第8話
マンションを出ると、すぐにタクシーが捉まった。
「ヤフードームへ。できるだけ早くお願いします」と僕は言う。
「了解しました。お二人で野球観戦ですか? 羨ましいですね」人の良さそうなおじいちゃんドライバーだった。
目が細く垂れており、白髪で髭は生やしていなかった。
見かけとは裏腹に口調と運転操作は機敏で頼りになりそうな感じだった。
マンションを出るときにまわりを確認してなかったことを思い出した。
すぐにタクシーのルームミラーを見ると、この車が発進すると同時に黒のベンツも同時に動き出した気がした。
定かではない。
もともと動いていたかもしれない。
気にしないようにしたが、僕らの乗るタクシーがヤフードームの近くに移動するまで、そのベンツは全く同じ道を辿っていた。
いつの間にかベンツはいなくなっていたが、ヤフードームとホークスタウンしか行き場のない場所までついてきたのだから、もし僕らを追ってきているのなら行き先はバレたはずだ。
彼女に伝えようかと思ったが、つけられている確証も危険も定かではなかったし、心配をかけるのも嫌だったから何も言わなかった。
だいたいパンダ失踪と謎の組織の関連は僕の勝手な妄想でしかないのだから。
ミラーをちらちら見ながらヤフードームまで人の良さそうな運転手さんのソフトバンクホークス談義に相槌をうっていた。
彼女はDSで太鼓の達人をしていた。
大音量でだ。
車内で井上陽水の『夢の中へ』が流れているのにも関らずだ。
「この辺で降ろしてください」と徒歩5分内くらいの場所で頼んだ。
「了解しました」と鋭く運転手は言い。荒々しく路肩に寄せた。扉が開いた。
「ありがとうございました」と言い、僕は3千円支払った。
「私、白鳥と申します。またお会いできそうな気がします」おつりを渡されながら言われた。
扉は閉まり、すぐに白鳥さんが運手するタクシーは発進した。
「ねぇ、あの人ってお客さんみんなに『また会えそう』って言うようにしてるのかな? それとも僕らにだけだと思う?」
前者なら白鳥さんの仕事のおまじないなのだろう。
お客さんを大切にする気持ちが別のお客さんを引き寄せるといった類の縁かつぎなのだろう。
そう言われるとまた会えそうな気もしてくる。
後者ならパンダを探す旅のどこかで、ひょっとしたら助けられるのかもしれない。
パンダが球場にいることを受け入れない僕がそう考えるのもどこか矛盾しているような気がして笑えた。
「ドン ドドドドドカドン ドドドドドカドン カカカッ カカカッ」と口ずさみながら彼女は完全に僕を無視した。
「ねぇ、みんなに言ってるのかな?」無駄なような気もしたが、もう一度聞いた。
「カカカッ ん? 何か言った?」太鼓のリズムの切れ間に彼女は答えた。
ビゼーの『カルメン組曲一番終曲』の途中じゃ、彼女は僕と話してくれないなと自分を納得させた。
すぐ目の前にあった自動販売機で飲み物を買おうと、財布を出したら、
「早くヤフードーム入りましょう。ぼーっとしない」と彼女に怒られた。
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