美しく穢れた世界と、

椋畏泪

美しく穢れた世界と、俺

                 現在


 左足のひざ関節がきしむ。右足はくるぶし辺りが新調した革靴のせいで靴擦くつずれがひどい。出血しているだろう。久々の疾走は体に悪い。肺もいたんできた。こんなことなら一張羅いっちょうらのスーツ姿ではなく、いつも通りの楽な服装で来ればよかった。そもそも冷静に知らんりをつらぬけば良かった。頭の中には様々な「if」が飛び交う。どの可能性も今更いまさら考えたところで遅すぎる。俺が今できるのは疲労と痛みで狂いそうな体にむちを打ち、このきらびやかすぎる「マグトゥ」の町中まちじゅうを逃げ回ることだけだ。いやに晴れた空さえにくんでしまいそうなほど気持ちが切迫せっぱくしてくる。

 『精霊術せいれいじゅつ』と呼ばれる、この世界に無数に充満する精霊に呼び掛けて行使する能力で肉体を強化しているため、ある程度の思考能力は保てているが、それがなくては無心で早くけることしか不可能だろう。

「待ちやがれ! 俺の金を返せ!!」

 後方からの無駄に身なりの良い太った男の怒声におくしてしまいそうになるが、追い付かれれば今までの苦労が水の泡。そもそも待ってやる気なんて無いので、無理して余裕そうな顔を作って振り向きながら返事をしてやる。侮辱ぶじょくを意味するハンドサインも添えておいてやった。

「やだね! そもそも、お前みたいな、薄汚い、ドブネズミが持ってて、良い金じゃ、ねぇんだよ。俺ならもっと世の、ため、人の、ため、有意義ゆういぎに、使ってやるって、もんだ!!」

 幾度いくどとなくまりそうになるも、なんとかニヒルな笑みをやさずに言い切る。振り向きざま見た感じ、このペースで走れば追い付かれないだろうが、流石に俺も疲れてきた。遠巻とおまきに見える町並みの、無意味に張りめぐらせれたうるさいネオン光の調子も相まって俺の体力をうばうように錯覚さっかくし、スリがバレて駆け出した数分前からは想像もつかない程の疲労感が身体に重く乗しかる。一刻も早く追跡者ついせきしゃをまく算段さんだんを考えなくてはならない。享楽きょうらくおぼれた夢物語のごとき都市でもては訪れる。

 『国境付近』。国境警備隊が常駐じょうちゅうする地区。そこまで行ってしまえば俺の命の保証が無くなる。新調した革靴の底がすり減るのが音と感覚で分かるが、今はかまっている余裕すらない。

 精霊術でさらなる肉体の強化を試みるも俺の貧弱な精霊量では叶わず、また簡易的な精霊術で応戦しようにも、俺の技術では第一種精霊術だいいっしゅせいれいじゅつ、つまり直接触れている物にしか能力を行使できない。その上、精霊術の使えない鉱人こうじんに対して精霊術で戦うのはフェアでは無いように思え、どうにも気が進まない。

 つまり攻撃手段は無いに等しい。仕方がないので周囲にあるもので追跡者の足止めをできそうなモノを探す。出来るだけ軽く、尚且なおかつ当たると痛そうな物を逃げながら目でさぐり続ける。

 すると、酒屋の店先の木箱きばこに乱雑にまれたマグトゥ名産の地酒じざけの空きびんがあるのが見えた。

 ――これしかない。――

 そう考えた俺は、走行距離のロスも度外視どがいしして木箱の方へ軌道修正をする。男との距離がやや縮んでしまったが、瓶の有用性に比べれば安いもの。すかさず瓶をつかみ取り、男目け放り投げる。瞬間、自分でもどうしてか分からないが、最大火力の第一種精霊術を込めて投げてしまった。周囲の精霊が瓶を対象の男の方へ運ぶ感覚。その過程でエネルギーを少しずつ増しながら、腕力のみの投擲とうてきとは比較できない程の勢いとなって男の方へ向かっていく。しかし、男は頭に血が上っているのか、単に気が付いていないのか、こちらへの進行をやめる様子はない。

