七月五十日

 かなり前から、自宅アパートの向かいで新しいマンションを建てる工事をしている。ここに越してきたのは数年前だが、その時はほぼ廃墟の雑ビルが建っていた。前の地震だか台風だかの災害時に半分ほど崩壊したため、取り壊されることになったのだ。しばらく何もない空き地だったのが、今はわたしの部屋、アパートの四階よりも高い足場が組まれている。これができ上がれば全裸で部屋を歩くこともできないのだろうか、向かいの部屋に全裸を見せつけていると捉えられれば、わいせつ罪で捕まってしまうのだろうか、そんな心配が頭を駆け巡る。工事現場の騒音は、だいたい朝九時から始まり、きっかり十二時から十三時、昼飯時にはピタリと止む。平日のみ稼働しているようで、土日は静かだ。わたしの仕事はシフト制なので不定期であるが、この音のあるなしで世間が日曜であることを知らされたりしている。

 昨日から外では雨が降っている。酒を切らしているが、買いに行く気力がない。以前までは安価な酒を常備していたが、それを止めた。必要以上に飲んでしまうからだ。しかし、こう雨が降っていると酒みたいな重いものを買って帰ってくるのだけでも一苦労だし、近場のコンビニにはわたしがひいきにしている発泡酒(アサヒの贅沢ゼロ)がないし。わざわざ少し遠くのスーパーまで足を運ぶ必要がある。そもそもそんな面倒を経てまで酒を飲む必要があるのかと自問自答、どうにか飲酒をしたいという自我と外に行きたくないという自我が喧嘩をした結果、脳がダウンしたらしくダウン症になってしまった。まずいことになったぞと思いはしたが、そう思っても始まらない。ここぞとばかりに陰茎を露出させて外に出る。この国は知的障碍者の犯罪を罰さないため、犯罪を犯せば犯すほどに得なのだ。ダウン症の治療法はないというし、一生このままなのであればいっそ楽しむのもよかろう。自宅アパートから公道に出てすぐ、わたしは駅に向かって駆けだした。露出された陰茎は振動に合わせ、わたしの股でブランブランと自由にやっている。道行く人がなにごとだとわたしの顔を見、ああ、なるほどねと納得したような表情をする。これがダウン症の力である。すべての奇行は「知的障碍者だから」という説明のみで完了するのだ。駅前のサイゼリアに飛びこみ、入り口から一番近いところに座っていた家族の飯を手づかみで食う。「キャア」という母娘の声を聞きながら。父親は「なんだきみは」とわめいていたが、わたしの顔を見るなり諦めたように席を立った。父親に続いて家族の全員が席を立ち、逃げるようにレジに向かった。わたしは最強になってしまった。先ほどの家族が残していった飯をむさぼり食っていると、後ろから声をかけられる。「すみません、お客様」振り返るとわたしと同じ年くらいの男性だ。おそらく店長だろう。どうでもいいので無視して飯を食い続けていたところ、頭に強い衝撃が走った。舌を噛んでしまったようで、口内に血の味が広がる。一瞬真っ暗になった目の前にすぐ、自分の股間が飛び込んできた。一転し、股間を露出させ人の飯を貪り食っている自分が恥ずかしくなる。ダウン症に「羞恥」という概念などないはずだが。疑問と頭痛に頭を抱えて床を舐めていたところ、わたしの頭を殴ったらしい店長が話しかけてくる。「あ、治りましたか。実は、ダウン症は物理的な強い衝撃を加えると治るんです。しかし、だいたいが治る前に死んでしまいますので、公にはないっていません」そのセリフを全て聞く前に、わたしはすでにこと切れていた。

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