アマダ。ドラゴンの年小麦の月八日」
「ありがとうございます。復活保険のご請求と言うことですが?」
クロエはテキパキとガラスを触り、時々、証書に目を落としながら話を進める。
「実は先日、西の山の洞窟でドラゴンと当たって死んじゃいまして、復活はしたんですけど、保険が出るかなあと」
「……軽いなあ」
エルザは頬杖を突きながらシロを横目で見ている。
クロエはそんな二人を見てくすりと笑顔を見せてから続ける。
「あそこは多いみたいですね。時々手続きに来られる方がいらっしゃいますよ。お連れ様は、保険には?」
「いいのよ、私は。うちはお金はあるから。今回も実家の使いが教会に飛んできたらしいわ」
「左様ですか。ご承知の通り、冒険者復活保険は、復活時に掛かる諸々の費用のための保険です。冒険中の事故などによる死亡時に保険金が支払われます。冒険中に現金を紛失したり奪われることを考えていただければ、お役に立つと思います。特約も充実してますからおすすめですよ」
「まあ、考えとくわ」
エルザはつまらなさそうに、片手をひらひらと振った。
「さて、肝心のご請求ですが、いろいろと書類を揃えていただく必要がございます」
「はい、一応、必要そうな物は持ってきましたよ」
シロはいいながらずだ袋を膝の上まで引っ張り上げる。
「証書はお預かりしてますから……教会の復活証明書と冒険中、もしくは依頼実行中だった事実を確認するための冒険者組合の依頼書か就業証明書。あとは……」
シロは書類の名前が出る度に、机の上に羊皮紙を並べていき、クロエは一つずつ確認する度に、ガラスを指で押さえている。チェックでも入れているようだ。
「……そうそう、本人確認のための冒険者カードですね」
「あ……」
シロの手が止まった。クロエが首を傾げ、エルザも顔をシロの方へ向ける。
「……冒険者カード……無くしちゃったんだった」
エルザが大きなため息をついた。
「いつもながら、整理が下手なんだよ」
「違う……ドラゴンの所だ」
「ああ」
クロエが分かったという風に小さく声を上げた。
「つまり、ドラゴンと戦われていた場所に落としてしまったと?」
シロは頷いた。
「少しお待ちくださいね」
クロエがガラスを叩いたり擦ったりしはじめるが、突然眉をひそめると、表情が曇った。
「んー、んんん?あー……なるほど……」
それから顔を上げて笑顔に戻ると、シロに言った。
「ちなみにお訊ねを忘れてたんですけれど、パーティはお二人ですか?」
「いや、あと一人いますよ」
「そうですか……少しお待ちください」
クロエは立ち上がると、部屋の奥の方にいる年配の男性の方へ歩いて行きなにやら相談を始めた。残念ながら声は聞こえない。
シロとエルザは顔を見合わせた。
「大丈夫かな?」
「さあ?」
「保険が下りないと困るんだけどなあ。装備一式をもう一回揃えないといけないし、教会の寄進もけっこう大きいんだよ」
経験を積んだ冒険者ほど、教会への復活の対価は大きくなる。世界へ溶け出してしまったエネルギーを取り戻すのが結構大変なのだとか。
「下りなきゃ、うちの婿に来る?」
「いや、マジで勘弁して。貴族は俺には無理でしょ」
「まあ、その前にうちの親に殺されるかもね」
放蕩娘のエルザとはいえ、親には溺愛されているのだ。でなければ、結構な大金をぽんと払ったり、高価な装備を買い与えたりは出来ないだろう。
とはいえ、シロはそれを当てにしたことはない。だからこそ、二人はパーティを組んで仲良くやれているのだと思っている。
「言えてる。おまけにそれじゃ復活できないし、やっぱり勘弁な」
エルザは肩をすくめて、話題を変える。
「しかし、復活保険って、掛け金は高いんじゃないの?」
「まあな」
「元が取れるのかな?どうやって払ったんだ?」
「どうやってって、依頼の報酬やなんかが入ったときに、まとめて先の月まで払っといたんだ」
「ああ、時々金欠って言うからおかしいと思ってたんだ」
つまらないことを二人で話していると、クロエが席に戻ってきた。
「お待たせいたしました」
椅子に腰掛けたクロエは、両手を組んで改まって言った。
「結論から申し上げると、このままでは請求をお受けできません」
「へ?」
「とりあえず説明いたしますからお聞きいただきたいんですが……?」
固まるシロ達にクロエはゆっくりと言った。
「……どうぞ」
シロは手のひらを向けて続きを促した。
「ありがとうございます。保険というのは、確かに我々が請求手続きを受付けするんですが、支払いを決定し、お金を用意するのは会社の別の者です。その者が客観的に見て、問題がないと思える書類をご用意いただかないといけません」
「何で?」
エルザが少しだけ声を大きくして訊ねたが、シロがすぐに制するように言った。
「悪いことをする輩がいるからかな?保険金詐欺ってよく聞くだろ?」
「仰るとおりです。シロ様がどうこうではなく、皆さまに防犯のためにも同じお取り扱いをお願いしています」
シロは軽くため息をついた。
「それで、具体的には?」
「冒険者カードをご用意ください」
「んー、あれって再発行できたっけ?」
「いや、出来るけど時間と金がものすごく掛かるし、ペナルティもあったような」
エルザの問いにシロが答える。
「ってことは……また、行くの?……いや、きついなぁ……いやだなぁ……遠いし、強いし……どうにかなりません?」
「申し訳ありませんが……難しいですね。ただ、このご契約はとてもいいご契約です」
クロエは羊皮紙の証書を広げ、シロ達に向けた。
「ここまでキチンとご契約をされてる方は少ないんですが、基本契約に加えて、貨物回収特約と費用立替特約が付いてます。これ、掛け金少しお高めなんで、外す方が多いんです……」
「つまり?」
「ひとまず、装備品の準備資金は立替特約で二週間無利息でお貸しできますし、回収特約は、装備品なんかの回収のために死亡地点へ向かう場合、一度だけ保険会社の高レベルの冒険者が同行することができます。つまり、お手伝いが出来るということですね」
うなだれていたシロの表情が明るくなって、反対にエルザが表情を曇らせる。
「ええと、それって……」
「な、備えといてよかったろ?」
戸惑うエルザに脳天気なシロの声が被さる。エルザがシロの頭を叩いたが、見ていたクロエは表情一つ変えずに、力強く宣言した。
「もう一度、死亡された洞窟に潜って、カードを回収してきてください」
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