「バカ、避けろ!」

 投擲と同時に男の生命の危険を感じ取った俺は瞬時に叫ぶ。男は一瞬訳ワケが分からないといった風な、間抜けな表情を浮かべるも俺と同じことに気付いたのか、すぐに身をかがめて衝撃に備えた。

 ――今日のスリはやめておきなさい――

 不意に、先刻のマイからの忠告を思い出す。マイはこの事が予測できていたのだろうか?予測していたなら、何故なぜもっと強く止めてくれなかったのか。こんなことになったのも、全てマイとこのイカれた街の責任だ。責任転嫁せきにんてんかはなはだしいが、俺はそう考えながら鉱人と俺の事の顛末てんまつを見守ることしかできなかった。



                 過去


 数時間前、金持ち鉱人こうじんふところからあぶ無く財布を抜き取った俺は、当面とうめんの生活費と少々の贅沢ぜいたくもできる喜びをめながら自室としている穴蔵あなぐらへ戻るため、人気の少ないカビ臭い路地裏へ入っていた。

もうかったもうかった」

 スリに成功し、そこそこの大物がかかった日は久しぶりだったので、言いようの無い全能感ぜんのうかん高揚感こうようかんを感じながら見るからに汚い地べたに、何の躊躇ちゅうちょもなく腰を下ろす。尻の下からヘンテコな形の原蟲ムシ数匹這い出てくるのも気にならず、それどころかその原蟲ムシに心の中で「気張きばって生きろよ」と言葉をかけたのは、充足じゅうそくした気持ちから来るモノなのか、この場所に慣れすぎたせいか、今となっては分からないことだった。

 周囲の薄汚うすよごれた壁の模様もようや、そこかしこにこびり付いたカビの汚れ、ただよ砂埃すなぼこりさえ光を反射して美しい物に、この時の俺には感じられた。

 しかし、どんなに気分が良くてもこの薄汚れた路地裏が俺の愛すべきホームなのに対し、外の世界がむべき対象なのは変わらない。夜でも真昼のように明るく、どよめきが消え去ることのない『眠らない』街。それが外の世界、通称『娯楽ごらく都市マグトゥ』。しかし、どこもかしこもそうでは無い。表があれば裏があり、光させばかげりができる。この街も例外ではなく、きらびやかな表層とは打って変わって、路地裏はまるで時間にさえ忘れ去られたかのように、表とは異なる見窄みすらしい露店などが立ち並び、人々も心なしか陰気いんきそうに眼に映る。

 俺も表の人間にはそんな風に見られているのか、そうであれば俺がスリだと簡単にバレてしまうのではないか、途端とたんに不安におそわれる。

 ネガティブになり今日の本来の目的を見失ってはならないと瞬時に考え直し、無理して顔を上げる。壁と壁の隙間すきまからかろうじて見える朝焼けの空を見る限り、時間はまだありそうだった。深呼吸をしてみる。心持、陰鬱いんうつになりつつあった気分が楽になり、明らかに害のありそうなカビとホコリにおいが濃厚な空気もうまく感じた。

 大仕事おおしごと景気付けいきづけに煙草たばこでもかそうかと懐に手をやりながら立ち上がると、柱がひん曲がった露店の中で、これまた酷いサビ方をしたパイプ椅子に座ったオヤジと目が合った。

「大将、その原虫ムシ焼き二本くれ。あ、両方塩で」 

 馴染みのオヤジの顔から原虫焼きを連想して空腹に襲われたので声を掛けた。腹の虫が盛大に鳴く。遠くからではさほど気にならないが、店主の体はびたパイプ椅子には不釣ふつり合いなほどに大きく、たくましい。近付くと店主とは対照的に露店の見窄らしさが際立きわだつ。

「お、にーちゃん、今日は気前が良いね。大物カネもちでも釣れたのかい?」

 毛深くケモノのような見た目。上顎うわあごは比較的人間に近い形状をたもっているものの、下顎したあごが肉食獣を彷彿ほうふつとさせる形状で異様に発達している店主(種族をなんと言ったっけ?)は、その特徴とくちょう的な口元くちもとゆがませて、豪快ごうかいに笑った。周囲の世界が振動するほどの轟音ごうおんだが、不思議と不快感を与えない。

