第3話


 30分早めに空港に到着した。

 何事も早目が丁度いい。

 予想外のことに対処する心の余裕が保てるからだ。

 地下鉄の駅のベンチに腰を下ろし本を取り出そうとしたら、メールが届いた。


『着いちゃった』


 何事も早目が丁度いい。

 他人が付き合えればだが……。

「お帰り」さっそく電話を入れる。

「ただいまー。どこ? 駅? そこじゃダメだから国際線のターミナルに来てね」

 国際線のターミナル行きのバスに乗った。

 顔が緩む。

 着いた。

 あれだ。

 パンダのぬいぐるみの手をこっちに向けて振っているあいつだ。

「来てくれてありがと」満面の笑顔で彼女は言った。

「おかえりなさい」

「我回来了」おそらくただいまと彼女は言ったのだろう。

 時間より早く来た恋人の「おかえりなさい」に対して、「遅い」はないはずだ。

 けれど万が一があるから「ただいま」かどうかは確認しないことにした。

 帰る途中、話に夢中で二人して切符を改札口に忘れた。戻って駅員さんに尋ねる僕ら。

 彼女の家に送って行くと、ひまわりの種やらなにやらと食べさせられた。

 パンダのぬいぐるみも貰った。

 パンダは30cmくらいの大きさで、緑のリボンを首にまいている。

 座っているポーズで胴体と同じ大きさの黄色いカゴを抱きかかえている。

「重い荷物持ってもらってごめんね。ありがとう」

「いや、君に重い荷物は持たせられないよ。長旅おつかれさま」

 パンダもうなずいたように見えた。



  *


 星沙の家で目を覚ますと姿が無かった。

 彼女、ではなくパンダの姿だ。

 30cmほどのパンダがなぜ消えたのか。

 それは彼女が移動させたからに決まっている。

 彼女の寝相は悪い。

 いびきをかかないだけ女性として救いはあるが。

 タオルケットはベッドの下に落ち、ヘソ出しルックだ。

 薄い黄色に小さなパンダの絵が散りばめられていて、よく似合っている。

 タオルケットを彼女のお腹にかけてやる。

 本当はベッドにまっすぐ寝かしてやりたいが、すぐに大の字になるのだろう。

 起こしても悪い。

 もっとも身体の位置を修正したくらいでは目覚めそうにはない。

 タオルケットをかけると僕はすぐに歯を磨く。

 朝目覚めて、まずは歯を磨く。

 父にならった。

 いや、母かもしれない。

 たまにそんなことを考えるが、どちらでもいいと思う。

 結局、ウチの家族は朝目覚めてまずは歯を磨くのだから。

 顔を洗い、料理でも作ろうと冷蔵庫に手をかけたが、ふとパンダが頭をよぎった。

 昨日、パンダを貰って、どこに置いたか。

 間違いなく枕元だった。

 枕元にパンダはなく、考えられるのは彼女が動かしたということだ。

 電気を消してすぐに寝付いたが、その後移動させるものだろうか。

 彼女は今も大の字で寝ている。

 部屋に戻り見渡す。

 シングルベッドで寝ている。

 もうすでにタオルケットはベッドから落ちている。

 ベッドは向かって左側の壁際にあり、右側にはロングソファーがある。

 僕は確かにこのソファーの枕元に置いていた。

 そしてこのソファーで寝たのだ。

 ふと、カーテンがなびいたことに気付いた僕は近づいた。

 窓が開いている。

 クーラーが入っているのだから、昨日は閉めて寝たはずだ。

 ベランダに出るが、何もない。

 しかもここは6階だ。

 念のため玄関に行くと、鍵が開いていた。

 昨日は確かに鍵をかけた。

 彼女が先に部屋に入り、僕が鍵をかけたのだ。

 つまりパンダは、僕らが寝た後に、窓を開けてベランダに出るが、そのあまりの高さにここから出られないことを悟り、玄関から出て行ったことになる、わけがない。

 あれはぬいぐるみだったはずだ。

 すると僕らが寝た後に誰かが入って来て、あのパンダを持ち去ったということになる。

 窓から入って、玄関から出て行ったと考えるほうが妥当だろう。

 急に寒気がした。

 今すぐにでも彼女を起こしたほうがいいが、彼女を起こすことは僕の死を意味する。

 彼女は自分でセットした目覚まし時計で目覚めることですら嫌う。

 自然に目を覚ますのだ。

 何度かアラームで起床する朝に出くわしたが、恐ろしかった。

 関係ない僕にあたってきて、理不尽だった。

 一度、彼女を起こしたことがあったが、それはもう思い出したくない。

 事件のにおいがしても、寝かせ続けてあげることを優先する自分がいる。

 考えても、パンダ失踪事件はすでに起こったことであり、彼女を起こすこともできない。

 

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