「まぁね。表のゴミ連中からめぐみをもらってきたよ。無論、無許可でね」

 大将につられて俺も笑う。大将は手際てぎわ良く、その大きな手と指で保冷庫に入った原虫ムシを取り出し、塩を振った。大将はボソリと「特別大きいのをサービスしてやる」と得意げに言って、いつもよりひと回り大きなものを見繕みつくろってくれた。

 串に刺された肉は、かつて世界最強の種族とうたわれた大きな原虫ムシのものだが、現在では一般的なタンパク源として様々な地域に流通するただの食材だ。かつての世界最強の種族も、それを狩ることを生業なりわいとする種族の出現により最強でなくなり、捕食者から被捕食者へとがった。当然大人しく狩られるものが全てでないが、そう考えるとこの街も歴史の縮図のように思える。精霊種のものだったこの土地は鉱人のものになり、そんな街の路地裏で原虫の串焼きをらう。皮肉ひにくなものだ。

 路地裏特有の下水とカビの臭気に原虫焼きのにおいがじって、お世辞せじにも良い香りと言えたものでは無かったが、スリによる精神的な疲労(体力と精神力を行なうからスリと言うのだと俺は思う)と空腹で無意識に垂涎すいぜんした。原虫ムシの肉が毒々しい寒色から、火が通るにしたがって食欲をそそる暖色へ色付くさまを疲れたまなこで見つめるのは心地が良かった。

「ま、そう鉱人こうじんを責めなさんな。お前だって、奴らがいなけりゃ生きてけねぇだろ? 彼らはお客様なのさ。この街にとっても、俺たちにとっても」

 串をひっくり返して大将はまた笑った。笑顔からは、さびしさや悲しさめいた感情の気配が感じられる。

「おかげで大将の原虫ムシ焼きが食えるって考えてみると、悪いことばっかでもないかもね」

 大将にならって、俺も笑顔を浮かべてみる。大将も嬉しそうな表情を返してくれた。

「少年、分け前をもらいに来たぞ?」

 不意に後方から声をかけられる。相変わらず脈絡みゃくらくなく、突然現れるコイツが俺は今だに苦手だ。声の方へ目をやると、貴族の着るような深い紫の、胸元の大きく開いたドレスを着た女性が居た。端正たんせいな顔立ちの彼女が、見るからに高価なドレスに身を包んでいるのはさまになっており、高級な店でもドレスコードで止められはしないだろうと容易よういに想像できた。

「聞いてたのか、マイ。少なくともお前の分は無いぞ」

 その女性マイは芝居しばいじみた驚き方で俺の方へにじり寄る。路地裏の貧民には不釣ふつり合いな、何かの花がベースであろう整髪せいはつ剤の香りが鼻を刺したが、花に興味の無い俺に何の香りかという正確な情報は得られなかった。

「ちょっと! それは無いんじゃないの? 大体、精霊術のイロハを叩き込んでやったのは、どこの美人なおねぇサンだったか思い出してみなさいな!」

 マイはいつものキツイ口調でまくし立ててくる。これまたいつも通り、こちらがってしまいそうなほどのキツイ酒の匂いがした。腰の巾着きんちゃくには硬貨がはち切れんばかりに詰められているのが、近付かれて初めて分かった。

「精霊術を教えて貰った事には感謝してるが、スリに精霊術は使ってないから、マイの分け前はない」

 マイのペースに乗せられないよう咄嗟とっさに反論。今までマイのペースに乗せられて後悔しなかった事は一度だってなく、これ以上馬鹿を見るのはごめんだ。すると、先ほどとは対照たいしょう的に今度は本気で驚いた表情をマイは浮かべた。

「ちょいちょい、にーちゃん。原虫ムシ焼き二本出来たよ。冷めねぇうちに食っちまいな。お代はそこの箱に入れといてくれ」

 大将は不穏ふおんな空気を感じてか、俺とマイの間の空間に原虫ムシ焼き二本を突き出す。俺はマイから目を離さずに受け取り代金を箱の中に入れる。大将は心なしかあわれむように俺を見つめ、自分もからまれては叶わないとボソリとつぶやいて薄汚れた机に置かれた転々と油のシミのある新聞を顔の上に乗せて眠った。

「とりあえず一本やるよ。あとが怖いからな」

 俺は渋々しぶしぶマイに原虫ムシ焼きを一本差し出すと、マイは何の躊躇ちゅうちょもなく受け取り、端正たんせいな顔立ちから想像も付かない程の大口をひろげて原虫ムシ焼きにかじり付く。俺が原虫ムシ焼きをわたす事を予想したかのような態度に腹が立ったが、この程度で腹を立ててはキリが無いと平静を取りつくろう。

「あら、悪いわね」

 マイは不快な咀嚼そしゃく音を隠そうともせず原虫ムシ焼きを食べながら言う。美しいドレスを着た婦人に不釣り合いな荒々しい食べざま 。初対面なら絶句ぜっくものだろうが、俺はこちらが本性だと知っているので今更いまさら何も思わない。むしろ今日の格好に違和感があったので、見慣れた様子を目にして少し安心した。

「で、今日は何だよ。面倒事めんどうごとならだぞ」

 マイは「面倒ではないと思うわ」と言うやニヤつき始めた。嫌な予感を早々に察知した俺はマイの言葉をさえぎる。

「金なら貸さない。宿なら他所よそへ行け。飯はそれで我慢しろ」

 マイに会った時の常套句じょうとうくを言うと、どれかは当たったらしくマイは不服げな表情を浮かべた。

「いいじゃん、ケチ」

 年甲斐としがいもなくマイはねた表情をする。

「それ食ったら帰れ。迷惑だ」

 突き放すように言うとマイは嘆息たんそくし、食べ終えた串を屋台の店先に置かれたタレやら油やらで汚れて今にも朽ちそうな汚いゴミ箱へと投げ入れ、真面目マジメな表情でこちらへ向き直った。

「じゃ、いくつか忠告。今日のスリはやめておきなさい。それとこの街、娯楽ごらく都市マグトゥで精霊術なしで鉱人こうじん様を相手にするのは危険すぎる。大人しく私の教えを守って精霊術は使うようになさい。最後に……」

 と、マイはそこで言葉を区切くぎった。冷たい表情の中に、慈愛じあいと心配が内包ないほうされているのが分かった。マイの師匠らしい態度は、俺からさからう気力をぐ。そしてマイは、再度口を開く。自分の意思と関係無くマイのゆたかなくちびるへと視線が流され、女性として魅力的みりょくてきな部分を全てめ合わせたようにうつった。

「お金貸して」

 真面目に、発言の内容とは反対に誠実そうな口調で言った。こちらを見据みすえる眼差まなざしは、鋭利えいりな刃物のようするどい。何となく、マイの口車くちぐるまに乗っかる人々の気持ちが分かった気がした。だからこそ、マイには一生かかっても勝てないと思えてしまう。

「断る」

 キツイ口調での返答で自分の負け犬思考を断ち切る。マイはわざとらしく残念な表情を浮かべるも、俺の返答は予想できたのか気にした様子も無さそうだった。

「じゃ、仕方しかたないか」

 マイは存外ぞんがい簡単に引き下がる。普段は考えられない事で気味が悪かったが、不利益ふりえきは無いので言及げんきゅうしない。

「忠告の方は善処ぜんしょする。そろそろ時間だ。カジノの方に一稼ひとかせぎ行ってくるよ」

 ため息交いきまじりに言ってきびすを返し、表通りの方へ歩みを進める。マイはまだ何か言っている様だが歩くにつれて発言の内容もぼやけ、対照的に娯楽街特有の喧騒けんそうが視覚、聴覚どころか全身に木霊こだまするように近付いて来る。

「コージンサマに見える所は綺麗きれいなもんだな」

 『鉱人こうじん』。金持ちで、イヤな奴らで、尚且なおかつスリの格好のカモ。そして、俺が思うこのけがれた街最大の汚点おてん。俺たち精霊人せいれいじんと呼ばれる種族が大半のこの大陸で、唯一ゆいいつ精霊を体内に宿やどさず、かわりに身体の一部に金属が発現した、見た目も中身も気色の悪い連中。だからこそ鉱人こうじんには俺達の使う精霊術せいれいじゅつ認知にんちされにくくスリの精度も上がるが、何だか負けた気がして嫌だった。何よりフェアで無いと思ってしまう (スリにフェアも何も無いが)。

「第一、俺は自分の手と頭で金持ちになって、路地裏の薄汚い連中に良い暮らしをさせてやるって決めてんだ!」

 人混みで羞恥の感覚もあったが、これから始まる大一番のため自身に全力の活を入れる。『路地裏の薄汚い連中』には当然マイも入っていたが、気恥きはずかしいのであえては口にはしない。もしマイの耳に入ろうものなら、どんないじられ方をするか分かったものではないので尚更なおさらだ。

 そんなことを考えていると、すぐに目的の場所へ着いた。足を止めて見上げると、眼前がんぜんには豪華ごうか絢爛けんらんという言葉がこれを見て作られたのではないかと言うほど立派な建物がそびえ立っていた。今日、これから、ここで年に一度のだい博打バクチ大会たいかいが開催される。当然、いけ好かない鉱人貴族は一同いちどうかいするが、問題は同族。鉱人こうじんとの交遊こうゆうや護衛で参加する精霊人せいれいじんの方だ。彼らは特に優秀な精霊術師せいれいじゅつしでもあり、俺がまぎれて『悪さ』をするには難易度がかなり上がる。

「行くか」

 俺は重い足を引きずり、会場へ続く大きな扉に向かう。年に一度の大博打だけあり、喧騒けんそう渦中かちゅうの人々もどこかうわついているようだ。皆ここを目指していたのは同じだったらしく、俺が立ち止まっている間にすでに何人もの参加者に追いされてしまった。辺りを見渡みわたし周囲の人間を確認すると、精霊人せいれいじんが三割程度で残りは鉱人こうじんだった。それだけで陰鬱いんうつな気分に負けそうになるも、こらえて扉の向こうへ進んでいく。


 奥は深紅しんく絨毯じゅうたん真紅しんくの壁で、博打バクチの設備以外は存外ぞんがいシンプルなものしか置かれてはいなかった。豪奢ごうしゃなドレス姿の夫人は皆肉付きが良く、お世辞にも魅力的な女性とは言えないほどにえており、皮膚ひふに露出している鉱石も深い色のものばかりで一目ひとめで地位が高い鉱人の『ご婦人方』だと認識できる。

「失礼、入館許可証のご提示をお願い出来ますか?」

不意に背後から声をけられたので振り向くと、奇妙な服装ふくそうの男がいた。ここではめずらしい引きまった体つきの男で、胸からひざあたりまで伸びる光沢のある意匠いしょうほどこされたかざぬの鉱人こうじん国家固有の伝統的な服装だ。その男がいぶかる視線を俺に向けている。明らかな精霊量の差に圧倒されそうになるが、かろうじて平静を取りつくろって微笑ほほえみ、緊張で上擦うわずりそうな声を押さえつけて以前マイに教わった通りに対応する。

「失礼しました。何分なにぶん初めてなもので手順をあやまってしまったようです。こちらが許可証です」

会釈えしゃくして偽造の証明書を男に手渡てわたす。なおもいぶかしんだ様子で受け取る男だったが、証明書に目を落とした瞬間に動揺どうようした表情であわてて謝罪してきた。

「失礼致しました!! まさか西の貴婦人きふじん様の知人の方だったとは。とんだご無礼、お許し下さい。本日はお時間許します限り、心行くまでお楽しみ下さいませ」

 こんなに丁寧な接待せったいを受けたのは初めてで、いささか狼狽したがマイに教わった通りの毅然きぜんとした態度と軽い会釈でその場をおさめる。男はまだあわてた様子でお辞儀じぎをし、おののくように広い室内の対角線方向に足早あしばやに消えて行ってしまった。

「西の貴婦人、どんな人物なんだ……?」

 マイがどんな大物の証明書を偽造したか気になるが、今は標的ターゲットに出来そうな鉱人を探すのが先決だ。出来れば良くえていて、頭も動きもニブそうな奴がいい。バレても逃げ切れる自信はあるが、不用意な逃走劇はやらないほうが良いに決まっている。

 ぐるりと室内を見回すも、どの人物も太ってはいるが腹に一物いちもつという雰囲気。気の抜けた馬鹿面バカヅラは簡単には見つけられそうになかった。

 根気よく巡回する。慎重に、しかし確実に獲物を見極める。戦闘になっても俺が圧倒できるレベルの鉱人こうじんならもうぶんないが、生憎あいにく鉱人の金属のランクや強さなど俺達精霊種には知覚ちかく出来ない。さいわいこの賭博場とばくじょう夜通よどおし行われ、明日の同時刻まで開催の予定であり、その上も大勢参加しているため、り歩いていても不審に思われはしないだろう。外を確認できないので、残り時間がどの程度ていどかが最も注意すべきポイントになる。

「あら、あんたまた負けたの? 情けないったらありゃしない!」

「うるさい! お前が赤だといったんだろ!! お前の言うとおりに賭けたじゃないか!」

 男女の喧嘩ケンカ声が聞こえる。まだ開始からさほど時間が経過しておらず、この賭博場とそんな賭博を法的に容認ようにんしている国の狂った政治の縮図のように思える。

 と、足を止めた。目の前には標的に格好の、想像した通りの男がいた。身なりは良い。恰幅かっぷくも申し分なく、気も弱そうで、何より先程さきほどの賭けで多少は先ほどの博打を勝ちで収めた様な、はずんだ表情をしていて注意力も散漫さんまんになっている。あの様子では今宵こよいのディナーに何を食べようか程度しか考えおよんでいないだろう。


 おそらく、この時の俺も一種の博打の魅惑みわくっていたのだろう。今となってはそう思える。


 標的ターゲットに決めた男がいる方へ近付く。目線を合わせず、出来るだけ背景に溶け込むよう意識して、ジリジリと距離を縮めていく。スリにも随分ずいぶんと慣れたが、想像をぜっするような大金を持っていることが確定している人間を狙うのは初めてで、一攫いっかく千金せんきんが目前だという高揚こうよう感と、誰かに気付かれまいかという不安とで、全身がシビれてしまいそうだった。成功すれば、先刻せんこくのような貧乏性の幸福では無い本物の贅沢が手に入ると思うと尚更なおさらだ。

 もう半歩。そこまで近づく。男は現在行われている賭博ゲーム見入みいっており、周囲の人間も誰一人余所よそへ目を向ける者などなかった。俺も賭博を見るフリをし、男を横目で確認する。酷い香水と脂汗あぶらあせの混じった臭気しゅうきにあてられそうになったが、イヤにきっかりのズボンの尻ポケット左側に財布が入っているのを確認できた。俺はふところのハンカチを取り出し、両手をぬぐう演技をする。再度賭博に熱中するよう前方に目線を向け、目標の位置の財布をハンカチで手元を拭うような動作でつかみ、抜き取る。

「よ、よし! 当たったぞ!! 俺の賭けた数字だぁ!!」

 一瞬スリがバレたのかと狼狽ろうばいしたが、男は財布の方には毛程けほども気付かず、賭けで得た金に大声を上げて喜んでいた。俺は今の賭けが終わってスレば、さらに大金が手に入ったのにと少し後悔もしたが、既に大金を失った男のせめてもの幸運だと思い直し、今日はもう帰路きろこうと自分でも意外なほどすんなり受け入れられた。

 先程の賭博の換金が開始され、勝てた人々は換金所の方へ、反対に負けた人々は別の賭博とばくへと散っていく。

 余りに簡単なことで俺はしばらく立ち尽くしたが、男が気付いてさわぎ出しては面倒だと思い、急いで出口の方へ歩いていく。早足はやあしにならないよう気を付けるものの、自然と早足になり、そのことに焦り、拍車はくしゃがかかって普通に歩くことすら難しくなってくる。

「おい……。俺の財布、どこだ? 落とした……のか?」

 先程の男の声が遠巻とおまきに聞こえた。

 後々考えると無視して歩けばバレなかったろうが、焦りが臨界りんかい点に達した俺は気付けば全力疾走を始めていた。

「くそ! クソ!!」

 走る。ただ、出口へ向かって。何人かは俺が犯人だと気付いたようだが、積極的に関わろうとしないのは幸運だった。

「お前か! クソガキ!! 待ちやがれ!!!」

 逃げたことで男は俺に気づく。身体の一部と骨格が金属の鉱人はそれほど早くは走れないだろうとたかくくっていたが、意外にも俺が精霊術で強化した肉体で疾走するのにもせまる勢いで追ってくる。



                 現在


 そんなこんなで俺はこの鉱人から逃走を続け、咄嗟とっさの事とは言え自分のポリシーも裏切って鉱人に精霊術を行使こうししていた。

 重力が真横にかかったような軌道きどうで、びんは男の方へ飛んでいく。それは、男の頭部をおおっていた腕に直撃する。瓶の割れる鋭い音がした。その瞬間、周囲から音が消え去ったように、通行人も、俺も、男も皆唖然あぜんとした。幸い男は腕部分に金属が表出しているタイプだったらしく無傷で済んだが、服は破けてしまい、弁償べんしょうは嫌だな等と俺は場違ばちがいに考えていた。

 しかし、すぐに逃走者という立場であることを思い出す。とらえられる前に再度俺は駆け出した。通行人も逃げる俺では無く、へたりんだ男の安否を確認にいく者がほとんどで、俺は安全にその場を駆け抜ける。男は自身の息災そくさいを噛みしめるように座り込み、駆け寄った人々に「大丈夫だ」とやっとで返事し、俺を追うことは忘れたように、うつろな眼差まなざしで医者を呼ばれるのを待つ事しか出来ない様子なのが振り返ると確認できた。


 もう、男は追ってこない。だが俺に安息は訪れず、鉱人に精霊術を使ってしまったという自責じせきの念から逃げ出すため走り続けた。もはや先刻の事件を知る者さえいない所まで来たが、ネオンと華美かびな街並みが忘れようとする俺に忘れるなとうったえかけるようにその特有の輝きを目の奥に突き立てる。

 どのくらい走っただろう。正確な時間は分からないが、日の傾きと鈍い痛みを脳に訴え続けるくるぶしひざの感覚から、かなりの時間走り回ったのは確かなようだ。国境付近まで走って多少マシな街並みの所までは行こうと考えていたが、気付けば無意識に高台たかだいまで来ていた。

 初めて来る場所だが妙に懐かしい感覚に襲われ、足を止めた。疲労が急激に襲ってき、近くに設置されている半分に大きな穴が空いてしまってほとんど機能していない、ちかけのベンチに乱暴に腰を下ろす。自分の息づかいと心臓の音でうるさかったが、あの街の喧騒けんそうに比べれば子守唄こもりうたのように感じた。目を閉じてみる。意識が遠退とおのくのを心地よく感じ、周囲に人がいない、ノイズのない自然を全身に浴びる。

 このままでは眠ってしまうと思い目を開け、せっかくだから今日の儲けでも確認をして元気を出そうと、男からうばった財布をふところから出す。

眼下がんかにマグトゥの街並みが見えた。さすがは娯楽都市。大嫌いな街だが、遠巻きに見るとくやしいが美しいと感じてしまう。

 財布の中身を確認する。

「あー、その可能性もあったな……」

 冷静に考えてみれば、その可能性の方が高かった。がっかりする気持ちがありつつも、不思議と清々すがすがしささえあった。

「ま、仕方ないかぁ……」

 俺は、財布から数枚の紙幣しへいと、換金用の当選券を取り出し、それを風にはためかせながら当選券の換金期日を確認するが、あんじょう当日内と印字いんじされており当選金を受け取りにいくことは不可能だった。

「完全にマイナスだな、今日は」

 自嘲じちょう気味ぎみに、わらってみる。「こういうのを、骨折ほねおぞんのくたびれもうけって、どっかの宇宙じゃそう言うらしいよ」と、マイが酒を飲みながら昔をなつかしむ表情でうそぶいていたのを思い出した。

「骨折り損のくたびれもうけ、ね」

 意味が正しいのか、はたまたこんな変な格言かくげんがあるのかはがくが無い俺にはわかる事ではなかったが、今の俺の感情とこの街の風景にはぴったりな言葉のように感じた。

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